第15話
りるはゴルダに発言の許可を与えられると、唐突に立ち上がって面々を見渡す。その行為にどんな意味があるというのか。ゴルダ他、エルヴィンらもごくりと唾を飲み、何を言うのかに注目する。
ゴルダはゴルダで、りるのことをさして知っている訳でもなく、何を言い出すのか緊張していたし、エルヴィンらはそれ以上に緊張していた。止めるべきだとも考える程に。この場で下手なことを言ってはダークエルフたちの怒りを買うかもしれない。そうしたらただでは済まない。
いつもの唐突な思いつきはそのまま話すであろう可能性は非常に高いと言えよう。ここまで招き入れてもらったとはいえ、相手はダークエルフであり、油断はできないのである。
そんなエルヴィンらの心配を知ってか知らずか、りるは、こほん、と小さく咳ばらいをして言った。
「皆、笑顔が足りないと思うな~! ほらー、笑って~! スマイル! そこのお兄さんも~お姉さんも~」
りるは話し合いに参加していない見張りの兵たちまでも指さして、キメ顔で言ってのけたうえで、満面の笑みをしてみせた。
当然その行動は、ダークエルフたちにとっても、エルヴィンらにとっても、全くもって、意味不明、である。呆気にとられた静寂が場を包み、誰も反応出来ない。それ故に、りるの口はそのまま言葉を続ける。
「難しいことはりるには分かんないけど、皆仲良く分かりあえると思うな~」
呑気な発言。呑気な発言ではあるが、この場でそのようなことを言うのはリスキーであった。中でもリーナスはそのことを良く分かっていた。呆れた顔をしてフォローの言葉も思いつかず、他の人々の反応に警戒する。
リーナスの予想通り、場の空気は一気に悪くなる。殺気立つというか、りるに対する不信感のようなものがダークエルフ側の陣営から漏れ出ているかのようであった。ゴルダの目つきは鋭くなり、まるでりるにそれ以上物を語るなと言っているようだった。
「皆仲良くしないと幸福度は上がらないで──」
しょう~、と言いかけたその途中、ついに、りるの言葉を最後まで聞くのに堪えかねたダークエルフの兵の一人がりるへと襲い掛かろうとする。その行動に慌ててリーナスやエルヴィンが止めに入り、あわや戦闘開始、と誰もが覚悟をしたであろうその次の瞬間。
「そこまでだ!」
ゴルダが立ち上がり、双方の間に魔力壁を生み出し、エルヴィンらと兵たちの衝突を何とか押しとどめることに成功する。ゴルダがりるを睨んでいたのは、ゴルダ自身の怒りによるものではなく、その他の兵たちがどう動くか分からないからそれ以上はやめろ、という意味だったのだ。もっとも、りるはそんなゴルダの気遣いに気づくことは出来ず、今こうして、びっくりして若干涙を浮かべながら襲い掛かろうとしてきた兵にステッキを向けている訳であるが……。
「……その話はこのくらいでいいだろう。そんなことが無理なことくらい、分かっているはずだ」
違うか、という問いかけにリーナスたちは違う事は何もない、と首を振り、ゴルダの意見への同意を示す。ところが、そんな中でも、りるだけは口をへの字にしながらゴルダを睨んでいた。
「違うっ!」
りるが叫ぶので、ゴルダは意外な顔をしてりるを見た。ゴルダは、この時気づいた。彼女は冗談や煽りでこのようなことを言っているのではないということに。ゴルダは、腰を下ろして一息つくことで、他の面々にも落ち着くように促す。ゴルダは冷静な男だった。歳を取っているからか、多くのことを経験してきたからか、様々な要因があるだろうが、冷静に物事を見ることが出来る男であった。
それ故に、ダークエルフという種族でありながら、それなりの地位を確立してきたし、今回の騒動にも大きく加担はしてこなかったが、逃げなければ大変なことになるという確信を以て冷静にこの集落まで避難してきた。
今回の騒動で、主役を担ったのはフィグネリアである。ゴルダは彼女に対して特別な感情を抱いている訳ではなかった。かといって、彼は身の保身のみを目指して生きている訳ではない。このままダークエルフ側が引いたとあっては、ダークエルフに訪れる未来は過去よりもさらに壮絶なものになってしまうという焦燥が今の彼を動かしているのである。焦りに駆られて動いているのだ。焦りに駆られているのはこの場のダークエルフ誰もが同じであり、故に、りるに襲い掛かる輩まで出てしまったのである。
