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 興奮した荒い唸りを含んだ息遣いで茉莉は布引の肩に容赦なく嚙みつく。会話が届かない程度の距離まで来ると、布引は立ち止まって少女を包み込むように抱き締めながら頭を撫でる。

「びっくりしたねぇ。よしよし」

「ふー! ふー!」

 怒りか悲しみか、茉莉のやせ細った軽過ぎる体は震え続けていた。


 成り行きに任せれば茉莉が変貌する。


 直感が布引の体を押した。茉莉の感情はバックドラフトだ。燻って小さくなったように見える炎が強い気流に触れた瞬間に爆発して膨れ上がり巨大な炎となる。それが単なる罵詈雑言で済むなら良いが、未熟な少女が吐き出しているのは明らかにSOSだ。望む相手から求めた答えが得られなければ絶望に触れる。

 因縁の再会が最悪な条件で果たされた事を偶然で片付けられない。布引の脳裏には蝙蝠の干渉が過る。そもそも勾月村の名前を最初に出したのが誰だったのか考えれば全て罠だったと断言すらできる。


 布引は努めて穏やかに茉莉の心に踏み込んだ。

「あんなに緊張した羽秋さん初めて見たよ。茉莉は、特別なんだね」

 憎悪の燃える目が布引を睨みつける。

「あんた、あいつの女なの」

「違うよ」

 地を這う様な声に即答すれば嘘を暴き立てようと視線が絡みついてくる。これ以上は弁明しない。真偽のつけようがない他人の吐く言葉など茉莉には価値がない。

「私達は鬼退治に集められた精鋭部隊なんだ。犠牲者を大勢出している怖い殺戮者をやっつけてってお願いされちゃってね。なんせ私は世界最強だからさ!」

 しばらく敵意に満ちていた茉莉は険しい顔で視線を降ろした。

「……ばっかみたい」

「そうかな? 茉莉を助け出す為なら八岐大蛇やまたのおろちだって仕留めちゃうつもりなんだけれど」


 本来なら時間をかけて空白の時間を埋めていくべきだろう。本来なら望月は丁寧に茉莉に寄り添える人格者だ。ただ圧倒的に猶予が足りない。いっそ気絶させて問題を片付けてしまうべきかとも思う。子供達に与えられるべきなのは冒涜的な地下牢ではなく、お天道様の見える安全な地上だ。こんな場所で心が上を向くものか。


 声に出さず「どいつも、こいつも」と暗闇に憎悪を吐きだす。そのまま淀んだ空気を吸い込んだ布引は笑みを深めていつもの自分を作り出す。

「ねえ、茉莉。少しの間だけ私の仲間の悪口を聞いてくれるかな」

「はあ?」

 怪訝そうな茉莉が否定を口にするより早く布引は身を乗り出す。

「顔に傷があるおじさんいるでしょう? 私、あの人と大喧嘩中なんだ。朝には取っ組み合いもやったよ。話し合いで決着がつかないならぶっ飛ばしてやろうってね。止めてくれってお願いしたことばかりやるんだ。なんだか腹が立ってきたから脇腹の傷でも小突きにいこうかな」

「大人のくせにガキみたい」

「茉莉は大人なんだね。私はいかに村上君があくどいか触れ回ってやりたいよ。丸金が正解に固執しているのを解ってて大人でも辛い我慢を強いるところや、あの子が私達に罪悪感があって逆らえないのを知っていて意地悪するところ、あの子を早く大人にしようとするところ。到底分かり合えない」

「その話って、あたしに関係」

「関係はあるよ。茉莉は私と村上君どっちが悪いと思ったかな?」

「そんなの知るわけないじゃない!」

「そうだね。羽秋さんも君の語るご両親の悪事を知らないんだ」

 少女の口撃こうげきが止む。

「やっぱり思い知らせるべきじゃないかな。だって、こんなに茉莉が悲しくて寂しい想いをさせられたのに、知らないから普通の親を想像して否定したんだ。羽秋さんに謝らせたいじゃないか。茉莉を手放した事を間違いだったと認めさせたいじゃないか」

