保護者
覚束ない足取りで蛇行をしながら、高台を目指して階段を登る。朝まで戦い続けた聖の体力も流石に底を尽いてしまい「目的地まではすぐそこだから」と背中越しに声援だけがかけられる。戸建の屋根より高いゴールは疲弊しきった頭では地獄の関門が如くおぞましく映っている。直線にのびる急な階段、二度にわたる狭い踊り場、目眩で何度も足が滑る。
「上にあるのは、病院ですか?」
「違うけど豆知識、病院と学校は見つけても行くな。なんでか知らんけど変貌者の数が凄いんだ。誰かを助けようとしたり避難で殺到した結果だろうって誰かが言ってたわ」
「じゃあ、薬屋さんなんですか?」
「その辺は初期で荒らされて使えそうなもんは取り尽くされてる。行っても無駄無駄。んだからメチャクチャ怪しいんだけど、この辺なんでか薬と食料箱詰めされて道のど真ん中に落ちてんだ。ゲームの宝箱かよって感じだろ? 待ち伏せ強盗くさいから完全スルーしてたけど、今回は緊急時だから戦闘覚悟で拝借しにいこうと思ってな」
聖の狙いに合点がいった。
「それ、多分自衛隊の救援物資です。定期的に救助活動をしていて、保護しにくるまでの避難場所を指示した手紙があるはずです」
ここは基地と交流のある地下鉄スラムが近くにある。ショッピングモール同様物資を届けていたのなら、周辺を巡回しててもおかしくない。
聖は階段の途中で立ち止まって眉を眇めて丸金を見下ろした。
「ここ、自衛隊の基地が近いのか?」
「車でなら近いと思いますけど」
「ヤバい。道理で先生が姿を消すはずだ。早いとこ回収して離れねえと」
様子を変えて早足となる聖を慌てて追いかける。
「だ、大丈夫ですよ。あああ怪しい組織とかじゃないんです! 基地で民間人を保護してて、強盗なんてしてなくて、私もそこから来てて用事の途中で外にいるけど逃げてきたとかじゃ全然ないので」
「ごめん。なんつうか、先生がそういう武装集団と相性悪くて衝突するんだ。言っただろ。うちの先生地獄をみてからイカレちまってるって。先生にとっては変貌者を殺す自衛隊も粛清対象なんだ」
地獄を見てから変わってしまったのは誰しもが同じだろう。スラムの住人だって、基地の住人だって以前はもっと表情があったはずだ。苦痛以外に顔を歪めない桐島も、怒り以外に感情を露わさない仲前も、緊張すると吃逆する丸金も、昔はどうやって笑っていたのか思い出せなくなるくらい歪んでいる。
「本当は優しい先生なんだ。俺が生きてるのだって先生がいたからだし、どんだけヤバい変貌者が現れても先生は絶対守ってくれる。だから先生にあんまり敵を作らせたくない。悪いけど薬を見つけたら先生見つけてズラからせてもらうぜ。その箱におっさんの居場所を書いて入れとけば自衛隊が助けてくれるんだろ?」
蝙蝠から身を潜めている緊急事態の自衛隊が通常通りに保護活動を継続する余裕があるとは思えない。現れるとすれば周辺の設置箇所を把握しているであろう仲前か桐島だろう。
しかし、大事な人を想う気持ちが痛いほど理解できる丸金に保身で聖を引き留められるはずもない。
「迷惑かけて、ごめんなさい」
「構やしねえって! 助ける力が俺にはあった。助けを求める人がいた。それを見過ごすような薄情してみろ。先生悲しい、とか言いながらあのクソババア、足腰立たなくなるまでしこたまボコりやがるからな」
辛い階段の上に空が見えてようやく高台に辿り着く。石畳の広い敷地は見通しが良く、正面には人間より大きな細石が飾られた簡素な展望台となっていた。端には東屋と望遠鏡、その先には小さく城が見える。
見下ろした風景が全て廃墟なのだと考えると、地上に降りるのが酷く恐ろしい行為に思えてくる。この景色の中には少なくともカマイタチとタイタンが潜んでいるのだ。同等の力を持つはずの味方がいても勝てなかった最強の死神が。
聖と別れる前に忠告しなくてはならない。どれだけ強い少年だろうと死神とまともに対峙すれば死ぬことになる。
見覚えのある箱は巨石の前にあった。仕掛け人が判明して危険はないと知ったせいか、一切の警戒もせずに聖は颯爽と蓋に手をかけて中の薬を選別し始める。