そういう精神状態であっても、ここで腰を据えて話をしてやろうと言う心構えが出来るほどに、彼は成熟しきった思考の持ち主であった。その決断力は、そもそも、最初に、りるとの戦いを選ばなかった訳であるから、ここで武力衝突が起こるということは最初の判断が間違っていたということになってしまう。故に、彼は、もうしばらくは、話を聞いてやろうと考えたのだ。
この場における一番の偉いさんがそうしようというのだから、従う兵たちも、それ以上騒ぎ立てる訳にはいかない。ゴルダはそれだけの信頼を勝ち得ている男でもあるのだ。
「さて。では、何を、どうしようと言うんだ? えぇと、そう、りるさん、君がどこまで事情を把握しているかは知らないが、事実として、もう今回の事件だけでもエルフとダークエルフの間に何人もの死者が出ている。そして、もう、事態は終わりかけている。悔しいことながら、自分たち、この集落にいるダークエルフが今度来るであろうエルフたちの大軍相手にして勝つことは難しいだろう。それは、ここにいる全員が分かっているつもりだ。それでもなお、何を、どうやって、仲良く、などという希望が達成されるというのか、聞かせてもらおうじゃないか」
ゴルダの冷静な対応に、リーナスは一瞬耳を疑った。しかし、それも、ゴルダの言葉を聞くにつれ思考は納得へと収束していく。彼は、ゴルダは、いや、この集落にいるほとんどのダークエルフは、リーナスが思っている以上に、大きな覚悟をしているのだということを悟ったからだ。
同時に、この集落での戦闘はもはや避けられないという確信に至る。それだけの覚悟が彼らにはある。そして、エルフ側も、きっとそのことをある程度理解しているのではなかろうか。この集落で起きる戦闘は、つまるところ、この物語の終幕を意味しているのだ。決して良いエンディングとは言えないだろう。血が流れるだろう。今後のダークエルフの立場はつらいものになるだろう。しかしながら、もうそこにしか決着への道は残されていないのであるということが分かった。
それでも、りるは、ゴルダの問いに答えた。
「分かり合うの!」
「だから、どうやって。理想じゃない、具体的に言ってくれ」
りるは、真剣な顔で唸った後、
「ここの人たちが思っていることを、相手に伝えたらいいと思うなー。だって、相手だって、考えることができるんだよ? 嫌だ、って思ってるならそれを伝えなきゃいけないんじゃないのかな」
「……馬鹿なことを」
「馬鹿なんかじゃないよ!」
「馬鹿だ、と言っている。言葉を以て伝えてどうにかなるなら、エルフとダークエルフの間に起きている何千年も続く不和など生じるはずがないのだ。今更、エルフたちに許してくださいと交渉したところでもうどうにかなる事態ではないということくらい誰にでも分かることだろう」
「言葉?」
「そうだ、言葉だ。我々人類は言葉によって思いを伝えるんだ。それが上手くいかないと分かると次は行動によって思いをぶつけだす。その結果が、今の有様だろう、違うか?」
ゴルダは、返答しないりるに、やっぱりだめか、と捨て台詞を吐く。立ち上がろうとして、この場を去ろうとするゴルダ。この後のことは分からないにせよ、エルヴィンらがただで帰してもらえるとは考えづらい。記憶消去魔法などを施されるか、あるいは……そんなことをリーナスが考えていると、
「言葉なんか使わないよ!」
りるの言葉は、ゴルダの動きを止めるのに十分だった。
「どういうことだ」
「言葉で伝えてもうまくいかなかったんでしょう? 言葉じゃ伝わらなかったんでしょう? それならさ────」
りるの言葉は、一同の頭にしっかりと届いたが、彼らがその言葉に理解を示すのにはしばらくの時間がかかった。
「それで、それは、どうやってやるんだ? そもそも、可能なのか、そんなことは。それに、可能だったとしても──」
「りるの魔法はみんなの奇跡なのっ! 大丈夫、私がやるよ!」
