第13話
一通りの現段階のウィシュトアリーの状況を聞き終えた後、
「本日はもう日も暮れます。しばらくここ神殿でゆっくりしていってください。勿論、食事も簡単なものにはなってしまいますが出ますのでご安心を。ここからブベルへの道のりには、ウィシュトアリーの使者をおつけしたい、その準備が終わるまで数日くらいでしょうから」
というヘルゲの言葉を受けエルヴィンらは部屋へと案内される。丁寧に、男女それぞれ一部屋、計二部屋が用意される。神殿は外交施設でもあり、客人の訪問は決して珍しいことではなく、それぞれの部屋はまるで高級な宿屋のように整備されておりベッドの上のシーツなどはとても綺麗に整っていた。
通常、旅行者のための部屋となれば、ベッドは一つと相場は決まっていたが、ここには贅沢にも二つのベッドが設置されており、それだけでも、豪華という言葉が当てはまる。
リーナスは、りると二人きりになり、どうしたものかと少し困っていた。
食事を大きなホールで済ませ、落ち着かないながらも部屋に戻り、ベッドの上に腰かけ、そろそろ寝る準備をしなければと考える。
りるは何をしているかとりるのいる方へと視線をやると、まだ、物珍しそうに部屋の中をうろうろと動きまわっていたが、リーナスの視線に気づくとてこてこと寄ってきて、その隣に腰かける。
「あなたのベッドはあっちよ」
リーナスが隣にある絢爛豪華なベッドを指さすと、りるは、首を横に振る。私はこっちのベッドを使うという意味で首を振ったとも思えない。そんなことは知っているという意味で首を振ったのだろう。りるはどこを見るでもなく、言葉を発した。
「りる、明日、封印の地の近くへ行くね」
唐突な呟きは、間違いなくリーナスへ向けて発せられているものであり、リーナスはこれに答える必要があったが、質問の意図を理解しかね、問い返す。
「それは、どういう意味?」
すると、りるは、ベッドの上に体を投げ出して、仰向きになった状態、天井を見上げている状態で答える。
「そのまんまだよ~。だってさぁ、おかしいもんーそんなのー」
「そんなの……? ごめん、りるちゃん、話についていけていないみたい」
リーナスの弱音を聞いてか聞かずか、りるは表情を変えることなく、続けた。
「りるはね、りるの魔法は、皆の奇跡なの。りるは、分かるよ、エルフの人たちがやろうとしていることも、その理由だって分かるよ。でもさぁ~、やっぱり、皆元気じゃないとだめでしょ~」
「そうね」
「人ってね、分かり合えると思うんだ~」
「そうかしら」
「きっとね。ほら、昔の人も言ったでしょ、待ってくれ、話せばわかる、って」
「そうなのかしら」
「こうも言ったよ。親の心子知らず」
「……」
リーナスが、おそらく徐々にずれていっているであろう会話にどう付き合うべきか考えていると、隣から寝息が聞こえ出す。隣に寝転がっているはずのりるを見ると、そのままの姿勢で寝入っていた。器用に、下半身はベッドに座り、上半身はベッドに投げ出すようにして寝ている。
「ねぇ、起きて、ほら。こんな姿勢で寝ても体力は回復しないわ。あっちのベッドで正しい姿勢で寝ないと」
ぺちぺち、と軽く頬を叩いてみるも、りるは、ぅうん、と言うばかりで起きる様子がない。そういえば、近頃、寝る時間が多くなっているような気もする。まだトゥリパでの大きな魔力消費が回復し切っていないのが原因だろうか、など、色々考えてみるものの、そもそも、この魔法少女がどこから来たのか、何者なのか、ということさえ分かっていないのだから、何が原因かなんてわかる訳もない。
無駄な思考を破棄して、リーナスはりるをひょいと抱える。体は、リーナスでも全く魔力の補助を必要としないくらいに軽い。およそ人とは思えない程の軽さである。魔力が自然と働き重力を打ち消しているのだろうか、などと考えつつ、りるをもう片方のベッドの上へと運ぶ。
そのままゆっくりとベッドに体を降ろして、りるの顔を見る。
