助けたい相手
壮絶な死骸垣根を越えて広がる景色は淡白だった。窓が割れ、道端の車はひしゃげ、アスファルトの隙間から植物が人工物を侵食する。
ただ、それだけ。
化け物が現れそうな気配もなく、基地から出た直後の凄惨さとはかけ離れている。争った形跡、事故が生じた形跡、寂れてしまっただけの廃墟、人がいなくなった後の世界。
「チャイムを鳴らせば家から人が出てきそうだな」
望月に手を引かれる丸金の耳に感傷的な感想が届く。探索中の自衛隊員もスピーカーで生き残りへ呼びかけているのだから、過去には実際に家の中で隠れている人もいたのだろう。
なんとなく望月の横顔を遠慮がちに見上げていると、不意に視線が交錯する。
「君もこうして彼らに保護されたのか?」
話しかけられると思っていなかった丸金は、慌てて空いた手で胸元を握り締める。
「わ、私を保護してくれたのは、お父さんのお友達で、連絡が途絶えたから、探しに来てくれたって」
しばし考える素振りをしてから質問が続けられる。
「君を連れてきた老人か?」
「大和様は、生き残っている陰陽師を取りまとめている人です。お父さんのお友達は、私のせいで死にました。私が殺した、ような、もの、で……」
気不味い話題で語尾が小さくなると、望月は横を向いて短い髪を掻きむしる。
「あー、殺戮者が現れたのは二年前だったな。……当時の君は七歳かそこらだろう。非常事態に上手く行動するのは熟練の警察ですら難しい。あまり自分を責めるのは」
「あのっ、私も、聞いていいですか!?」
突然、丸金は大きな声で望月の言葉を打ち消した。あからさまな拒絶反応をしてしまい、とっさの言い訳のために必死に質問を探しだす。
「き、気になっていたことがあったんです。望月さんは、その、私の同行を嫌がっていました、よね? だからさっき、布引さんと一緒に反対されると思ってたので、なんで何も言わなかったのかなって」
「なるほど、もっともな疑問だな」
筋骨隆々で死神の中でも特に力強い外見の望月は、あの殺戮者としての荒々しい姿から程遠い凛とした声で丁寧に話す男だった。
「まず単純に、新聞や資料で調べた過去の事例から考えを改めたからだ。大規模な死者を出していたのは避難所が多かった。さもありなんだ。この過酷な情勢であれば、絶望に至らないまでも病んでいない者などいまい。人を多く集めれば最悪の事態は起こり得る。あの基地も同様だ」
曲がり角でカーブミラーに映った自衛隊の男を見上げる。浮かべる表情には希望も絶望もない。それが心を守る術なのか環境に慣れきってしまったからなのか。
「自分達と行動を共にしていた君をあの場に残すことも躊躇われた。重傷の自衛官に魔が差すきっかけを作るかもしれないからだ。それに、定期的巡回しているなら生存者や化け物が大人数で隠れているとは考え難い。つまり、自分には行くも残るもどちらが君にとって安全かなど断言できなかったんだ。今回に限ってはな」
それは、基本的に同行を認めたわけではないという宣言だ。
陰陽師は古来より使い魔を扱う。しかし、彼らはあらゆるものから物事を読み取ってしまう人間で、大人で、都合良く利用されるだけの駒には収まらない。同行するためにも理由がなければ認められないのだ。
「では次はこちらの質問だが」
「え!?」
いつの間にか順番で質問する流れになっていたらしい。
「君は化け物に遭遇した際、身を守る手段はいくつ持たされている。足は速いのか。隠れるのは得意か。陰陽術とやらにバリアは存在するのか」
「え、あ、鬼ごっこは苦手だったけど隠れんぼなら」
繋いだ手の間から布引が上半身を乗り出して丸金の目前で乳が揺れる。
「おチビちゃんの防衛力なんて安心材料にならないでしょ。確認しなきゃならないのは私達」
後ろに戻った布引は丸金の頭を撫でながら、何処ぞで手に入れた木の枝で風を切りながら不満を漏らす。
「そもそも自衛官さんがた、こちらを戦闘要員としてみなしてる割に肝心の戦闘手段を誰も聞きに来ないよね。鎌イタチの体捌きが殺戮者に通用するのは見せてもらったし、蝙蝠は元が自衛官だから銃火器お手の物なんだろうけどね。さて本番だとかで自衛隊の装備支給されても私は困ってしまうよ」
自虐的にも死神の呼称を自ら使う布引に丸金が衝撃を受ける。他に気に留める者もなく村上によって話題が継続される。
「確かに民間人の布引ちゃんが銃撃戦やるようには見えんわな。望月ちゃんは拳で殴り殺しそうな恵体してるからお察しだが」
「誰があんな土佐犬並みに齧り付いてくる相手にステゴロなんてマネするか。荒妻君が特殊なだけだ。職業柄、銃の取り扱いは心得ている」
布引は側頭部を枝で掻いてから道端に放り捨てた。
一方、同行者には我関せずで粛々と巡回任務をこなす自衛官が、小綺麗に片付いた道で不自然に目立つプラスチックの箱へ近づいていく。会話に混ざらない荒妻はその背中を視線で追っていた。