ゴルダの言葉を遮るようにりるは言ってのける。ゴルダは考えた。果たして、彼女の提案をどうするべきか。注目すべきは、彼女の提案というのが失敗しようが、自分たちの置かれている状況に何ら変わりはないということだった。
りるの提案が成功するとはとてもゴルダには思えなかったが、逆に、万が一失敗したとしても、自分たちにデメリットはない。待っている運命は、エルフの軍隊との交戦の末の敗北である。りるの提案が上策だと言うつもりは全くないが、りるほどの魔力を持つ存在が敵に回らないだけマシだと考えられた。
「分かった」
ゴルダは思慮の末に、了承の結論を出す。エルヴィンらは、まさか、ゴルダがりるの意味不明な思いつきに同意するとは考えていなかったため、罠か何かと疑ってかかるが、ゴルダはその誤解を解くためにも、ゴルダ自身が考えた利害関係のことを包み隠さずエルヴィンらに話した。
「……なるほど、確かに、それなら納得できる」
「正直、気に入らないけれどね」
リーナスが誰にも聞こえないような声で呟くが、彼女も、ゴルダの言葉をおおむね信じた。確かに、ゴルダの言う通り、彼らにデメリットはないのだ。その事を包み隠さず内明かされた時点で利害関係に基づく信頼を置くことは出来た。
こうして、エルヴィンらは、スゾの集落にて、エルフたちの軍隊が到着するのを待つこととなったのである。
エルフたちの軍隊はエルヴィンらがクレイテミスを出発して翌日にはもう進軍の準備完了していた。
兵力は必要以上に多い。クレイテミス所属の軍隊は勿論のこと、各地方からも続々と軍が招集されていた。
軍の本体がクレイテミスを出発し、スゾへ向かう道中にも、各地方から来た増援が合流し、その数は、二倍、三倍へと膨れ上がっていった。まるで、国外遠征にでも出向く程の規模の軍隊は、確実に勝利するためだけという理由ではない。
勿論、相手はダークエルフの力を存分に振るうことができる天才フィグネリア。封印の地での謎の敗北によって彼女の戦闘力が大幅に削がれたからこそ、クレイテミスでの反乱分子は制圧された訳であるが、それからしばらくの時間が流れている今、彼女もある程度は回復しているかもしれないという予想はできた。スゾにフィグネリアがいるという情報は入ってきていないが、いないという保証は等ある訳もなく、相当数の軍勢を率いて行かなければ敗北を喫する可能性があるということも理由の一つではある。
しかし、エルフ議会がスゾへウィシュトアリー全土から軍を招集してまで必要以上に思える大軍を送るにはそれ以外にも理由がある。その理由とは、いわゆる、権力の誇示であり、もっと言葉を選ばずに言えば見せしめである。ダークエルフの反乱分子は無事鎮圧されるということを国土中にしっかりと見せなければならないのだ。今後、そのようなことが起きないように。今後、ウィシュトアリー聖国を平和な国にするために。
力により押さえつけるのではない。力を見せることによって押さえつけるのである。一見、無情にも見えるが、エルフ議会はこれを最も暴力的でない手段だとして判断したのだ。これ以上、血を流さないために、多少の犠牲はやむを得ないという考えのもと。
であるからして、討伐へ向かう軍の大半の士気はさほど高くなかった。そもそも、クレイテミスの外のエルフたちは、今回のクーデター自体を把握していなかった者も数多くいた。それは、軍に所属していた兵士として例外ではない。
「何のために行くんだ?」
「……さぁ?」
なんていう会話が地方から集まってくる軍の兵卒たちの間には多く見られ、かといって、上が行けというのだから行くしかない。給料をもらっているので従わない理由もない。何より、相手は、ほんの数百名もいるかどうかだと言う。そこへ万に近い数の軍が攻め寄せるというのだから、危険性など感じられないのもまた確かだった。
故に、軍全体の士気が高いかといえば、そうではないと答えざるを得ないだろう。クレイテミスから発った一部のエルフや、その直属の兵たちは、この戦いが重要な意味を持つということを分かっていたため、士気は高かったが、それに追従する他の兵たちは、楽な戦いだ、自分の出番はないんじゃないかと、そのくらいしか考えてはいなかった。




