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羅生問答

 悲鳴という動くゴールだが、徐々に距離を縮めつつある。道端に転がる植木、割れたゴミ箱、捻れた自転車、障害物を流れるように涼しい顔で躱しながら荒妻は駆け抜ける。丸金を抱えながら重さを感じさせない動きは常人離れしており、その後ろで必死に食らいついて叫ぶ望月を置き去りにしかねない。

「聞いているのか、荒妻君! その子は巻き込むべきではない。元の所に返してきなさい!」

「俺がいれば問題ない」

「傲慢なっ」

 荒妻が折れた電柱を跳び越えれば、丸金の結わえた長い髪が空中でうねる。


 腕に座り胸で固定された丸金は決意を固めて肩口で狩衣の袖口を探り、長細い紙をバラバラと落としながら一枚をなんとか掲げた。読めない筆跡に囲まれる一つ目の描かれた御札だ。

「私は、偵察で、お役に立てます!」

 両目を強く瞑って御札を左目に押し当てる。

「目を飛ばして上から探します」

 玉虫色の光が黒墨で描かれた目をなぞるように一筆流れた。札は旋風に巻かれて空高く舞い上がり、望月はそれを困惑しながら見送る。

「なんだって? 目を、飛ばす?」

 丸金は左目を手で押さえながら両目を閉じたまま周囲を見回す。

「簡単な陰陽術で、これは得意です。よく使うので」

 荒妻が足を止める。急な変化に望月は一度追い越して振り返ると、荒妻は耳をすませる。

「悲鳴が途絶えた。大体の方角で距離は詰めたが大声で呼びかければ奇襲できない。標的に接触する前に自衛隊に発見されても射殺だろう。実際にマルが見つけられるなら行動が容易い」

「まだ自分はこの非常事態に奇々怪々を頼れるほど順応できていないんだが」

「見えました!」

 望月に迷う間を与えず丸金が右の方角を指す。

「あっちのフェンスによじ登って逃げようとしている人がいます。男の人が女の人の足をつかんで争ってます。急がないとあの人、落ちてしまう」


 屋根の上からでも見える緑のフェンスに向かって望月が弾かれたように駆け出した。荒妻は後ろへ続き、まだ目を閉じたままの丸金は毛筆のように柔らかな眉を寄せて動揺を滲ませた。

「あ、れ?」

 小道を抜ければ大きな道路に面したゴルフ場の前に出る。

「違う、襲いかかってるの、殺戮者じゃない」

 言い争う男女の肉声が届く。

「たずげてくれえ。ごの一年間一緒に生き残ってぎだじゃねえがよお。な? な!? 美香みか、頼む置いてかないでくれよお」

「離せっ。死ぬなら幸介こうすけ一人で死んでよ! 私が何をしたっていうの!? いやああああ、誰かあああっ!」

 目を開いた丸金が見た光景は、先に登った女の足をつかんで助けを求める必死な男と、半狂乱で容赦なく男の顔を踏みつけて引き剥がそうとする女の姿、そして彼らの足元に襲いかかる飢えた犬の群れだった。男の片足は丸金の身長を優に超える猛犬に食いつかれて引きずり降ろされようとしていた。そしてその幕引きに女の殺意が籠る蹴りが加担してしまった。

 望月は足を緩めないまま腕を伸ばして叫んだ。

「待て、止めるんだ!?」

 男の手は虚しく虚空を掻いて、藁すらつかめず群がる犬の中に背中から吸い込まれた。


「ひぎゃあああああああ!!」


 耳をつんざく悲鳴が響く。

 数えきれない犬が夢中で一か所に首を垂らして食事にありついた。フェンスにしがみ付いた女からは見下ろすことができるのだろう。一点を見つめるその顔に安堵の笑みを浮かべ、彼女は更なる安全を求めて空へと登り始めた。


 地獄の光景に躊躇いなく望月が飛び込んだ。

「離れろ! どいてくれ!!」

「望月さん!?」

 強引に猛犬を跳ね除けていく姿はタイタンを思い出させる尋常ならざる豪腕だが、数で勝る犬の中に分け入れば当然犬は襲いかかる。それでも望月は歩みを緩めずフェンスまで辿り着いて周囲の犬を投げ飛ばしながら空間を開ける。

