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血を這う虫ケラ

 歩いてきた高速道路が寸断されて瓦礫と死体と鉄屑が地上へと散りばめられた。元来た道は何十メートルと先にあり、地上を見下ろせば曲がった信号機が随分と下にある。前方には車が積み重なったバリケード、横には景色を覆い隠す騒音壁。


 布引が視線を巡らせて包丁を振る。

「なるほど、断崖空中戦か。これなら多数を相手にしても蝙蝠が有利だね。近接攻撃専門の私だと防戦しかできない」

「……こうもり?」

 翼を持つ足の無い男は意地悪な笑顔を浮かべていた。悪戯をして反応を待つ時の様に、課題を与えた丸金が頭を抱えている時の様に。


 いつも通り。


「だって、だって普通に喋ってるのに!!」

 望月が体を張って丸金に向いた蝙蝠の視線を遮る。

「これはどういう状況だ。その姿は。君は、どちらの村上君なんだ!?」

 黒い翼と両腕が空に向かって悠然と広げられる。

「どちらも何も、村上海舟ならこちらですけど? あー、それとも村上違いかな。村上吉充? 村上通康? 村上武吉?」

「そんな、そんな、ここにいるのが蝙蝠だったんなら、いつから入れ替わってて、本物の村上さんは一体何処に」

「いいぜぇ、考えてみようじゃないか。例えば地下と地上で二手に分かれた時に一方のチームは始末されて瓜二つの誰かに入れ替わられてしまっていたんだ。あるいは、お姫様の知る村上さんとやらが初めから変貌後の蝙蝠だった事を隠していた。さあ、どちらの展開がお好みかな?」

 ぐじゅぐじゅと歪んでいく顔を冷たい目が眺める。


 半人前の陰陽師である丸金は一族の秘術を知り尽くして扱ったわけではない。老獪な先達に導かれて術を発動させはしたが完全に成功したという保証などできない。死神と人間の姿で見分けがついていたからこそ先程までは疑いもしなかった。あの男には確かに足が存在したのだ。ズボンと靴で隠れて肉を見たわけではないが中身がなければ地下鉄で変貌した子泣き爺のように布はヘタれて足の形を成さない。


「ガキいたぶって遊んでんじゃねえよ。テメェの相手は俺だ、村上」


 一発の銃声が響く。

 その一発で村上の肩口で鮮血を散らせ後ろに倒れこむように壁の裏側へ背中から落ちた。途端に狂ったような笑い声が響きわたる。大きく羽ばたく音だけで空に姿を現さない。道路の下へと潜り込んだ空の死神に全周囲を銃口で撫でる様に狙いながら仲前は声を張り上げる。

「テメェのコードネームは蝙蝠だとよ。笑っちまうよなあ。外見からの発想だろうが、正気を保ちながら殺戮に明け暮れる本性まで表したおあつらえ向きの二つ名じゃねえか」


 建物の間に滑空する黒い影を見つけて仲前は躊躇いなく弾を使う。

「聞こえてるか、村上! 機会があったら一応聞いてやろうと思ってたんだ。何をどう拗らせたら逃げ惑うしかない哀れな人間を殺す側に回るなんて選択肢が出てきたんだってなあ。具合も良く超人共は満身創痍。邪魔の入らねえ良い機会だ。隠れてないで出てこいよ。なあ、おい、ここまでノコノコ茶番に付き合ってやったんだ。聞かせろよ、クソ野郎!!」

