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悪属

 真っ直ぐに村上を見る丸金に満足した村上は、「よっと」馬乗りから横にずれて少女を解放した。体を捻って起き上がった丸金は、すぐさま治療用具入りの鞄に飛びついて村上の元に駆け戻る。

「手当て、村上さん手当てしないと!」

「しばらく流血してる方が良い具合にトラウマを植え付けられるんじゃないかと思っとるわけだが」

「もう間違わないので許してください……」

「しょうがねえな。安全性のカケラもない所でいつまでも遊んでらんねえし」

 意地悪な薄笑いに丸金は酷く安心感を覚えてしまう。蝙蝠とは違う。この大人には意地悪もされるが意見を違えても本当の意味で突き放されることはないのだ。

 そう、誓い通りに。


 伸ばされた手に渡そうとした鞄が、受け取ろうとした村上の手が、すれ違って丸金の手首をつかむ。

「え?」

 遠慮のない力で退き倒されるように座っていた村上と位置が入れ替わる。立ち上がり背中を向けた村上が拳銃を引き抜く。

「誰だ」

 古い廊下の床板を軋ませながら一人分の足音が近づいてくる。安堵させる返事はない。

 唯一の戸口に銃口を向けた途端、仏壇しかない背後で扉の開く音が鳴る。村上は迷う事なく銃弾を撃ち込んだ。瞬目の間にも関わらず弾が貫いたのは開かれた仏壇の中心。

 外が見える。

 仏壇の中には棚も飾りも無く、弾は素通りして薄暗くなりつつある外に消えていった。


 外に誰か立っている。


 大きく床板を軋ませて戸口に笑顔の片岡が現れる。手には端に分銅のついた長い鎖を携えていた。

 目を奪われた隙に仏壇の小窓から、関節を感じされない動きでぬるりと老人が部屋に侵入を果たす。その両手にあるのは草刈り鎌だ。


 村上は二度目を撃たず、引き戸と隠し扉から離れ、壁を背に挨拶を交わす。

「よう、爺さん。そんな物騒なもん持ち出してどうした」

 皺の刻まれた細面には好々爺たる表情はなく、感情の探れない無しかなかった。

 片岡もよく喋る男の印象を覆して一切を発する事なく、ただ大きく足を持ち上げて部屋の縁を叩き割る勢いで踏みつけた。古い縁は簡単に陥没して部屋全体を振動させ、足元から軋む音が酷く大きくなっていく。

 そして両側から村上に向けて凶器が向けられる。


「なあ、俺達の本当の目的を話そうか?」

 村上は軽薄な調子で老人に向けて銃口を振る。丸金は行動に迷い、とにかく自分の道具である呪符ノートを構えながら並ぶ顔を順繰り見比べ、不安そうに村上を見上げて指示を待つ。


「ここには荒妻晋作を探しに来た。お前達の正体を知ってるぜ、現代の忍者さん」


 丸金はハッとして男達を見た。

 老人は無表情のまま小首を傾げて考える様子を見せたが、会話となる前に丸金と村上の体が浮いた。


 視界がぶれる感覚で丸金が叫んだのは床板が落ちた時間差で一秒後。


 その声よりも早く背後の壁を打ち抜いて滑り込んできたものに丸金の体が力強く包まれる。ここまでが数秒。


「舌を噛むから口閉じな」

 落下しながら見上げた先には当然のように布引がいる。滞空から着地まで柔らかく抱え込まれながら轟音を聞く。

 砂埃が舞い上がるのを硬直したまま眺めた丸金は、隣から聞こえた村上の呻き声で慌てて手足をばたつかせた。

「ああ、え、うえ」

 丸金の方は衝撃で日本語は出てこなかったが、村上からは「ってえなあ! 豪華な忍者屋敷がよう!!」と威勢の良い悪態が飛んできた。


 優しく丸金の頭が撫でられる。

「怖かったね」

 薄暗い灰色の世界で土埃の臭いが舞い降りてくる。赤子の様に抱えられた丸金は布引を見上げ、若干引いた。

「な、なんで間に合ったんですか? あれ、悲鳴上げてから、あの、一秒くらいしか、経ってなかった、気が」

 村上が腹を強く押さえながら銃を持ち上げる。

「発砲してからは三十秒だ。あれは威嚇でも攻撃でもなく合図なの。俺の武器は銃弾じゃなくて絶対に十秒以内に駆けつけるって約束を破った布引ちゃんだったわけ」

 それでも異常だ。

「確かに遅刻したかも。ごめんね、丸金」

 実際の約束は声を上げてから十秒。丸金の感覚では約束の十倍早く駆けつけているわけで、障害物も密室もあったものではない。平然と常識を捻じ曲げてくれる大人に目眩がした。


