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殺戮者の咆哮

 解放される目処もなく檻で待機する中、犬の餌の如く粗食が配膳された。

「良かった。これは食事が出ない流れかと思ってた」

「能天気だねぇ。毒味役どうもぉ」

 素直に破顔一笑で床に手を伸ばす布引を村上が皮肉ると、丸金が勢い込んで手を挙げる。

「あのっ、毒味なら、私が!」

 そんな流れに構うことなく布引は食事にかぶりついてしまった。

「うん、美味し」

「ああ!?」

 丸金が止める間もない。皿の中身を躊躇いなく口に運ぶ様に、村上は呆れた笑いを漏らして金属スプーンで鉄格子を鳴らした。

「布引ちゃんって馬鹿キャラだったりするのかな。普通そこ豪快にいっちゃう? こっちは薬を盛られてる可能性があるぞと忠告したつもりだったんだよね」

「おー、いえす。そう聞こえてたよ。そっちも毒味してあげよう。交換だ」

 あっさりと言い放って指先についた米粒を口に含み、残り半分が突き出される。手の届かない距離と見てとった丸金が走り寄って橋渡しをこなすと、村上は困惑を滲ませて皿を見下ろす。

「……時間差で食うか?」

「はっはっは。次はいつ食べられるか分からないんだから、そうしなよ。食わねど武士は高楊枝なれど、腹が減っては戦が出来ぬ、と、いうわけでいっそ全部寄越しな」

「いや待て待て!」

 望月が慌てて引き留めに入る。

「それ以上無謀なマネは止めないか。あちらが弱らせる程度の意図で薬を盛っていたとしても、四人分ともなれば致死量に達することも考えられるだろうが」

 そこで今一度丸金が決死の覚悟で名乗り上げる。

「では、こちらは私が毒味をっ!」

 手近な荒妻の皿に手を伸ばした瞬間、檻から素早く手が伸びて皿が覆われてしまう。

「おチビちゃーん。つまみ食いせずに皿は布引さんの所へ持っといでー」

「だから止めろとっ」


 望月は頭を掻いて食事から目をそらすが今度は化け物の死骸が視界に入り、眉間の皺がますます深まった。

「なあ君達、あの殺戮者という化け物をどう思う」

「グロい」

 布引がスプーンの先を向けて即答すると、村上が笑顔で「お忘れかもしれんが、こっちもあれになってるって話じゃなかったかなあ」と指摘した。

 死神の姿を知る丸金は必死に首を振る。

「殺戮者に決まった姿はありません。ので、皆さんはグロくありません。大丈夫です、全然」

 荒妻以外がなんとも言い難い顔になる。焦った丸金は両手をつかってなんとか表現しようと言葉を塗り重ねる。

「あ、あの、本当なんです。こんな感じの、なんとなく人間の形はしてるし、顔だって判るくらいで! あ、あ、そうだ。なんでしたら私が絵に描いて」


 余計に不安を煽られた望月は話を流して腕を組む。

「は、話の本筋を戻そう。自分達の本体という存在が実際にいるとして、しかも外見がアレかもしれないことは置いておくとして、人権無視も甚だしい監禁状態にあることも置いておくとして、人間社会が崩れさっていることも置いておくとしてだな」

 村上と布引がヤジを飛ばす。

「望月ちゃんはそんなに横に置きまくって、一体何を拾うつもりなんだ」

「おチビちゃんが一生懸命お喋りしてるのに遮るのは良くないと思うなあ」

「考えながら頭を整理しているんだ! ここの連中は自分達を化け物に対抗する戦力と見なして話を進めている。しかもだ、どうやら化け物の中でも大量の死者を出している特殊な部類にぶつけるつもりがある。この作戦、どうにもこちらの犠牲を前提にされているとしか思えんのだが」