「いいぜ。懇切丁寧に説明してやろう。まずは撃つのを止めたらどうだ。補給もままならないのに貴重な物資が勿体ない」

 後方の防音壁に両足で降り立つ人影に間髪入れず引き金を引く。

 壁の向こうに飛び降りる背には翼がないのに姿を消すと巨大な翼が羽ばたく音は聞こえてくる。高層の建物に反響するせいで正確な位置が把握できない。


「騙されるな、蝙蝠は」

 布引が呟く。

 監視カメラの映像を通じて桐島が最期の力を振り絞って伝えようとした言葉だ。

 そこに続くばずだった言葉だ。

「人のまま殺戮してる狂人で自在に姿を偽れる。だから手口を知ってる自衛隊の裏をかけた。おまけに海舟君のフリができたから見張りも機能せずに奇襲を許した」


 強い負の衝動で変貌するほとんどの人間は埋め尽くされた感情に振り回される。鬼か魍魎と呼ばれるそれらは恐怖を排除しようとする絶望感を殺戮という形で暴走させてしまう。

 そこに時折、衝動だけではなく一定の行動原理をもって行動する存在が混じる。


 人形。


 白い人影。


 シザー。


 そして蝙蝠。


 そういう輩はもはや魑魅魍魎などという曖昧なモノではない。

 妖怪と呼ぶのだ。


 高い位置から指が鳴らされる。

「おめでとう、大正解」

 崩れかけた壁の端に座った蝙蝠は布引を見下して微笑みかける。悪意なんて持たないような顔で、慈悲深さすら感じる声音で傷口を啄む。

「俺はただ車の窓をノックして、やあ、調子はどうだいと声をかけるだけで近づけた。キスできる距離から肩に一発、腰に一発、哀れで勇敢な隊員はそれでも這いずって衝撃の新事実を知らせようとした。ところが残念、カメラは声を拾わなかったんだ。何故だろうな。不運としか言いようがない」

 指二本で何かを切る。


 映像も罠。

 城も罠。

 地下鉄も罠。

 蝙蝠の敷いたレールに乗って何処までも弄ばれている。利口な猿どころじゃない。


「そうそう! これだけは教えてやらなきゃと思ってたんだ」

「野郎に耳を貸すな!」

 悪魔が弾に追われて空へ飛びたつ。


「村上さんの死体は綺麗な夕陽の見える見晴らしの良いマンションの貯水タンクに吊るしてあったんだ。もう少しだけ上に注意を向ければ感動の再会ができていたってわけだ。惜しかったなあ、お姫様?」


 あの笑い声が心をざわつかせて頭を掻き乱してしまう。足元から力が抜けて丸金はへたり込む。しかし握られた手に素早く引き上げられて地面に膝をつくことを許さなかった。

 見上げた布引は丸金を見てはいなかった。彼女の目は蝙蝠の動きだけを忙しなく追っている。

 仲前は一発ずつ狙いをつけて弾を撃つが、急直下に急上昇、自由自在な不規則さで銃に蝙蝠は軌道を読ませない。殺し合いの最中なのに航空ショーでもしている様に旋回して空を楽しんでいる。

 あんなにも自由に空を飛ぶ生き物は他にいないだろう。あんなにも楽しそうに人を殺す変貌者も。




 どっちを選んだっていいんだぜ。


「村上さんが死んだ?」


 使役術ってのは人間を使う以上、肝は結局コミュニケーションと好感度だ。


「だって」


 また後でな、と言って別れた。




「車を崩して道を作る! 布引君は菅原君を連れてこちらに退避を!!」

 望月の腹まで響く怒号で音が戻る。彼は積み重なる潰れて変形した車に手をかけて道を切り開きにかかる。攻撃手段が銃しかないなら撤退しか残されていない。

 呼びかけは蝙蝠にも聞こえたはずだが、笑いながら仲前と戯れるだけで望月の行動を妨害する素振りはない。割れた道とバリケードは真逆で離れていたが、布引であれば防御に徹すればなんなく合流できるだろう。


 だが、そうはならない。

「私達はここで良い」

 一向に自らの足で立ち上がろうとしない丸金を布引が胸の中に抱き上げた。焦げて半壊したワゴンを腕力で引きずり下ろした望月は傷に響いたのか肩を押さえて怒鳴りつける。

「弾が尽きれば思う壺だ! 罠があろうと残された道はここしかない。自分が壁になるから勇気を出してこちらに来るんだ!!」

 車体を蹴って扉を捻り取って盾にと構えながら望月が迎えに来ようと動く。すると布引は包丁の切っ先を鋭く望月へ向ける。


「それ以上は近づかないで」

「……なんのつもりだ」

「蝙蝠の標的がこちらに移った時に気配が混じると出遅れる。それに、いざとなれば私が選ぶ退路は後ろ」

 切り立ったコンクリートの飛び込み台の後ろには何も無かった。元来た道は瓦礫となって遥か地上で砕けている。

「馬鹿な! 何十メートルの高さがあると思っているんだ!?」

 布引は丸金を抱えたまま縁まで一歩後退する。裾から風が吹き抜けて全身の毛が逆立つ。

「そうかな? 一本道で分の悪い集中砲火と一か八かの高層ダイブ。どちらが良いかなんてやってみないとわからない」


 病んでしまった。

 病ませてしまった。

 散々警告されていたのに。布引の地雷は踏むなと。大人達には見えていた危うい糸が少しずつ解れて最悪の形で絡まってしまった。


 足の裾から体まで入り込んでくる冷たい風に足が震える。

 村上を失い、布引を失い、現実感のないまますべき事も見つけられず望月が必死に説得しているのを傍観している。

 ショックで頭が働かず、どうすればいいのかと意味のない問いかけだけが小さな頭に満ちていく。これだけ強い大人達が、あれだけ凄い聖が、どうにかできなかったものを小学生ごときに斬り開けるわけがない。

