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諸刃の放棄

 見回す限り包帯とガーゼに内出血という凄惨な会議室で、無傷なのは丸金を抱えて防戦に徹していた荒妻のみという有り様だった。前に立つ監視の表情はどちらも硬く、仲前は口の端を覆うガーゼを剥がして地面に投げ捨てた。

「てめえら全員殺処分の再検討中だよ。おめでとう」

 椅子から転げ落ちそうになった丸金を受け止めた荒妻の手首で鎖が鳴る。通常の物より分厚い鉄の輪と鎖は明らかに化け物仕様のあつらえだ。村上が繋がった手を後頭部に組み換え、椅子を後ろに傾けて揺れる。

「こっちは生存者確保したんだぜ。執行猶予くらいあっても良いと思うがなあ」

「それが自衛隊で通じるわけないって解ってて素人唆したお前が戦犯だろうがよぉ、出来る限り時間をかけて苦しみながら死にさらせ」

 これといった抗議の声が上がらず、丸金は動揺して身を乗り出す。

「でも村上さんと布引さんは人を助け出せました。それに全員ちゃんと基地には帰ってきてて、取り返しのつかない悪いことは、何もしてないです。死刑なんて、お、重過ぎると思います」

 必死の弁解にも桐島による厳しい反論がついた。

「君が再現した人間が何を元にしたのかもう忘れたのか? きっかけがなんであれ精神的な安定感を失い殺戮者になった前歴ある人種なんだ。しかも敵対した時の損失は一般人の比ではない。命令をきかないのならば始末した方がマシと判断されるのは当然の流れだ」

 冷たい視線に貫かれ、丸金は言葉を失いうつむいてはかまを握り締める。


 選べたのだ。


 実績ができてからの行動なら酌量の余地もあったかもしれない。後ろ盾など有って無いような現状で理想を求めたことが完全な仇となった。命令に従うよう頼めば協力者はいた。望月や布引を引きずって帰ることは恐らく可能だったのだ。ならばこの結果を招いたのは丸金だということになる。


「承知の上だ」

 力強い声が批判を阻んだ。望月は包帯に包まれた腕を突き出して拳を握る。

「危機的な状況では大局を見て物を考えるのは大事なことだろう。しかし苦しんでいる者を目前にして助けることが間違いだったとも思わない」

 桐島は苛立ちを顕わに両耳を塞ぐ。

「危機感のないおめでたい話は止めてくれ。もういい、君達の反抗的な態度はよく分かった」

 静観していた荒妻が舌打ちをしてテーブルを蹴る。

「いちいちそんなことを言うために集めたのか。処分するなら黙って勝手にやれ。ストレス解消に付き合う気はない」

「土下座して命乞いする勢いで態度改めろと言うとるんじゃ、クソボケ」


 険悪へと傾いていく会話に丸金の手が震えだす。布引は血の気の引いた丸金の横顔を見ると、掌を打つ。

「止めよう。信頼関係もないわ、平行線だわ、子供を怯えさせるだけで誰も得しない会話してる」

 前面に広げられたスクリーンと投影機を両手で斬るように指した。風圧で白い画面がなびく。いつもは食事に使っているテーブルには投影機が設置されており、無意味に運び込まれた物ではない。

 男達の視線がそれぞれ明後日を向く。時計の秒針を聞きながら、桐島は黙って投影機の電源を押した。機械の作動音が鼓膜をくすぐり、寂れて人影のない市街地が映った。


「もし、続投になるのなら」

 画面に黒い影が過った。直後に銃声が赤い液体が左端で飛び散る。そちらから現れたのは迷彩服の男達で、反対側に向かって弾を浴びせかけながら横切っていく。彼らが右の画面へと消えれば、建物だけの静止映像となる。戦闘音だけが聞こえてくる。

「まず初めに始末する標的についてくらいは話しておく」

 背を向けた状態で桐島は話し始めた。


 殺戮者が初めて認識されたのはインターネットの誰かの書き込みで、ニュースでは長らく情報規制がかかっていた。しかし世界中で爆発的に被害が乱発、瞬く間に社会は恐慌に呑まれた。

 原因を究明すべく、あらゆる分野の専門家がテレビを賑わせた。結局そこで判明したのは「化け物に変わる者は直前に精神がなんらかの限界を迎えていた」という共通点だけだった。憎悪、恐怖、失望、何が本当の引き金になっているのかは曖昧なままテレビ放送は終幕を迎えている。

