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玖 夢社

 ひよは俺の目の前まで歩いてくると、途端にぼろぼろ泣き出した。


「え、おい、どうしたんだ」


 小学生を泣かせる高校生なんて酷い絵面だ。俺が悪役みたいじゃないか。周りに誰もいなくてよかったな、というか、いたところでひよの姿は見えないか。


「ひっ、ぐ、ぅぇ……っ。あ、あしゃひしゃみゃあぁ……」


 さっきまでの怪しげな雰囲気はどこへ行ってしまったのだろう。ひよは顔中ぐしゃぐしゃにして泣き続けている。どうすることもできない俺は、とりあえずリュックからポケットティッシュを出す。


「ほら、鼻かめよ」

「んぐ」


 それにしても、ここは何なんだろう。神社や寺に入った時と同じ感覚。しかし、そこに鎮座している社からの力は感じられない。何も祀られていないのだろうか。


「ありがとうございます。はいこれ」

「ティッシュは返さなくていいから」

「そうですか」


 ひよはポケットティッシュを袋ごと袂にしまう。丸ごと取られるとは思わなかった。手持ちのティッシュが消えてしまった。


「ひよ」

「ここは夢社ゆめやしろです」

「夢社?」

「そうは言っても夢じゃなくて現実ですけどね」


 ひよはまだぐすぐすいいながら鼻を啜っている。俺に背を向け、社の方へ歩いて行く。水干の広い袖口と、そこから垂れる紐がゆらゆら揺れていた。宝石のような玉が埋め込まれた髪飾りが光る。その姿を見ていると、やはりこの子は神に仕える者なのだなと実感させられる。近所の小学生や、普通のヒヨコからは感じられない神力が伝わって来る。ひよの主であろう神のことを思うと、お使いがこんな子供の姿でありながらこれほどまでの力を秘めているというのも納得だ。


 社の前まで行って、ひよは振り向いた。


「神社の中には、神や神使しか入ることができない本当に文字通りの神域があります。境内だって神域ですが、それとは別なんです。何ですかね、境内が普通の部屋だとして、奥にあるのは鍵のかかった自室、というか、まあそんな感じです。神々は『部屋』とか『奥』とか適当に言ってますが、ぼく達神使はそれを夢社と呼んでいるんです。主様達の大好きが詰まった夢のようなお部屋ですから。あ、簡単に言えばめっちゃぽすたー貼ってあるどるおたの部屋とか、めっちゃふぃぎゅあ飾ってあるあにおたの部屋とか、そんなんです」


 待て、神様の威厳が掻き消えるがそんな例えでいいのか。


「真面目な執務室にしている神だってちゃんといますよ。神々は八百万、いろんな方がいらっしゃるので」


 なるほど。以前紫苑に聞いた神と神使か入れない場所、というのは夢社のことだったのか。


 しかし、やはりここには何も感じられない。神がいるのならばその力を感じるはずなのに。


「この部屋の主はどうしたんだ」


 ひよは下を向く。


「この夢社を作った神は、ここを開放したんです。人の子が来れるように、直接参拝できるように。優しい方でしたから、人の子の願いをしっかり受け止めたかったんでしょうね」


 語りながらひよは御神木の方へ歩き出す。立ち枯れたこの大木も、かつては大きな力を持っていたのだろう。


「何年前だったかな、ぼくが低学年くらいの見た目の時です。伊勢から春日までやって来たことがあって、しばらくモミジ様のお世話になっていたんですよ。修行というか、奉公というか、そんな感じで。あ、モミジ様には会いましたよね」

「ああ、ガイドをしていた」

「それで、ぼくはこの夢社に迷い込んだんです。ここの神は小さな神で、祀ってくれる人もいないような方だったんです。ぼくは彼女と出会って、仲良くなりました。神社を持てないのならば、夢社を開放する、と彼女は言いました。神隠しとか、あるでしょう。近くに来た人の子を迷い込ませて、祈らせたんです。頼りにされることが嬉しくて、彼女は多くの人の子を呼び込みました」


 ひよの表情が暗くなる。止まったと思っていたのに、再び泣き出す。


「見境なく呼び込んだものだから、悪い奴らもいたんです。『地位と名声が欲しい』『国を支配したい』『あんなやついなくなればいいのに』『アイツが早く死にますように』。人の子の黒い思いに押しつぶされそうになって、彼女は苦しみました。このままでは、自分は闇に飲まれて堕ちてしまう。だから……」



「『わたしを壊して』と、彼女は言いました」



 神は人の思いによって支えられている。それならば、悪い願いを受け続ければ少なからず影響はあるということだ。いくつもの神社に祀られている神ならば神自身の力も強いし、多くの参拝客がいるのだから善悪のバランスだって取れるのだろう。神社のない小さな神が開放した夢社に流れ込んだのは悪しき者達。良い人達だっていただろう。けれど、バランスを取れなかった。彼女の力も強くはなかった。


