表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/50

荒魂

 自我や欲を出さない徹底した従順さが求められた。言った通りできない幼児は間引かれる。殺しの技や身のこなしを叩き込まれ、痛めつけられてなお生き延びる事でようやく餌にありつける。

 いつの時代から始まった因習なのかは記録がない。ただ必要とする者が在ったから脈々と紡がれ続けてきたのだろう。残す命を選定し、必要な歯車だけを余分なく補充する。


 初めて殺したのは妹だった。産声をあげた日に「やってみろ」と命じられた。

 次に殺したのは兄だった。動く標的として「最後まで綺麗に片付ける」練習台。

 選別前の乳飲児をある程度まで世話するのは子供の役目。そして歯車にそぐわない弟の処分はいつも突然言いつけられる。

 力をつけた者から順当に生き延びられる仕組みの中で雌だけには初めから生存権がない。規定の孕み腹は残しても人として育たぬよう足を落とし、知恵を与えず、手も潰す。


 その日は家畜部屋の当番だった。

 生産管理が煩雑な勾月村では戸籍を残さず血縁の把握もない。当番の日に拾った者との繋がりで親兄弟として括られる。

 生臭い部屋には入る前から産声が響いていた。乙未いつびを率いる親役は藁の上に転がる赤ん坊の雌雄を確認するとハンマーを振り上げた。


 見慣れた作業に何かを感じたわけではなく思いついたのがそこだった。


 ほとんど処分されてしまう雌の痕跡は何処にも残ることがない。産まれた事を知っている当番さえ殺してしまえば、一匹腹が凹んだのすら気づくかどうかだ。

 面倒な依頼を卒なくこなし、人殺しとして評価され、乙未は村を紡ぐ歯車の一つに選別された。この時期に散々痛めつけられてきた親を殺して代替わりするのは珍しくもない。

 死ぬはずだった命の代わりにミンチとなった死体を踏みにじり、柔らかくて暖かい赤ん坊が壊れてしまわないよう慎重に抱き上げた。


 手に入れた赤ん坊は見つかれば取り上げられて乙未もろとも殺される。

 隠し場所には古臭い囲炉裏の下を選んで掘った。泣き声を制御できないから喉を潰し、箱庭から這い出すから足を切り落として閉じ込めて、脆弱な命を生かす為にあらゆる自由を奪い続ける。

 そしていつしか、暗闇の中に手を伸ばせば握り返してくる妹が出来上がった。

 小さな指は繋いだ手に自我を持って文字を綴る。

 手が届く範囲しか知らない妹は多くの物を欲しがった。叶えられる願いは多くない。外の世界が分かる漫画、スピーカーを壊したゲーム、会話をしない友達人形、咀嚼を必要としない無臭のお菓子。代わりの物では満足しなかった。


 外に出たい。


 命と引き換えになる願いだ。あるいは村中を皆殺しにできれば実現できるだろう。遠くに妹を連れて逃げたとて生涯追われ続ければ、いつかは必ずやってくる。

 問題は全員を敵に回して勝てるかどうか。誰よりも強くなれば、何も奪わず生かしてやれる。願いを全て叶えてやれる。

 血塗れの計画が立ち上がる。


 入念な準備が必要だ。


 あと、少しだった。




 盛大に燃える炎が村を赤く照らし出す。黒い煙と酷い臭いが壁となって村の一角を飲み込んだ。世界から切り離された暗闇の中で死神は唐突に現れた。顔を半分隠す伝統的な忍び装束と、クナイに似た鉤爪が手に同化した変貌者。

 屋根で周囲を警戒していた異様に細長い骨格の男は死神に正面から距離を詰められ、抵抗する間も与えられず鋭い爪に首を釣られて地上へと叩きつけられた。

 静かに立ち上がる姿を村の中心から見咎めた老人は化け物の姿に目を見張る。

「何故、この時季外れにアレが」

 空気に針を混ぜ込む殺意が目の合った老人に標的を切り替える。老獪な忍びは動揺を瞬きの間に制御して後ろへ跳んで屋根の向こうへと姿を消した。


 死神は構わず老人のいた方角へ挟まれる形となる二戸を飛び出す、瞬間、左右の物陰から散弾銃さんだんじゅうが挟み撃つ。人影はなく、固定された銃身から広範囲の空間に銃弾が解き放たれた。その撃鉄よりも速く死神の足先は先んじて半円を描き左銃の真上に跳んでいる。片側を踏み倒した黒い肢体は獣の柔軟さでもって膝よりも低く射線を潜って死地を簡単に駆け抜けた。