 そうして共有された変貌への対策が「けして絶望してはいけない」だった。


「殺戮者にも個性がある。特性に応じて対抗策を変えなくてはならないが、大体の個体は対処しきれないというほどじゃない。作戦をもって部隊であたれば群れにだって後れはとらなかった」

 映像の右から大きな塊が左へ横切って消えた。いくつか同じように何かがカメラの前を飛んでいく。アスファルトに赤い液体を飛び散らせながら。その内、塊が一つ壁にぶつかり画面の真ん中に転がった。腰から上が消えた迷彩柄のズボンをはいた下半身だ。右の画面外に何かいる。


 壁にもたれた仲前が腕を組んで映像に目を細めて口をはさむ。

「これに遭遇すれば勝ちは無いという個体がいる。同じ殺戮者でも元になった奴の能力次第で強弱が変わる。その中でも化け物になっちゃいけねぇ反則超人と、化け物との相性が最高にガチハマりしちまった凡人の二種類がいるわけだ」

 ゆっくりと画面に現れたのは首から下が黒い半裸の女だった。背筋が伸びているのに両腕は地面を引きずる程に長く、肘から先は分厚いなたの形をしていた。縦に深く裂けた布から黒い足が前へと踏み出す。すると大鉈の左右から殺戮者が群れをなして走り出してくる。画面が埋め尽くされる。

 しかし、その殺戮者の体が画面の中で飛び散った。カメラの手前に細かい触手だらけの頭が転がり、忙しなく目を動かした。画面の奥で大鉈の殺戮者だけがその恐ろしい刃を横に一閃した姿勢で立っていた。血塗れの顔がカメラの方を向き、進行方向を変え片腕を振り上げて生首の脳天を黒い鉄板が割り開き、振動でカメラが揺れる。

 カメラの正面で伏し目がちに殺戮者の顔が映った。憂いを帯びた静かな目に長い睫毛が瞬きをする。右目の周りには溶けた金属のような物がこびりついており、それはまるで泣いているように頬を一筋流れて固まっている。


 望月が身を乗り出す。

「どういうことだ。殺戮者は同士討ちもするのか?」

「そうだったら状況はいくらか楽だが、殺戮者は群れることも少なくねえ。こいつは殺意に反応して攻撃行動をとるかなり特殊な個体だ。あの両手に下げた鉄板でパワー系かと思えば、狙撃も斬り捨てるし、野生動物ばりに感が鋭いときた。間違いなく」

 布引を見下ろして仲前は吐き捨てた。

「化け物になっちゃいけなかった奴だわな」

 困った顔で布引は首を傾げる。

「返す言葉がないよ」

 陰陽術にまで頼って顕現された目的、死神討伐。標的の中で女は一人しかいない。望月は軽く挙手する。仲前が顎で促すとやや小さな声で「人相が違うんだが」と口にした。スカートにも見える深いスリットの入った布は正面が裂けた袴らしく、胸元だけを覆う布は煽情的な谷間を見せていた。顔の右半分にこびりついた異様な金属は眼鏡が元か。

 荒妻は布引と比較して面影を確認する。

「よくある手だ。印象を変えるには眼鏡が手っ取り早い。シザーを初めの標的に選ぶ理由はなんだ」

 映写機の前に仲前が手をかざし、影絵でシザーを握り潰す。

「不利になれば仕切り直すために撤退するのが定石だ。その逃走経路の一つを潰されたら格段に生存確率が下がるはな。殺意に引き寄せられてるのかは知らんが、シザーは戦闘地域に現れちゃあ戦闘員をバラしていきやがる。他の死神と対峙中だと目も当てられねえ文字通りの血祭だ」

 画面の中のシザーは当ても無さそうに歩きだす。

「ちなみに、君はあれと同じことが出来るのか?」

 桐島は布引に期待を込めた目を向けた。視線が集まる中で肩を竦めて「うーん」と一度考える素振りをみせたが、布引は結局「無理だよ」と返した。そして手錠のついた両手を突き出す。

「同じ武器を用意してくれるなら挑戦できるけど、あんなマネしたら普通は武器が折れるよね」

 虎を捕まえたいなら屏風から虎を出せという逸話の如く、簡単な条件ではない。


「……では、現実的に用意できそうな武器なら」

 何かを質問しようとした桐島の携帯が鳴る。素早く画面を確認した桐島は落胆と共に黙って部屋を出て行った。

 仲前は頭を掻いて長い溜め息をつく。

「吉報じゃねえな。話は終わりだ」

 桐島の後に続いて出て行こうとした仲前は、扉の枠に手をかけて振り返らずに呼んだ。

「チビ、お前はついて来い」




 背後では電子ロックが幾十にも作動して厳重な牢獄を作り上げていく。早足で薄暗い階段を登りきれば、その目前を武装隊員が走り抜けて行った。怒号が行き交う廊下は、今、間違いなく何らかの非常事態が起こっていることを示していた。

