第1話
辺りは、漆黒の森。黒い魔力を浴びた森の木々は、岩と化し、大地は汚染され、空から降り注いでいるはずの太陽光さえほとんど受け入れない、暗黒の空間。
繰り広げられるのは、このアヴァラ大陸における人類の生存をかけた最後の戦い。
「────、───────!!」
唱えられる呪文はエルフの少女、リーナス・アンナ・ウルリカのもの。リーナスは、淡い金色の長髪をふわりと魔力になびかせ、身にまとう白き衣をはためかせながら、エルヴィンへと魔力を送る。彼女の呪文により、剣士、エルヴィン・フォン・ブロンベルクの肉体は魔力につつまれ、強化され、戦闘準備が完了する。
「行くぞ、フィグネリア! これで貴様らの陰謀は幕を下ろす!」
エルヴィンはガシャリと重厚な鎧の音を鳴らし、剣を構え、その刃先を、フィグネリアと呼ばれた魔女へと向ける。フィグネリアと呼ばれた漆黒の衣に身を包む女、種族はダークエルフ。絶大な魔力は魔物をも操り、アヴァラ大陸は、今、彼女の手に堕ちようとしていた。
「ふふ、無駄なこと……。幾千年、虐げられてきた私たちダークエルフ一族の怒り──お前らのような、人間、エルフ、ホビットの甘えた者どもには分かるまいっ!」
高笑いと共に、彼女の手から漆黒の魔力が放たれる──いや、魔力ではない。それらは形ある魔物であった。彼女は、己の魔力によって、魔物を魔界から引っ張り出し、エルヴィンらに叩きつけるがごとく解き放ったのである。
黒い塊は、最前列にいるエルヴィンめがけて一直線に飛び掛かり、そして、霧散した。エルヴィンが攻撃したのではない。黒い塊に当たったのは二本の矢。放ったのは──
「僕の国をあんな風にした──お前を、僕は絶対に許さないっ!」
ホビットの射手、ミカル・ラピス。少年は再び強く弓を構え、いつでも次の矢を射ることのできる状態にする。
それぞれの戦士は、それぞれの決意を胸に、力を解き放つ。
全ては、大陸アヴァラを、そして、それぞれが守りたいと願う物を、あるいは、者を──守るため……。
物語は終焉を迎えようとしていた。それは、ダークエルフのフィグネリアが引き起こした災厄を、リーナス、エルヴィン、ミカル、三名の選ばれた者たちが葬り去るという形で。
エルフの少女は、両手を悪へとかざし、呪文を唱える。
──リーナス・アンナ・ウルリカ。出身国はウィシュトアリー聖国。種族はエルフ。
エルフとダークエルフが支配する国、ウィシュトアリー聖国において、地位の高い神官として国に仕えていた彼女は、ある日、ダークエルフたちのクーデターを察知する。しかし、時既に遅し。彼女一人の力ではそのクーデターを阻止することは出来ず、無念の思いのまま、彼女は亡命──。
ダークエルフたちが企てる、魔の一族──魔物の復活、その野望を知る者は、彼女ただ一人であった。
救いたい。その思いを胸に、少女は戦う。全力で──勝つために──世界を、そして、エルフの一族を救うために。
人間の青年は、一本の剣を力強く両手で構え、斬りかかる。
──エルヴィン・フォン・ブロンベルク。出身国はアヴァラ西部共和国。種族は人間。
かつて、国の片隅でやさぐれていた青年の姿は、今はもうない。リーナスとの出会いにより、人の優しさ、暖かい思い、誠実さ、喜び、様々なことを学んだ。決して結ばれるような地位にいないということは分かっている。リーナスは聖国の神官。エルヴィンは落ちぶれた国の辺境の地に住む雇われ一兵卒。けれど──。今、リーナスを助けられるのは、リーナスが守りたいものを一緒に守れるのは、そして、共に、歩みを進められるのは自分しかいない。
エルヴィンは、エルヴィンが戦いたいから剣を握る。その理由がどうだ、なんてことは関係がないことだ。自分が戦って世界を救う──そんな大きなことを彼は考えていない。
守りたい。その思いを胸に、青年は戦う。全力で──勝つために──エルフの少女を、いや、一人の好きな人を守るために。
ホビットの少年は、弓を強く絞り、狙いを定める。
──ミカル・ラピス。出身国はブベル王国。種族はホビット。
