肆 清水と湯と
清水寺の門前はいくつもの土産物屋などが並んでいて壮観だった。添乗員さんに連れられ、俺達は境内に入る。
「すごーい! テレビと同じね!」
「さっきかわいいお店あったよ。ご飯食べる前に寄ってみる?」
「わーい! 行こう行こう!」
日和は随分と美幸の扱いに慣れているようだった。日和と俺達三人の付き合いはたかだか一年半くらいだが、すっかり馴染んでいる。
ぞろぞろと歩いているためゆっくりと見る余裕はないみたいだ。
「これが清水の舞台だな」
「落としてやろうか。ぶつければ少しは頭よくなるかもしれないぞ」
「冗談よせよなー。晃一も落ちれば少しは頭悪くなるんじゃね?」
「悪くなってどうするんだよ」
「学年二位の人が喜ぶ?」
「喜びはしないだろ」
少し先を歩いている四組の男子を見遣る。あの学年二位は俺の頭が悪くなるんじゃなくて、自分の力で俺を倒さないと喜ぶことはないだろう。まあ、そんなことはさせないが。
「日和ちゃん、あれが音羽の滝だって」
「真ん中が恋愛成就らしいよ」
「へっ!? そ、そうなんだー! ……真ん中か」
がやがやという喧騒に流されながら階段を下り、音羽の滝のもとへやって来る。美幸と日和は女子でごった返す滝へ突撃していく。
「朝日様ぁ……待ってくださいぃ……」
六組の群れからひよが飛び出てきた。
「うう、潰されるかと思いましたよぉ……。あ、音羽の滝ですね。朝日様は向かって左の滝は必要ない方ですか?」
左は何のご利益があるんだ。
「左は学問の滝です」
「栄斗、左の滝は学業成就らしいぞ」
「え、そうなのか! よっしゃ、俺も行く!」
次々とやって来る星影生により、女子だけではない混雑の中に栄斗は突っ込んでいく。美幸と日和がわくわくといった感じで真ん中の滝の水を掬っていた。二人が列を逆走して戻ってくる頃、やっと順番の来た栄斗がこちらから見て右側の滝に手を伸ばしている。
「右側は健康の滝です。あちらから見ると左右逆になりますので、間違える方は多いそうですよ」
栄斗、健康な暮らしを送ろうな。頭悪くても死なないけど健康は大事だぞ。
門前の店で夕食を食べた。美味いすき焼きだった。
「あー、終わっちまった。もう一日目終わっちまったよー」
ホテルの部屋は二人部屋と三人部屋があり、俺は栄斗と同室の二人部屋だった。温泉旅館というわけでもなく普通のホテルなので大浴場はないのだという。女子は「大きいお風呂がよかった」と落胆し、男子は「定番のロマンが」「女子の声が」「チャレンジしようとしたのに」と落胆していた。ロマンとは何だ。覗くのか。恥を知れ。
先に入るなー。と、栄斗は今部屋風呂に入っている。
「大浴場がよかったなー。なー、晃一ぃ」
「三日目のホテルは大浴場だってさ」
「マジかー。やったー」
ドアの向こうからシャワーの音が聞こえる。
風呂の準備をしながらテレビを点ける。ニュースをやっていたが、北海道でやっているものとは当たり前だが違う。見たことのないアナウンサー。聞いたことのない町の小学校の話題。
「朝日様、ぼく何か食べたいです。お菓子か何かありますか?」
「食べなくても平気なんじゃないのか」
「うー、おやつ欲しいです……」
見た目通り小学生だな。紫苑に憧れているようだが、あんな風になれるのはいつだろうな。
「おまえさ、顕現できるか」
「ぼくはそんなに神力強くないんで、顕現はできません。人間に化ける形でなら姿を見せられますよ」
顕現と化けるのはどう違うんだ。しかしひよに聞いても大した答えは帰って来なさそうだ。後で紫苑に聞くことにしよう。
俺はサブバッグから財布を出して、小銭をいくつかひよに渡す。
「部屋を出てから人に化けて、下の売店で何か買って来い。買ったら化けてるのを解いて、それから部屋に戻って来い。できるか」
「任せてください! 好きなお菓子を買って来ていいんですよね」
「ああ」
「わーい! ありがとうございます。朝日様優しいですねぇ」
嬉々としてひよは部屋を出て行った。
神使にお菓子をせがまれるとは思わなかった。帰ったら紫苑に文句を言っておこう。とんだ代役を紹介してくれたな、と。
明日は待ちに待った自主研修だ。俺達の班は寺社を結構回る予定だが、何もないといいな……。
鹿苑寺で会った白蛇は注意するように言っていたな。いいこともあるとは言っていたが。
「ふー。上がったぜー」
Tシャツにジャージの短パン姿の栄斗がタオルを肩に掛けて風呂から出てきた。
「晃一ぃ、入っていいぜ」
「朝日様ぁ、お菓子……」
ドアが開きかけ、すぐに閉まる。
「え、今勝手にドア開かなかったか……」
「気のせいじゃないか」
「外に誰かいるのかな」
栄斗がドアを開けて廊下を確認する。その隙にひよが部屋に入って来た。
「誰もいないなあ」
「気のせいだったんだろ」
「そうかな」
「朝日様、これ食べちゃっていいんですよね」
「ああ」
両方に返事をする便利な相槌を打って、俺はタオルや着替えを持つ。
「余ったら朝日様のばっぐにこっそり入れておきますね」
そう言ってひよはジャガイモのお菓子の御当地バージョンを食べ始めた。美味そうだなそれ。
「あん? オマエニュース見てたの? バラエティー見ていい?」
「いいよ」
このタイプのホテルにありがちな感じで、トイレと風呂が同じドアの中にある。省スペースだ、仕方ないのだろう。ドアを閉め、服を脱ごうとして視線に気付く。
鏡を見る。何もいない。映っているのは俺。翡翠色の瞳が見える。
天井を見上げる。
「うわあっ!」
天井に赤ら顔の子供が貼り付いて、顔だけこちらを向いている。
「どうした晃一!」
栄斗がドアを開けようとするが、鍵をかけたためがちゃがちゃと音がするだけだ。
「朝日様!」
「おい、大丈夫か。どうした!」
天井に貼り付いた子供は困った顔をしている。
「いや、何でもない。せっかく持ってきたのにシャンプーとボディーソープが備え付けだったからびっくりしただけだ」
「何だー、驚かせるなよなー」
「朝日様、妖の気配がしますが……」
「何でもない。問題ないから」
「全く、びっくりさせんなよもう」
「分かりました。安全な相手なんですね。でも、お風呂出たらぼくにも教えてくださいね」
両方に返事できると便利だな。いつもそうとはいかなさそうだけど。
天井に貼り付いている子供が口を開いた。
「垢嘗だよ」
「見れば分かるさ。栄斗の風呂覗いてたのか」
「今来た。見えるやつの気配感じたから。人間、いい風呂知らないか。ここの風呂みんな綺麗。おいらのご飯ないの」
「生憎俺は地元の人間じゃあない。悪いけど古い風呂のある場所なんて知らないんだ」
垢嘗は更に困ったように眉尻を下げる。赤ら顔が少し色味をなくした。
「仕方ない。古い風呂頑張って探す。驚かせてごめんなさい」
そう言って垢嘗は姿を消す。見えなくなっただけかと思ったが、気配もない。本当に消えてしまったようだ。どういう原理なのだろう。風呂から風呂へ飛ぶのだろうか。考えたところで妖の生態なんて分からなさそうだ。
さてと、垢嘗が諦めるくらいスタッフさんの手入れが行き届いた風呂に入るとするか。