絶対安全地帯
【警告】スプラッタかなり強め、ホラー全力、苦手な人は読み飛ばし推奨、31話の前書きに要点まとめ有り
広い曲がり角に向かって慣れた調子で飛び降りながら仲間を探し目を凝らす。中学生になってからは以前よりも高い位置から跳べるようになった。大人に秘密の力比べ。上級生は階段の半分から曲がり角まで飛び降りる。
「三年と二年はみんなキナコの下僕だし、どうせキナコが動物見つけて引き留めてんだ。もし不審者が出たとしてもチビ達じゃないんだから誰がエンカウントしてても返り討ちにできるし、いつまでもガキ扱いすんなっつうの」
先生に言えなかった言葉を一人吐き出しながら中腹まで来たところで喧騒が届く。木の間から最初に曲がり角へ現れたのは最速のキナコだ。そこから瞬く間に聖との距離が詰まる。
「キナ」
「上に逃げて!!」
必死の形相に気圧される。
すれ違った姿を呆然と見送っていると、今度は背中に力任せな一撃を叩きつけられる。先程までいなかった補習の一等は痛がる聖に悪びれなく駆け抜けざまに怒鳴りつけていく。
「止まんな、聖! 下で虎徹達が化け物とやりあってんだ! 麓から化け物共が登ってくるぞ!?」
「はあ!?」
更に三字も走り抜ける。
「一年坊主はチビ供全部捕獲して道場の中に放り込め!!」
道場の中でも足の速い三人が聖をおいて道場へ急ぐ。
よく解らないまま聖も道場へと引き返した。
他の仲間はどうしたのか。化け物とはどういう意味か。理解は到底追いつかないが三人は先生に助けを求めに行ったのだ。手分けして探し回らなくても異変を感じた先生は階段の最上段にいるだろう。そして血相を変えた生徒を見て風の様に助けに向かう。
真上を人影が飛び越えた。
階段という人工的な道を使わずに最短距離を一直線に、斜面、枝、幹を蹴って猪よりも鳥よりも早く布引轟は山を降る。
聖はそれを見送ってから道場を目指して走り出した。先生が助けに行ったのなら、何があったとしてもそれはもう大丈夫なのだ。恐ろしいものは全て下界にいる。
風呂に沈めて殺そうとする親から、家庭環境を見てサンドバッグにする教師まで、道場にいれば手は出せない。集団で殴りかかり手酷く返り討ちにした上級生とその親には謝るついでに深く釘も刺すだろう。
刃傷沙汰も平気でいなす無敵の師範。知りうる限り最強の剣術家。何があっても無償の愛を与えてくれる存在。
そんな先生がいる道場は聖にとって絶対の安全地帯だった。
登り切ったところで息を切らしたキナコが階段に倒れ込んで喘鳴をあげていた。道場では高学年が大慌てで木戸を閉じてまわる。最後の扉が閉まる前に大量の木刀を持った三字が庭に飛び出して地面に積んだ。
「逃げてきた同中の女子も二人登ってきてるけど絶対途中でバテてるから俺が迎えに行ってくる。一等と聖はどっか行ってる爺ちゃん先生呼び戻せ! キナコは階段守れるか!?」
少女は真っ赤な顔で立ち上がって階段の上で木刀を拾う。
学校に行かず昨日から道場にいる聖は老師が何処にいるか思い出す。状況についていけない聖は黙って一等について行く。表玄関から黒電話に飛びついた一等は電話帳をめくりながら丸いダイヤルを手早く回す。
手持ち無沙汰な聖は遠慮がちに提案した。
「あー、えっと俺、村を回って爺ちゃん先生探してくるわ」
「行くな!! 聖は表で化け物来ないか見張ってろ! おい、なんで木刀持ってきてないんだよ!?」
玄関に走ってきた六年の博愛がダイヤルに手を伸ばす。
「爺ちゃん先生、ゴン爺のとこ行くって言ってたから!」
鈴音を立てながら電話が相手を呼び出そうとするが一行に相手の受話器が上がらない。
「だから爺ちゃん先生にも老人スマホ持たせようって言ったのに!」