 横合いから丸金は肩をつかまれる。振り返ってまず目に入った階級章には線が二本に星が二つ、肩を大きく上下させながらも眼光は険しく丸金を真っ直ぐとらえている。何度も顔を合わせたことのある壮年の男だった。死神の力を味方にするという荒唐無稽な陰陽術に縋り、丸金をこの場所に引き入れた自衛隊側の主導者。

「君には今すぐアレを消してもらわねばならない」

 性急な話に茫然とする丸金を置いて、富田二等陸佐は仲前と桐島に最悪の情報を告げる。

「まもなく死神が来る」

 丸金は肩口を仲前に捕まえられる。身じろぎも意見も出来ずに丸金は大人達の顔を見上げた。

「Gポイントからタイタンが基地に向かい直進していると連絡。進路を変えるため部隊を出したが間に合わん。ここは戦場になる。他の生存者のために死神を増やすことだけはできない」

「まさか、アレ相手に籠城戦なんてつもりじゃないですよね? 奴の体力は底無しなんですよ。長期戦なんてやってりゃ、シザー辺りが戦場を嗅ぎつけてきて豚小屋に狼二匹放り込んだミンチ祭りだ」

「いや、いやいやいや、基地の放棄は絶対に駄目だ! タイタンは建物も破壊するんですよ!? 武器、インフラを失って根気強く立て直しなんて出来るわけがない。避難でもしも生存者が多ければ食料を確保できず間引くことにでもなれば、殺戮者になる者は確実に」


 頭上で交わされる話に置いてけぼりのままの丸金に気づいたのは富田だった。彼は腰を屈め、目線の高さを合わせ、そして小さな頭に銃口を突きつけた。

「もし、君がショックで正気を失いかけているのならば申告してくれ。化け物になる前に人として眠らせてやろう。そうでないなら急いで陰陽術の解除を始めてもらいたい」

 丸金は後ろに後退し、階段の前まで追い詰められる。踏み外しそうになったところを富田が腕をつかんで支えた。銃口は頭からズレることなくコメカミに添えられている。

「でもあの人達は、死神の同一体だとしても」

 監視二人が助けに入る様子はない。喧騒の中で誰一人として丸金に目を向けたりはしなかった。後ろ盾である大和がここに現れることは不可能な状況。

「まだ、なんにも悪いこと、してないのに」

「頑張ってくれ。君がやらなきゃ地下の彼らはより残酷な手段で処理することになってしまう」


 顔を歪めて目を瞑る。

 丸金が顕現した四人は、殺戮から程遠く、平和な頃を切り取った大人だった。化け物を目前にして恐怖で絶望せず、理不尽な監禁罵倒に病まず、どちらかと言えば心の強い人間の特徴に当てはまる。

 得にもならない戦い。それを無条件で助けてくれると、命を賭けても良いとさえ口にした。

 それでも、ここが攻め落とされて彼らの内で誰か一人でも死神と化せば、被害は膨れ上がる。だから丸金は三人目の監視として彼らに同行していた。


 帯に挟んだピンクの数珠を取り出し握り締めた。だが丸金が決意を固める前に、恐ろしげな雄叫びと悲鳴と血飛沫が廊下で散った。丸金の頭は無事だ。建物の入口側で黒く染まった人影が天井を見上げていた。目が何処にあるかも分からない。口はあるのに、他は溶けたかのっぺりとした平面をしている。

 影が立っているように。

 富田は溜め息を漏らして銃口を丸金の頭から殺戮者へ向けた。

「時間切れだ。せめて苦しめずと思い本来の手順を踏みたかったが、想定より内部分裂の方が早かったようだ」

 銃声が人の目を集める。寸分違わず撃ち抜かれた殺戮者は死体と重なって倒れ伏した。廊下が静まり帰ると、地響きと共に怒りに満ちた雄叫びが届いた。それに共鳴して殺戮者の不気味な遠吠えが重なっていく。