「止血剤と栄養剤と鉄剤か。怪我人を想定した感じのチョイスだけど抗生剤はさすがにないか。一番貴重な薬だしな」
服を捲って腰に巻き付けていた風呂敷を広げて薬と食事と水を慣れた手つきで纏めてしまい、肩に担ぐとしゃがんだ姿勢で丸金に手を差し出した。
「急いで帰るぞ、菅原丸!」
何も用意のない丸金は急かされるままに手を伸ばして聖の手を握る。
「あの、聖さん。別れる前に伝えておきたい事が」
言葉の途中で一斉に地面が沈む。
「えあっ!」
「なんだ!?」
見下ろした足元に明らかな異変があった。大きな口だ。先程まで立っていたのはただの石畳だった。それが人を丸呑みできる石で出来た剥き出しの歯になっている。
気づいた聖の判断は一瞬で、荷物を投げ捨て丸金を抱えて口の外へ跳ぶ。
「連続怪異ー!?」
地面に開いた穴が空気を噛んで救援物資の入っていた箱を圧搾した。丈夫な箱が簡単に砕けて破片が散らばり、大部分は口の中へと姿を消した。石畳が形を変える。口を中心に石の目玉が八つも浮かんで瞬き、瞳孔全てが聖に合わせて傾いた。
口が地面を滑らかに移動して追ってきた。着地した聖は目玉を踏みつけながら広場を駆けずり回って口から逃げる。
「やべぇ、地面が相手とか対処が分からん!! 俺、急斜面で失速せずに逃げれるか? 駄目だ、あの動きでこられたら捕まる予感!!」
揺れる地面で細石が左右に転がる。丸金は聖の小脇から地震を起こす化け物を見渡して叫ぶ。
「あれは、多分、なゐの神です!」
「神様あ!?」
「地震を起こしたりする荒ぶる神です。遥か昔から陰陽道でも祀ってる自然界の大御所で」
「何それ生身で勝ち目あんの!? でかいから当たり判定広くてヤバい! 早くどうすりゃいいのか教えて陰陽師!!」
「え? あの、えっと、なゐの神は確か、各地で封印されたりしている、ので」
聖は脇に転がる木の棒を拾って目玉に突き立てる。棒先は目の中心を捉えたが衝撃で棒の方が縦に裂けてしまった。石で成り立つなゐの神には当然の如く攻撃が通らず、目玉と口の移動で靴の底を危うく噛みちぎられてしまう。
それでも聖は冷静にそこらの物を拾っては殴るを繰り返すが、武器は砕け、なゐの神は怯みもしない。
薄暗い畳の部屋で座して語る祖母の姿だけが無音で浮かぶ。五行の神だ。これに関する対処法は陰陽道では基本に近い。大事な話と前置きされたが遊び盛りの幼児にとってはどうでもよくて、喉元まで出かかっているのに思考がまったく形にならない。
なゐの神が動きを止めた。口を開けば歯の向こう側は底の見えない暗闇だ。どうなっているのか知る者は誰一人として生きてはいまい。その口が急激に範囲を広げて二人の足元から地面を消した。咄嗟に高く跳んで躱す聖の身軽さでもっても蝙蝠の様に空を飛ぶマネまでは出来なくて、浮遊感に包まれながら空に向かって聖は声を張り上げた。
「先生、助けてえええ!!」
声の出ない丸金は空ではなく大口の奥を見ていた。歯の向こう側にはスリコギ状の喉があり、獲物を捕らえる歯列が何重にも並んでいる。そこから視線を前に向けた。穴に落ちる瞬間、階段から飛び出して駆けてくる大きな人影が見えた。子供達が口の中に落ちたと同時になゐの神の顔面に大きな細石が叩きつけられ、割れる岩の間から巨漢が地面を殴りつける。
石畳に放射状のヒビが入り、地鳴りと共に周辺が細かく割れる。落下する足元に我先に流れ込む石が穴を埋めていき、数メートルで底が出来た。着地直後に足の裏の衝撃に耐える聖が手を滑らせて丸金を地面に落とす。
五行陰陽の力の流れをもちて、なゐの神の力を打ち滅ぼしたるは木克土にある要石。
祖母の声を答えと共に思い出す。
腹這いに打ち付けられた痛みを突っぱねて、丸金は急いで穴蔵から空を見上げる。人影が砕けた口周りにまで足を引きずって姿を現わす。全身を上下させる荒い呼吸で、死体と見紛う顔色で、血に塗れた不死身の男は声を絞り出して説教を垂れた。
「子供だけで、勝手に外へ、行くんじゃないと」