 休む間もなく仕掛け人が窓から手持ちで追撃する。線を描くように死神を追いかける連撃は踊る様に躱されて、気づいた時には至近距離の窓枠から黒い爪に触れられた。人形のように引き抜かれたのは両目の抉られた視力を持たない無力な座頭ざとう。そう見えた盲人は上下反転の宙にいながら両袖から何かを出して死神の頭上を斬り付ける。死神が手を離すと盲人は無理な姿勢からぐにゃりと曲がって着地する。振り返った死神が爪を振るうと、本当に目が抉れているのか疑わしい正確さで一撃二撃を回避した。

 だがそれも三撃目には皮膚を裂く。四撃目に死神は盲人のアイスピックを握る手を絡み取ると、二本の針を柄まで眼窩に押し込んだ。

 死神は反撃を止め痙攣する体を適当に投げ捨てると、再び標的を探して走り出した。




 整地されていない土の凹みに足をとられた丸金がぺしゃりと情けなくこける。大した勢いでもないのに服の上からでも感じる痛みに驚いて確認した掌には鋭い小石がびっしりと皮膚に刺さっていた。驚いて足元から見た村はやたらと凸凹が激しく波打ち、不自然に鋭い大小の石が全て上を向いて埋まっている。

「下手に動くと地雷原か。村全体が現代の忍者仕様でお楽しみいただけます、と」

「こんな陰湿な村で育てばサイコパスも量産されるわな」

 小銃を背に回して村上と仲前は近接の拳銃とナイフで身構える。


 死神が舞うたびに飛沫が派手に飛び散って血と肉の花が咲いていく。震える手が痙攣ではない動きで空気を掻き、致命傷を受けながらも残りわずかと生きている。苦しみもがき、少しずつ動かなくなって。


 憎悪の籠った暴力に囚われ硬直した丸金を村上が呼び戻す。

「マル!」

 浮かされた表情で見上げると、いつも通り緩く弧を描いた口が現状を突き付ける。

「こっからは化物退治じゃなくて人間同士の殺し合いなんだが、相手は子供を攫って寄ってたかって切り刻んだ上に死神の生贄に献上しちまう悪の組織だ。人道からはずれた連中は、手を取り合って秩序で生きる善良な俺達にとって殺戮者と何も変わらない」

 ぎこちなく頷いたのを確認して村上は周囲に警戒を戻す。

「だが優先順位は死神退治だ。ハッキリ言って正面からやり合えば俺達がカマイタチに勝てる見込みはガチでない」

 丸金は早鐘を打つ胸を押さえる。


 それは本当の死神の話であって、丸金が顕現した荒妻晋作に限ってしまえば簡単にリセットできる。


 いつもは札を燃やす青い炎を顕現の媒介として使った臓腑に灯して繋がりを掻き消すだけで使鬼は存在すらできなくなる。

 あの日、この知識さえあれば犠牲を出すことなく変貌した母を消す事ができたのだ。

 子を守って美しく散った母から、未来に絶望して殺戮者へと変わり果てた母に歪めてしまった。殺戮者として退治される醜い終わりを迎えさせてしまった。

 夢現で繰り返し後悔した。

 多くの死を作ったのは、無関係な人を巻き込んだのは、幼く知恵と覚悟のない丸金の罪。

 だからこそ死神を顕現すると決めた時に覚悟したはずだった。死神が、変貌によらず贖罪にそぐわない悪人であったなら、死神と化す運命を修正できないのであれば、存在ごとなかったことにするのだと。

 あの悲劇を繰り返さない為の重要な初めの取り決めだったのに。


「だから俺達は悪党に加勢して死神を仕留める」

 仲前は村上にハンドサインを送ると銃を構えたまま前に出た。迷いのない足取りで微動だにしなくなった村人に向かいながら死体の頭を撃ち抜いた。死んだフリとは思えない体は当然の如く衝撃に跳ねただけで、銃口から漏れる白煙が不自然に真横に揺れる。


 直後、仲前の真横の壁から腕が伸びた。窓もない平面が回転して白刃が直線上にいる仲前の首を狙う。完全に不意を突いた伏兵の肩を村上の弾丸が撃ち抜いた。姿勢を崩した男が仲前を巻き込んで勢いのまま反対側の壁にぶつかり、現れた時同様に壁を回して姿を隠す。残された仲前は反撃ではなく即座に前方に飛び込んで五体投地ごたいとうちで身を伏せた。その真上を巨大な回転鋸が飛び出して弧を描きながら壁の中へと戻っていく。


