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旧企画

梅の咲くころ

作者: 秋月瑛

 名主だったのは過去のこと、今や草木も育たぬ山奥に追いやられ、人々からも忘れ去られた我が家系。すでに私も、そして我が両親も、先祖の威光など知らずに育った。故に今の生活に何の苦もない。

 両親はすでに他界し、山を降りる気もなく、嫁を取る気もない。私が死ねば我が家系も途絶えるのだ。それもまた運命。

 草木もあまり育たぬこの場所だが、我が屋敷の裏手には梅園がある――先祖の残してくれた宝だ。

 先祖の誰が作った物かは知らないが、この場所に水を引き、土の遠くから運んできたのであろう。その苦労は計り知れない。

 私は梅の咲く時期になると、その梅園で琴を奏でる。

 男なら文武に励むべきだろうが、この場所に私を咎める者は誰一人としていない。

 母は琴の名手であった。私を身ごもっているとき、この梅園でよく琴を弾いていたのだと云う。おそらく、私が琴を好む理由は、母の影響であることは間違いないだろう。

 繚乱と咲き散る爛漫の梅花の下、私は琴を奏ではじめた。

 我が調べが微風嫋々に乗る。

 梅香もまた調べと変わる。

 幾重にも入り乱れる響きというべきか、この風景が我が演奏の一部となるというべきか、琴の音色が風景の一部に取り込まれるといったほうが正しいかもしれない。

 しばらく演奏を続けていると、来客が姿を現した。

 彼らはこの時期になると、私の演奏を聴きにやって来る。いつの時代から姿を現すようになったのか、それは定かではないが、彼らは私が物心つくようになったころには、すでに母の演奏を聴きに来ていた。

 やって来るのは老若男女。日のよって来る者も違えば、人数もまた違う。彼らはおそらく演奏の善し悪しや曲目によって、聴きに来るかどうか決めているのだろう。

 母がまだ健在だった頃、梅の時期となれば、それは御祭り騒ぎであった。それほどまでに母の演奏は素晴らしかったということだろう。

 彼らは私たちが彼らのことを見えていないと思っているらしい。実際、母や父は彼らが見えていなかった。しかし、私は幼い時分から彼らが見えていた。

 見えていないと思っているのならば、こちらが見えているとわざわざ示して、相手を驚かせる必要もあるまい。万が一、それによって彼らが姿を見せなくなるかも知れない。だから私はいつも気づかないふりをしていた。