 ひよは泣きながら御神木を見上げる。


「どうして? ってぼくは聞いたんですよ。けれど彼女は寂しそうに笑うだけでした。ぼくは訳が分からなくて、何もできなかった。彼女の具合は悪くなるばかりで、力も削がれていった。何度も何度も、『わたしを壊して』って言って。……失って初めて、ぼくは気が付いたんですよ。ああ、そうか、この夢社に来る人間共が彼女を苦しめていたのだ、と。あんなに苦しんで消えていくなんて、それならぼくが彼女を壊してしまえばよかったんだ、って」


 御神木を撫でながらひよはぐすぐすと泣いている。こんな小さな子に、そんな過去があったのか。


 ぐしぐしと涙を拭って、ひよは振り向く。ばっと手を広げると、水干の広い袖が大きく翻った。地の色とは違う菊綴きくとじが映える。


「ぼくは伊勢に帰るその日まで、ここに留まりました。彼女の夢社を、彼女の思いの詰まったこの場所を、守りたくて。彼女がいなくなってからも人はここへ迷い込み続けました。みんなみんな、朽ちていく社ではなくそびえるこの木に祈っていくんですけど、この木だって彼女の力の一部だったから、今はもう……」


 戦友を慰めるように御神木を仰ぐ。


「残っているとは思いませんでした。気配を感じて来てみたら……。この木がここをずっと守っていてくれていたんですね。けれど、きっとこの木もそろそろ限界ですね。もう人の子を呼び込むこともできないみたいです」

「俺は?」

「朝日様は神力を持っているので入れますよ、普通に」


 そうだったのか。


「あんなに元気だったのに、あんなに笑っていたのに……」

「ひよ?」

「あの子はあんなに人の子を思っていたのに、あんなに頑張っていたのに……」


 ひよの様子がおかしい。


 木々がざわざわと震えていた。生暖かい風が俺の頬を撫でる。


「自分の願いばかり言って、願われる側のことなんか何も考えてないんだから!」


 無邪気な漆黒の瞳が見開かれ、深く深くなる。やばい、と思った。ヒトにも動物的本能というものはあるのだなと改めて思う。


 そこに立っていたのは小学生の男の子ではない。荒ぶるとりだった。


 夢社に差し込む日差しが強くなる。突き刺すような暑さで、じんわりと汗がにじむ。俺の格好は秋仕様なので、こんなに日差しが強いとかなりきつい。それに、徐々に強くなってきているようだった。このまま強くなり続けるのであれば脱水症状を起こしかねないし、熱中症になるかもしれない。命にかかわる事態だ。


「ひよ、落ち着け。堕ちるつもりなのか」

「ぼくは人間が嫌いなんですよ! あの子のことあんなに苦しめて!」

「今回の旅行、おまえがいてくれて楽しかったし、助かったこともある。それでもそんなこと言うのか」

「朝日様は翡翠の覡でしょう」

「俺だって人間だ」


 ひよは何かよく分からない叫び声を上げながら地団太を踏む。


「人の子が自分勝手な願いをしなければ! もっと彼女を大事にしてくれていれば! いつだってそうだ! 人間は! 人間は! 人間は……」

「ひよ」

「ぼくは……」

「その女神は大切なひとだったんだな」


 ひよが俺を睨みつける。


「分かったように言わないでくださいよ!」


 ニワトリ、というかヒヨコはこんなにも早く動く鳥だったのか。ひよは素早く俺との距離を詰める。


 神が堕ちる。というのはどういう状態を指すのか俺には分からない。かつて紫苑は堕ちたことがあると言っていた。雨を司る紫苑は豪雨を降らせ、土砂災害や洪水を引き起こし多くの命を消し去ったらしい。今のこの強烈な日差しはおそらくひよによるものだから、それに近い状態だと判断することもできる。どうであれ、この現象を鎮めないと俺が危険だ。


 どうすればいい?


 ひよの突進を躱し、俺は御神木に駆け寄る。


「おい、頼む。おまえはずっとここを守っていたんだろう。答えてくれ」


 くそっ、いくら御神木でも植物は喋らないか。


「おまえは、ここで何を見て来たんだ!」


 ひよが後ろから飛びついてきた。背中から邪悪な気配が伝わって来た。邪悪、なんて言うと中二病こじらせているみたいだが他に言い表しようがない。俺まで飲まれてしまいそうだ。


「答えてくれ!」


 何かが爆ぜた。光が駆け抜ける。


 来た!


「んぬ。朝日様……これは……」



 立ち枯れていた大木が青々とした葉を茂らせた。







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