 息もつかせないあっという間の出来事で、丸金が何か声を上げるより前に頭上から新手が村上の頭上に降って湧く。

 仲前は地面から村上の頭上を狙いすまして新手の頭を撃ち抜いた。襲撃者に遅れて気付いた村上は素早く丸金の腕を掴んで落下物の巻き添えを回避する。


 返り討ちとなり脳漿をぶちまけた死体に丸金が目を奪われている間に、背後の壁から再び伏兵は姿を現し無防備な仲前の背を踏みつけて動きを封じながら刃を振るった。その鼻先は村上によって撃ち抜かれて壁を赤く派手に染める。

「見える地雷を利用すれば囮にかかった敵の動線は予測が容易いというわけだ。サプライズの初見殺しを潰してやるのは気分が良いねえ」

「ゲームじゃねえんだ。凡人らしく手堅くいくぞ」

 流れるようにお互いを使った男達は淡々と次の行動をハンドサインで送り合う。

「忍者共がこっちにかまけられない程度に頭数を削りはしても、三つ巴戦の基本戦略は漁夫の利の一択なんだ。雑魚を倒しても弾と回復薬が手に入るわけでもねえのに相手すんのはドMの所業、ってな」

 仲前はしゃがんで罠の配置を鋭く見極めながら弾倉を込める。




 背後に迫る死神に向けて粉塵の目潰しが放たれる。目に入れば失明も免れないのに、それでも我が身を厭わない化け物は回避を選ばず追ってきた。頭から顔にかけて切り込まれた傷口から血が噴き出して片目の視力を濁らせる。引き離せないと見た青年は窓が一つしかない端家に飛び込んだ。そこは二階の部屋にも関わらず扉のない袋小路。死神は迷わず青年を追いかけて唯一の窓に手をかけながら棺桶の中に入ってきた。


 青年は不敵に口を歪ませて死神と対峙した。おそらくここでは最年少、カマイタチにとっては同世代の幼馴染とも言えるだろう。変貌した当時の姿で顕現された死神とは一回りも年が離れてしまった。親子関係すら概念でしかない勾月村では大した意味のない関係だ。だが、近い立場だったからこそ道を違えた嫌悪は色濃く深い。

「死ぬ覚悟はできている。ようやく生存競争を勝ち抜いて親役まで辿り着けたのに、お前のせいで全ての努力が台無しだ。一度もだ。一度も死から遠ざかることができなかった。規律を破った分際で祟るなんざおこがましいんだよ。俺がここで終わらせてやる」

 青年が背後の壁を叩けば仕掛けが窪んで窓枠から激しく炎が吹き上がる。炎のカーテンは天井に炎の波を送り込み、一息で床を渦を巻いた。


「化け物になって自分のペットと生け贄の区別もつかないくせに仇討ちなんて滑稽なんだよ」

 炎に焙られた死神の歪な手がザワザワと蠢いて鉤爪に赤い色が差す。




 燃え上がる家から炎を纏ったまま死神は現われた。火の粉を浴びながら水飛沫を弾くように身震いで炎を振り払うと捩じ切られて焦げた四肢を肥溜めに投げ捨てた。轟々と燃える家からは断末魔とも家屋の軋みともとれぬ音を震わす。




 森を飲み込んでいたガソリンによる黒煙が今日一番の爆音と共に闇の中に四散する。障害物の間を縫った爆風に吹き飛ばされかけた丸金を仲前が捕まえて盾となる。

 風はその場限りに終わるが視界の悪さで戦況を正しく把握するには及ばない。

「おいおい、衝突ポイントが村はずれに移動してねえか。まさかご立派な改造基地を放棄して忍者共は撤退するつもりじゃねえだろうなあ」

「出し惜しみの痛み分けは無駄遣いより悪手だしな。多少リスクはあるが行動変更、カマイタチと衝突している忍者に対しては即時加勢に入る。こちらが標的になれば交戦はせず撤退してヒット&アウェイでいく」

「共闘しなきゃ不味いってとこを忍者サイドが理解できるくらい追い詰められてることを祈りながらな」

 村を広範囲で照らしていた森の炎を失えば唯一の光源は激しく燃え上がる一戸となる。暗闇が増せば物陰が増える。視界が悪くなれば闇に紛れて忍びは動く。


 お互いを注意深く俯瞰して近づいてくる危険を警戒していた。だからこそ村上の視線が屋根に向いて銃口が上がるのと、挙動に気付いた仲前が丸金を抱えたのはほぼ同時。

「屋根から離れろ!」

 一瞥の迷いもなく仲前が地面を蹴る。

 斜面から放物線を描いて瓦ではない板状の刃が降り注ぐ。鈍色に炎をチカチカと反射させる凶器の先陣を横から村上が連射で弾いた。鉄砲水の如く連なる刃先をいくつ弾いても防ぎきれはしない。一枚二枚は防刃で弾いても後頭部や耳を切り裂きながら地面が刃の筵と変わる。