 しかし――。

 私が演奏に集中していると、目の前に幼気な少女が現れた。

 紅梅色の羽織袴を風で遊ばせながら、少女は私の前であれやこれやと飛び回る。

 終いには私の顔を覗き込んでくる始末だ。

 弦を弾く爪が乱れた。

 少女が笑う。

 誰のせいとも知らずいい気なものだ。

 私は気を取り直して演奏を続ける。

 だが、あろうことか、先ほどよりも近くで私の顔を覗き込んできたのだ。

 さすがに演奏どころではなくなり、調べは乱れ狂い躍る。

 堪らず私は少女を睨んでしまった。

 少女は驚いた顔をして私の顔を見つめると、すぐに飛び退いて、少し離れた場所から私のことをまじまじと見ている。

 私はしまったと思い、何食わぬ顔をして琴を奏でた。出来る限り、少女と目を合わせずに、演奏に集中する。

 しかし、少女はまたもや私の傍に近付いてくると、私の顔を覗き込みながら言ったのだ。

「妾が見えておるのかえ?」

 もちろん私は返事をしなかった。

 すると、少女は駄々をこねはじめたではないか。

「妾が見えておるのだろ、見えておると言わんか!」

 私は無視をし続けたが回りはざわめきはじめた。

 少女の言葉によって、ほかの彼らも私に疑問を持ちはじめたのだ。

 老人の姿をした者が少女に近付いた。

「人間にわしらのことが見えるわけがなかろう。ぬしの気のせいじゃ」

「絶対見えておる、こやつは妾たちを騙しておるのじゃ」

 少女は頑として譲らず、ついには私の目の前で手を振り上げた。

 まさかと思ったが、少女は私の脳天に平手打ちを喰らわしたのだ。

 弾き損ねた弦が切れた。

 彼らは息を呑んで、動きを止めてしまっている。

 そして、大波を打ち寄せるように騒ぎはじめたのだ。

 口々に何かを言っていて、その一つ一つは上手く聞き取ることが出来ない。ただ、どうやら「人間に触れることは出来ないはず」だという旨のことを言っているようだ。

 叩かれた私も驚きだが、彼らの驚きはそれを遙かに超えているのだろう。

 そんな中、ただひとり、少女だけが満面の笑みで嬉しそうにしていた。

「ほら見ろ、やっぱりこやつ、ただの人間ではあるまい。なあ、見えておるのだろう、妾のことが?」

 彼らも私の疑っている。もはやこれまでだろう。

「……見えている」

 と、小さく言った。

 さらに彼らは大騒ぎになった。やはり言うべきではなかったか。しかし、あれ以上、嘘を通すのも無理というものだろう。

 慌てた様子で彼らが姿を消しはじめる。

 残る少女の手を引いて別の者が姿を消そうとしたようだが、少女はその手を振り払って、ただひとりこの場に残った。

 少女と二人っきりでこの場に残された私は、どうすることもできず、ただただ少女の瞳を見つめるばかりだった。

 しばらくして、少女は口を開いた。

「演奏を続けるがよい」

 そうと言われても、この状況で、しかも弦が一本切れてしまっている。

 私は演奏をはじめないのを見ると、少女は再び言うのだった。

「演奏を続けるがよい。妾はそちの演奏が好きじゃ、もっと聴かせてたもれ」

「そうは言っても、弦が切れていては演奏はできぬ。いや、できぬことはないが、演目は限られ、御前様の満足いく演奏はできますまい」

「それでもかまわぬ、演奏せい」

 彼らが我らと同じように歳を取るのかわからぬが、少なくとも目の前の少女は、少女のようにわがままだ。それ以上にわがままかも知れない。

 仕方がなく私は琴と向き合った。

 爪弾く弦が音色を奏でる。

 すると、少女が見事な舞を披露しはじめたではないか。

 私は驚き、見惚れそうになりながらも、舞に負けまいと渾身を琴に傾けた。

 少女もまた、私の演奏に張り合うように、それは優雅で蕩々な舞を見せつけくる。

 時も忘れ、私は琴を奏で続けた。

 やがて、夕刻。

 忘れていた疲れも、ついに姿を見せはじめ、演奏に微かな乱れが生じはじめた。

 少女はそれに気づいたようだ。

「楽しかったぞよ、人間。妾はもう疲れたので帰る。また明日会おうぞ」

 本当に疲れているのか、私の目では少女の疲労は何一つ見えない。彼らに疲れという言葉があるのか、それすらも疑いたくなるほどだ。

 少女は風と共に消えた。私が何も言う前に。自分勝手な少女だと思いながらも、私はどこか心の弾む思いだった。

 ――また明日。その言葉の通り、私は次の日も梅園に琴を持ってやって来た。約束しなくとも来ただろうが、会おうと言われたから来たという思いは強い。

 梅園は風の靡く音以外は静かなものだった。まだ誰もいないのか、それとも姿が見えないだけなのか。

 構わず演奏をはじめると、少女が姿を見せた。

 演奏に集中していた私は少女に挨拶もせず、少女もまた私に挨拶もせず、すでに舞い踊っていた。

 直接言葉は交わせずとも、演奏と舞によって声ではない言葉を交わしているのだ。

 しばらくすると、ぼつぼつと彼らが姿を現しはじめた。それでも、やはりまだ警戒心を抱いているように見える。姿を表しても、すぐにまた姿を消してしまうのだ。

 その日も、あっという間に夕刻となり、その時はじめて少女と二、三の言葉を交わし別れを告げた。

 次の日も、また次の日も、私は梅園で琴を奏で、少女はそれに合わせて舞った。

 そのようなことを続けているうちに、やがて彼らの数も増え、いつかは歌え踊れの大宴会となっていた。

 この景色、過去にも見たことがある。そうだ、母が生きていた頃と同じだ。毎年、彼らはこうやって楽しそうに騒ぎ立てていた。

 老若男女、彼らは皆一様に楽しそうな顔をしている。私の演奏も勢み弾む。

 その日の演奏が終わると、少女だけでなく、ほかの者からも声を掛けられるようになった。今日の演奏は良かっただとか、私の母を引き合いに出してまだまだだとか。

 楽しい日々だった。