少女が小さな寝息を立てて目を軽く閉じて寝ている様子は、そこに強大な魔力が宿っているとはとても考えにくいあどけない姿であったが、不可解な点はやはりそこではない。今先ほど、彼女が言っていたこと。りるの行動は常にリーナスの予想出来ない方向に動く。封印の地へ行ってどうなるというのか? ダークエルフたちに接触して何をしようというのか? 先の言葉を考えれば、どうやら、りるにダークエルフたちを、フィグネリアを倒すつもりはないように思える。
だからといって、どうしようというのか。分かり合える、という言葉を聞いた時、リーナスは僅かな憤りを感じた。そして、強い反発を覚えた。そのことを直接りるにぶつける気はない。何を言ってもきっと無駄だと分かっているからだ。
しかし、どうすれば。そこまで考えて、りるはそれ以上考えるのを止めることにした。考えても、どうせ、何にもならない。今は自分がするべきことをするだけ。そして、今、彼女に出来るのは、思考を休め、体を休めて明日以降に備えるということであった。
「いやだー! りるは絶対にスゾに行くの! 行くぞ! 行くぞ! 行くぞ! 絶対行くぞ!」
スゾとは、例のダークエルフたちが終結している集落の名前である。そして、今、りるがこうして叫んでいるのは、エルヴィン、ミカル、リーナスに向けてである。
「そうは言っても、なぁ」
エルヴィンが返答に困っている。
彼らは一夜明け、さて、クレイテミスを出発する準備をしようではないかと神殿の各々の部屋前で合流したところであった。幸いなのは、りるが騒いだところで、回りに人は限りなく少なく、問題が起きないということだろうか。
「駄目よ、りるちゃん。もうこれはウィシュトアリーの問題なんだから。もう明日、明後日にでも、ウィシュトアリーの国軍がクレイテミス他各地方から集結して、スゾへダークエルフ討伐へ向かう、ってさっき聞いたでしょ。私たちが行って何になるの?」
「いやだ! 行くもん!」
「いい? 確かに、ウィシュトアリーの国がダークエルフによってその力を握られていたという状況下なら、貴方とフィグネリアは対決しなければいけなかった。私たちがあなたの力を利用しようとしていたのは確かよ」
「り、利用って、そんな」
エルヴィンが口を挟もうとするのを、リーナスは、エルヴィンは黙ってて、と一蹴する。好きな子にそんなことを言われてちょっとしゅんとするエルヴィン。
「でも、もう今は違う。ダークエルフによるクーデターは無事鎮圧されようとしている。これで無事解決。分かる?」
しかし、リーナスの言葉にもりるは首を左右に激しく振る。
「関係ないっ! いいもん、りる一人でも行くから! じゃあね!」
りるはそう言い残すと、エルヴィンらを置いて走り去っていってしまう。
「ど、どうしよう、ねぇ、えっと、えっと」
一人慌てるのはミカルだ。けれど、エルヴィンもリーナスも返答をしない。ミカルは一瞬考え、そして、心を決める。
「え、と、僕は、行くよ! 後は任せるね、二人とも!」
ミカルはりるに着いていくことを決めたのである。りるの後を追って走り去っていくミカル。その姿を目で追いかけながら、エルヴィンがリーナスに問う。
「なあ、分かってるんだろ? 姫愛りるさんがやろうとしてること」
「…………」
「リーナスの気持ちは分かる。確かに、このまま何も手を出さなければ大陸に平和は訪れるだろうって俺も思うよ」
言葉を返さないリーナスにエルヴィンは続ける。
「それでいいのか、なんて安易な言葉をかけるべきじゃないのは分かってるんだ、分かってるんだけど、なんて言ったらいいのかな、えぇと」
うまく言葉が出てこないエルヴィン。リーナスは、そこでようやく口を開いた。
「あんなの、理想論よ……」
あんなの、というのは、間違いなくりるを指しているのだろう。
「そうだよな、理想論だ」
「理想論を言ってどうにかなるなら世界はもっと平和に決まってる」
「その通りだと思うよ、リーナス。理想論じゃ何ともならないから俺たちはあがいた。そうだろ?」
「けど」
リーナスはエルヴィンの顔を見る。
「見てやりたい、結末を」
リーナスの言葉を聞き、エルヴィンは、軽い笑みを返して言った。
「よし、じゃあ、俺たちもロマンチストの結末を見に行こうぜ」