 自分以外の死が丸金の脳裏を過ぎる。

 一瞬の出来事なのに酷く緩慢に惨劇がコマ送りに見えた。

「はっ」

 短くて熱い呼吸がつむじに当たる。思考回路が繋がるより早く理解したのは自分ではどうにもできないという事実。それは諦めではなかった。

 息を吸う。


「ぅうああああああああああああああ!!!!」


 肺から空気を引き絞った丸金の雄叫びは広く遠くまで響き渡る。言葉に意味など無くても構わない。声が届けば必ず伝わる。待ったのはほんの一拍、仲前に抱えられた下向きの狭い視界の中で知った匂いが擦れ違う。そして暴風が周囲の刃を巻き上げて一つ残らず横殴りに壁へと叩きつけられるのだ。

 次は三秒と間を置かず、布引は丸金に降りかかる火の粉を見事打ち払ってみせた。

 静かに刃渡り腕一本分の切っ先が刃を降らせた屋根を見る。その縁には覆面男がいた。姿を見せた覆面は手の中に納まりそうな仕込み銃で照準を向けようとした村上を威嚇しながら、雨樋を故意に壁から蹴り剥がす。細く頼りない管は倒れながら歯車を軋ませて、地面から突き出す鉄板が布引を覆い隠したのは一瞬。

 閉じ込められた布引は天井だけが開いた囲いを見上げる。

 覆面男は屋根から鉄の囲いの上に跳んだ。空中という軌道の変えようがない覆面男を村上と仲前が狙い撃つが、防弾に阻まれ男は無事鉄板の向こうへと消えて、そして、着地することなく腹で体が切り別れる。

 人を閉じ込めるだけの厚さをもった鉄板に切れ目を入れた剣豪は、その人間離れした剛脚でもって鉄板を蹴破った。

「そんな、馬鹿、な……」

 いまわのきわに死神同等の化け物を見た覆面男は、汚れた刃先の血を振り払う女傑の足先が遠ざかる姿を最後に光を失う。


 合流した力強い助っ人に丸金は身を乗り出したが、言葉を交わす暇はなく背後の屋根瓦が連続して直線状に割れて人が縺れ合う様に頭上へ飛び出した。

 全身を包帯で覆う男と死神だ。

 いくつもの命を刈り取った爪が包帯男を切り裂こうとするまさにその瞬間、死神の背後からワイヤーが射出される。その先にある鈎針を躱して身を捩った死神の横に新手が躍り出た。暗闇に溶けて見えない輪が死神の首を囲い、それが締まる前に爪が首輪を断ち切ってワイヤー使いに威嚇を掻く。

 今世の忍び衆は壁に屋根と空中で体勢を変え品を変えと攻勢に移った。閑散として建造物の少ない村の中では比較的に密集したここで地の利を得たのか、ワイヤー使いは縦横無尽に糸を張り巡らせて宙を走りながら死神の首肢体を絡めとろうとする。

 暗闇に炎が反射する程度のちらつきで死神は踊るようにワイヤーを躱す。その真横から壁を蹴って包帯男が死神に飛び掛かった。


 至近距離で始まった殺し合いに、仲前は丸金を背後へ放り投げ、村上が死神の着地点を撃つ。攻勢に移ろうとした瞬間を狙えば死神の手数は奪われ数の暴力が完成する。どちらに当たるか分からない近距離での乱戦は通常なら悪手だろうが、今回ばかりは全て敵だ。

 連携に次ぐ加勢によって圧倒していたはずの死神がここにきて防戦へと回る。


 投げ出された丸金が急ぎ交戦に視線を走らせる背後で布引が振り返りざまに一閃する。

 後ろの暗がりからは、村人として始めに挨拶した中年男が風切り音を立てながら鎖分銅を回していた。中年男が爪先で壁を蹴ると、あらぬ方角からクナイが丸金を狙い、目もくれずに布引が全ての凶器を叩き落とす。落ち着いて視点を定めることすら叶わないまま、数秒ごとに状況は目まぐるしく変わっていく。


 布引はバネを限界まで縮ませる程に低く構えて呟いた。

「まだるっこしいな。村ごとぶっ壊しちゃおうか」

 地面に足形を残して布引が中年男の前に跳ぶ。その動きを目で捉える忍びは一寸違わず後ろへ距離を保ったが、布引は男ではなく家を斬り付け回し蹴りの一撃で柱を叩き折った。縁が歪めば土壁が崩れ、内包されていた鉄のカラクリが剥き出しになれば、それを足がかりに全体重で歪めながら宙を舞った。