 傷だらけの小さな手を握り締めて噛んで含める様に誘導する。


 望月が想いを受け止めた事を感じれば、茉莉もきっと望月の答えに耳を傾ける。答えさえ間違えなければ茉莉を絶望から掬い上げられる。


 うつむいた茉莉は薄く口を開いて、唇を噛み締め、布引の手に爪を立てる。




「あたしは」




 中学受験に受かった。

「茉莉頑張ったわねえ。今度のお休みはお爺ちゃんお祖母ちゃんも呼んで家族みんなでご馳走食べに行きましょうね。盛大にお祝いしなきゃ」

「ご褒美も買わないとなあ。茉莉は何が欲しい? そうそう、入学してからの小遣いは成績の頑張りに応じて変動制にしてやろうって母さんと話しててな」

「うん、ありがとう。楽しみだなあ」

 笑顔をおくれば笑顔が返ってくる親子のそろった暖かい食卓。

「お嬢様、夕食のお味はいかが?」

「もちろん美味しいよ!」

「今日は茉莉の好きなものばっかり作ったからね」


 でも一番好きな塩辛だけは食べさせてもらえない。茉莉の父親ではなくなった男がビール片手に食べていた光景が思い浮かぶから二度と見たくはないのだと。呼び出しだ、出張だ、泊まり込みだと家にいつかないから落ち着いて座っているような姿は特別で、嬉しくて横から身を乗り出して口を開ければ「少しだけだぞ」と舌に乗せられるのは特別な味で。


 ガリ、と音がして箸先が折れる。

「あ! また箸を嚙み砕いたりして」

「いい年になって行儀が悪いぞ、茉莉」

 口から箸先を摘み出す。

「ごめんなさい。また駄目にしちゃった」

 いつから始まったのか忘れてしまった悪い癖が治らない。今までの欠片を集めたら小瓶いっぱいに溜まるだろう。いくつ噛み砕いたのか数えきれない。止め方が分からない。


「茉莉は反抗期もない育てやすい子で」


 幼馴染で何年経っても新婚みたいに仲良しなオシドリ夫婦に囲まれた幸せな家族。


「我が儘を言わない思いやりのある自慢の娘です」


 幸せにならなければ、我慢をしなければ、日常に交じらなければ、そうしろと大人が言うから。


「最近、おかしな事件が増えているから学校へは父さんが車で送り迎えするから」


 愛されているのに不満なんてあってはならない。


「お義父さんがお義母さんを丸のみして、なんとか車に乗り込んで、和也かずやにはなかなか連絡がつかないから私、怖くて!!」


 これは幸せ。


「……鞠子まりこと茉莉だけでも無事で良かった。希望を捨てるな。家族三人で支え合っていくんだ。俺が、ついているから。俺が最後まで守っていくから」


 本当に?




 異変が起こってから逃げ回る日々。人から奪って、ある物は盗んで、もう正義なんて言葉が死んで久しいあの日がきた。

 押し付けられるような他人もいない。車もガソリンが尽きて徒歩での移動。運悪くおかしなモノに目をつけられて追いかけまわされた。ベトベト張り付くような足音は人や動物ではなく、全力で撒こうとしても一向に距離が開かない。

 余裕のない父親に握り締められた二の腕は皮膚が裂けそうな程に痛く、末端は痺れて感覚がない。足がもつれて膝を擦っても歯を食いしばりながら茉莉も必死に走った。曲がり角で遠心力に振られて見えた背後で垣間見えたのは人の皮を着ぐるみの様に被った何かだ。左右に跳ねてジグザグと奇妙な動きで笑い声を上げている。