 熊の如き乱入者に犬達は唸りを上げて後退する。足元に残ったのは、落下した男と、彼に牙を突き立て首を振り肉を裂かんとする犬一匹。

 望月は片膝をつくと犬の首に腕を巻きつけ締め上げた。狂ったように暴れる犬はそれでも口を開かない。望月自身も流血しながら苦悶の表情で犬から目をそらす。

「……すまない」

 鈍い音がした。

 犬の口が弛緩して血を滴らせながら人肉から離れた。かたわらに静かに横たわらせても逃げも動きもしない。完全に露わとなった男の姿は凄惨に変わり果てていた。露出している肌は裂けて鮮血に染まっている。


 荒妻が丸金の背を叩く。

「また首に腕を回してしがみ付け。犬がこちらに気付いた」

 八割型の犬には首輪がついていた。犬にも表情はあるもので、鼻から付け根までに幾本も皺を刻む顔に甘えた飼い犬の面影はない。

「ひっ」

 一匹が走り出せば群れを為して犬が向かってくる。荒妻は両腕で丸金を包んで腰を落とした。

 急激に平衡感覚が失われる。

 飛び掛かって来た犬は蹴り飛ばされ、時間差で死角から足に喰いつこうとした犬は踏み潰され、猛獣と化した野犬を荒妻が容赦なく蹴散らしていく。

 獣の生臭い息が丸金を掠めるが、野犬は荒妻により無造作に地面へと叩きつけられる。肉の潰れる音がするたびに異臭が濃度を増していく。


 望月は戦闘に気付いて顔を上げるが、血溜まりで手足を蠢かせる悲痛な呻きに身動きできず、犬を視線で圧倒しながら慎重に片膝をつく。

「助けに来たぞ。気をしっかり持つんだ。君を必ず連れて帰る」


 犬の猛攻が緩んだ隙間で荒妻の動きが止まった時、丸金は望月の背後で死にかけのが頭を引きずりながら男が起き上がるのを見た。波打つ黒い糸が皮膚を縫うように侵食してていきながら。

「望月さん、その人、変貌が始まっています!」

 遥か上に登りつめた女が地上の異変に感づいて悲鳴を上げる。振り返った望月は目を見開いた。涙を流して骨格を軋ませ人間の形を失っていく男が呪詛を吐き出す。

「びんなぁ、いっじょにぃ、じえばあ、いいんびゃ、あ、あ、あ」

 血を噴き出していた喉の穴が黒い繊維で歪に縫い上げられ首が傾いて固定されると、濁り篭った言葉がハッキリと聞き取れるようになる。

「何も、分からない殺戮者になってしまえば、この苦しみから解放ざれる。裏切りも、絶望もない、この、痛みすらもさあ」

 望月が腕を広げて必死に呼びかける。

「自棄になるんじゃない! 近くに自衛隊基地があるんだ。君は、君は助かるんだ!!」

 丸金は身を乗り出して荒妻の庇護から片足を突き出し、望月に手を伸ばす。

「手遅れです! 変貌が始まったらもう……殺戮者から離れてください、望月さん!」

 男の胸が黒い糸を引きながら内側から開帳していく。

「みんな一緒にいればぁぁぁ、寂しくないからぁぁぁ」

 間延びした声と共に肋骨だった左右の骨が犬の牙の様に望月に食らいついた。閉じた肋骨に捕まって押し潰されようとしている望月に、丸金が言葉を失う。

 荒妻は犬をいなしながら丸金を抱え直して、腕の裾から尖った鉄芯を取り出すと、望月の体で隠れていない男の脳天を狙い撃ちする。


「うおおおおおおおお!!」


 望月の気合いと共に殺戮者が勢いよく反り返った。荒妻の投げた凶器は殺戮者の鼻先だけを掠めて通り過ぎてしまった。そのまま殺戮者は地面へと倒れ込む。人間を食い千切ろうとしていた肋骨が左右に押し広げられていく。生還した背中から腕にかけた筋肉の盛り上がりは、変貌もしていないのに薄くない服の上からでも形を浮き彫りにする。