後ろに向かって望月が倒れていく。大小の石が転がり落ちて背中に肩に額に当たる。大きなコブが膨らみ血が滲んだが気にもならない。声も出せずに穴を這い出る。すり減っている大きな靴底を捕まえて、足の間で膝立ちになり、フラつきながら立ち上がって駆けつけてきたヒーローを見下ろした。
白目を剥いていた。
意識は無かった。
新しい血は滲まなかった。
遅れて穴から顔を出した聖は粉々にされたなゐの神を見回すと、苦笑いの疲れた顔で肘をつき顎を乗せた。
「菅原丸の保護者って、もしかしてサイボーグ?」
涙が溢れる。
意識が戻った。
動いていた。
勝手に出歩いて叱られた。
起きている望月を見た途端、張り詰めていた気が緩んでしまった。まる四日、何も食べず、まともに眠らず極限状態になっていた。
丸金もとっくに限界を超えていたのだ。
「菅原丸!?」
脱力した丸金は望月の腹に重なり倒れ込み、久方ぶりに夢も見ずに眠り込む。望月の服をしっかりと握り締めながら。
また知らない天井だった。カビ臭いベッドから身を起こした丸金は跳び起きて周囲を確認する。水玉カーテン、ヌイグルミ、シールだらけのゴミ箱、途中で折れた魔法のステッキ、見ず知らずの子供部屋だった。
「いいから食えって言ってんの!」
階下から聞こえた声で、一目散に部屋から飛び出し暗い階段を駈け降りる。
「子供から貴重な食料を奪うくらいなら、食料は自分で調達する!」
左右を見比べ声の方角を探り当てる。
「あのね、おっさん。俺はこの二年間すいも甘いもやり尽くしてきた感じなの。食料調達なんて海千山千プロフェショナルなの。遠慮とか要らないっつってんの!!」
「待て、君は言葉を間違って覚えている。正しくは水も甘いも噛み分けた、だ」
「あー、もう! そこは意味が通じりゃ別にいいだろ!」
「駄目だ。言葉というものは間違って使っている内に正しい物が失われていく。使う機会が少ない言葉は特に間違ったままにしないことが」
「このおっさん超うっせ。仕方ないから力ずくで詰め込も」
「お、おいこら、やめっ!?」
襖を開けると、望月の口に何か押し込んで鼻と口を塞いでいる聖と、横たわって聖の腕をつかんで抵抗しながら喉を詰まらせている望月が修羅場を迎えていた。
「ふぐー!? ほむへひふー!」
「あ、菅原丸やっと起きたのか。飯出来てるからお前も起こそうと思ってたんだ。それなのに望月のおっさんときたら怪我人のくせにやたら頑固で」
望月が元気に喋っている。息も絶え絶えだった瀕死の気配は薄れて声には覇気が戻っていた。力加減を間違っている聖に息の根を止められかけてはいるのに気付かず、丸金は胸を押さえて膝から崩折れる。
「望月さんを、なお、治してくれて、ありがとうございます」
泣きながら床に丸くなって額を擦り付ける丸金に、聖は首と片手を振って否定する。
「いや、このおっさん薬とか使わずに治ってるから。薬のんだの目が覚めたついさっきだし」
呼吸を止められた望月の顔色は紫となり抵抗していた手が落ちる。それまでには何かは呑み下すことが出来たようで、聖は両手を叩いて微笑みながら額を拭う。
「ふー、これで少しはなんとか人助けらしいことができた。飯さえ食っとけばおっさんは蘇るだろ。筋肉装甲以外に意味不明な自動修復機能完備でめっちゃ頑丈みたいだし」
負傷とは別の理由で危うく殺されかけている望月は絞め落とされて再び夢の中へと旅立ってしまった。
望月の隣に這っていき、身を乗り出して胸に両手を押し当てる。穏やかに胸が上下する。熱を持った堅くて分厚い筋肉の奥で心臓が規則正しく脈を打つ。眉間に刻んだ皺の深さに力強さが籠っていて意識は無いのに唸り声を漏らしている。
昨日は泣き叫んでも起きなかった。今ならきっと揺り動かせばおそらく望月は目を覚ます。
「望月のおっさん、きっと峠は越えてるぞ。自力で勝手にこっちの苦労も知らないで」
「ご、ごめんなさい」
聖は両手で丸金の髪を掻き乱す。
「俺の先生みたいな超人保護者で良かったな! 正直言うと死んだ後になんて言ったら変貌せずに着いてくるか台詞を練りに練りまくってたんだ」
