陸 北野の梅とうどんの話
下鴨神社を後にした俺達は、続いて上賀茂神社、そして龍安寺を訪れた。下鴨でみたらし団子を買って悠長に食べていたところ予定のバスに乗り遅れそうになるというハプニングもあったが、他にはこれといって何も起こらなかった。
行く先々で人ならざる者達にじろじろと見られたものの、襲ってくる者は今のところいない。数は多いが大したことないじゃないか。紫苑も心配性だな。
しかし、何も起こらないという事は何も得た物がないということも表している。御神木を探せと茅は言っていたが、それらしき御神木は見付けていない。どこへ行ってもあるのはごく普通の木ばかりで、特別な力というものは全く感じることがなかった。いや、力はあるのだ。御神木なのだから力はある。探しているのは通常レベルの力ではない御神木なのだ。
一応自称進学校に通う俺達は、北野天満宮へやってきた。
菅原道真は本来人間であり、怨霊になったものを神として崇め奉ったのが天神様である。人間から神様になるというのは本神的にはどのような感じなのだろう。他にもそういう人間は多々いるが、死んでも死にきれず、神として社に縛られている、と考えることもできるな。怨霊を封印しているのか。
仏教とか神道とかそういうことは置いておいて、死んだらちゃんと死にたいから俺は怨霊にならないように気を付けよう。
「ああー! 梅枝様ぁ!」
境内に入る度に人型になり、境内を出る度にヒヨコの姿になるひよは、今回もリュックのサイドポケットに収まっていた。斜め後方で大声を出さないで欲しい。
「こーちゃんには必要ないよねえー」
「は?」
「晃一はもう十分だろ。俺達はお参りしてくるけどさ」
「え?」
「じゃ、朝日君、後で」
三人は俺を放置して足早に拝殿へ向かう。おいおい、必要ないって、それはないだろう。俺だって成績を上げられるものなら上げたいさ。
三人を追おうとした俺の前に男が立ちはだかる。でかい。俺だって一七〇はあるし、男子高校生として平均的な身長だと思っている。しかし、目の前の男は一九〇くらいありそうだ。肩幅も結構あるし、かなりの圧迫感がある。見た目は五十歳くらいだろうか、整えられたオールバックに対して、無精髭なのが少し気になった。
「あ、あの……」
「朝日晃一と言うのは君か」
「え……」
赤みを帯びた瞳が俺を見ている。この赤、外見は上手く人間を装っているがこんな目の色の人間がいるわけがない。それとも、俺の瞳のように力を持つ者には赤く見えているのだろうか。
「梅枝様! お疲れ様です!」
水干姿のひよが地面に降り立つ。小柄な、というか子供の外見のひよと並ぶと梅枝と呼ばれた男の大きさが際立った。正面から見た時の面積が四倍近くありそうだ。
「朝日様、この方は梅枝斗牛様。北野のウシさんです」
菅原道真が大宰府へ向かった際、庭の梅が主を追い駆けたという話は有名である。梅は学問の神様たる彼を象徴する植物であり、星影高校でも毎年受験シーズンになると職員室前の廊下に梅の盆栽が置かれる。梅と比べると若干知名度の低いウシ、これもまた天神の使いである。境内には「撫で牛」と呼ばれるウシ達が幾頭も寝そべっている。下鴨神社へ行ってトビに会ったのだから、北野へ来てウシに出会っても何らおかしいことはない。
懐手をしていた梅枝が袖に手を通す。吟味するように俺を見て、なるほどなと呟いた。何がなるほどなのだろう。茅にも言われたが。
「真面目そうな少年だな。晴鴉希が気に入るわけだ」
「はあ……?」
梅枝は大きな手で俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。久しぶりに会った親戚のおじさんのようだ。
「頑張れよ」
「梅枝様! ついでにぼくのことも撫でちゃってください!」
「ははは、また今度な」
再び懐手にして、梅枝は境内の奥の方へ歩いていく。着流し風の姿だったのが一瞬で神職の白衣と袴に変わる。側頭部に角も生えているようだった。
口を尖らせてひよは不服そうだ。やっぱり中身は六年生ではなさそうだ。低学年レベルか。
「むー! ちょっとくらいなでなでしてもいいじゃないですかあー!」
幼稚園児かもしれない。
そんなひよの横を過ぎ、俺は拝殿へ向かう。木はいくつも生えているが、ここにも目当ての御神木はなさそうだった。京都中の神社を回ることは不可能だ。しかし、受けてしまった以上依頼を中途半端に終わらせるわけにもいかない。翡翠の力でどうにかならないだろうか。
俺が持っている翡翠の覡の力。これには分からないことばかりだ。神を導く、というのは非常に曖昧で、もっと的確な説明をして欲しいところだがそうもいかない。
最初は紫苑で、その時は失われた翼と力を取り戻すことがあいつの願いだった。神たるあいつに俺がそれを強く願う形で翡翠の力が発動し、紫苑は翼を取り戻した。