小柄であり、顔つきはまだ幼さが強く残る。しかし、その心にもう悲しみはなかった。祖国ブベル王国をダークエルフ率いる魔物たちに蹂躙され、残された希望である第三皇子、ミカルは立ち上がった。彼一人に何が出来る、と背後から後ろ指を指されながらの出国。しかし、その可能性を誰よりも信じているのは他ならないミカル本人。
エルヴィンらに合流し、二人との旅路で翻弄されながらも、彼は失わない、その胸に秘める熱き心を。
褐色の健康的な肌も、さらりと流れる黒の短髪も、きらりと輝く凛々しさが伺える顔も、この一時ばかりは別人。自分は倒さなければいけない。敵、フィグネリアを。
助けたい。その思いを胸に、少年は戦う。全力で──勝つために──祖国を、そして、希望を助けるために。
それぞれの思いは、魔力となり、剣となり、矢となり、フィグネリアへ襲い掛かかる。
ダークエルフの女は、強く、強く、念じた。
──フィグネリア。出身国はウィシュトアリー聖国。種族はダークエルフ。
長年、エルフに国政の座を執られ続け、無念の地位に甘んじてきたダークエルフ一族に生まれた、あるいは、つくられた天才。彼女だけが、今回の災厄を強く願ったという訳ではない。彼女が、そして、何より、ダークエルフという一族が、この、今を願ったのである。
ここ、封印の地に何千年もの間、強く封印されてきた魔の存在──魔物を呼び覚まし、それを操り、大陸を混沌へ陥れる。それは、虐げられてきた種族ダークエルフの最後の足掻きであった。古来より、魔物との結びつきを持ってきたダークエルフ。そのことが一つの原因となり、ウィシュトアリー聖国で長年辛酸を舐め続けてきた。
解放されるためには、本当の自由を手に入れるためには、立ち上がるしかない。──それが、例え、このアヴァラ大陸に災いを招くことになろうとも、このアヴァラ大陸を混沌に陥れることになろうとも……。
解放したい。その思いを胸に、女は戦う。全力──? そんなものではない。彼女は、命をかけている。それ以上に、ダークエルフという一族全てを背負ってここに立っている。そのことを強く認識していた。
負ければ、ダークエルフに明日はない。今より過酷な日常が待っているだろう。そのような結果に救いなど、ない。
フィグネリアは、三名の攻撃を受け止める。ニヤリと笑う。こんなものか、と。
「所詮、お前たちは背負ってなどいない。軽い、軽すぎる! 教えてやる、私たちの怒りを──いや、悲しみを!」
フィグネリアは漆黒の衣をはためかせ、フードの下に眠っていた白い髪をはためかせ、魔力を高め、両手の平からそれぞれ解き放つ。魔力は、地面へと衝突、同時に、封印の地の奥底から呼び起こされた二匹の魔物が具現化する。
二匹の魔物は、禍々しく、三名の前に立ちはだかった。身長は人の二倍はあろうか。その巨体はまるで鬼。かつて、ダークオークと呼ばれた二匹の魔物は、最前列へ陣取るエルヴィンへと殴りかかる。
「くっ……!」
エルヴィンはダークオークに応戦する。剣を華麗に使いこなし、殴りかかる拳を避けながら、地面をもえぐるダークオークの拳へと剣撃を加える。攻撃は命中、しかし──確かに当たったにも関わらず、ダークオークはひるむことなく、すぐに次の攻撃を繰り出してくる。
エルヴィンは一人を相手にするので精一杯であった。強い、と感じていた。封印の地の付近には、フィグネリアらのダークエルフが封印を解こうとしている今回の事件より前から、封印から漏れ出した魔物が僅かに湧いている。それらを討伐し、市民を守るという仕事をしていたエルヴィンからしてみれば、魔物の相手は慣れているはずだった。けれど、こいつらの強さは桁違い。一撃一撃は致命傷になるほどに重たく、かといって、スピードがない訳でもない。相手にするのは、一匹が上限。負けはしない、負けることは許されない、が、強い。
ダークオークの片方は、エルヴィンへの攻撃を止め、狙いを他へと定める。ギラリと光るおどろおどろしい目が、小さな皇子ミカル、そして、リーナスへと狙いを定める。
「……っ! クソッ!」
エルヴィンは、けれども、もう一体のダークオークの攻撃を凌ぎつつ、攻撃を加えるので精一杯であった。