 最後尾にいた母親は貴重な荷物を投げ捨てて先頭に躍り出た。

 追いつかれたら最後尾にいる茉莉からどうにかされるのだろう。どうやって殺されるか想像しながら、それでも腕の痛みだけを信じて足を動かし続けていたのだ。

「もう駄目だ。これしかない。これしかないんだ」

 父親は切れる息の合間に追い詰められる様にずっと何かを呟いていた。意味を尋ねたり疑問に思う余裕もない。後から思えばそういう意味だったと理解できた。


 父親は握り締めていた茉莉の腕を手放した。酷い姿勢で投げ出された茉莉は容赦なく頭を岩壁に打ち付けて意識が白く飛ぶ。

「あぐっ!」

 異変に気付いた母親の足が鈍る。

「あ、え、ああっ!?」

「止まるな! 立ち止まるんじゃない!!」

「だって、そんな、貴方」

「辛くても進むんだ!」

 母親の暗い目が一度だけ茉莉を振り返り、父親と手に手を取り合って泣きながら一目散に逃げていく。


 視界が霞んでいく中で化け物がついに追いついて足元に転がる茉莉を見下ろした。

「きょきょ、きょ、きょお」

 周囲を跳ねまわる化け物がいるのに先程まで全身を支配していた恐怖は何故か消えてしまっていた。腕の痛みと共に恐怖を父親が持って行ってしまったのだろう。


 捨てられた。


 立ち止まった化け物が意識の薄れていく茉莉の顔を覗き込み、人皮の穴の奥にある本当の口を愉悦に歪ませると体を捻って逃げていく獲物を追いかけ始めた。化け物の口は人間に似ていた。茉莉を丸かじりしたり食い破ったりできそうにない小さな口だ。人皮から覗き見えた肢体も人そのもので手に持っているのは金槌だった。


 意識が黒く塗り潰されて、何も考えられなくて、次に目を覚ましてからも思考は動きださなかった。無事を確かめるために両親が戻ってくるかもしれない。仕方なく置き去りにした娘の死体を弔いに来るかもしれない。

 化け物が戻ってくるかもしれないのに茉莉は目覚めた場所から動かなかった。はぐれた場所から動いてしまえば二度と会えないかもしれない。

 待っている間に傷は乾き、怒りが胸をジクジクと腐らせていく。

 それでも、泣きながら抱き締めて謝るなら罵倒しながらも許そうと思った。仕方なかったと、そういうつもりじゃなかったと言い訳すれば信じても良い。

 後悔さえしていれば。茉莉を拾いに来れば。戻ってさえ、来て、くれれば。




 飲まず食わず眠らずに三日待った。

 周りに現れた化け物は何故か茉莉を素通りしていく。小さなぬいぐるみの群れが茉莉を見上げて嘲笑って仲良く離れていく。

 何かが折れる音がして、潰れていく感覚がして、ようやく茉莉は立ち上がった。助けにも、弔いにも来なかったとは考えたくなかった。だから茉莉はこう考えた。


 死んだに違いない。


 ざまあみろ。


 置いていかれたあたしの方が生き延びたんだ。


 茉莉は何日もかけて廃墟となった家に戻り数日を過ごした。時々悲鳴や魑魅魍魎の声がしても何も感じなかった。何を食べて何をしていたか思い出せない。間延びした不気味な声が「たっきゅぅぅびぃんでぇす」と一日中玄関を叩いても起き上がる気にもならなかった。


 そこで不意に思い出したのは父親だった男だ。


 家を引き払って祖父母の家に出戻った事は知っている。幼児の頃に遊びに行った遠方の田舎はうろ覚えだが覚えている。乗っていった電車はもう走っていない。

 自転車にまたがって廃墟を走った。

 何故か化け物は茉莉に興味を持たず襲ってこなかった。誰にも見えない透明人間になったようだった。町から出て山道を走ると化け物に出会いすらしなくなる。人間から変貌した化け物は慣れ親しんだ場所から離れ難いらしい。不気味で人気のない場所ほど化け物は現れなかった。代わりに人間らしい食べ物や雑貨は手に入らない。木の枝を齧り、蛙を食べ、土を食べた。病気になっても運が良ければ死なないもので、茉莉は見覚えのある田舎の廃墟に辿り着いた。