 村上はあくまで軽い調子で、食事に匙を差した。

「そりゃな。ゾンビの群れに放り込んでボス戦やってこいってんだろ。良いように言えば少数精鋭、率直に言えば神風特攻扱いだ」

「それだ! 自分や村上君はともかく、民間人である布引君や荒妻君に戦闘行為を強要するなど承諾できる話ではないぞ!!」

「勝手にともかく枠に入れてくれてるが、村上も強要とか嫌なんですが」


 いつの間にか四人目の毒見をしながら布引はスプーンを回して荒妻に話を振る。

「実際に対峙した忍者君的には、あの化け物はどうだったのかなあ。例えばさっきの化け物が通常タイプなら、複数に取り囲まれても手に負えそうな手合いだった?」

 殺すと決めたら勝負は一瞬だった。

 武器を持たずに攻撃を正確にいなし、殺戮者を上回る脚力で避難してみせた。勝間達は荒妻が少なくとも普通の身体能力ではないことを確認しただろう。

「さあな。凶器を奪えない以上、人間とみるより獣が相手だ。複数となれば体力と集中力の持続次第だろう」

「そっかそっかぁ」

 全ての皿の毒見を済ませた布引は唇を親指で拭いながら呟く。

「無理とは言わないわけね」






 全員が無事食事を済んだ頃合いに荒妻が初めて不穏な行動に出た。

「食い終わったな。全員スプーンを寄越せ」

 よそ見ばかりの監視だが、これを即座に聞き咎めた。

「待て、なんのつもりだ!」

 牽制に入る前に布引と村上が躊躇いなく鉄のスプーンを荒妻の檻に投げ入れて荒妻の元に物が渡る。

 監視は荒妻に向けて銃を構えて警告を発した。

「変なマネするんじゃねえよ。そいつを手放せ鎌イタチ。いくら身軽でも狭い箱の中じゃ的紙を撃つのと変わらんぜ」

「おい落ち着け、君。彼は丸腰だぞっ!」

 丸金は、スプーンを残している望月の手元に視線を向けた。監視の意識はまるで向いていない。

 無造作だった。

 望月からスプーンを抜き取り、自然に檻に近寄った丸金は簡単に荒妻へ最後のスプーンを手渡してしまった。

 呆気にとられた監視が、一拍おいて丸金の後ろ髪をつかみあげる。

「何してんだ、この糞ガキ!?」

 丸金は目を瞑って身構えた。


「ねえ」


 周囲を威圧する程の重い声が監視の動きを止める。プラスチックの皿で口元を隠した布引は静かに続けた。

「私達に何をさせるにしてもさ、嫌われないに越したことはないよねえ。私と良好な関係を保ちたいのなら、子供に乱暴するのは止めてくれないかな」

 布引を横目に、監視は慎重に丸金の髪から手を離した。そうすれば口元から皿は下ろされ呑気な笑顔が現れる。

「駄目じゃないか、おチビちゃん。怒鳴ってる大人の言動はよく聞いて素早く距離をおかなきゃだ。君が子供だって考慮しない屑野郎もいるんだから、ね?」

「そこは褒めてやれよ。ファインプレーだったじゃないか!」

 村上が遠慮なく腹を抱えて笑い出せば、望月が叱りつける。

「無闇に挑発するような発言は控えろ、二人共!」


 争いの元になった荒妻はスプーンの首を捻じ切って匙の部分を棄て始めた。監視は片手で自分の髪を掻きむしると、改めて照準を荒妻に合わせる。

「怪しい行動は慎め、鎌イタチ! 逆らえば拘束が増えて最終的に自分の首を絞めることになるんだぞ。おい、おい聞いてんのか、このデコッぱち!?」

 笑い続ける村上が息も絶え絶えに「怖い、怖い」とおちょくった言動を続ければ、監視は表情を消して村上の檻に全力で蹴りを入れた。

「黙ってろ、この」


「なんの騒ぎだ」


 長らく沈黙していた扉から遂に自衛官が現れた。富田二等陸佐。陰陽師と手を組んでいた協力者。