 布引は何も無い地面に刀を突き立て、隠れていた縄を切り、柄で壁を叩きつけて裏側で何かを爆発させて、足先で何か持ち上げたかと思えば下から飛び出してきた幾重もの竹槍を袈裟斬りにする。


 死神だけでも手に余るのに、張り巡らせた罠を潰してまわる想定外の化け物がもう一人だ。正面突破には勝機がない。冷静に思案した中年男は目玉だけでグルリと突破口を探す。


 その時、村の一角から暗闇の中でもハッキリと見える白い粒子に惹き寄せられる。蔓を駆使して振り子となり夜空に跳び上がったのは、薄っすらとピンクに透ける白い花弁を纏わせた一輪の異形。

 その姿に布引が立ち止まる。

「茉莉花」

 中年男は目敏く異形に狙いを定める。そのか細い姿で正体は生贄の少女だと容易く目星がつけられた。あそこまで姿を失っては妹のデコイとして死神に効果はないだろう。だがもう一人の化け物にはハッキリとした動揺が見えた。

 外を目指す花の異形を追って男が跳んだ。

 布引は即座に男を追ったが挙動は忍びがわずかに速い。蔓を絡ませて移動する茉莉花の動きは一ヵ所ごとに着地で留まる。熟練の忍びは軌道の予測を駆使して簡単に一輪の眼前へと回り込んだ。


 地面に逃れた包帯男の脳天に向かって飛び掛かった死神が壁を蹴って軌道を変える。


 ワイヤー使いの土俵すらも利用して不規則な動きで反転した死神が何かを投げる。弾丸の如く飛んだクナイが茉莉花を捕らえかけた中年男を貫通した。首に穴のあいた男は首元に手を当てながら屋根の下へと墜落する。落ちていく死体には目もくれず、自在な蔓は木の枝を捕らえて迷わず緑に飛び込んで逃げた。そのしんがりに続いた化け犬が屋根で跳ねて威嚇を残す。


 ワイヤーが死神の腰に絡まった。

 両端をワイヤー使いと包帯男が捕まえて諸共地上へと叩きつけようとしたが、死神は捕縛を断ち切り包帯男を踏みつけて屋根に戻る。その着地点には自衛官の挟撃が抜かりなく走って死神の体に幾筋もの傷を刻みつけていた。


 丸金は障害物を避けて広く見通しの良い場所に飛び出す。

 仇を前にしながら死神が明らかに行動を中断した。化け犬が追従していたことで小柄な花の異形が第二変貌を遂げた少女だと判る。カマイタチという死神はシザーと違って純粋に遭遇した全てを殺し尽くす者だった。死神が仮にまだ人間を残した変貌途中だとしても、あの茉莉を変貌させるきっかけを作ったのは間違いなく死神自身だ。


 それなのに、

「茉莉さんを庇っ、た……?」

 敵側につけいる隙を与えてまで。


 死神の首にワイヤーがかかったと同時に包帯男が全身全霊で下半身に組み付いた。

「これで!!」

 終わりへの確信に喜色を上げたワイヤー使いが、両足を纏めて捕らえていた包帯男と上下の位置を反転させた。地面に散らばって半壊した凶器が頭を砕き、屋根に仕掛けられた鋭い残り刃が首を掻き切っていた。

 惜しいところまで差し迫った忍びが潰えたと同時に、村上は躊躇いなく小銃を捨て拳銃一つで死神の懐に飛び込んだ。トドメ直後に生じるであろう防御に転じる遅れに賭けた。銃口が死神の心臓に触れかけた至近距離でも死神は引き金に先んじて拳銃を払いのける。そこに仲前が村上に体当たりをかまして命を刈り取る一撃を回避した。


 遂に直接対立しかけたところで地底から井戸の縁に老人が飛び乗った。最初に姿を消した老人は、視界から確認できる範囲に転がるいくつもの死体を見つけて溜息と共に鎖鎌を手にする。初めに見せた人好きのする笑顔の欠片すらない能面で抑揚のない声を吐き出す。