「さて?」

 砂煙が収まってくると一方から薄っすらと揺らぐ光が見える。パラパラと上から降ってくるのは木屑か土くれか、屋根は地上に蓋をするだけで元の部屋がそのまま落下したらしく左右の壁もそのままだ。扉があった壁はコンクリートがしっかりと打ち付けられている。

「山奥の隠れ里に部屋ごと落下する大掛かりなアトラクションが隠されてる謎建築」

 光源に向かった村上は視界が開けて目の前に現れた腕も通らない枡目状の木枠をつかむ。向こう側には先の黒く塗り潰された廊下、燭台に揺らぐ和蝋燭わろうそく、不気味な何かの呻き声。

「ホラーゲームかな?」

 落とされた先は座敷牢となっていた。


 布引は丸金を畳に降ろすと膝をついて顔から足先まで無事を確かめる。

「怪我はない?」

「や、あの、私より」

 振り返った村上の腹から服まで血が滲みだしていた。蝙蝠に刺された傷が開いたらしく片手で強く抑えつけている。何より顔の流血が自傷とはいえ痛々しく目立つ。薄暗がりに隠された額に浮かぶ脂汗も布引の目には見えている。

「村上君も大丈夫?」

「とってつけた心配をどうも」

 まだ呼び名は苗字継続らしい。根深い確執にやきもき翻弄される丸金の頭をにこやかに布引が撫でさする。


 散らばった荷物を集めて布引が簡単な止血を施し直す。

 村上の腹の傷はパックリと開いたせいで服には血が滲み出すし、顔の傷は痕を残すつもりで広くしっかりと肉が裂けているからしばらくは血を垂れ流すしかない。顔に自分でタオルを押し当てて傷を圧迫しながら話を続ける。


「なんにしろ答えは出た。連中が黒だ。駆け引きはこっちの負け。見事に分断されたなあ」

「ど、ど、ど、どうしましょう!?」

「羽秋さんなら屋根を引き剝がして救出してくれるんじゃないかな」

「あっちは地上でドンパチ始める可能性が高い。自己申告の村人の数もガセだろうからな。しかも勝敗は人間相手に望月ちゃんがどこまで実力発揮できるか次第なわけでぇ」

 どうあっても倒された実績がない不死身の男はともかく、望月は変貌した蜘蛛男にまで立ち向かわず説得した男だ。相手が元々悪意のない相手だからこそ心は通じたが、殺意を持った複数になれば交渉の成立する隙がない。

「早く戻らないと凄く怪我をするのでは!?」

「苦戦が予想されるものの仲前が付いてんならあっちはギリギリどうにかすんだろ。とまあ、救出を待つのは愚策だ。時短したい布引ちゃんとしても大人しく捕まってる時間は惜しいだろう? ちょうど床下には探し物があるんだから同時進行と行こうぜ」

「久しぶりに異論がない」

 布引は指の関節を鳴らして首を巡らせる。




 座敷牢の木枠が廊下に向かって吹き飛んだ。縁をつかんで何度も繰り出される布引の蹴りが物理的に枠をへし折り脱出口を広げていく。壁にぶつかった破片が甲高い音を立てて跳ね返り鋭い銀色の断面を覗かせた。木枠の中には鉄芯が埋め込まれていたらしい。念入りに頑丈に人を閉じ込めようとする意図も超越した力の前では無力に転がっている。


 かなりの音だ。敵方にも脱出は知れただろう。今は静かでもいずれ対峙するのは避けられない。

 余裕のある大穴をくぐって廊下に踏み出した丸金は折れた鉄棒を拾い上げて強く握り締めた。

 廊下は左右に伸びていたが、布引は両耳に掌を当てて集中すると燭台を持って右に向かって歩き出す。

「近くに人の気配がするね。悪人にしろ床下少女にしろまずは先住民に挨拶だ」

 包丁を一振りした布引が先陣を切ると明かりのない背後は暗闇に飲まれていく。丸金が慌てて後に続けば、自然と最後尾の村上がゆったりと背後の警戒につく布陣となった。


 扉のない廊下は不規則に曲がり、一度、二度と道が分かれて直線になる。何処からか聞こえてくる呻き声の多くは恐らく人間ではない。


 魑魅魍魎が左右上下に潜んでいるかもしれない状況で颯爽と歩く布引の裾を丸金が無意識に強く握り締めると、前からのんびりとした声が飛んでくる。

「私の家は広くて古いからトイレに行くのを怖がる子達が後を絶たなかったよ。服をつかまれたり、手を繋いだり、プライドが高い子だと小さな子の面倒と称して集団に交じってきたりしていたんだ。聖なんて、夜に私を叩き起こしておいて先生が怖いだろうから付いてってやるよって」