 しかし、別れはやって来る。

 毎年そうだったのだが、梅の散る時期、彼らは一人、また一人と姿を見せなくなる。

 そして、終いには少女だけになってしまった。

 他の者が姿を見せなくなってしばらく経っても、彼女は毎日姿を見せたのだ。

 それでもやはり、そういう定めなのだろう。

 少女の舞に衰えが見えはじめ、その日の演奏が終わったあと、少女は哀しそうな顔をして、私に言ったのだ。

「もう明日は来られない。また来年……また来年必ず会おうぞ」

「また来年……必ず」

 手を伸ばした私の指先を軽く触れ、少女は瞬く間に儚く消えた。それはまるで花びらが舞い散るように。

 私は次の日も梅園へ足を運んだが、別れの言葉は嘘ではなく、少女は本当に姿を見せなかった。

 哀しく切なくもあったが、また来年と思えば心弾む。それまでに琴の腕を上げて、少女を驚かせようと私はほくそ笑んだ。

 しかし、運命とは残酷ものだ。私の願いを踏みにじり、せせら笑うのだ。

 その年の夏、国で大きな紛争が起きた。それはやがて国を二分三分する戦乱となり、当初無関係だと思っていた、山奥で忘れられた家系の者である私にまで火の粉が及んだ。

 私は出兵することになり、さらには僅かばかりの残されていた、我が家の家宝や財産までもが没収される形となった。

 さすがにこんな山奥の草木もろくに育たぬ場所にある屋敷など、誰も欲しいとは思わず取られることはなかったが、私はあの梅園のことが気が気でなかった。

 戦乱は長きに渡り、幾度かの厳しい冬を越えてもなお、国は治まることを知らなかった。

 ある年の夏は暑さで作物もできず大飢饉が襲い、さらに冬は大寒波によって積雪や地吹雪に見舞われた。戦乱で厳しくなる生活に追い打ちを掛けたそれらの自然の猛威により、ついに国は鎮まりを見せた。

 長い戦いで多くの傷を負いながらも、私は生き残った。それはひとえに、少女との約束があったからだ。来年また会おうと約束したのに、私は結果的にそれを裏切ることになってしまった。私はずっと悔やみ続けていたのだ。

 そして、ようやく争い事から解放され、我が家へと帰ってくることができた。

 偶然にも季節は梅香る時期だった。

 私は一も二も無く、琴を持って梅園へと駆けつけた。

 そこで私は愕然とした。

 あの美しかった梅園が見る影もなく廃れ失われていたのだ。

 元々この場所は草木が育つのも難しい場所。その場所に先祖は水を引き、土を耕し、あの梅園を完成させたのだ。それが私のいない間に、このような姿に。

 私は慟哭した。

 それほどまでに嘆いたのは、生まれてはじめてだっただろう。

 敵に武器を突きつけられ、もう駄目だと思ったときですら、これほどまでに声をあげて泣きはしなかった。

 地面に手を付き、瞳から零れた涙が土に落ちる。まるでそれは花が散るように。それがまた悲しく、私はさらに涙を流した。

 どれほど嘆いていたのか、声はすでに嗄れてしまったが、涙は底知れず涸れることなくまだ流れ続ける。おそらくこの涙は涸れることはないのだろう、私が死ぬまでは。

 私はその気配にすら気づいていなかった。

「待っておったぞ、早くそちの演奏を聴かせてたもれ」

 驚いた。驚かずにはいられなかった。私が顔を上げると、そこには少女が私に手を伸ばして立っていたのだ。

 私は少女の手を取り、そのままその可憐な体を抱きしめた。

「もう会えないと思っていた」

「妾は信じておったぞ、また会えると」

 私の瞳からはまた涙が溢れ出ていた。今度は嬉し涙だ。あれほどまでに悲痛な涙は流したことがなかったが、これほどまでに嬉しい涙も流したことがない。

 しかし、この荒れ果てた梅園を見ると、私の心に影が差す。

「すまなかった。梅園をこのような姿にしてしまったのは私のせいだ」

「誰もそちを責めたりはせぬ。ほれ、見てみい――妾たちはそちが思う以上に強く生きておる」

 少女の指差した先には、梅の枝先で小さく膨らむつぼみ。

「そちの演奏を待っておるぞ、皆」

 少女の言葉に促され、私は琴を弾きはじめた。

 奏でに合わせて少女が舞い踊る。力強く、そこには生命の息吹を感じた。私も負けてはいられない。

 風が梅香を運ぶ。

 次々とつぼみが花開き、繚乱と咲き誇る梅たち。

 やがて私たちの回りに彼らが姿を見せはじめたではないか。

 夢のような宴がはじまった。

 私は疲れを微塵も感じず琴を演奏し続けた。

 少女もまた、舞い続けた。

 しかし、私はある異変に気づきはじめた。

 彼らはひとり、またひとりと姿を消しはじめたのだ。

 やがて、残ったの少女ひとりだった。

 いつまでも少女は舞い続けた。足下が覚束なくなりながらも舞い続ける少女の姿を見て、私も演奏をやめるわけにはいかなかった。

 しかし、ついに少女は足を取られて地面に倒れてしまったのだ。

 私は手を止め少女に駆け寄り抱きかかえた。

「大丈夫か?」

「……今の曲、上々じゃ」

「そんなことり大丈夫なのか?」

「曲の名……なんと申す?」

「名前はない。私の創った曲だ、自然と生まれていた」

 私の手の中で少女が儚く消えようとしていた。

 少女はまるで舞い散る花びらのように、私の腕の間を擦り抜け消えていく。

「待ってくれ、行かないでくれ!」

「……楽し……った……ぞ……」

「そんな、まだ名前すら聞いていなかった言うのに!」

 梅が散る。

 最後に残されていた梅の花びらが、枝から落ちて風に吹かれてどこかに消えた。

 ――うめか。

 そんな声が風に乗って微かに聞こえたような気がした。

 誰の声だったのか、それとも気のせいだったのか、それは定かではないが、私は少女と共に奏でた最後の曲の名を――うめか、と名付けた。

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