 静かな家屋に蔦が伸びて、腰まで埋まる高さの雑草が庭を埋めている。舗装されていない道を進むと古臭く慎ましい家がある。明かりの灯らない寒々しい家だ。開け放たれた玄関には干からびた人間が二体いた。もはや元の姿など分からない。祖父母だったものかもしれない。


 大きく息を吸った。

 叫ぼうと思った。

 肋骨が浮いて薄くなった腹が裂けても良いから全力で化け物を呼び寄せて終わらせようと。


「わん」


 家の中から現れたのは薄汚れた白髪の交じった老犬だ。弱い足取りでミイラを迂回しながら歩いてい来る。茉莉に向かって来た犬は襲い掛かってくるわけでもなく茉莉の周りを嗅ぎまわると、尻尾を緩慢に振って家に戻りながら、振り返った犬は茉莉を歓迎するようにもう一度「わん」と鳴く。

 死への衝動が萎んだ茉莉はフラフラと家に吸い込まれていった。

 犬が入っていた和室に何も考えず土足で踏み入ると、テーブルや床にはアルバムや写真が散乱していた。白黒であったり、色褪せたものがほとんどで、汚れたものまであった。

 その中には当たり前のように幼い頃の茉莉がいた。額縁の中に、壁に、比較的真新しく可愛らしい装飾のついたアルバムの中に。父親を止めた男と共に。

 頬を伝った雫が畳に黒い染みを作る。




 布引を睨みつける瞳から黒い涙が零れ落ちた。

「あいつの所に連れてって」

 黒い涙は布引の腕に落ちると皮膚を溶かして焼き焦がす。布引は衝撃に総毛だち、目を見開いて茉莉を凝視する。

「見えないところでボロが出る。隠れて盗み聞きする。協力するんでしょ。あいつが何を言うのかちゃんと聞いてやる。それで、全部、終わりにしてやるんだ」

 言葉もなく布引は茉莉を抱きすくめて自分の肩口に顔を埋める。直視しなくても滲む涙が服を焼き皮膚を蝕んでジクジクと現象の答えを告げてくる。人間は黒い涙を流さない。




 村上は張りつめた空気に構わず手を叩いて動き出す。

「ろくでもねえ秘密で結構だ。純粋な悪党がハッキリしてりゃ心置きなくやれるってもんだろ。謎解きはもういいな。そろそろ俺達も脱出の段取りを進めるとしようぜ」

 化け犬を持ち上げた村上は水面に潜る触手を限界まで手繰り寄せる。何処かに引っ掛かっているのか触手は伸びきったまま張りつめており、村上はそれを引っ張って確かめた。大した力は加わっていないが、何度引っ張っても触手は縮まず伸びきっている。


 黙ったまま見つめ合う雨継と望月に、身じろぎもできなかった丸金は躊躇いながら首を捻る。村上は触手を引っ張るだけ引っ張ると溜息をついて化け犬を手放した。水面を覗き込んだ化け犬は水面に浮かぶ蜘蛛を叩いて沈めていく。

 雨継は村上に流し目で話しかける。

「脱出の糸口を見つけたんですか?」

「もちろん。離れていても俺は相棒と疎通できる手段を持っているからな。後は果報を寝て待つばかり、と」

「ああ、もしかしてモールス信号かな。本職ですもんね。脱出口を作る気か。じゃあ本当に脱出しちゃいそうだなあ」

「まるで地下にいつまでもいて欲しいみたいな言い草だなあ」


「物語の結末に水を差しそうな観客は遠慮してもらいたいんです。全て終わればご自由に。夜明けまではかけないんで」


 話の見えない丸金は何故かピリピリと緊張の解けない空間に首を縮める。静かに思考の海に沈んでいた望月は雨継に強い視線を向けた。

「君の正体が分かった」

「こんな時に僕について考えていたなんて。僕の素性がなんの打開策になるんですか? 茉莉さんの事はもう成り行きに任せるつもりかな」

「最初に絡んできたのは君だろう」

「親切のつもりでした。茉莉さんに少しでも情があるなら残酷な所業に殺意の一つもわくものかと」

「あの子との関係を遺体に取り持ってもらうつもりはない」

「素晴らしい心がけです。まるで理解できない。やはり貴方は僕や茉莉さんとは性質が違うんでしょうね。そんな貴方だからこそ明確な殺意でもって仇を討てば茉莉さんの気も晴れたでしょうに」