 彼に続いて牢への移送に携わっていた自衛官達が再び暗幕を手に現れた。富田は檻に歩み寄り、監視の銃口を押し下げる。

 移動だ。

 丸金は再び檻のそばで気配を消そうと試みる。檻の中にいる荒妻は何も言わず、暗幕が掛けられるまで少女のつむじを静かに見つめていた。






 荒妻達の存在を他の自衛官に公表すると富田は告げた。彼らを死神討伐に投じるかはともかく、人間の存在など長く隠し通せるものではない。

 不意にバレた時の混乱が最も危険だとみなされたのだ。


 移動先の広間では休憩中の自衛官が集められていた。目の下を隈で縁取り、顔色は疲労でどす黒く染まり、彼らはまるでゾンビの群れだった。

 隣の誰かが翌日にはいなくなるような神経を張り詰める生活が二年。

 なんら解決の糸口もつかめないままの戦いが二年だ。


 運び込まれる暗幕を被った檻に、不審な顔が並ぶ。

 丸金も表情を引き締めて入室者に紛れようとしたが、遂に襟首をつかまれ目の前で扉を閉じられてしまった。

 頭上を見上げれば、先程から同じ空間にいた監視の憮然とした視線とぶつかった。

「お前の役目はとっくに終わってる。いつまで死神に張り付いてるつもりだ。誰も何も言わないと思って調子のんなよ。居住区に帰れ」

「でも、あの人達を、呼びだしたの、私です」

「だから?」

 猫の子でも放る様に廊下の真ん中に投げ出された。乱暴な扱いだが丸金は踏み止まって、袴を握り締めながら上目遣いで男へ果敢に挑む。

「せ、責任が、あります」

 監視は扉にもたれかかって腕を組むと鼻で笑った。

「下水道でも言ったっけか? 俺は陰陽術なんざ信じちゃいなかったんだ。あの爺さんに唆された二等陸佐だって神頼みの悪足掻き程度にしか思っちゃいなかったろうよ。それでも死神のコピーを作ったのはこっちの依頼だ。連中が覚えのない修羅道に放り込まれた怨恨で死神八体倍増サービス始めやがったとしても、戦犯になるのは二等陸佐と協力した俺達だけだ。お前に責任なんざ無い」

 一つしかない扉を前に右往左往したところで屈強な自衛官を前に立ち尽くすしかなく、丸金はうつむきながら懇願する。

「入れて、ください」

「ガキは帰ってジュースでも飲んでろ。そこの廊下真っ直ぐ進んで左の階段を上ったら誰かに陰陽爺の居場所を聞いて、死神の顔なんざ一秒でも早く忘れりゃ上出来だ」

「そんなこと」


「髪、引っ張って悪かったな」

 一変した声音に驚いて監視の顔を見上げると、そこに思った以上の後悔の念を見つけて言葉を失う。形にならない声を漏らして、結局何も言えず、丸金は扉とは反対の壁を背に三角座りになって膝に顔を埋めた。

 監視は目を瞑って丸金を視界から消して呟く。

「これだからガキは嫌いなんだ」

 広間から声は漏れるが丸金には何を言っているかまで聞き取れず、ピンクの数珠を取り出して手の中で弄り出す。透き通る珠の中には、よく見れば細かい模様が浮かんでいた。

 一点を見つめ、丸金は息を殺して待つ。


 その時間は長くなかった。

 扉を背にした監視の表情が険しく豹変して銃を構えた。丸金には突然で、抵抗する間もなく監視に尻を掬い上げられるように蹴りつけられて廊下を転がる。


「死ぬ気で逃げろ糞ガキ!?」


 扉の内側に何かが派手に衝突する。

 質量のある物が擦れてずり落ちていく音と共にドアノブがゆっくりと下がって扉が開き、隙間から潰れた人が倒れて廊下に血をぶちまけた。半分潰れた頭では、それが元は誰なのか予想もつかない。