大きな口で笑って見せる聖を見上げる。
また捜索を邪魔してしまった。
すぐに先生を捜しに行きたがっていたのに、丸金まで気絶したせいで見捨てて行けない状況を作り出して引き留めてしまったのだ。
「あー、疲れた。本屋で一日中ゴロゴロ漫画読みながら怠惰な休みを過ごしたい。先生勝手に帰ってこねえかなあ」
状態の安定した望月の顔を確認して、丸金は居住まいを正して頭を下げる。
「聖さん、私、先生捜しを手伝います」
「んあ?」
「恩返しをさせてください」
この家ならノートの場所は想像がつく。御札を量産できれば空からの偵察ができる。多少の目眩しも使えるし、視界の悪い町中での人探しなら丸金でも役に立てる。
「あんまり遠い距離までは飛ばせませんが、離れた場所を見ることができれば殺戮者がいたら会わないように道を変えたり、隣の道に先生がいたらすれ違いにならずにすみます」
能力の一つを明かすと、聖は興奮して手を叩く。
「おおー、ぽいぽい、なんかそれ千里眼的な感じでマジな陰陽師っぽいな! お前そんな便利な術も使えたのか。でもなあ、俺、急いで先生捜したいから望月のおっさんが起きるまで待てないんだけど」
「手紙を残して行きます。ここにいても私には何も出来ないので、食料と、水と、お薬を置いて、望月さんはお留守番です」
「後で俺が児童連れ回しでめっちゃ怒られるやつじゃん。心配するぞー。知ってるか? 望月のおっさんってSATだったらしいぜ」
「サットって、なんですか?」
「テロリストとかぶちのめす警察の特殊部隊だよ。映画とかドラマとかで……菅原丸の歳じゃまだ観たことねえか。魔法少女とか特撮には登場せんよなあ」
望月が警察の中でも危険な仕事についていた事は簡単に納得できた。今までの行動を見ていれば、交通整理や平和な町の巡回で自転車を漕いでいる姿の方が想像できない。
それよりも丸金は、おそらく短時間の関わりで丸金の知らない望月の情報を聞き出している事に驚いた。丸金はこれだけ行動を共にしていながら望月の事を何も知らないというのに。
「も」
視線をさまよわせた丸金は望月の服の端を握り締める。
「望月さんはパンの間に仕込まれたゴキブリチョコで悲鳴をあげます」
「それは多分俺でも叫ぶ」
口を尖らせてうつむきながら望月を横目に見る。
なゐの神との戦闘を見ても絶対安静を要するのは一目瞭然だ。この超人は必要とあらば死の淵にあっても戦い続ける。自分が生き延びる為ではなく丸金を守る為に。
「すべき事を考えました。基地は少し前に襲撃を受けて人手不足になっているから保護活動を休んでいると思います。私だけでは望月さんが治るまで魑魅魍魎から守る事も、基地まで助けを呼びに行く事もできません。望月さんが助かる為には地下鉄ではぐれた他の大人を見つけるしかないと思います」
「なるほど。それなら先生を見つけたら俺がここに戻ってきてやるよ。菅原丸が先生のことを見ててくれたら、基地までは俺がひとっ走りしてきてやるし」
丸金は甘い提案に激しく首を振る。
「この辺りには凄く危ない殺戮者がいるんです。死神は他の魑魅魍魎とは比較にならない存在です。襲撃された基地では強い大人が変貌したり殺されたりで大勢亡くなってしまいました。銃とかヘリコプターがあったとしても勝てませんでした。だから偵察必要なんです。聖さんだけ危ない目に合わせたり、望月さんだけ痛い思いしてるのは、間違ってると、思うから」
それは、また間違いなのかもしれない。丸金が選んだ道で胸を張って正解だった言い張れる記憶が無い。しかし、成功体験を持たない丸金に布引はこう言った。
「勇気を出して、すべき事を考えました。何もせずに後悔するのは、もう嫌だから」
聖は腕を組んで長い唸り声を上げる。
「んあああ、気持ちが分かっちまうから断れーん。そうだよなあ。守られて取り残される痛みだけは味わいたくないもんだよなあ。分かった。救助が来ないなら解決するまでの護衛はいるし、先生とおっさんが顔を会わす前に菅原丸が先生に慣れてたくれたら印象操作できるかもだし」