一等は受話器を乱暴に切って、村の住人に片っ端からかけ始める。仕方なく木刀を取りに行くと高学年が数人一緒になって着いてくる。
「ねえ、化け物達ってどういう意味?」
「何があったか教えてよ」
「俺だってわっかんねえよ。なんか階段の下でヤバいのに襲われたっぽいくらいしか。熊とか? 知らんけど」
「熊ぁ? 和歌山にはパンダと猪と鹿しかいねえだろ」
木刀を拾うと、階段を守っているキナコが目を剥いた。
「何してんの馬鹿聖!? 小学生は外に出すな!」
「な、なんだよ。勝手についてきたんだし」
急ぎ足で周りを追い立てて屋敷の中に舞い戻る。
殺気立った空気が事情を知らない者にも伝染して不安が広がる。
「ねえ、本当に熊なのかな? ゾンビじゃないかな?」
「は? ないない、アメリカかよ。あったもしても熊の群れとかだって」
「熊は群れねえし」
「ゾンビよりはありえるし」
「ありえねえし」
「じゃあパンダの群れ」
「ありえ……それはあるかも」
「ふざけてねえで、表しっかり見張れや馬鹿!」
聖は玄関で見張りに立つ。
山の上には村がある。道場は隣人の家まで歩いて十分かかる農村の端。五十代で若手と呼ばれる高齢過疎地で携帯持ちはなかなかいない。それにしても黒電話は一向に誰とも繋がらない。
そうこうしてる間に階段のキナコが「轟先生!?」と悲鳴をあげる。複数の声が屋敷に近づき玄関に血塗れの先生が現れた。玄関に集まった子供が卒倒するより前に先生が「返り血だから落ち着いて」と先手を打つ。
下に残っていた少年達は顔面蒼白で我先にと家に上がる。中には血を流した怪我人もいて騒然とする。彼らは明らかに返り血ではない。その中に見覚えのない無傷の女子二人が両手を握り合って混じっている。女子は声を震わせて血だらけの先生の手を指差した。
「こ、こ、殺したの? あ、あいつ、ずっと笑いながら追いかけてきて、ミーコは頭から」
先生は膝をついて視線を合わせて顔に笑みを貼り付ける。
「さあ、もう大丈夫だ。怖かったね。少し落ち着くために深呼吸をしてごらん」
女子は号泣して座り込む。
混乱した子供達は先生の周りで一斉に騒ぎ立てる。
「化け物の正体はなんだったの!?」
「怖いよぉ」
「殺したんだよね!」
「怖かったね、大丈夫大丈夫。私がいるじゃないか。絶対守ってあげるから落ち着きな」
下で実際に化け物を見てきた中学生達は一様にうつむいて血の気を失っているのに、先生は笑顔のまま「大丈夫」を繰り返す。黒電話の前で黙り込んだ一等は遂に諦めて木刀を拾った。
横に並んだ同級生に聖は話しかける。
「何があったってんだよ。いい加減にハッキリ言えよ」
「俺だって知らねえよ。補習中に学校で化け物が出たんだ。残ってた奴らがそこら中で殺されて、漫画みたいだった。わけわかんねえから走って逃げたら町の中でも暴れてて」
「う、嘘くせえ」
「冗談で先生が返り血浴びるか? 地上に化け物がウヨウヨしてんだ。疑うなら見てこいよ」
真顔で涙を浮かべる一等に聖の顔も強張る。
同じく補習組だった虎徹が歯を食いしばって立ち上がる。
「先生! チビ達にもハッキリ言ってやった方が良い!! なんかよく解んねえけど山の下には化け物がウヨウヨしてて人間を殺しまわってるって! 見える範囲に少しじゃない! そこら中にいっぱいだ!!」
「やめな、虎鉄!」
先生は止めたが不安が最高潮に達してしまった子供達は止まらない。
「だって先生!?」
「その内ここにも上がって来ちゃうよ!」
「あんなの普通じゃないよ!!」
虎徹は木刀を拾って玄関に立つ。
「俺、家族が心配だから家に帰る」
「何言ってんだよ、虎鉄!」
「危ないって!?」
先生はすぐに子供達をかき分けて虎鉄の肩をつかむ。
「待ちなさい」