 上から。


 外から。


 周りから。


 富田は階段の真横のレバーを下に引き下ろして丸金を前に引く。重厚な鉄扉が床にたたきつけられた。階段が封鎖され、わずかに唸っていた空調が沈黙した。

「地下に酸素が流れ込まなければいずれ窒息するだろう。例え空調が機能していても食事を運ぶ者がことごとく死した基地で待つのは真綿で首を絞めるような餓死だろうがな」

 殺戮者に囲まれ、人の身を保っている隊員達が表情を引きつらせて銃を構える。富田は冷静に天井へ張り付きながら現れた手足が溶解した殺戮者を撃ち落とした。その音に誘われ殺戮者が黒い雪崩こんでくる。


 生存者は一斉に建物の出口に向かって走り出した。だが丸金達のいる位置からは殺戮者が壁となっている。

 桐島は丸金の胴を脇に抱えて階段に向かって走り出した。後ろを富田と仲前が銃撃して追従する。遠ざかる地下を塞ぐ鉄扉はすぐに黒い体に埋め尽くされ、角を曲がった桐島によって丸金は放心したまま上階へ運ばれた。

 二階に辿り着くなり断末魔と銃声の中で廊下に体が放り出される。桐島の頭を口の大きな殺戮者がかぶりつこうとしていた。寸前で富田は化け物を体当たりで壁にぶつけ、跳ね返ってきた勢いのまま背負い投げで叩き伏せる。

 上の踊り場から何体もの殺戮者が飛び降りてくるのを、手すり越しに仲前が撃ち殺しながら叫ぶ。

「外に出られそうな窓なんてあたっけかねえ! どっか空いてる部屋で籠城するしかねえわ、これ!!」

 廊下を撃ちながら先行する大人の背中を丸金も飛び起きて追いかける。奥では殺戮者と対峙する隊員の相打ちが目に入った。「開けてくれ!?」と扉に縋り付く隊員が追い詰められ、その内の一人が殺戮者へと変貌して隣の仲間の頭を棘だらけの掌で押し潰す。どこに目を逃がしたって地獄絵図しかない。


「畜生、挟まれちまったっ」

 身動きが取れずに立ち止まると、桐島はそばの扉を開けようと力任せに何度もドアノブを捻る。だがその扉一枚を隔てた中でも争う音が響いていた。壁を割るような轟音が聞こえる。銃声に挟まれ、鼓膜は麻痺し、壁は血の上に血を塗り重ねて深みを増していく。

 それも見慣れた日常的な光景。

 特別ではない。遂にここもそうなってしまったというだけのこと。


 立ち尽くした丸金は殺戮者の一体と目が合う。彼は四つん這いで真っ直ぐと丸金を目指して銃弾をかい潜り迫りくる。その両目の間に亀裂が入り、頭が横に裂け、奥までビッシリと生えた人間の歯が露わになった。

 身動きも出来ずに丸金は凝視したまま数珠を握り締めた。

「ごめん、なさ……」

 生臭い唾液の臭いと熱が顔を包んだ。


 終わると直感した丸金は、直後に膝裏から衝撃を受けて真後ろに勢いよく倒れ込んだ。しかし床に叩き付けられるはずの後頭部は至極柔らかいものに包み込まれ、丸金の股の間から力強い足が殺戮者の顎に向かって伸びた。

 大きく蹴り上げられた殺戮者は真後ろへと綺麗な放物線を描いて吹き飛んでいく。


「良かった、間に合った」


 息を荒げて旋毛の上で聞こえた安堵の声で丸金は目を見開いた。腹部に降りてきた両腕の間には太い鎖、手首に手錠があった。その腕は丸金を抱き上げて跳ね起きると、しっかりと包み込んだ。見上げた顔は、そこにいた人は、太い眉に柔らかい眼差しで大きく歯を出して笑っていた。

 布引の姿に目を奪われたのは周囲も同じで、それでも逡巡は一瞬、鍵の開いた扉を見つけた仲前が銃で敵を牽制しながら叫んだ。

「ここだ! 退避急げ!?」

 殺戮者の突撃を身軽に跳んで躱した布引は、おまけとばかりに殺戮者の頭を踏みつけて部屋に滑り込む。その後ろに続こうとした殺戮者を富田が殴り飛ばし、扉は自衛隊員三人がかりで抑え込んで閉じられた。

 外から激しく扉を壊そうとする音が追いかけてくる。


 丸金は手錠と布引の体の間を滑るように降ろされ、目に見える者が信じられずにいた。

「どう、して、ここに」

 地下に閉じ込められたはずで、拘束をされたままで、あの鉄扉と殺戮者の壁があった。現れるはずがない。だがここに、見捨ててしまったはずの彼女は当然の顔で立っていた。

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