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平身低頭懺悔

 目を擦りながら体を起こし、まず目に入ったのは緑の大きなジャケットだ。

「お父さん?」

 コンクリート壁にはスプレーで書かれた毒々しい呪い、扉の前には銃を持った男が立っていた。鎌イタチに接触するため下水道で行動を共にした黒服の男だ。


 夢現の少女に背後から声がかかった。

「目覚めたね、おチビちゃん」

 ジャケットを握り締めて振り返れば、鉄格子越しに足がある。少女がその大きな垂れ目を見開いて、恐々と視線を上げていけば、引き絞られた腹筋、筋張った胸筋、ハッキリとしたへの字口に辿り着いた。跳ね上がった前髪は睨め付けるように見下ろす鎌イタチの目元を一切隠さない。

 少女は凍り付いたが、目の前以外から声が続く。

「気分はどう? 痛いところはない?」

 女の声を探して辺りを見渡せば、四つの檻には見知らぬ大人が半裸で窮屈に閉じ込められていた。体を捻って身を乗り出してきたのはシザーだった。

 手を叩く音と笑い声が口を挟む。

「あんな怖ぁいおっさんの前に立ちはだかれるなんて大した度胸じゃないか。正義のヒーローが現れたのかと思ったぜ」

「褒めるな村上君。銃口の前に身を晒すなんて自分は肝が冷えたぞ!」


 場違いで陽気なやり取りに少女は困惑し、改めて檻の住人を見渡した。そこで間近にある鎌イタチの腕に鳥肌が立っているのに気付く。冷えた部屋に半裸でいれば当然だろう。

 手元を見下ろせばそれが誰の服かなど一目瞭然で、少女は堪えきれずに大粒の涙を零して顔を両手で覆い隠す。


 大人達が異変に気づく。

「うおっと、どうしたどうした」

 蝙蝠の明るい声に、少女の土下座が返される。

「ごめんなさい」

 額を床につける深く重い謝罪にシザーが慌てる。

「あれ!? ちょっと待って、私達苛めないよ、怖くないよーっ!」

 少女が嗚咽をもらしながら首を振って謝罪を繰り返す。口を開けて呆然としていたタイタンが周りを見渡した。

「だ、誰か泣き止ませろ!」

 鎌イタチは漁ったポケットに何も見いだせず、舌打ちして少女の頭に手を乗せた。

「お前、名前は?」

「菅原丸金、貴方達を呼んだ陰陽師、です」

 頭を下げる丸金が身にまとうのは光の加減で薄くピンクがかって見える白の平安装束。その非日常な背格好が異様な空間を更に彩っている。

「悪いことを、本当に酷いことをしてるって分かってます。ごめんなさい。ごめんなさい。後で殺されたっていいです。お願いです」

 幼い少女から出る過激な言葉に、この場の空気は重さを増していく。

「……助けてください」






 殺戮者が現れて生活は様変わりした。

 社会なんてくくりは消え失せ、交通も流通も麻痺、自衛隊基地が民間人の保護区域となり、自宅に住まう者は少数派。

 檻から出て基地を脱出できたところで、彼らに戻れる日常はない。

「その化け物が通称、殺戮者。中でも難攻不落の殺人兵器と化しているのが変貌した貴方達、死神です」

 変わり果てた世界の惨状を説明し終え、丸金は身を硬くして胸元の服を握る。

 上着を身につけながら、村上は淡々とまとめる。

「俺達は死神が人間だった頃のコピー。使命は本体を殺すことねぇ。それはまた、なかなか」


 複雑な顔で呆けていた望月が目を剥く。

「待ってくれ! 確かにここへ至るまでの記憶は混乱しているが、それまでは普通に生活していたんだぞ。昨日は夜勤で自宅には正午に着いた。自分が偽物だなんて到底納得が。せめて過去からタイムスリップしたようなものじゃないのか」