唇を噛んで虎鉄は声を荒げる。
「そりゃお前らは虐待されてたからどうでも良いかもしんねえけど、俺の母ちゃんは強くなりたい俺のために毎日あったかい飯作って家で帰りを待ってんだよ! 家にはひ弱な姉貴しかいねえ。父ちゃんが帰ってくるまで化け物から家族を守れるのは俺しかいねえんだよ!!」
涙を浮かべながら数人が立ち上がる。
「お、俺も。家に多分、妹が一人で」
「俺も……」
「やめなよ。もう手遅れだって!」
「てめえ!!」
激昂した虎鉄が振り上げた木刀を素早く先生が力ずくで下げさせる。
「誰の帰宅も許可しない。私が君達を危険な所に行かせるはずがないでしょう」
「だったら先生が助けに行ってくれんのかよ!? 家族をこのまま見捨てろってのか!」
子供達から悲鳴が上がる。
「待ってよ、轟先生を行かせるなんてありえない!」
「駄目駄目駄目、そんなの僕達どうなるんだよ!?」
「そうだよ! 爺ちゃん先生も戻ってこないのに」
泣きながら縋り付く子供達と今にも出て行こうとする少年達。先生の顔に苦渋が滲む。
「私ならここにいる。行っておあげ、轟」
よく通る声が諍いを止める。いつの間にか玄関に老師がいた。その手に握られた血のついた鎌に緊張が走る。
「爺様」
「もし子供達が地上に残っているのに私が君の行く手を阻めば、轟は一生私を許さんだろう。止めるのなら責任をとってなんとかしてやりなさい」
「……はい」
両手に木刀を握った先生の服を小さな手がつかんで止める。
「行かないで、轟先生。良い子にするから一緒にいてぇ」
涙を流して懇願するマロンの体を先生は優しく包み込む。
「大丈夫だよ、泣かないでマロン! みんなには物凄く強い爺ちゃん先生と轟先生がついてるじゃないか。私は絶対戻ってくるから安全な所で待っていて」
一生懸命首を振って拒絶するマロンをキナコが急いで抱き上げる。
「轟先生、気をつけてね」
「嫌だぁ」
両手を伸ばすマロンに先生は眉を下げた困り顔で「愛してるよ」と言葉を残して不安そうな顔ぶれを見回し背中を向ける。先生は玄関で老師とすれ違いざま小さな声で会話を交わすと、引き止める声と送り出す声に振り向くと力強い笑みを残して姿を消した。
村には黒い煙があがる。老師は鎌を片手に屋敷の前に陣を構える。
「佐藤の家か」
老師は眉を顰めて呟いた。
子供達の行動は様々で、テレビ、ラジオ、スマホに齧り付く。
「化け物ってどんな奴だよ。俺達にも教えろよ」
「轟先生一人で本当に平気なのか? 化け物とか血飛沫とか怖いの全然駄目なのに」
「ヤバい。警察に連絡つかん」
「な、なあ、化け物ってゾンビとかじゃないんだよな? か、噛まれたら感染するとか」
階段の下で直接襲われた怪我人に視線が向かう。血を拭おうとしていた手がいくつか止まり顔色が悪くなる。実際に姿を目にした一人が呟く。
「下にいた化け物、そういえばうちの制服着てた」
空気が一気に緊迫する。
泣き出す者、怪我に視線を走らせる者、疑心暗鬼に支配されて後退り仲間達との距離が離れる。
キナコが中心に躍り出る。
「止めな! 今はみんなで力を合わせる時でしょ。脳筋がより集まって深読みしても自滅するだけよ!」
「それで油断していきなり化け物が家に出たらキナコ姉は責任とれるんか!?」
テレビは呑気に全国の紅葉具合を垂れ流し、ラジオは取り止めもない雑談から音楽に切り替わる。老師は外を警戒して仲裁に入れず喧騒に熱がこもる。
聖は横にいる一等に苦笑いを向ける。
「なあ、なんかヤバくねえか。あいつら宥めた方が」
隣の少年は深刻な顔で制服の裂け目を見下ろしていた。黒い制服で分かりづらいが怪我をしていたらしい。
「おい、それって」
「頼むから黙ってろ」
屋敷の奥側で悲鳴が上がった。
