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ファンレター

 昔書いたエッセイが出てきたので、載せてみる。


 初めてファンレターというものを書いた。今までの人生を振り返り、本に感銘を受けたことがないわけではなかったが、手紙を出すまで心を動かされたことはなかったように思う。せいぜい、読者カードに感想を書いて出したくらいだろうか。


 鉄は熱いうちに打て、ではないが、感動は熱いうちに書けとばかりに、Wordに打ち込んだ文章を大して推敲もせず書き写した。目上の人用に買っておいた鳩居堂の便箋があって良かったと思いながら書き終えると、なんと封筒がなかった。一枚もなかった。あるのは紫陽花が印刷された初夏のレターセットである。季節はずれにもほどがある。


 私は仕方なく、麻の模様がプリントされた紙で即席で封筒を作り、百円均一のタックシールに宛先とこちらの住所氏名を書いて貼った。時刻はもう夜の七時を回っていて、翌日は日曜日である。配達は来週になるだろう。第一出版社宛てなのだから、著者の手元に届くのは社員の目を通してからになる。つまりは著者が私の手紙を読むのはずっと先であり、焦っても仕方がない。それは十分わかっていた。


 それでも私はコートを着て、暖房のきいた暖かい部屋を飛び出し、息を白くさせながら、ポストに手紙を投函しに言った。ただそれだけのために夜の街へ赴いた。


 以前もこんな風に、熱い気持ちのままに書き綴った手紙を、決心が鈍らないうちに自分の手の届かない場所――郵便ポストに投函したことがあった。確かあれも寒い日だったと思いだす。その手紙は祖母宛てだった。(この話も、いつか機会があればするかもしれない)。


 縦書きで書いた自分の文字を見ると、つくづく自分の字の下手さが目に付く。

今まで手紙を貰って、その文字がきれいなことに感動した友は二人いた。自分の母親も数を書いているだけあって文字は美しくきれいだが、見慣れている為そこまで感動はない。


 友人たちの手紙は、便箋全体が光を放っているような気がした。きれいな文字の羅刹――印刷ではないそれ――は、心を癒すのだな、とその時思った。

 こんなふうにきれいな文字を書く人になりたい。そう何度思って、何度ペン字のテキストを買って、何度挫折してきたことだろう。ペン字のお手本をまねて書いた一見綺麗な自分の字が、やがてボロボロと崩れて自分の個を顕わにしていくのを、何度経験してきたことか。


 性格は字に出る。それを隠せない自分が恥ずかしい。気心の知れた友に手紙を書くならまだしも、憧れた人に手紙を書くのに何だこの字は、と思った。


 それでも伝えたい思いがあった。

 ありがとう、この本を書いてくれて、ありがとう。私はあなたの言葉に救われた、と。

 それだけでも伝えたかった。

 そして、誰かの悲しみを美しいという、あなたの悲しみこそが美しいと思ったことも……。


 想いを伝えたいと思ったのには、きっとこんな出来事も理由にあるのだろう。


 私の母は遠藤周作のファンであり、著書はほとんど読破していたが、彼の存命中に会いに行かなかったことを後悔していた。遠藤氏の死後、母は彼の記念文学館に足を運び、遠藤氏のパネル写真の横で、並んで写真を撮った。撮ったのは私だった。


 遠藤氏の文学館は、それは美しい景勝の地にあり、遥かに青い海の湾を臨む高台にある。

私たちが訪れた日は天気も良く、空の蒼と海の青が溶けあって水平線のかなたで交わっていた。遠く、浜辺では人が戯れ、空には鳥が舞っていたような気がする。


 文学館に併設するカフェで飲んだハーブティーの味は今でも忘れられない。綺麗なグラスのティーポットに深緑のフレッシュハーブが日の光を浴びて揺れていた。爽快さが鼻をすっと通って行くミントの味が、十代の私には大人の味に思えた。潮風が優しく吹いていて、天国と言う場所があるなら、それはこのようなきれいな場所に違いないと思った。


 そう、だから――。


 伝えたい思いがあり、相手がまだこの世界に生きているのなら。

 それは多くの場合、伝えた方が良いものだと思う。

 死者は言葉を返してはくれない。ふと、そばにいて見守ってくれているように感じることはあっても、言葉を音にして対話をすることはできないからだ。


 長くなってしまった。

 ファンレターというものは返事が来るものだろうか。おそらくは来ないだろう。

 相手はたくさんファンレターを貰っているかもしれないし、執筆活動や講演そのほかの仕事でも多忙を重ねているに違いない。まして、今は誰しも気が急く年末なのだ。


 いや、一度来たことがあった。ファンレターと呼んでいいものかどうかはわからないものだが、メールで感謝を伝えたことがあった。

 それは、夜回り先生と呼ばれる水谷修先生宛てだった。ありがとうと返事を貰えた。

 私には、その一行だけで十分だった。


 だから今回も、伝わるだけで十分だ。私はこれからもその人を応援していくだろう。その過程でまたファンレターを出すこともあるかもしれない。その時はもう少しきれいな字を書ける自分になっていたい。


 ……封筒も忘れずに準備をして。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 胸が熱くなりました。
[一言] 私はとても悪筆なんです。 でも妹は師範でね、字を書いている姿に見とれてしまいます。 吸い込まれていく感じで綺麗なんですよ。 妹にとって文字を書くことは芸術活動なんですね。 私はそういう風に…
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