 腕力だけで望月は化け物を地面に縫い付けた。


 犬の突進を躱した荒妻は再び鉄芯を殺戮者に投げた。それを望月が身を乗り出して肩で受けとめる。最早偶然ではなく望月は殺戮者を明確に庇っており、荒妻は舌打ちを漏らした。


「菅原君!」


 この時になって望月は初めて丸金の名を呼んだ。必死の形相で男を抑えながら、救いを求めて。

「質問だ! 彼を治す手段はまったくないのか!?」

 丸金は涙を溜める。

 地獄の二年間、その答えを大勢が渇望して絶望していった。茹でた卵は二度とヒヨコになりえない。嗚咽を漏らしながら丸金は答える。

「一度、殺戮者になれば、泣いて、お願いしても、誰も、誰も戻ってきてはくれないんです。だから、諦めて、もう、止めて」

 今は力で押し勝っているが、変貌途中の男の肋骨は剣先と化しながら長く伸びて着実に彼の背中に迫ろうとしている。

 丸金は荒妻に縋る。

「荒妻さん! 荒妻さん、望月さんを助けてください!」

 犬の首が地面を跳ねて転がる。猛犬達はようやく相手が子持ちの獲物ではなく猛者であるのを確信して引き下がりだした。道が開くと荒妻は願いを叶えるべく望月に向かって足を踏み出す。


「いいや、手を出すな荒妻君」

 だが丸金の答えに望月が納得していなかった。丸金は懸命に説得する。

「殺戮者になった人は殺すしかないんです! もう色んな人が失敗して、躊躇って、そのせいで」

 一面の血の海を丸金は見た。

「たくさん周りの人が死んでしまって」

 相手が人間だったからこそ起きる葛藤。

「私は」

 一瞬の迷いから生まれる死。

「貝塚君を」

 失敗から派生する残された者達の憎悪、怒り、その中心にいたからこそ、丸金は間違いを恐れる。


 何も知らない平和な世界から抜き出された望月は、丸金の叫びに笑みを浮かべた。

「ああ、菅原君、よく分かった。つまり彼が殺戮者に成り果てるまでが最後の踏ん張りどころだということだな」

 結論に丸金は呆然とする。

「聞こえているか、君。殺戮者になればもう元には戻れないそうだな」

 遂に骨が望月の背中を突き破り始める。黒い糸で縫い合わされたばかりの殺戮者からも赤い血は漏れ出して、混じり合った血がアスファルトで水溜りを広げていく。

「そんなことを望んでいたわけではないだろう。君は助けを呼んだんだ。誰かを殺したいわけではない。化け物になりたいわけでもないな。厳しいことを言うぞ」

 無謀なことに望月は押さえていた右側の肋骨から手を離した。背中を深くえぐられるのにも構わず、男の首に片腕で抱きしめて頑固に目の前の化け物に語りかける。

「絶望するな。もう大丈夫だ。君を救助する」


 殺意に渦巻いた男の目が揺れる。

 気付けば骨の動きは止まっていた。殺戮者の口から溢れた声は、崩れた姿から予想されるよりも人のままの音で救いを求めた。

「一人で、死にたく、ない。痛いよ、助けて…………」

「ああ。自分はそのためにここへ来た」

 肋骨が望月の背中から離れていくと、広い背中に赤い染みが瑞々しく更に広がっていった。望月は殺戮者へと変貌途中にある男を一気に背負い上げた。


 あれほどいた犬が完全に姿を消していた。

 背負われた異形は首に縋り付いて声を上げ泣いていた。姿はもはや殺戮者以外の何者でもない。今にも咆哮を上げて殺戮衝動で望月の首を刎ねるともしれない。

 彼を基地に連れて行ったところで誰が受け入れるだろう。

 まだ人間だと言ったところで誰が信じるだろう。

 目の前で起こっている事態を受け入れられず、困惑のまま恐る恐る口を開こうとした丸金の唇には荒妻の硬い指が添えられた。

 代わりに荒妻は空へ視線を向ける。フェンスの向こうはどうやらゴルフの打ちっ放しの広場らしい。高く飛んだボールを受け止めるネットの頂点まで辿り着いた女は向こう側に乗り越えようともがいていた。不自然に揺れる体、細く不安定な高所、支えのない場所を跨ぐ危なげな動きに嫌な気配が漂う。