 戸惑う丸金を村上が自分の背後に下げて銃を抜く。目を剥いて丸金は雨継を凝視する。羽織の下に隠れた両手は腰の横に垂れ下がり無抵抗にしか見えない。

「やはり優先順位は場を引っ掻き回す君が先だ。茉莉を自分の足止めに使おうとしているだろう」

 薄く不気味に笑うだけで雨継は反論しなかった。

「思えば、菅原君の顕現術は変貌前という指定だけで巻き戻った日時に統一性がなかった」

「え!?」

 突然引き出された丸金は大きく反応する。

「自分の最期の記憶は春だったが、布引君は服装から夏だと分かる。記憶もそれぞれズレがあるのを感じてはいたんだ。だが、死神が話題に上った時期故に全員が異変以後に変貌していたものと思い込んでいた。誰も君を十年前の変貌者だとは考えなかった」


 前触れもなく水路側の壁が鈍い音を立てて爆発する。破片は大して飛び散ることなく器用に壁だけが崩れ落ちて真っ暗な縦穴が現われた。望月が通ってきたという井戸への横穴、器用な仲前が作り出した脱出口だ。


「城で動揺していたのは遺骨を見たからだ。君は姿を消すタイミングを見計らい、妹の仇を討つ為に勾月村に戻った。ここで探していたのは妹の末期、加害者の確定だ」


 張り付けた笑顔がうつむいて表情が隠れる。羽織が肩から滑り落ちて床に落ちた。その下に隠れていたのは数多の暗器だった。音がならないよう体に沿わせて隠されたクナイや心臓を一突きにできそうな長いアイスピック状の何か、人を殺す為の道具だ。


 檻の中でもそうだった。彼はその場にある物をなんでも人殺しの道具に変えられる。そういう技術を必要とする仕事だったから。


「こちらを排除しようとした動機は、人間相手なら自分が和解を持ちかけるのが想像できたから。そして戦況によって彼らは保身の為に恭順すると考えた」


 身動きも難しい檻の中から手を伸ばして丸金の頭を撫でた。人を助けたいという想いに応えて監視の命令を無視してまで走ってくれた。ヘリから身を投げた丸金を全身全霊で受け止めた。幼児を取り込んだ鬼子母神の相手も無茶を承知で飛び込んでいった。いつも丸金を否定せず願う通りに力を奮って味方してくれた。


「その結末だけは許さない。連中は俺への見せしめに何も知らない乙未きびをいたぶり殺した。やった事は命であがなわせる」


 地を這う様な低い声と共に上げた顔は、帽子の落ちた全容は、黒く皮膚が侵食して指は鉤爪に変貌していく男は。



「荒妻さん?」



 呼ぶと一瞬交わった目が、すぐに天井の穴を見て指を差した。

「パパはやっぱり仕事を優先。茉莉は二の次だってさ。残念だったね」

 化け犬が上を向いて今までになく激しく吠える。布引の「駄目だ!!」という悲痛な叫びと同時に、全身に針を突き立てる様な殺意が背後で膨らんだ。

「ああああああああああああああああ!!」

 柔らかい心を無遠慮に潰された少女の悲鳴も怒りも織り交ざった叫び声は、間延びして捻じれて人ならざる異音に変わる。肉が潰れて変形して色を変えていく。

「あたしは理想の家族を叶えるだけの道具だった! あの男はママだけを連れてった!! ママは悲劇ぶって迷わずあたしを捨ててった!! あたしは、こんなに可哀想なのに、誰も、仕返しすらしてくれない。誰にも大事にしてもらえない。もう、いい、何にもいらない。もうあたしなんていらない!!!!」


 茉莉が。


「どうして」


 荒妻が。


「待って……なんで、待ってください」


 変貌する。

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