 せめて荒妻がここにいればどうにかしてくれたのに。

 せめて望月が重傷を負ってなければ車を投げて応戦したのに。

 せめてここに村上がいれば。



 安直に答えばっかり教わってると馬鹿になるぜ。



 丸金は目を強く瞑って口を噛み締める。

「こ、こんな事やめてください、布引さん」

 震える声に優しい拒絶が返される。

「大丈夫。絶対丸金に怪我なんてさせないし、私は聖を助け出すまで絶対死んだりしない」

「無事で済むわけがないないだろう!!」

 足を犠牲にしてでも逃げおおせたとして、仲前や重症の望月にそんな芸当はできない。もし今の戦況で死神を退ける力があるとすれば、それは類稀な戦闘センスを持つ軽症の布引だけだろう。

「お願いです。一緒に蝙蝠をなんとかしなきゃ仲前さんと望月さんが死んじゃう。嫌なんです! もう周りの人が死んでくのを見てるだけなんて嫌!!」


 興奮しだした丸金に、蝙蝠が現れてから初めて布引が視線を合わせた。布引はいつものように微笑んで包丁を口元に当てると「しー」と声を潜める。

「大丈夫。きっとすべて上手くやってみせるから、今度こそ私を信じてね」


 汗が噴き出る。

 助けられてばかりだった。丸金が何度裏切っても見捨てずに命懸けで守ってくれた。心を砕き続けてくれた。心労をかけてばかりいた。再会してから明らかに様子のおかしい布引を信じられなくなっている。病んでしまったのなら支えなければいけないのは丸金の方だ。なんの根拠もなく信じられる余裕はない。

 選択を間違えれば待つのは地獄。


 ついに銃声が止む。仲前は片手でポケットを探りなごら忌々しそうに舌打ちをしてナイフを抜くと銃口にとりつけて空に向かって構えた。

 それを見た蝙蝠は憐憫の目を向けて捻れた標識の上で器用に寝そべる。

「滑稽だなあ。まるで戦闘機を竹槍で落とそうとした戦時中の民衆みたいじゃないか。かつては日本海の空を力強く飛んでいたあの仲前三佐が地面で土を舐めるような生活をしているなんて、胸が痛む」

「基地で車に横っ腹ぶん殴られて敗走した奴がふいてんじゃねえよ。今度は股間から薄汚え口まで串刺しにしてやるわ」


 今にも飛び降りてしまいそうな布引を説得できず苦悶する望月は痛む傷を押さえながら蝙蝠に照準を合わせる。

「君は一体何がしたいんだ!? 村上海舟はふざけているが勇敢で強い心を持っている。本来ならば意味もなく殺人を繰り返す男ではないはずだ!」

「おおっと。まさかのお褒めに預かり恐悦至極」

 剛直な正義漢は残虐な殺人鬼の良心へと真摯に訴えかける。

「骨格まで変貌していながら最期まで人間として生きた青年を知っている。彼は変貌しかけたが勇気を持って人の心を取り戻したんだ。君だって最後の一歩を踏み止まれたのは信念があったからこそだろう」


 考える素振りをした蝙蝠がゆっくりと手を打つ。

「ああ、もしかして、その人間として生きた化け物ってのは蜘蛛の巣から連れ出したオス蜘蛛の話か?」

 変貌しかけた状態で静かに息を引き取った男の姿が脳裏に浮かぶ。

「鬼の形相で重機のように人を蹂躙する破壊神が随分と可愛らしい事を言う。肋骨が飛び出して腹に咥え込まれそうになっただろう。あんな風にセルフ開胸できる生物は解剖生理学的に人間とは呼ばないんだよ」


「……あの場にいたのか」

「おでかけからお帰りまで遠くから暖かく見守っていましたとも。駐屯地を突き止めていなけりゃ大規模な襲撃なんて仕込めるわけがないだろう? 地道な下調べ、各地の凶暴な化け物集め、絶望感はこうした涙ぐましい努力の上で演出されてるわけだ」