箱の中身を確認した自衛官が一時停止後、首を巡らせた。
「班長、非常用飲料水がいくつか持ち去られた形跡があります」
「久々の当たり日だな。生存者の保護に向かおう。こちらのメッセージを信じて指定の待機場所にいてくれればいいんだが」
荒妻は彼らから視線をズラして瓦礫に近づいて地面を見下ろし、赤い塊を拾い上げて自衛官達に見せた。
「いいや、ハズレ日だ」
まだ切り口の乾いていない手首、そこから流れる血糊が地面に線を描く。荒妻を監視していた仲前が叫ぶ。
「近くに敵がいるぞ!」
物陰から飛び退いた自衛官達は射撃体制をとり、望月と布引は丸金を挟んで拳を構える。沈黙の中で産毛は逆立ち、汗は滲んで皮膚の上を滑る。目を凝らして建物の陰、窓、屋根を探すが動く物は見つからない。
しかし、耳を澄ませることで初めて耳に届いた。遠くで細く尾を引く悲鳴が複数ここから離れて行こうとしている。
四方へと。
「班長……最悪です」
丸金や荒妻達を除いて武器を持っている自衛官は監視を合わせても七人。この隊を率いている男は迷わず選んだ。
「基地の方角の要救助者のみ動線で回収する」
「了解」
素早く退路につく自衛官に望月が慌てる。
「他は見捨てるつもりか!?」
自衛官は抗議を横目にすると仲前に向けて顎をしゃくると基地の方角へ走り出した。他の自衛官も素早く続く。
苦情処理を押し付けられた仲前は銃を持たない手で髪を掻きむしり、早口にまくしたてる。
「おいおい、取り残されてこっちも襲われたらどうしてくれるんだよ。この手勢で殺戮者の数も分からないのに散開できるわきゃねえだろ。こういうケースは救出者を絞るのが定石なんだっつうの。よーし、分かったら孤立する前に駆け足!」
「ならば自分が救出へ向かう!」
悲痛な叫びに対して躊躇いなく望月が基地とは真逆に身を翻した。そのふくらはぎを銃弾が一撃掠める。苛立たし気に望月が足を止めて、銃を構える桐島と睨み合う。
「何も解ってない素人が立場を弁えろ!」
布引が照準から望月を隠すように立ちはだかる。
「ここで見捨てられるほど達観できないのが素人ってやつでしょ。人助けのために呼ばれたんだ。ここで行かない方が道理に合わないね」
仲前が目を覆う。
「さっきコブ付き武器無しでブー垂れてたくせに、何言い出してんだ、このアマ!?」
一触即発の大人達に囲まれて怒声と悲鳴を聞きながら丸金の呼吸は早くなる。
何処かで誰かが助けを求めている。
まだ生きている。
しかし今の望月や布引には武器が与えられていない。装備を整え大勢で組んでいる救助隊ですら死人を出すのだ。少しずつ削り取られる様に減っていく勇者達。
慎重に、時には冷酷に判断しなければならないのは、この二年で子供までもが経験で理解していること。
「止めてやろうか」
丸金の耳元に囁きかけてきたのは、体を折り曲げて肩口から覗き込んでくる村上だった。この大人は意地の悪い笑みで選択肢を用意する。
「どっちを選んでもいいんだぜ? 後援者に忠義立てするもよし。無謀な正義漢のご機嫌をとるもよし。さて、どちらに加勢しようか、マル」
「ど、う」
人を切り捨てることに慣れていない初期では、この手のいざこざで多くの悲劇が生まれた。幾人もの殺戮者が目前で生まれ、言い争いの末に殺された。
諦めさせる方が正解。
見捨てる方が正解。
犬死しない方が。
「マル」
救いのない理に没入した丸金を荒妻が呼び戻す。そして無感動に口論を眺めながら、気負いも、熱も含まずに答えを促した。
「やりたい方で良い。お前はなんのために俺達を呼び出して、誰を助けたいと思ってるんだ」
死神の力が他の殺戮者から逸脱しているというのなら、変貌する前も人間として規格外だったかもしれない。
終わるかもしれない世界で希望を見つけた。誰もが絶望を目指すような未来を打開できるかもしれないと、普通なら助けることができない人を、助けられるかもしれないと。
「みんなを助けるためにはどうすればいいんですか?」
村上が地面から瓦礫を拾って足を大きく踏み出す。
「だったら無駄足覚悟で行くっきゃないわな!」
投げた瓦礫が桐島の肩口を強打して体勢を崩す。その背後に村上が滑り込んで組みついた。
「貴様、蝙蝠!?」
関節を固められた桐島がもがく。
完全な造反行為に目を丸くした丸金は浮遊感に包まれ、再び荒妻の胸に飛び込む形で抱き上げられた。
「舌を噛まないよう口は閉じていろ」
忠告の直後には身を低くして飛ぶように走り出した。連れ去られる丸金の姿に、仲前を妨害していた布引が身をよじって焦りをみせる。
「ちょっ、おチビちゃんを連れていくのはっ!」
「行かせねえよ!」
仲前が布引の背後をとって銃身を前身に滑り込ませると胸を押し潰して締め上げた。一発の威嚇射撃がどこぞを撃つが、荒妻の肩口から丸金が確認する間もなく建物の陰へと隠れてしまった。
それを追って曲がり角から現れたのは、あの中で自由の身であった望月ただ一人。