「遅きに失したか。時期外れの祟り神、生け贄の脱走、どこぞの精鋭部隊では悪条件が重なり過ぎた。忍びの道が時代ではなく内輪揉めで瓦解しようとはな」

 枯れた体に見合わない身軽さで老体が屋根に登る。半壊した村を見通せるだけの灯りはないが、それでも老人は戦況を正しく悟ったのだろう。

 死神は仲前の銃弾を躱して垂直に壁を駆け上がると老人と同じ高さに足掛けた。


 体勢を戻した村上はいくつか指を失い血を吹き出しながら因縁の対峙を冷たく見上げる。隣に立つ仲前も地面に血溜まりを作る満身創痍だ。

 敗戦濃厚の空気に息を詰めた丸金はこの死神とも唯一同等に戦えであろう布引を探したが、その姿は老人と対峙する死神よりも向こう側で静かに構えを解いていた。そして丸金の視線に気づくとゆるりと微笑みを送るのだ。そこで布引は死神の復讐劇に横槍を入れるつもりがないのに気付く。


 死神は老人を難なく殺すだろう。

 カマイタチが変貌した月日から数えれば十年。終止符を打つためにここまで来た祟り神は、復讐を終えた後は何処へ行くか分からない。目的を失った魑魅魍魎の辿り着く先は記憶の歪んだ執着だ。ひとたび鉢合わせればカマイタチの如く全てを狩り尽くす死神に転じる。

 ここが丸金の正念場だ。

 いつもは迷う正解も今回ばかりは簡単だ。使命をまっとうするには機会を待って顕現を解くだけで良い。

 取り返しのつかない後悔を再び繰り返さないように、失敗を繰り返さないように、考えるのも悲嘆にくれるのも全ては後だ。

 己にしかできない役目をまっとうすべきなのだから。


「違う」


 記憶を逆巻く言葉の渦が理性の出した正解を否定する。

 死神がこの復讐をいつの時点で計画したかは知りようもないが、離脱する機会をうかがっていただけなら荒妻として余計な行動をとり過ぎていた。全ては術者である丸金を惑わせ、顕現を解かせないため塗り固められた嘘だったのか。

 優しく冷たい血で汚れた手を思い出す。

 地下でよろめいた丸金に手を伸ばした雨継は村上が止めなければ何をするつもりだったのか。

 カマイタチが変貌した理由を確信した時に丸金を呼び縋りついたのは。

 悔やむ丸金を慰めて頬に伝う涙を拭ったのは。

 下から見上げた顔がいつも優しく感じられたのは。


 変貌者は人間に戻れない。

 だが、あの死神にはおそらく理性が残されている。

 望月は誰もが手遅れだと判断する状況で変貌を引き止めて見せた。

 丸金にあの強い怨念を削り取れるだろうか?


 一つの答えが脳裏にこびりついて離れない。

 乙未が、雨継が、荒妻晋作が、復讐よりも優先させた唯一はある。一瞬でしかなかったが、それは確かな勝ち筋に見えた。丸金が出した答えはいつも失敗に終わってきた。大人がいつも先に正しい答えを出しているのに逆らった結果で泣きをみる。いまだ正解らしきものに飛びついて成功した試しは一度もない。

 ここで諦めるのが潔く正しく賢いのだろう。


 丸金は拳を握って前を向く。


 村上の袖を強く引けば煩わしげな顔が振り返る。それでも丸金は怯むことなく激しく火花を散らす殺し合いの真逆を指した。

「私を殺すつもりで派手に、凄く高く、危なくて遠い場所に投げてください」

 罠の残骸に不発の凶器が飛び散った地面が広がる所が良い。

 口を軽く開いた村上は、視線を丸金から斬り合いに流し、静観する布引の配置まで把握してから戻ってくる。そして説明のない子供の思い付きを問い詰めるでもなく不敵に笑った。

「いいぜ。なんせ俺はご主人様の忠実な下僕だからな」

 躊躇いの欠片もなく手首を強く握り締めると、怖気づく間も与えずに足を浮かせ遠心力で円を描く。

「舌を噛むなよぉ」

「ば!?」

「えぇぇくすとりぃぃぃむ」

 その場で同じく言葉を聞いた仲前の思考は追いつかない。

 回転が増すたび強い遠心力で血の気が全て外側に押し込まれ、「たっかい高あああああああい!!」場違いな声を合図に手が離された。


 投げ出された丸金の視界が上下前後もなく回る。


「あ」


 一番遠くで布引が叫んでいる。


「ら」


 鍛え上げられた自衛官の力でもっても滞空時間はない。


「つぅ」


 茉莉のように片手間では助からない。少しでも躊躇えば間に合わない。


「まぁ」


 十中八九が自殺賭け。




 それでも、丸金は助けに来る方へ確信をもって全てを賭けた。




 死神の顔が歪む。

 老人の鎖鎌を外に跳ねて無防備な喉元に手が届くその瞬間に、強く踏み込んだ足先が屋根を大きく陥没させながら踵を返す。

 目で追う人に姿を見失わせてしまうその俊足は、人の領域を超えてカマイタチと呼ばれる怪異の如く風を切った。落ちていく少女の小さな頭が地面ギリギリを掠めても、いつかのように黒く染まった腕が下に滑り込んで胸の中に包み込む。頭から飛び込み受け身もままならず背を丸めて激しく地面を横転して土煙を舞い上げた。