次の依頼神はシャチの女神チサで、彼女の頼みは知り合いを探すことだった。神である自分を庇って死んでしまった普通のシャチを探して欲しいと彼女は言った。ずっとそいつのことが気掛かりなのだという。俺達は博物館でシャチの骨格標本をようやく見つけるが、それは彼女の知り合いではなかった。けれど、海まで行ったところで翡翠の力が発動した。呼び寄せられるようにシャチが岸までやって来たのだ。道南の海にあそこまでシャチが集まるなんて少なくとも俺は見たことがない。「新しい仲間に出会えたから満足です。いつまでもわたくしがこんな顔をしていては、彼が悲しんでしまいますから」そう言ってチサは海に消えた。
そう、その時によって発動条件と何が起こるかが違うのである。一体全体どういう仕組みなのか分からない。使えと言われても使えないし、持っていれば妖に追われるのだから厄介な力である。
北野天満宮を出る時、鳥居の脇に梅枝が立っていた。存在感のあるおじさんだが角のある姿なので普通の人には見えていないのだろう。ヒヨコの姿で眠るひよを優しく撫でながら、少し悲しそうな目になる。
「晴鴉希はあえて夜呼々を代理に指名したのかもな……」
「どういうことだ」
梅枝は無精髭を撫でる。
「夜呼々は……。いや、まあ、ちょっとな……」
「おい」
「ここはいい街だ。楽しんでいってくれ」
踵を返し、社殿から大きく外れた境内の奥へ向かう。奥には神や神使しか入れない場所があるのだという。以前紫苑がそう言っていた。そこへ入られたらさすがに俺も後は追えない。
何を言いかけたのだろう。
昼食は美味いと有名なうどん屋へやって来た。とても美味しかった。小学生みたいな感想だが生憎俺は美幸のような食レポはできないので勘弁して欲しい。
「ここはね、こうやって具だくさんなところがいいのよねー」
と美幸は言っていたが、そういうことすらも言えない気がする。
うどんのために祇園界隈、先斗町の近くまでやって来た俺達だったが、昼間から舞妓さんを見ることはかなり難しいということを改めて知った。栄斗なんかは路地の辺りまでうろうろしていたが、いたとしてもおそらく観光客の舞妓体験。おそらく夜にならないと本物には会えないだろう。
この後の予定は扇子の絵付け体験。その後に八坂神社へ行き、平安神宮、夕食、ぶらぶらしてホテルに帰還、という感じだ。扇子屋さんはここから近いらしいのでバスではなく徒歩で向かう。
「朝日様、そんなに舞妓さんを見たいのでしたらぼくが手配しましょうか?」
うどん美味しかったですねー、と言っていたひよが突然そんなことを言い出した。ちなみにうどんは俺の丼から二、三本くすねていたらしい。それはともかく、手配しましょうかとはどういうことだろう。今はヒヨコだが、人に化けたところで小学生。そんなひよが花街に出入りしているのだろうか。普通の人間に見られたら大変なことになるだろうし、そもそも舞妓さんだって人間なのだからこんな子供が座敷に来ても困るだろう。
「舞妓さん見たかったなー。なあ、晃一もかわいい女の子見たいだろー?」
「俺に同意を求めるな」
舞妓さん舞妓さん、と言って上機嫌な栄斗のことを美幸が睨んでいる。なぜおまえがそんな顔をする必要があるんだ。
「ハルくん女の子好きなの?」
なぜか美幸は不機嫌そうだ。それを見て日和が不敵な笑みを浮かべていてちょっと気持ち悪い。
「かわいい女の子はいいよなあ。……家に巫女さんいていいよねとか言われるけど、みんなが思い描いてるような巫女さんなんか二次元の存在だからな。うちの神社の巫女さん達三次元の人間だし、ちゃんとお仕事してる真面目な人達なんだ。いいよなー、いいよなー、とか言われるけど実際そういうわけじゃないしさ。だいたい、二次元の巫女さんなんか夢見すぎだろ。あんなのいるか? うちの神社にふりふり和服もどきな格好で変な髪色して胸すげえでかいのとかいたら逆に嫌だぞ」
「ハルくん話微妙にずれてるし、二次元の巫女さんがみんなそういうのなわけじゃないよ」
「え? ああ……。……かわいい女の子はそりゃあ好きだよ。男ならだれでもそうだろ。な、晃一?」
「だから俺に同意を求めるな」
「そうだよ! こーちゃんは教科書と参考書が恋人なんだから!」
「お! そうだった! 悪いな晃一!」
何なんだおまえら二人して。自分達の会話そっちのけで俺をいじろうとはどういうことだ。
「おー、今日もトリオ漫才冴えてるねー。仲良し仲良し」
日和も何なんだよいつもそういう反応ばかりして。面白いのか。これが面白いというのか。
「えへへ、じゃあ舞妓さんはぼくがこっそり会って来ますねー」
夜に勝手に出かけるのは構わないが、ちゃんと戻ってくるんだぞ。
「あ、朝日様! 八坂神社ですよ! あれは西楼門ですね」
道路に面して堂々と門を構える社が見えた。これが八坂神社か。
俺がデジカメを向けるとみんなも揃ってスマホを向けた。近くを通りかかった外国人のグループが何やら歓声を上げていた。フランス語やドイツ語ではなく英語だったので少し分かったが、「日本人って本当にカメラ好きなんだねー!」的なことを言っていた気がする。
早速参拝したいところだが、扇子の絵付け体験が先だ。扇子屋さんへ向かおう。
神社の方から視線を感じて振り向くが、いるのは階段を上る参拝客だけだった。