 平穏な一幕を思い出して笑う布引は立ち止まる。

「それでいいんだ。危ないと思う場所には私を連れて行ってくれればいい。私がそばにいる限りお化けだろうが死神だろうが指一本触れさせないんだから」


 包丁が蝋燭の光を宿しながら三度煌めき、水と肉を叩きつける音が左右に飛び散る。紫の膨隆した肉塊が辺りの壁に付着して脈動しながら床に滑り落ち、小さな目玉が丸い体にいくつも蠢きながら溶けるように瞼を閉じていく。

 残骸と丸金の知識が繋がる。

「これ、め、目競めくらべ、なんじゃ……」

「変貌者か?」

「いいえ、種類は無生物に宿る付喪神に近くて、でも、でも恨みの籠ってるたくさんの死体がないと生まれない魍魎なんです。普通は、骸骨になるくらい長い年月をかけるって、同じ場所に死肉が集まらないと集合しなくて」

「つまりコレが生まれるだけの理不尽な死がこの村にはある、と」

 想像以上にきな臭い死臭が漂い始める。

 略奪を恐れての行動なら知る術はなくとも世界中で起きている事は想像に難くない。だが、望月の推理が正しければ近隣で足取りを隠匿された人間が複数いて、決め打ちをした村には確かに誘拐されたと思しき少女の姿があった。


 目的は?


 誘拐した少女の使い道は?


「考えたくもないよ」

 噛み締めるように布引は肉塊を超えて歩みだす。

 足元の魍魎は蘇った人間自身ではない。残留する憎悪に引きずられて生まれなおした何かだ。しかしその知識とて、八百万の魑魅魍魎の存在ではなく対策を目的とした著者が残したものでしかない。言葉を持たない魍魎に何が宿っているかなど。


 暗い廊下の先に燭台の灯りが一つ現れる。

「気配の正体が分かったよ。あそこは丸金が少女を見つけた家の真下だ」

 答え合わせをするように少女の声が耳に届く。


「あいつを誘い込めれば身代りにできたのにチャンスを不意にした! 逃げられなかった!!」

 答え合わせをするように少女の剣呑な声が耳に届く。

「そんなの四つ足で駆け回って蛙でも蛇でも食らってやるわよ。誰が死に絶えてもあたしだけは生き残るの。死体を踏み台にして、最後の一人まで生き延びてやるんだから」

 足音を潜め距離を詰めれば見えてきたのは座敷牢。廊下に人影はないが誰かと話しているらしく、低くおっとりとした声が交じる。

「そうですねえ。片手間で良ければさっきみたいに踏み台やっても構いませんけど、僕にも用事がありますから最後まで面倒みきれませんし」


 蝋燭の灯りが合流して明るさが増すと枡目状の格子が二重になって室内の陰影を曖昧にする。格子にもたれ手前にいたのはハットをかぶった羽織の男で、現れた武装集団を流し見ながら会話を続けた。

「本格的な脱出のお手伝いはこちらの方々に頼んでみてはいかがですか。強そうですよ?」

 最奥で床に伏せていた少女が両腕を突っぱねて上半身を持ち上げる。

「簡単に捕まった奴が役に立つのかしら」

「やあ、新しい被害者さん。到着早々災難でしたね。早速正面突破で脱獄ですか? 良ければこちらのお嬢さんも仲間に入れてあげてください。ここから出たいそうなんです」


 フラフラと近づいて目を凝らした丸金は薄暗がりの中に床下で見た少女を確認する。

「いた。やっぱり誘拐されてたんだ」

 つまり望月はあれだけの情報で被害者を引き当てたのだ。


 布引が膝をついて答える。

「私達は捕まったんじゃなくてわざと潜り込んだんだ。君達二人を助けに来た。今出してあげるからね」

 燭台を床に置いた布引は、振り上げた包丁でドアの隙間を垂直に穿つ。強烈な音と同時に座敷牢全体の鉄格子が粘土の如く歪んで分厚い蝶番まで弾け飛んだ。唖然とする周りを他所に扉はそのまま素手によって毟り取られる。