取っ組み合いと仲裁に入る人で作られていた壁が割れて、玄関からでも居間の奥にある薄暗い部屋の様子が見えた。
カズの服を着た黒い塊がいた。人の形はしているが顔はなかった。自立せずに畳の上に脱力した塊は手足を這わせて動き出す。
「うわああああ!?」
一斉に屋敷の中で子供達が散っていく。跳ね飛ばされたり転んだ子供が更に化け物へと変貌する。
それを目にして恐怖は連鎖し、次々に人間が化け物に形を変える。怪我をしていない道場にいた小学生ばかりが。
一等は目を丸くする。
「なんで、あいつら怪我なんて」
玄関に一番近い聖は足を絡ませながら外に飛び出しかけて老師と衝突する。
「何があった!?」
「じ、じ、じ、爺ちゃん先生! 喧嘩してたらカズが、みんなが変な化け物に」
天井で大きな音が鳴り、制服を着た口裂け女が聖に向かって飛びかかってくる。老師は聖を壁に押しのけて顎から鼻先まで縦に口を鎌で裂く。
「きあああああああ!!」
老師は正面から甲高い鼓膜を破りそうな断末魔と返り血をまともに浴びる。口裂け女は玄関先に落ちて動かなくなり痙攣する。
「あれ、あれ、さっき泣いてた女子の」
「これは」
見慣れた顔に口が三つ、小さな体に不釣り合いに飛び出す牙と角、木刀を握り大量の目玉に頭を覆われた誰か。
「止めろ! 大翔!!」
「いやああ!?」
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「離れろ、涼真! 理音の事が分かんねえのか!?」
阿鼻叫喚の有り様に老師の顔も強張った。老師は居間で生徒に襲いかかる化け物を床に押さえつける。
「正気に戻れ、涼真! 聖、一等、何か縛る物を」
「だ、台所から包丁持ってくる」
「違う、待ちなさい!? 一等! 一等!!」
聖は壁から動けずに押さえつけられて暴れる化け物と混乱したまま逃げまわる仲間を交互に見やる。
「なんだこれ。なんなんだよ、これ」
「聖! 縛る物を」
状況は更に一変する。
「なんだ、これは!?」
屋敷の玄関先に農具で武装した村の大人達か集まっていた。中には何かに襲われた怪我人も混じっている。広い玄関口から中の様子を見た大人達は眦を吊り上げる。
「やっぱり化け物の出所はここか!?」
「普段から縁起の悪い子供を集めとるから」
大人達の手には血に濡れた包丁と、先に紙がねじ込まれた酒瓶が握られていた。
老師が声を荒げる。
「待ってくれ!!」
老師は押さえつけていた化け物の頭を床に叩きつけた。呻き声と共に化け物は脱力する。老師は玄関から飛び出して鎌で何かを切り捨てた。地面に真っ二つになった瓶が転がった。液体に薄く火が燃え広がる。
外の大人達が屋敷に火炎瓶を投げつけたのだ。
「化け物を閉じ込めろ!」
「焼き殺せ!!」
「邪魔をするな、鉄朗!」
老師は武器を構える。
「変貌したのは一部だけだ。子供達の悲痛な声が聞こえとらんのか。うちの生徒は屋敷の中で私が抑える。後生だ、手を出さんでくれ!」
居間から小さな体が外へ飛び出す。
「爺ちゃ」
前を警戒していた老師の脇腹に大きな口がかぶりつく。老師は変貌した女児の頭を体に押し付けて捕まえる。
「ぐうっ!」
その瞬間に村の大人達が示し合わせて凶刃を振るった。彼らは農具を振り上げて容赦なく老師に振り下ろす。鎌を構えていた老師は苦渋の顔で武器を手放し、後ろ手で屋敷の扉を閉める。
「爺ちゃん先生!?」
引き戸ガラスの格子が折れてガラスが中に飛び散った。扉に残ったガラスには老師の人影と血に染まる。
「う、うわああああああ!!」
外から瓶が投げつけられて、外で中で、火炎瓶が燃え上がる。慌てて炎を消そうとするが化け物は騒がしい玄関先で聖を見つけて消化する間を与えない。