「使役術は召喚とは違いますが、その、偽物というわけでもなくて、分離体ぶんりたいっていうんですけど、あの、上手く説明できなくて」

「ああ、いやいい。よく考えれば説明されても現実離れし過ぎて受け入れられない。頼むから泣くのも土下座もしてくれるな……」

 理解自体を拒否してしまった。同じく難しい顔をしていた布引が顔を上げる。

「ねえ、おチビちゃん。ちょっと聞きたいんだけれど」

「……はい」

 涙を浮かべて真剣な顔で視線を交わす。

「君、よく難しい言葉知ってるね。凄くお利口だからビックリしたよ。今いくつ?」

 表情を固めたまま視線だけ泳がせ、「あの、九つです」と答えた丸金に布引は明るく何度も頷いて笑う。

「そっかそっか。私が思ってたより君はお姉さんだったんだね」

「えっと……」

「随分小柄なんだねぇ。ご飯ちゃんと食べさせてもらってる? 足りてる? もしかして好き嫌いが多かったりするのかな?」

「は、はい。食料はなんとか、配給があるので」

 困惑しながら真面目に答える丸金に、望月が再び待ったをかける。

「この流れでまず聞きたいのは、そこなのか!?」


 背を丸めて胡坐で静聴していた荒妻も質問を繰り出す。

「一ついいか」

 丸金は荒妻に膝を向けて背筋を正して耳を傾ける。彼の問いかけは、既に説明した内容の復唱で、複雑な感情の込められた念押しだった。

「殺戮者になる引き金は、絶望なんだな?」

 一様に表情が曇る。

 当然だろう。

 彼らの本体が殺戮者になっているということは、既にそれは起こった後なのだ。原因を知らない丸金に答えられるのは単純な事実だけ。

「……はい」

 それだけ聞いた荒妻は、静かに目を瞑る。






 話が行き詰まった頃合いで勝間達は戻ってきた。

 村上は狭い檻の鉄格子に両足を投げ出して頭の後ろで手を組む姿勢に変わる。なんとか楽な姿勢を求めるが、狭い箱の中では長い手足が酷く持て余されていた。

「で、決定事項でも発表してもらえるんですかねえ? そろそろ檻から出してもらえる方向を期待してるんだけど」

 勝間が檻の前に立つ。

「それはお前達死神の態度次第だな」

 不穏な空気に、丸金は立ち上がって荒妻の鉄格子につかまる。


 檻には駒がついていた。暗幕をかけられ説明もなく移送するという無碍な扱いを受けても、四人は暴れる素振りを見せなかった。

 人払いされた廊下を完全武装した男達が密やかに進む。

 勝間は、檻とは別に後から着いて来る陰陽師集団にも警戒の視線を向ける。彼からすれば突然現れた得体の知れない集団には違いない。丸金は見咎められないよう縮こまりながら最後尾についていたが、大人の足に追いつくための駆け足が静かな廊下では少し目立つ。


 薄暗がりを進むにつれて奇声が聞こえ始める。だが大人達は足を止めずに平然と、徐々に発生源へ近づいていく。

 扉一枚を隔てて皮膚の泡立つ尋常ではない声を聞きながら、勝間がドアノブに手をかける。

「殺戮者について説明が必要か?」

 暗幕のかかる檻の一つから皮肉を含んだ陽気な声が返された。

「不親切な大人に代わってお嬢ちゃんが懇切丁寧に教えてくれたから、いらないな!」

 村上以外の返答を待たずに扉は開け放たれた。檻を慎重に運び込む大人達に紛れて丸金も部屋に滑り込んだ。


 息を止めて口を両手で押さえる。

 横に並べられ、檻の暗幕が一斉に取り払われた。

 部屋は鉄格子で半分に区切られていた。好意的に見れば雰囲気は動物園の檻に近い。しかし中にいるのは猛獣ではなく、天井から吊り下げられた化け物だった。

 目の間から顎にかけて裂けた口内には小さな牙が隙間なく生えそろい、体は異様に小さいのに四肢は蛇の如く長くうねる。頭髪がなければ元が人間だとは想像もできないだろう。

「…………特殊メイク、だろう?」

 望月の問いかけに誰も答えない。


 富田二等陸佐は殺戮者のいる牢を開き、無造作に荒妻の檻を押し込めて施錠する。

「ちょっと、ちょっと待ってください!」

 動揺して牢に駆け寄ろうとした丸金の腕が大和に捕まり、伸ばした手は空を切る。

 勝間は腕を組んで檻の中から睨む荒妻を見下げる。

「実際に精鋭として使えなければ議論のしようがない。死神の数だけ増えたでは戦況にトドメを刺されたも同然だ。無駄なリスクは看過できん」


 大勢の仲間、民間人を殺した死神と同じ存在。


 なかったものとして消すか。


 未来を賭けて受け入れるか。


「死神への対抗戦力ならば、標準の殺戮者ぐらいで死ぬはずがないな、鎌イタチ」

 重い金属音と共に荒妻の檻の蓋と、殺戮者の拘束が解除された。富田の手元にリモコンが握られていた。

 丸金は悲鳴を上げる。

「荒妻さん!?」


 殺戮者は自由になった途端、鉄格子に体当たりをして手前にいた勝間に触手を伸ばすがわずかに長さが及ばない。勝間は回避不要とばかりに不気味なそれに見向きもせずに荒妻を値踏みする。

 そして殺戮者が同じ空間に荒妻がいるのに気づく。潰れる様に収縮した小さく醜い体が勢いよく荒妻に向かって跳び上がった。その不気味な襲撃を荒妻は壁と鉄格子を蹴って避けると、そのまま天井近くの鉄格子をつかんで張り付いた。