 羽織の男は口を引き攣らせる。

「先祖はゴリラの方ですか?」

「家系図には見当たらなかったかな」


 目を丸くしていた少女は表情を険しく戻して現れた大人達を値踏みする。

「助けにきたってどういうこと? あんた達なんなの。あたしがここにいるのなんて誰も知らないわ。ましてや助けに来る人間なんて誰も」

「ワンコがいました」

 元気に答えた丸金に少女が「はあ?」と声を尖らせるせいで丸金が委縮して布引の後ろにやや隠れる。

「し、施設に何人か攫われた痕跡があって、ラーメンがサンカで、ワンコが貴女の鞄を持ってて、足跡が隠されていた、ので」

「ねえ、もうちょっと賢く説明できないの」

 涙目で縮こまる丸金に代わって村上が注釈を入れる。

「こっちの仲間に優秀なお巡りさんがいたから遺留物で事件性に気づいたもんでね。上にいるお巡りさんはお人好しを極めてるから議論と多数決の結果、正義の味方をしにきた、ってわけだ」

 羽織の男が小首を傾げて頬に指を添える。

「よくこんな奥まった村を見つけましたねえ。道もなかったでしょう。険しくて迷い込む様な道のりでもなかったのに」

「施設に残っていたワンコに案内してもらったの。君がここで監禁されているから助けてくれってさ」

「…………あんた、あれが犬に見えたの?」

「賢くて優しいワンコだ。あの子も君を迎えに来てる」

「変貌しているのは把握しているんだな」

「最初は毛が伸びただけだと思ってたけど少しずつ変貌してったのよ。もう面影なんて毛色と鳴き声くらいで誰も犬なんて思わないでしょ。面倒だから人前では隠してたけど、こんな事なら犬を隠すんじゃなくてけしかけて逃げるんだった」

 素っ気ない言い様に丸金は急速に不安がもたげる。

「ワンコ、貴女のお友達じゃないんですか?」

「あたしの犬じゃないもの。親に捨てられた後に、あいつも取り残されてたから一緒にいただけ。名前も知らないわ。飼い主は家にいなかったし、何日待っても帰って、こなかったから」

「でも、でもワンコは貴女を心配して私達を連れてきたので!」

「飼い主だとでも思ってんでしょ。本当の飼い主も忘れちゃってさ。途中で何がきっかけか知らないけど変貌までして、便利じゃなかったらあんな気持ち悪いの捨てられて清々したけどね」

 衝撃を受ける丸金の頭を布引が軽く叩いて手を乗せたまま囚われ人を見渡す。


「私は布引轟。この子は菅原丸金、あっちは村上海舟。民間人の保護活動をしている自衛隊で世話になっているんだ。見ての通り腕に自信はあるよ。助けられてくれるかな?」

 しばし考える様子は見せたが目的は同じだ。

 ようやく少女は譲歩を見せる。

「いいわ、助けられてあげる。茉莉まつりよ」


 交渉が成立したのを見て羽織の男も胸に手を当てお辞儀する。

「僕は雨継あまつぐです。とりあえずご一緒させてもらおうかと思います。多少はお役に立てますよ。器用なので応急処置ならお手の物です。ほら、こんな感じで」

 うつ伏せの少女を覆っていた掛物が取り払われる。そこには華奢な体があって、床下を這いずっていた名残があって、なくてはならない足首から先がなかった。

 切断面の肉は大量のホッチキスで縫い固められ、傷口こそ閉じてはいたが皮膚は紫に腫れあがっている。

「在り物で失血死を避けただけなんで時間勝負です。茉莉さんは早く助けないと死にますね。食事と一緒に投げ込まれるのが鎮痛剤だけなんで化膿まではどうにもならなくて」

「勝手に晒さないでよ。擦れると痛いんだって言ったでしょ!!」

 空気が凍り付く。


 殺戮者によって引き裂かれ食い千切られる死体は見慣れていても、拷問じみた狂気を感じる傷は誰の目にも衝撃でしかない。蝙蝠の所業を思い出す。連日見せつけられた人間がいたぶられる姿が丸金の脳裏にフラッシュバックした。

 丸金は声も上げられずにヨタヨタと後ろに退いた。尻もちをついて、白目を向いて、何か感想が浮かぶ前にゆっくり卒倒した。

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