 奇声と悲鳴と怒号と銃声が一斉に響き渡る。

 何が起きたのかは分からずとも、この扉の向こうが地獄に繋がったことは容易に想像がつく。それでも監視は躊躇いなく部屋に飛び込んだ。


 足をもつれさせながら起き上がった丸金も、警告に従わずに監視に続いて震えながら渦中に足を踏み入れる。

「あ」

 天井に赤い花火のように肉が張り付いていた。壁から始まる赤い曲線が床に転がる死体まで視線を引き寄せる。人が人形の様に宙を舞い、頭が半分に割れた異形が隣人の頭を噛み砕く。

 果敢に応戦する自衛官の銃弾が異形に躱され味方の腹を撃ち抜いた。空いた穴に触れて愕然とした視線が交錯した瞬間、撃った男は背後から触手が首を捻じり落とされる。


 異形、異形、異形、異形、異形。


 中に集められていた自衛官が殺戮者に変貌し、踏みとどまった自衛官を襲っている。

 殺戮者は身に着けていたものを歪めて取り込むことがある。変貌した姿に生物としての法則性は存在しない。だから人の頭を完全な状態で残す殺戮者もいるし、陸上自衛隊の制服そのままで肉体だけが歪む変貌者もいる。


 監視はまだ手前に立っていた。

「おい、鈴原(すずはら)!」

 銃を片手に男の肩を捕まえて、だが丸金は見てしまった。呼ばれた青年の袖口からのぞく指先が波打って形を変えて黒く染まっていく。

「駄目です! その人はもう」

 警告と同時に関節の可動域を無視した腕が真後ろにいた監視の顔を切り裂いていた。鋭い爪の先から血飛沫が空中を舞う。

 後ろに仰け反った監視は左目を抑え、振り返る殺戮者の悲痛に歪む顔面に銃を向けた。

「うおおおおお、糞がああああああ!!」

 殺戮者の頭が破裂して死骸が床に倒れ伏した。


仲前(なかまえ)、銃を寄越せ!!」


 知った声に丸金は顔を向ける。暗幕が取り払われた檻の一つから丸金の方に村上が腕を伸ばしていた。呼びかけで動いたのは監視だった。

「え?」

 今しがた監視自身が殺した殺戮者が持つ銃を引き抜くと、村上の檻に集った殺戮者を撃ち殺して村上の眉間に銃口を突きつける。

「よくも鈴原を殺戮者に変えた後で、俺にそれを頼めたな」

 片目から血を垂れ流しながら監視が剣呑に言い放てば、村上は構わず銃を握って檻の中に引っ張りこむ。

「そんな奥ゆかしさに目覚めてる場合かよ。ここで嬲り殺しで誰も報われずにジ・エンドは仲前もガラじゃねえだろ?」

 檻の中で銃を構えた村上が監視の背後から襲いかかる殺戮者を撃ち抜く。


 監視は村上の檻に背を向けて周囲の殺戮者を迎撃し始め、村上も弾数を確認すると他の檻を襲う殺戮者の塊を狙う。

 異形達は銃声の数だけ檻から正確に剥がれ落ちていき、最後の一体は内側から拳で吹き飛ばされた。

 中身から見えたのは望月。村上は鉄格子を握って笑い出す。

「そんな狭い檻じゃ立派なガタイも役に立たねえな、望月ちゃん! まだ急所は無事かあ!?」

「全方位黒ひげ危機一髪ゴッコは洒落にならん!!」

 別方向の檻からも雄叫びが上がる。檻の外から中に鋭い槍状の腕やら足を突き立てていた殺戮者の動きが止まり、身をよじって暴れだす。殺戮者の合い間から、布引が狭い空間で足と腕を突っぱねて力技で制する姿が垣間見える。