「させないっ!」
ミカルがかけてくるダークオークへ連続で弓を射る。矢はダークオークの固い皮膚へと幾本も突き刺さる。しかし──弱い。ミカルの攻撃は的確で、確かにダメージを与えてはいたものの、ダークオークにとってその攻撃はあまりにもひ弱だった。
「そ、そんなっ!」
ミカルの表情が一瞬曇る。やられるのか、という恐怖が顔を覆う。しかし、
「────!」
リーナスの攻撃呪文詠唱、直後、ダークオークの体を幾多もの爆発が襲う。
「グ、グォオォウウ!」
ダークオークの咆哮。ミカルの物理攻撃によるダメージと、リーナスの魔力によるダメージは、確かにダークオークへ強い衝撃を与えていた。ミカルは、キッと表情を引き締めなおし、さらに追撃を加える。
「やるじゃないか、流石だ」
その様子を僅かに見ていたエルヴィンはニヤリと笑うと、自らも剣を強く握りなおした。
「俺も、負けてられないなっ!」
立ちはだかる巨体。その攻撃を避けつつ、あるいは、剣で受け流しつつ、ダークオークの懐へと入り込む。そして、その剣を突き立てるようにダークオークの胸へと強く差し込む。
「グ、グァア、グオオ!」
咆哮。ドシン、ドシン、と巨体は両膝をつき、ついには、耐えきれず、地面へとその巨体を預ける。
「──これで終わりと思ったのかしら?」
ようやく二体の鬼を倒した三名を見て、フィグネリアはくすくすと笑った。こんなものではない、と物語るかのように、その笑いの裏には、強い憎しみが込められているように見えた。
フィグネリアの前には──居た、ダークオークが二体。それだけではない。さらに不気味で恐ろしい化け物が、何体も──。
フィグネリアは笑う。
決しておかしくなったのではない。三名に対して特別な感情など、ない。フィグネリアはただ願っていた、この世界の破滅を──。
劣勢。
圧倒的に強い。力の差は歴然。倒しても倒しても湯水のように湧いて出る魔物たち。
「なんて数なの……もう私の魔力も……」
リーナスが弱音を吐く。
「だ、大丈夫、大丈夫だ、俺たちが、勝つに決まってるんだ……! そうじゃなきゃいけないんだっ……!」
エルヴィンは願っていた。自分たちが勝つことを。そして、信じていた。自分たちは、勝つべき存在なんだ、と。
けれど──現実は違う。明らかな劣勢。息も絶え絶えに、徐々に防御に回る頻度が高くなる。
それに対して、フィグネリアは一向につかれる様子を見せない。まだまだ余裕だ、とばかりに防御魔術を張りながら、三人を見下すようにして見ている。
「──このままじゃ、キリがない。……僕に、提案があります」
息を切らしながら、敵の攻撃を避けつつ、攻撃を続けるミカルが言う。三人がなんとか、一か所に集う。
「──、──です!」
ミカルの提案に、息を飲むリーナスとエルヴィン。
「……それで行こう」
「でもっ!」
反対しようとするリーナスを説得するようにエルヴィンが言う。
「これしかない、リーナス。頼む……」
そして、そっと、耳元で囁く、好きだった、と。
「……わかったわ」
リーナスの了承。
同時、エルヴィンとミカルが一直線にフィグネリアに向けて駆け出す。途中に襲い掛かってくる敵を、ミカルが牽制しつつ、その間に、エルヴィンは、手にする剣にすべての力を集中させる。
守備のいなくなったリーナスへ、魔物が寄る。けれど、リーナスは簡単な防御魔術を貼るのみで、彼らには攻撃を加えることなく、エルヴィンへと魔力を注いだ。
この一撃。
一撃に賭ける。
三人は、最後の力を振り絞り、フィグネリアを撃破することのみを考えた。そして、出した結論が、防御を一切捨てた捨て身の作戦。
「……血迷ったか」
フィグネリアはため息をつく。そして、思う。いつもいつも、いつもいつもいつも、正義の味方ぶった正義漢達の哀れさを嘆く。
しかし──容赦をする気など微塵もない。目の前の情に動かされてなるものか。フィグネリアはとっくの昔に決意していた。非情を。
突撃するエルヴィン。
「うぉおおおおおおお!!!」
叫び、剣先を、突き立てる、フィグネリアの胸元へ、力いっぱい。勝利の為に──。