 遥か上空に望月は声を張り上げて呼びかけた。

「もう危険はないぞ! 安全な場所に案内するから君も降りてきてくれ!」

 金切り声が聞こえた。聞き取れない距離は、こちらの言葉も理解されていない可能性を示す。


「まいったな。降りることができないのか?」

 困り顔となる望月に対して、荒妻は前触れなく丸金の目元を覆った。

「え?」

 遠くから女の声が聞こえた。それは急速に近づいて、重い物が砕ける音で止まる。

 丸金は唇を震わせて温かい暗闇を凝視したまま凍り付いた。数時間前と同じように荒妻の掌を下ろすことが出来なかった。


 目隠し一枚向こうの現実で、女は地面で潰れていた。周りに散らばった腕の数は異様に多く、足を合わせれば八本もあった。蜘蛛の糸を求めて登り詰めた場所でどんな絶望を迎えたのか、女郎蜘蛛の最期の言葉を聞きとれた者はいない。






 帰り道には延々と二人分の血痕が垂れ流されていく。かといって望月に倒れる気配はなく、むしろ誰よりも快活な足取りで先頭で他人を激励している。

「気をしっかり持て、幸介(こうすけ)君。歩いていける距離だ。そこまで遠くはない。頑張るんだぞ」

 荒妻に手を引かれながら丸金は血痕を見つめて歩いた。放心した状態で、たまに血痕を踏んで足に飛沫を浴びたが避ける余裕もない。


 命令違反をしてまで選択したものは正しかったのか?


 望月が身を挺して助けた男は助かったと言えるのか?


 このまま基地に戻れば彼は殺処分、良くて幽閉されるだろう。人間の形をしていない者を人間として受け入れるはずがない。傷病者ですら準殺戮者として扱われるのだ。貴重な資材を使うわけにはいかないからと治療を拒まれた時、彼が絶望しないはずはない。辛うじて残った自我が壊れて完全な殺戮者へと変貌すれば、やはり最後に待つのは殺処分となる。


「こんな状態で連れ帰っても仲間に受け入れられないんじゃないのか?」

 丸金の肩が跳ね上がる。口にしたのは異形本人だった。伸びた肋骨は力なく地面に垂れて土を削って跡を残している。

「絶望の象徴なんて、みんな、見たくないだろう? さっきガラスに、醜い化け物が見えたんだ。おっさん、よくこんなのに、背中向けられるな。俺だったらきっと、早く捨てて逃げようって、言っちまう」

 落ち着いた声だが自嘲と恐れが滲み出ていた。ここで彼が変貌しきってしまえば急所である首を異形の口元に晒している望月は殺されかねない。

 それでも平然と淀みなく望月は異形を抱え直す。

「なあ、幸介君は殺戮者になりかけても人として留まれた人間を見たことはあるか?」

 異形の男は「無いよ」と答える。

 ニュースなどで少なからず情報が届けられていたのは一年も前。最期まで残って生存者に希望を呼びかけていたラジオは先月から遂に沈黙してしまった。

 前例も、情報の共有もない閉鎖的な世界では、目の前で起こったことだけが全て。

「そうか。つまり自分が背負っている者は相当の努力で奇跡を起こした傑物ということらしい。幸介君、自分には君の姿は希望の象徴に見える。命を賭けた甲斐があったというものだ」