玄関から一直線に台所に向かう。
「一等! 爺ちゃん先生が、爺ちゃんが村の連中に」
化け物に追われながら飛び込むと、一等は流し台に頭を突っ込んでいた。
「何してんだよ! 逃げないと後ろから化け物が」
肩をつかんだ拍子に見えた流し台には真っ赤な血が溢れていた。そこには首が捻れ、頭は排水溝に吸い込まれるように半壊した級友の頭があった。口元からは力なく舌がはみ出している。
聖は腰を抜かして尻餅をつく。目眩を起こし頭が揺れて、背後から四つ足で駆けてくるカズだったものを振り返るだけで逃げられない。
目の前で黒い頭が捻れて筒状に口を開く。
「こんなとこで死ぬ気か、バカタレ!!」
化け物が真横に吹き飛んで壁にぶつかり跳ね返る。聖の前には木刀を真っ直ぐ綺麗に突き出したキナコが大きく足を踏み出していた。
一等の体が床に落ちて流し台から黒い液状の物が飛び出してくる。それをキナコの後ろから現れた虎鉄がカーテンに絡めて壁に振り払った。
飛沫が壁一面を黒く染める。
「ここから離れるよ!」
「立て、聖!」
叱咤されてもがきはするが腰に力が入らず空気を掻く。
「待って、待って、腰が抜けて」
虎鉄が木刀を持たない腕で聖を無理やり引きずり起こして隣の部屋へと投げ入れる。キナコが急いで戸を閉める。
虎鉄はすぐに聖の襟首をつかみ上げる。
「早く立て直せ。外に逃げるぞ!」
頼りない足を震わせながら聖は年上に縋り付く。
「爺ちゃん先生殺された!! 外に村の連中が来て、うちから化け物出したとか言って火炎瓶投げ込まれて、玄関燃えてて」
足元の服を握られて聖は短く悲鳴を上げる。すぐ下を見るとマロンとティアラが鼻水と涙で顔面を汚していた。
「爺ちゃん先生、殺されたの?」
「轟先生、帰ってきてぇ」
聖はそれ以上言葉が出なくなる。
虎鉄は幼児を抱き上げて聖の腕へと押し付けた。天井に白い煙が流れ込み、生き物のように広がっていく。道場から屋敷までが古い時代の木造だ。燃えはじめれば延焼は早い。隣の台所で窓が割れて灯油臭い煙が流れ込んでくる。
キナコと虎鉄が木刀を構える。
「協力しないと、このままじゃ轟先生が戻ってくる前に全滅しちゃう。とにかく他のみんなを助けながら道場の木戸を開けて外に逃がすから、聖はしっかりチビを運んで!」
「でも、外には凶器持った連中が」
混乱する聖の前で目の据わったキナコが目を見開く。
「そんなの私が食い止める。爺ちゃん先生は知り合いだから手加減したんだ。私はしない。大事な家族を奪う奴らなんて殺すつもりでやってやる」
天井の熱に炙られ煙に呼吸を奪われながら、絞り出すような懇願、威嚇、断末魔がそこら中から聞こえてくる。その一人一人が誰のものか分かってしまう。
頭の芯が麻痺をして先陣を切る年上の後を泣きながら黙って追いかける。腕の中にいる幼児達の泣き声が化け物を呼び集めないよう服に顔を押し付けて「泣いちゃ駄目だ。静かにしてろ」と言い聞かす。
キナコは頭を押さえて顔を歪める。
「チビ達が化け物になってた。どうして化け物に接触してないチビ達が」
「キナコ、先に脱出口つくって集合かけた方が良い。このままじゃ火事で逃げ道がなくなっちまう!」
「それだとチビ達が誰も助からなくなるでしょうが!」
「だったらせめて中学組の人手を集めようぜ! 三字! 鷹! 田吾! 列央! 神居! 大吉! マツ! 一等!」
二・三人が反応して向かって来る音がした。不気味な音が混じっていたが大声を出せば化け物も呼び寄せるのは承知の上だ。すぐに襖に手がかかる。まず現れたのは神居だった。腹に大きな穴の開いた四本の腕に包丁を持って。その一本には小さな体が貫かれていた。抵抗したのか腕には何本も鋭い切り口がつけられている。
虎鉄は怒りに顔を染める。