 軽い口調で指揮棒のように片手を振るう。

「とりわけ使いやすいのがあんた達だ。アレを吊るのはコツさえ知っていれば簡単で、被害も手軽に甚大だ」


 布引の体が少し跳ねて目が細められる。望月の方は明らかに怒りに体を震わせている。仲前は黙って蝙蝠を喋らせるに任せている。弾を失った今、仕掛けられれば一方的な戦況となりかねず挑発する意味もない。

 押さえつけた低い声で望月は蝙蝠の説得をし続ける。

「君が、こうして接触を図ってきたのは、心の何処かで元に戻りたいと思ってのことではないのか。平穏な日常を取り戻す為に勇気と誇りを思い出せ。仲前君の言う通りだ。罪は消せんがはずれた道を修正するのは今からだって構わないんだ!」


 蝙蝠が体を起こして翼を伸ばす。

「熱いねえ。慈悲深過ぎて洋画には向かないが、少年漫画には向いてるかもな。あんたみたいな男は嫌いじゃないが、その甘さが変貌の引き金だったのは想像に難くない」

「慈悲のつもりはない! 君は償うべきだ。多くの人生を狂わせた事を。そしてここまでの事をしでかしても人の道からはずれた友を全力で止めようと戦う仲前君の気持ちを受け止めてくれ!!」

 仲前は「そういう言い方されるとキモいんだが」と減らず口で水を差す。蝙蝠の方にも響いた様子はないが、狂人めいた笑みを潜めて望月の口上を静聴して、顔の前に指を二本立てて見せた。

「その海の様に深い人情に対する対価として、俺が一体何をしたくて接触したかは答えようか」

 指先が丸金の方をさす。

「一つ目は不確定要素の確認。ある日突然、クローン人間が複数沸いて我が物顔で闊歩してたら気になって当然だ。同じ個体を同時に増殖できるわけではない。どうやら何度も複製できるわけでもない。色々と分かりやすく教えてくれてありがとう」

「え!? え!? え!?」

 焦る丸金を嘲笑して、次は仲前に指先が移動する。


「二つ目は仲前蓮を変貌させてコッチ側に勧誘したいから。そいつは俺の相棒だ。群れから離れた良い機会に貰い受けようかと思ってね」

 名指しされた仲前は蝙蝠の宣言を笑い飛ばす。

「冗談じゃねえよ。断固拒否する。テメェみたいな短足蝙蝠の玉無しになってどんなお楽しみがあるってんだ」

「仲前だってもう一度空を取り戻したいだろう? それにしても鈴原が変貌したなら野に放ってやれば良いものを、知らない仲じゃあるまいし殺すなんて酷いじゃないか。弄りがいのある可愛い後輩だったのに」

「冥土の土産に俺の片目を抉り取るような奴は可愛くねえんだよ、クソ野朗。旧交を温めたいならあの世に送ってやるから、最期くらい地面に足をつけて同じ土台で殺りにこい」

「どこが同じ土台だよ。そっちにはクイーンとルークの持ち駒が控えてるだろ。公平なフリしてイカサマされたら興醒めだ。それに俺はお前を殺そうなんて微塵も思ってない。証拠に俺は今回一度も反撃していないだろ?」

「だったらどうやって俺を絶望させようってんだ。百物語でもしようってか」

「そうだなあ」


 蝙蝠が飛び上がり、道路を塞ぐバリケードの縦に挟まる車の上に逆立ちで着地する。

「俺はそこのタイタンもどきが積み木を崩すまで待ってたんだが、焦れったいから手伝おうか」

 いとも簡単に車が手前に倒される。すると箍が外れた車が山崩れを起こして分厚く思えた壁は二つに割れた。酷い衝突音と振動に砂埃を撒き散らして、地獄の門頂に蝙蝠が舞い降りる。


 敵によって開かれた突破口の向こう側が蠢いている。蠱毒のように多種多様な殺戮者が密集してこちら側を覗き込む。


「ちなみに本当に弾は尽きたのか? 馬鹿だねえ。無駄撃ちするなと忠告したのに。仕方ないからこっちの小銃(はちきゅー)もお前にやるよ。そら、受け取れ。もう一度遊ぼうぜ」

 蝙蝠の顔が狂気に満ちた笑顔に歪む。

「なあ、相棒?」

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