「誰か鉄格子一本折って投げて寄越してくれないかな!? そしたら後は自分でなんとかするから!!」


 丸金は床に転がる残骸に飛びつく。

「武器を、今度こそちゃんと見つけなきゃっ」

 乱戦で小柄な少女は誰からの目も逃れていた。それもここで死体の胸倉をつかむ低い姿勢の殺戮者と目が合うまでの奇跡だった。

 首の皮一枚で頭を揺らす自衛官の上半身が血溜まりの中に落ちて、殺戮者が、殺意が、丸金に向かって四つ足で走り出す。


「こっちに来い、丸金!!」


 足をすくませる前に鋭い声が恐怖を相殺し、丸金を反射的に動かした。

 檻に向かって真っすぐ走る丸金の泳ぐ後ろ髪に、殺戮者の巨大な掌が包み込むように伸びる。

 勢いのまま檻にぶつかれば逃げ場はなくなり、殺戮者の刃物に近い爪が丸金の細い首を捕らえた。それと同時に丸金の真横で風を切って背後の殺戮者が後ろへ吹き飛ばされる。

 殺戮者の爪に浅く切り裂かれた首から幾筋か血が流れる。荒妻は鉄格子に肩を押し込んで丸金の肩越しに拳を突き出していた。


 荒妻は切り裂かれて全身を赤く染めていた。檻は殺戮者に囲まれており、丸金の周りにも密集はしていたが檻の中で手足を絡めて荒妻が器用に抑え込んでいた。無理な体勢で突き出されていた荒妻の腕が、気のせいかと思うくらいさり気なく丸金の後頭部を撫でてから暴れる手足の固定に戻る。


 拘束から逃れようと殺戮者が暴れて跳ねまわるたびに、長い爪が荒妻に小さな傷を増やしていた。丸金は目を潤ませて声を震わせる。

「ごめ、ごめんなさい。私が、檻の中なんかに、呼び出したりしたから」

「泣くと化け物の気を引くっ。いいから、黙ってっ、俺の腕が、届く範囲で、伏せていろっ」

 余裕があるわけではない。

 死が隣に居座る窮地で、会って間もない丸金を守ろうとする荒妻を丸金は凝視する。

「今度は、解ってて使ったんです。酷い禁術だって、私、もう知ってたのに、たくさん人を殺した死神の人だから、一緒に贖罪するなら丁度いいんだって、言われて」

 誰にともなく丸金は言葉を漏らす。

「言われたから、って」

 唇を噛んで言葉を止めた丸金の涙目に強い意志が灯る。儚くか弱い風貌の中で、大きな目だけが爛々と地獄絵図に向けられた。

 変貌を踏み止まっていた中からも気持ちの折れた自衛官が人間から脱落していく。それでも不屈を貫いて戦う自衛官達の中に、少ない知った顔を見つけて丸金は視線を一点に定める。


 富田二等陸佐。

「リモコン」

 荒妻を試すために檻を開錠したのは富田だった。それをポケットに仕舞うところを丸金は見ていた。

 今も持っているかは分からない。

 操作法も知らない。

 数十m離れた彼の元まで辿り着けるかすら怪しい。

 それでも、一体で死体の山を築いてしまう死神と呼ばれる別格の殺戮者、その身体能力を持つとされる檻の住人を一人でも解放することが出来たなら。


 無我の境地か震えは止まり、丸金は荒妻の庇護から捨て身で飛び出した。気付いた荒妻の手は空をつかむ。人も殺戮者も銃弾にすら目もくれず、血溜まりで足を滑らせながら、たった一人を目指す。

 その小さな標的めがけて殺戮者が容赦なく襲いかかった。


「そのまま走れ!」


 力強い荒妻の声と共に背後から銀の光が殺戮者のこめかみを貫いて床に墜とした。

 戦場を横断する少女に目をつけた殺戮者は魔法のように二匹、三匹と無力化されて床に転がっていく。その側頭部や首筋に残っているのは鉄の棒だ。荒妻は丸金に襲いかかる殺戮者へ、手に残った最後のスプーンの柄を投げた。

 