 丸金は頭を跳ね上げて幸介の変貌した背中を見た。

「そっか」

 小さくてよく聞き取れない幸介の声に明るい響きが含まれた。

「俺は希望かぁ」

 そこで会話は途切れた。


 後悔が別の後悔に塗り替わる。


 帰路では何事も問題に見舞われずに見覚えのある道に辿り着けた。例の異臭が漂い始めれば、もうすぐ基地に到着することが知れた。

「ごめんなさい」

 丸金の泣き出しそうな声に望月が怪訝な顔で振り返る。

「なんだ。もしかして歩くスピードが速かったか」

 首を勢いよく振って丸金は躓きかけたが、荒妻に腕を引かれて体制を持ち直した。

「私はみんなを助けたいって言ったくせに、最初から諦めて何度も無駄だって、殺さなきゃって、酷いことを言いました。とても酷い、間違ったことを、押し付けようと」

「間違い、か」

 自己否定に沈む丸金に、望月は言葉を探して一つの逸話を用意した。

「今時も教科書に採用されているかは知らんが、国語の授業で羅生門という短編小説を題材にした授業があった。飢えて死にそうな男が正義と共に死のうとしたが、手を汚してでも生き残ろうとする罪人達に感化され、悪に手を染めようと決意する話だ。教師はこの授業で生徒に、自分ならどうするかと問いかけてきた。菅原君ならどう答える?」

 丸金は立ち止まって顔色をなくす。手を繋いだ荒妻もそれに合わせて立ち止まり、少女のつむじを見下ろした。

 唇を震わせながら丸金は断言した。

「悪いことをして生き延びるのは良くないです」

 振り返った望月は困り顔で笑みを浮かべる。

「即答か。しかしそうだな、自分もそうありたいと心から願っている。だがそれを正解だと思っていない。それでも無価値だとは思いたくない。生存者という結果が残らなくとも、死ぬ前に安息を与えられたなら自分の正義を賭けた価値はあった。これを誰かに押し付ける気は毛頭ない」


 謎かけのような望月の言葉に話が見えず、丸金は困った末に荒妻を見る。荒妻は溜め息をついて問答の意味を読み解いた。

「マルが間違っていたわけじゃない。気持ちを切り替え諦める判断も重要な能力だ。絶望が即人間からの脱落に繋がる情勢なら必須とも言える。望月さんの行動は美徳と呼べるが、秩序なき世界では致命的な欠点でしかない。あれを正解だと思うのは危険なことだ。命を懸けてまでやる価値はなかった」

「それは、でも幸介さんを助けられました。危なかったかもしれないけど、価値がなかったというのは、本人もいるし、その」

 力なく望月の背に身を預けて揺られる幸介に視線を向ける。

「酷いかも」

「もう気遣う必要はない。あいつはとっくに死んでいる」


 丸金は息を止めた。

 微動だにせず、会話も、呻き声も、泣き声も、いつの間にか止まっていた。あれだけの出血と損傷だったのだ。人間のままなら当然だろう。結局、誰も救助などできていなかった。

 望月に動揺はない。

 分かっていたのだと、致命傷だと知りながら命を賭けたのだと理解した。辿り着く前に死ぬことが分かっていたから、基地に戻った時に向けられる反発をどう躱すか悩む様子がなかったのだ。


 無駄だった。


 死んだ町を横切り、殺戮者の死骸で囲われた腐臭の砦の前に辿り着き、望月はそこへ幸介を静かにもたれ掛けさせる。そこで見た幸介の顔は絶望からは程遠い安らかなもので満ちていて、丸金の頬に涙が零れる。






 女郎蜘蛛の死骸から足を拾い上げ、損傷の具合を確認しながらオニギリを齧る。

「不可思議なこともあるもんだ。死神を人間に戻して戦場に送り出してくるとはね。化け物が蔓延はびこってる時点でなんでもありっちゃありなんだろうが、なんにしても面白そうなスパイスを加えてくれたもんだ」

 折れた足が投げ棄てられる。死肉は時期にそこらの犬共々動物が食い散らかすだろう。

 男は指についた米粒を舐めとる。

「巫女装束のお嬢ちゃんか。グロテスクな舞台に不自然な役者の登場だ。どうやって遊ぼうかなあ」

 この酷い惨状の中、胡座を組んで空を見上げた男は恍惚として目を細めた。

 地獄はまだ始まったばかり。

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