「……さん」


 下敷きとなった荒妻の首に巻き付いて全力で捕まえる。死臭と滑りのある不快な感触が全身に染み込んでいく。

 転がった地面には大量の血痕が後を引き、肉を裂いた凶器が土の中からいくつも突き出していた。地面に赤い血溜まりが滲んで広がっていく。その凶器のどれもが少女の血は吸っていない。指先一つも擦りはしなかった。手首に残った青い手形だけが唯一の代償だろう。


 丸金の勝ちだ。


 いくつもの垣間見えた情報を拾い集めて選び抜いた作戦が大きな実を結びつけた。

「私を、置いて、いかないで」

 散々連れ戻す事を悩んだその人は丸金が縋りつく手を強めると、うつろに暗闇を見上げながら痛む腕を持ち上げて壊れ物を扱うように慎重な手つきで丸金を抱き締めた。

 抱き締めたのだ。




 倒れ伏したまま動かない死神を見下ろした仲前は無言で村上の後頭部をひっぱたく。

 されるがまま受け入れた村上は「極限小悪魔ムーブでサイコパスにごり押し勝利。悪くねえ作戦だった」と減らず口を吐き出した。

「ガン無視決めこまれたら大戦犯だったんだが?」

 仲前が罵倒と共に折れた歯を吐き捨てると、村上は冗談とも本気ともつかない声音を紡ぐ。

「どっちにしろ勝負は勝ったさ。地下に残ったメンタル不明の望月ちゃんに、不確定要素の布引ちゃん、変貌確定の荒妻ちゃんまで不安要素がそろったらリセットすんのが安全策だ。村が全滅した後にマルが死ねば、生き残るのは人間であるお前だけになる。後は重要な情報を持って帰れば丸損ってことはなかっただろ」


 不穏な内容にうんざりして仲前が黙ると、次は生きて大地を踏んだ老人を振り返る。老獪な最後の忍びに戦意はない。薄い表情の中で目を見張って少女に囚われた死神を眺めていた。仕切り治して襲い掛かるわけでもなく力なく倒れ伏した死神と、変わり果てた村と、死に絶えた忍び衆を改めて見渡した老人は、この結末に浮かされたように呟いた。

「……生き、残った、のか?」

 老人の背後で布引が大きく体を捻る。


「許すものか」


 人の頭が真横に飛んで血の一文字を引く。

 血を吹き出しながら遅れて枯れ木が倒れると、布引は一番高い木の頂に淡く咲いた茉莉花を見上げた。光る粒子が黒い風に乗って流れる。つかず離れない場所にいる茉莉に寄り添う化け犬の触手が吹き流しの様に周りをそよいでいた。

 井戸から腕を突っ張ってよじ登ってきた望月が光に誘われて天上に咲く花を見つける。眩しそうに眼を細めると花も応えるように粒子を増した。


 仇討ちの終結だ。







 村上は仲前だけを連れて地下へ戻った。爆発やなんやで大穴が開いたおかげで、井戸を経由しなくとも簡単にそこまで辿り着くことができた。

「夜明け前にこんな薄暗い所に連れ込みやがって、どんなお楽しみが待ってんのかドキドキで気絶しそうなんだが?」

「楽しめるかどうかは素質次第だが、正義の味方及び女子供は見学すらお断りのハードなR仕様らしくてな。ここは是非とも男二人で確かめずにはいられないと思い至り」

「嫌な予感しかしませんなあ」

 心底嫌な顔で銃を抜く。


 辿り着いたのはこの世の地獄が隠された家畜部屋だ。

 雨継が確認させなかった部屋は鍵もなく簡単に入ることができた。中には四つん這いの裸婦が六人、両手両足を切断され、知性を持たない顔を垂れ下げ、大小腹を膨らませて孕んでいる。この女達に生贄の子供を作らせていたのか、異変前から続けてきたように次世代を紡ぎ続けるつもりだったのか、答えを知る村人は既にこの世を去っている。

 手前の女は床に置かれた餌箱から当たり前のように犬食いをする。縫われた四肢を不自由そうに動かして這いまわる女達の姿に、改めて勾月村の狂気を見た。この扱いを受けても変貌していないなら狂ってしまったというよりは情緒自体が育っていないのだろう。