 赤い飛沫、飛び散る肉片、白い衣装が水気を帯びて足にまとわりついてくる。それでも丸金は富田の元まで辿り着いて飛び掛かった。

「なんだ!?」

 予想外の角度からの奇襲に、富田の肘が丸金の側頭部を打つ。眩暈にみまわれながらも丸金は無防備だったポケットに縋り付いて目的を果たす。

 何を奪われたか富田に理解される前にと、使い方の分からないリモコンを檻に向けて滅茶苦茶に押しまくり甲高いエラー音が何度も続く。


 それでも、檻の一つから開錠された音がした。

 鉄板が殺戮者ごと押し上げられ、解放された青年が檻の縁へと飛び乗った。跳ねた赤茶けた髪と鋭い眼光が広い部屋を一瞥して血だまりに身を投げ出したままの丸金で収束する。


 荒妻は行きずりざまに殺戮者を踏みにじり、丸金の元へと一直線に向かう。

 その荒妻に向かって銃弾が放たれた。至近距離の爆裂音に丸金が身を竦めて耳を抑えて見上げれば、表情を強張らせた富田の銃口が殺戮者から荒妻へと照準を変えていた。

 真っ青になって荒妻に目を戻しても姿はそこにない。丸金の頭上を蹴りが一閃し、富田の銃が横に飛ぶ。


 鎌イタチとは、目にも捕らえられない風の如き死神。


 荒妻は丸金を片腕に抱き上げると小さな頭を己の肩に押し付けた。

「首に腕を回してしがみ付いていろ」

 体が重力を見失って浮き上がる。

 振り回された視界は形にならず、丸金に届くのは音ばかり。何かが折れる鈍い音、潰れてくぐもる呻く音、乱暴な銃声に、心臓を凍らせる断末魔。


 不快な音が止んで荒妻が立ち止まった後にも、しばらく丸金は放心していた。周りに残る音は乱れた呼吸と、血の海を踏む水音、何かを取り落として座り込む生存者の息遣い。

 誰も声を発せずにいる部屋の中で泣き声があがる。たった一人分の泣き声だ。

 ここに集まった自衛官の半数以上が死んでいた。人間も殺戮者も綺麗に原型を残していない。自衛官達は泣くこともできず、泣く子をあやす死神を茫然と眺めていた。荒妻が血に染まった手で丸金の細い背中を軽く叩いて丸金の泣き声を鎮めきるまで。






 選択を迫られる。

 崩壊した世界で衣食住を保証する代わりに死神と化した自分を殺せと。

 人が身を崩して化け物に変貌するのは一瞬。

 目の前で実演された惨劇が、これは現実だと強引に突きつけ理解を迫る。






 望月は厳然と真っ向から反発する。

「こんな陰惨なものを目にして安易には引き受けられん。せめて、解っている情報を全て開示してから交渉すべきだろう」

 檻を見下ろす勝間は表情を変えずに腕にこびりついた肉を床にこそぎ落とす。凄惨な広間から怪我人が足を引きずりながら退場していく。彼らに痛ましげな視線を向けながら、望月は毅然として勝間を見上げる。

「それにいくら武道に長けようが民間人を死地に差し向けるなど」

「私は戦闘員やってもいいよ。指定する身支度を整えてくれるならね」

 庇う望月を布引はあっさりと裏切った。続いて村上も「装備の配給ありで、神風特攻ゴリ押し作戦の押し付けがないなら協力してもいいぜ」と、手酷くやられた傷を探りながら応じる。

「な、な、君達はそんな簡単に命の関わる事柄を」

 目を剥く望月を取り残して布引、村上が檻から解放されて腕や腰を伸ばす。


 丸金は自分を抱えたまま銃口を突きつけられている荒妻を不安げに見上げ、いつから眺められていたのか、荒妻と目が合って動揺する。

 瞬きをはさんで荒妻は勝間へと視線を向けて静かに命令を受け入れた。

「やるだけやってやる」

 狭い檻の高さから見た荒妻の目は敵意を含んだ睨め付けるものとも感じさせたが、丸金の位置からはひどく優しい印象しか与えなかった。

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