 布引が困惑のままに声を漏らす。

「お、おう。忍者っぽい」

「言ってる場合か!? 人命をなんだと、こんなことは止めるんだ!!」

 怒りに満ちた望月の非難で金縛りが解けた丸金は、大和の手を振りほどいて決定権を持つ勝間に縋り付く。

「た、助けてください。武器も持ってないのに殺されてしまう。いきなりで心の準備だってなかったのに」

 勝間は丸金を横目にも見ない。


 天井にまで跳び上がってきた殺戮者の頭頂部に荒妻が蹴りを加えるが、床にひしゃげても即座に跳ね戻って襲われる。まるで攻撃が効いていない。

 丸金は唇を噛み、部屋の棚に駆け寄って物をひっくり返す。

「何か、何か武器になる物を」


 しかし、勝敗は一瞬でついた。殺戮者を蹴りで凌ぐ荒妻に村上が激を飛ばした。

「んなブヨブヨした相手に気絶狙っても無駄だ! 穏便に済む状況じゃねえ、人と思わず脳みそ踏み潰せ!!」


 盛大な舌打ちと肉を潰す音が響く。


 丸金が振り返った先に広がった光景は、別に何かが飛び散った凄惨なものではなかった。ただ荒妻の足が殺戮者の頭にめり込んでいただけ。

 荒妻と視線が交錯した丸金は手にしたペットボトルを落として金縛りに遭う。転がるペットボトルに荒妻の視線が移り、足元の殺戮者へと終着した。






 殺戮者の死骸と共に牢屋前でとり残された。相変わらず丸金の所在については連れてきた大和ですら無関心だ。せいぜい大和の付き人である男が視線を向けたのが最後である。

 荒妻は小さな檻に戻っていた。死骸と牢に残るか、檻に入って牢から出るかの二択なら、狭い檻がマシに思えても仕方ない。

 もっとも、死骸と同じ部屋に残されていることに代わりはなかったが。


「はい、監視員さん。私トイレに行きたいです。ついでにおチビちゃんも一緒に行っとかない?」

 布引の誘いに首を振ったが「そんなこと言わずに」と手が招く。それに便乗したのは望月で、「自分も行っておきたいんだが」と部屋に一人残った監視に訴えた。

 この監視にも丸金は見覚えがある。行動を共にしていた迷彩服の方だ。この男、監視とは名ばかりで、壁にもたれて終始よそ見で立っている。そんな調子なので布引に視線を一度向けてすぐそらす。

 ただ、無視をしたわけではなかったらしく、扉を叩いて外へ合図を送った。扉が開くと村上が『航空自衛隊』と言っていた先の監視が顔を覗かせた。

「シザーがトイレ」

「おい」

 無視された望月の横を布引だけ移送される。迷彩服はそのまま床に落ちたペットボトルを拾い上げると、中の水を飲み干して望月の檻に向かって投げて寄越した。

 望月は口をひきつらせる。

「ま、まさかな。まさか」

「せめてもの情けだ。シザーが帰って来る前に全員済ませとけ」

 村上が上体を起こさずに噛みつく。

「何が情けだ。間接キスならぬ関節汚物じゃねえか。せめて一人一本くらい用意しろや」

 迷彩服は壁に戻って再びあらぬ方向に顔を向けると、「ご愁傷様でーす」などと挑発的な態度で腕を組み足を交差する。


 しばらく村上は監視を見ていたが、溜息をついて丸金に視線を向けた。

「お嬢ちゃんよぉ、コンクリートの上でいい加減に足も痺れてきただろう。そろそろギブアップしちまおうぜ? お嬢ちゃんが謝るのはお門違いだし、んなこと頑張られても誰得よ」

 畳などよりも負担の大きなコンクリートの上で土下座を続ける丸金は真っ青になって震え続けていた。ようやく頭を少し上げても、視線を合わせずうつむく少女は一層華奢で幼く見える。

「本当は人間を使役する所業は人道に反するから禁術なんです。ただでさえ罪深い、責任を持たなきゃいけない立場なのに、私、さっき、なんの役にも」


「おい」

 鉄格子の間から荒妻の腕が伸びて、人差し指が上向きに振られる。深く沈み込む丸金は顔を悲壮に歪めて立ち上がり、檻の前まで歩いていく。

 荒妻の前で両膝をつくと、頭をつかまれて丸金は思わず両目を硬く瞑る。


「やれる事をやれ。それ以上は俺がやる」


 目を見開いて荒妻を見上げる。

 手は節くれだって堅く、なのに存外柔らかく髪をすくように撫でる。あの睨め付ける目は、下から覗き込むと随分違った印象を与えた。

(アカ)

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