リーナスとエルヴィンは、りるの後を追いかけ、りるの肩に声をかけて言った。
「私も行くわ」
するとりるが逃げるように立ち去ろうとするので、さらにリーナスは追撃する。
「りるちゃん、スゾの場所分かるのー?」
りるはくるりと振り返って、むぅとした様子で、
「愛を感じればどこにいたって分かるもん!」
と返したので、リーナスはぽつりと呟いた。
「ロマンチスト」
そこには、イライラしていたこれまでの表情とは打って変わって、どこかわくわくした、羨望の眼差しがあった。
りるたちが目指すスゾの集落は、伝統的なダークエルフが住むさほど大きくない集落である。その歴史は長く、ダークエルフだけが住む集落としてはその規模は大きい。かつては、ウィシュトアリーからの独立を求めていた時期もあったらしいが、近年はそんな力もなくなっていた。
しかし、その力なき集落に、ある日一人の天才的な力を持つダークエルフが生まれた。それがフィグネリアの名を持つ少女である。彼女は、ダークエルフが生まれつき持つ魔の力の中でも限られた者しか持たない、魔の存在を操る力、即ち、モンスターを操る力を持っていた。このことは外部に漏らされず、フィグネリアはスゾの集落で大切に育てられたのである。
ダークエルフたちは暗にかつての栄光を取り戻したいと考えていた。全員が、という訳ではない。エルフたちとの共生を良いものとして捉え、友好的に接し対等な関係を築こうと努力した者も多くいる。また、森の中の集落ではなく、クレイテミスを始めとしていくつか存在するウィシュトアリーの都市部に住むダークエルフたちの多くはエルフと友好的な関係を築こうと努力している。
けれど、ダークエルフ発祥の地とも言えるスゾの集落では未だ保守的な思考を持つダークエルフが多く、フィグネリアの台頭の一因としては十二分に効果を及ぼしたであろうことは明白だった。
スゾの集落へのクレイテミスからのアクセスは決して良くはない。途中までは平野部を通る通商路を移動することが出来るが、途中からは森を切り開いた獣道のような道を進まなければならない。それもそのはず、スゾから少し行けばそこは封印の地であり、スゾの集落付近でさえモンスターの影は多く、誰も好き好んでそのような場所を開拓しようとはしないからであった。では、何故、スゾの集落でダークエルフたちは生活出来るのか、といえば、それこそ、彼らの一部は魔の力を操ることが出来るからであり、皮肉にも、この力を操れるという事実が、エルフたちの反感を買っている一因にもなっているのである。
それだけに、森を行く道中に現れるモンスターの数は、並々ならないものであった。
とはいえ、そこは戦い慣れた戦士たち。モンスターたちのほとんどは、フィグネリアが繰り出すような凶悪なものとは程遠い種であったこともあり、スゾの集落へ到着するまでの道のりにおいて誰が怪我などをすることもなく、森の中を進んでいく。
現れたのは、木々が切り開かれた景色。簡易な木製の柵に覆われたその場所は、間違いなくスゾの集落であると思われた。決して軍備が整っているなどとは思えず、見た限りでは、ここに軍隊が押し寄せようものならほんの一捻りで潰されてしまうだろうとさえ思える。
日が暮れた頃にようやく到着した故か、集落に灯りはほとんどなく、ひっそりと闇の中に佇んでいるという印象を与える。闇という言葉が似合うほどに集落が不気味に感じられるのは、夕暮れ時だからという理由や、森の中にあるという理由だけではない。
集落の家々は木造だ。しかし、それらの壁には真っ黒な塗料が塗られているのである。勿論、これは、禍々しさを表現するためのものではなく、家を虫などから守るための塗料として使われているのであるが、意図せず不気味に思われてしまうのはやむを得ないことだろう。
「──ついた!」
りるが集落を視界に入れると同時に一人飛び出そうとするのを、リーナスが慌てて止める。
「ダメ! 安易に近づいてはダメよ」
りるがリーナスを振り払おうとするが、リーナスは決してりるの肩を離さなかった。