「これを人間として数えるなら忍者村の生き残りと呼ぶべきか? 厄介なもん見つけやがって」

「とはいえ、俺のご主人様はすべからく救済をご所望なんでね。飼い主を皆殺しにした以上は放置するわけにもいくめえよ」

「人殺しのサイコパスには許しを与えながら、悪党は皆殺しにする裁量次第の救済だろうが」

「白だ黒だってガチガチな色分けに拘ってたんじゃ近い内にハゲに変貌しちまうぜ。マルの理想は灰色なんだよ。矛盾だらけで、都合が良くて、我が儘で、一生懸命バランスの良い答えを探し回ってる。結構な事じゃねえか。嫌いじゃないぜ」

 気分の悪いグロテスクな光景に嫌悪感を隠せない。

「人間として生きることができない異物は基地じゃ排除される。せいぜい処分する前に胎児を取り上げて保護するくらいが関の山だ」

「それじゃ女共の救済とは言えないし、ご主人様にはとても言えた顛末じゃない」

「ここに残していけば餓死か共食い。野生に返したところで自活能力はない。お前に限って化け犬の時みたいに連れて行くなんて言うわけじゃねえだろ」


 ある程度育った人間に叡智を与えるのは難しい。情緒が育ち、言葉を理解する能力を有した子供とはわけが違う。文明的に専門家が残って保護をするならともかく、衰退した世界では本来の人間に戻るのは不可能だろう。ましてや切り刻まれた体では殺戮者から逃げるのもままならない。


 近づけば逃げようとする女の後を村上はゆっくりと近づいていく。

「状況を理解する知恵はなくても痛みなら生まれながらに理解できる。生存率として考えるなら自活できるように作り変えちまうのが最善だろうな」

 仲前は汚い壁にもたれかかると煙草を咥えて火をつけた。一口目の煙をゆっくりと吸い込むと細長く煙をくゆらせる。

「手伝わねえぞ」


 痛みは容易に絶望を掻き立てやすい。言葉が通じない分だけ暴力は直接的で見るに堪えなかった。腹だけは狙わないのが逆に滑稽ですらある。蝙蝠と同じやり口、同じ所業だ。


 仲前は不愉快な人助けを眺めながら思いつくままに話をする。

「村上海舟って奴は、国を守る為なら私情を殺して捨て駒にもなれる。酷い扱いを受けたところで怨みつらみに囚われたりもしない。ただし、ひとたび悪役が必要とあらば粛々とスポットにもはまれるわけだ。そんな奴が人間を救済しようと独断で突き詰めちまえば合理性だけのクソみたいな答えを捻り出しやがるわけだ。確かにお前は善良な子供を指針に添えてるのが丁度良い」


 変貌者は暴れる個体がどうしたって目立ってしまうが、雑草と変わらない無害なものも数多く存在する。多様な姿でありながら群れも多く確認されているが同士討ちは表立って報告されていない。ひとたび変貌して新しい何かになれたなら女達の生存確率は随分とマシになるだろう。

 百鬼夜行の溢れる世界では変貌者こそが新人類だ。


 仲前の体に震えが走る。


 村上は何があろうと芯を曲げず、絶望するような人種ではない。突き当たった壁には死ぬ間際までトライ&エラーを繰り返し、網の目をかき分けて活路を開く。転んでもただでは起きず、行動には大抵何かしらの意味がある。

 蝙蝠が何故、直接殺そうとはせずに仲前を絶望させようとしたのか。丸金をしつこく嬲ろうとしたのか。村上を知る仲前だからこそ真意にまで辿り着いた。

「あの野郎、まさか人類を変貌させて生存者を増やすのが目的か!?」

 変貌していく世界自体を止めることはできやしない。その条件下でどうすれば大勢が助かるか考えたなら、生き延びることを最優先に行動するのなら、あらゆる存在を満遍なく生かそうとしたのなら、殺傷力の高い兵器を扱う人間を間引き、殺意の強い個体だけを排除すれば総数としての人類が大勢助かることになる。


 ギューギューという泣き声が鳴き声となり、この地獄から逃げ出そうと頭から胸までが真っ二つとなり翼になって自らの力でもって空に飛び立っていく。







 世界を救うなら死神を始末するより手っ取り早い近道があるっつったら、お前さんどうする?

死亡順に勾月村の忍び衆 名前:死因

テイボウ:頚髄損傷、脳挫傷

シンシ:顔面陥没、脳挫傷

キユウ:ヘッドショット

コウシン:ヘッドショット

シンチュウ:焼死

コウジュツ:爆裂

コウシ:ショック

ヘイシン:窒息

ジンイン:出血多量

テイガイ:脳挫傷

ジンゴ:首刈り

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