「何、やってんだ。お前は月を守ってやらなきゃいけねえ側だろ。なに化け物になんざ、成り下がってんだ、神居!!」
強い踏み込みで防具もつけていない神居の喉に容赦なく突きを繰り出す。三本の包丁は虎鉄の攻撃を受け止めながら隣の襖を突き破って隣室へと土俵を変える。
「虎鉄!」
「きゃああ!?」
幼児は震え上がって泣き叫ぶ。キナコが加勢に向かえば、置いていかれまいと聖も追う。
熱と煙と炎がうねりながら道と居場所を奪っていた。オモチャやヌイグルミからアルバムまで大事にしていた全てのものが燃えていく。
「死ねえ! お前なんてもう仲間じゃねえ!!」
刃物に対して躊躇なく斬り込んで部屋に廊下に暴れ回る虎鉄と神居にキナコが怒鳴る。
「下手な立ち回りしえないでねじ伏せなさいよ! 挟み撃ちにできないじゃない!」
「死ね! 死ね! 死ねええ!!」
「馬鹿」
猛烈な勢いで打ち込む虎鉄の一撃が壁を背にした神居の喉を直撃する。苦悶を浮かべた神居の口から血が漏れて、ようやく包丁からか細い月の体が床に落ちる。
「あぁ」
月が両手を伸ばして体を起こす。虎鉄は息を乱しながら目を開いて素早く手を伸ばす。
「無事だったのか、月!」
月は両手を伸ばして虎鉄の首元に飛びついて齧り付いた。
「虎鉄!?」
首が横に傾いて血が噴き出す。キナコが慌てて虎鉄を助けにテーブルを飛び越えた。その真上から燃え盛る天井が崩れ、梁がキナコの背中に直撃した。
「ぎゃああああああ!!」
下敷きとなったキナコが火に巻かれて絶叫する。
「き、キナコおおお!?」
聖は幼児を降ろして火に包まれた梁を持ち上げようと何度も手を差し入れようとする。無理な話だ。熱くて近くにいることもままならない。座布団を見つけて火を叩いて消化しようにも火の勢い増すばかりで、次第に悲鳴も聞こえなくなる。
キナコが伸ばした手が月をつかみ、月から虎鉄、虎徹から神居へ燃え移っていく。神居の首元には大きな咬み傷が残っていた。先に変貌したのは月だったのだ。
「なんで。そんな、キナコが死ぬなんて。虎鉄は。だって、神居が」
混乱する聖の後ろで泣き声をあげるティアラの声が突如くぐもる。嫌な予感に振り返った聖は頭が全て口と化したマロンに顔面を覆われたティアラを見つける。
「止めろマロン!! 駄目だ、駄目だ、駄目だ、そんな事しちゃ絶対駄目だ!!」
力任せに口を引き剥がして小さな体を突き飛ばすと、マロンは簡単に畳を転がっていく。幼児の柔らかな顔面は引き剥がされいて小さな音をたて横に倒れる。
「そんな、そんな、そんな」
へたり込んだ聖から力が抜ける。炎の爆ぜる音に囲まれてしまい阿鼻叫喚する仲間の声すら届かない。聖は次第に座る力さえ失って畳の上に卒倒する。
体は動かないのに恐怖だけは感じていた。
ガラスが割れる音、木が折れる音、畳の燃える音、何かが走り回る振動が絶望感を注ぎ込む。
これが現実のはずがない。
仲間を失うはずがない。
轟先生が助けに来ないはずがない。
視界が掠れて目が閉じかけても聖は最後まで信じていた。火の中に思い浮かべた先生の姿が見えた。まる焦げとなった誰かの死体を抱えて顔を歪めて叫んでいる。
消えかけた意識の中で幻かどうかも分からずに最後の力で呟いた。
「轟先生、助けて」
掠れて音になったかも怪しい無力な声。それでも先生は聖を見た。聖に駆け寄ると炎から守るように抱き上げて燃え盛る屋敷を全速力で駆け抜ける。死体が見えた。道場にはいくつもの仲間だったものが落ちている。
先生は燃え盛る炎の戸板を力任せに蹴破った。
外気が道場に流れ込む。飛び出した外は太陽がすっかり落ちて夜なのに真っ赤に燃え上がる道場が庭を煌々と照らしていた。炎の熱気に煽られて舞い落ちる紅葉が火の粉の様に空を舞う。
先生は聖を抱えたまま庭に座り込む。そして今まで見たことのない悲壮な顔で喉が潰れそうな甲高い声で叫んだ。
「どうして家が!? どうして誰も助けられなかった!! あんなに怖がって行かないでって泣いてたのに!! 誰も守れなかった!! みんな死なせてしまった!! 私がここを離れたりしなければ!!」
朦朧としながら聖は声を絞り出そうとしていたが、上手く酸素が吸い込めない。火事にまかれた人間は煙と熱気に喉と肺を焼かれてしまう。あるいは周りに一酸化炭素が存在感を増して体から酸素を奪い、意識を保ちながら神経を奪い、全ての行動を不能にして眠る様に命を奪う。
声が聞こえなくなっていく。泣き叫ぶ先生の顔が滲み、あるところで意識は完全に途切れてしまっていた。
聖が意識を取り戻したのは燃え尽きた屋敷から煙が細く立ち昇る昼間だった。あれからどれほどの時間が過ぎたのか聖には知りようがないが、聖は未だに先生の膝の上に抱えられていた。耳に触れる胸から鼓動が聞こえる。
寝ぼける間もなく恐ろしい記憶がすぐに脳裏に蘇る。
耳にこびり付いた先生の慟哭を思い出し、聖は重い腕を持ち上げた。先生の顔に触れながら喉と肺の痛みを堪えて伝えられなかった言葉を絞り出す。
「轟先生、俺、生きてる」
呼吸が苦しい。ともすれば飛びそうになる意識を繋ぎ止めながら聖は先生からの返事を待った。
いまだに燻る小さい火の爆ぜる音だけが聞こえてきた。
「先生?」
眠ってしまっているのかと苦労しながら上体を起こし、聖は先生と正面から向かい合う。
目は開いていた。
表情が抜け落ち、焦点の合わない伏し目がちな右目周りに視力が悪くもないのに子供達が押し付けた伊達眼鏡が溶けて顔に張り付いていた。眼鏡は飴細工を伸ばしたように右半分の頭を包んで頭蓋骨に突き立っている。
膝から滑り落ちた。
先生の肘から先が巨大な鉈に変貌していた。赤くこびり付いた血が地面も彼女も聖をも汚していた。
周りを見渡し、汚れの元がなんなのか把握する。
バラバラになった人体がそこら中に散らばっていた。顔の破片に見覚えがある。屋敷に火をつけた村人達だ。
聖は先生を見上げて放心した。
「俺を殺すのか?」
この最強の保護者が自我を手放し化け物になった。敵うはずがない。
先生が腕を持ち上げる。振り下ろすだけで体を一刀両断できそうな重い刃が一瞬視界から消える。
触手が絡み合った頭が落ちてきた。見上げた頭上には首血を吹き出した化け物がいて、少し遅れて横倒しになり痙攣する。聖の周りには死骸で円が出来ていた。この円の中で聖だけが無傷だった。
聖は先生に視線を戻す。
「轟先生」
呼び掛けても立ち上がっても先生は反応しない。
「先生」
突然奪われた日常も、兄弟のような仲間達も、思い出までもが炎によって奪われた。大事な物を意味も分からず全て化け物に持ち去られた。
「なあ、轟先生ってばぁ」
涙が溢れ幼子のように泣きながら先生の名を呼び続けた。それでも返事は一度たりとも返らない。
瓦礫の中から突き出した黒い腕が助けを求めて死んでいる。
鉄朗82 脳挫傷
轟32 変貌
キナコ15 焼死
あああ(通称 三字)15 不明
鷹14 不明
田吾作15(通称タゴ) 不明
列央13 不明
キチ(通称大吉)13 不明
虎鉄14 頸動脈損傷
神居14 変貌
マツ12 不明
一等13 頭部損壊
聖13 生存
博愛12 不明
モチ11 不明
メシア11 変貌
?12
大翔10 不明
?10
?11
?10
笑(通称ショウ)9 不明
涼真9 変貌
月光(通称ツキ)9 変貌
樹9 不明
?8
?7
?8
?8
カス(通称カズ)7 変貌
理音6 変貌
マロン5 変貌
ティアラ4 顔面損壊