もう何度も丸金に差し出された掌が目の前に広げられる。
「もうしばらくは俺と菅原丸のコンビで延長戦といきますか!」
丸金は勢いよく立ち上がって聖の手を両手でもって握り締めた。
望月へ宛てた平仮名の多い手紙を書き上げる。これでようやく出発しようと顔を上げた丸金の横で、聖は顔面を皺くちゃに顰めて小学二年途中から無学な少女の肩を叩く。
「お前、字ぃめっちゃ下手くそだな。俺より汚いのって相当だぞ。ってかこれ望月のおっさん解読できるんか?」
包み隠さぬ無慈悲な指摘に丸金は口を開けて固まった。手紙には容赦なく聖の一筆が入り、探索範囲を囲って記した町の地図を添えつけられた。
片目を塞いで蛇行している丸金を聖が手を引き闊歩する。静かな住宅街ですれ違うのは植物と虫くらいなもので、行きずりに聖が草を引き抜き穂を抜いて口にくわえて笛を鳴らす。
「右側の道路は七つ目までは誰もいませんでした。死体とかもありません」
「便利だなあ。しらみ潰しに駆けずりまわって痕跡探す作業が嘘のようだ。俺も覚えてえ。なんか俺でも習得できるやつとかねえかな?」
「その、陰陽術は自分に合った陰陽五行の属性のものしか習得できないんだそうです。属性は五種類合って、お父さんお母さんと同じものを受け継ぐけど、普通の家では属性に関係なく結婚しちゃって混ざった分だけ力が相殺し合うから、練習しても使えない人の方が多いんだってお婆ちゃんが言ってました」
「術の属性。なるほどピンときた。炎は水に弱くて水は雷に弱くてとか、ゲームでよくみるシステムのことか」
「雷はありません。火、水、木、金、土です」
「月曜と日曜は」
「曜日じゃないです。それに陰陽師の家じゃない人は親の属性が分からないから手探りで自分が使えるものを見つけなくてはいけなくて、何年も練習した術が駄目になったりするせいで挫折していくんだそうです」
「はい、俺には無理! まあ、そんじゃ菅原丸は何の属性で、他にどんな術が使えるんだ?」
「私は金です。魑魅魍魎を術で縛って支配下においたり、身体の一部から魂を削り出して複製する術を得意とします」
「人形とか白い増えるワカメを下僕にできるってことか!?」
「いえ。生涯に扱える使役術には限りがあるので私にはもう使える内臓がありません」
「このチビ助、急に怖いこと言い出した」
「臓器にも五行陰陽の流れがあって、心臓、肝臓、脾臓、肺臓、腎臓で、あの、えっと、媒体が、生贄で、なんとかって書いてました」
「そして急に曖昧!」
「まだちゃんと覚えてないので。で、でも使える内臓は五つしかないから簡単に使っちゃ駄目だってお父さんが言ってました」
「それなのに使っちゃったんか。じゃあ、菅原丸には既に使い魔が五匹いるってことなんだな」
一人目は肉片になった母親だ。そこから五人目までは死神達に全てを賭けた。
顔を伏せる。
「私は使役術を全部悪い目的に使った最悪の陰陽師なんです。普通は妖怪とか動物に使うものなんです。それなのに、私は人間を顕現して酷い事を頼みました。凄く、凄く、酷い事を」
こんな世界に呼び出して、辛い現実を突きつけて、人間としての尊厳を奪われたまま道具として扱われ、報われない結末ばかりを見せられる。
被害者は誰も丸金を責めない。
これからも本音を教えてくれる事はないだろう。
聖は虚空に一度視線をやって言葉を見つけて戻ってくる。
「俺にはよく分からん世界だから適当言っちまうかもしれんけど、いつか悪い事しちまった相手と仲直りできたらいいな」
片目から手を離して術を解いてしまった。空を飛んでいた目札が何処かの家へと舞い落ちる。
絶望からは程遠い稀有な少年。殺戮者の群れを身軽に駆け抜け、いざとなれば吹き飛ばす。扱う武器は周囲にある全ての物だ。
丸金には藤崎聖が全てを持った完璧に見えた。
こんな風になれたなら。
別れてしまって本当にいいのか。
聖よりも強い先生という存在が頭を過る。それが本当ならば確実に荒妻、村上、布引、望月と並び立つ尋常ならざる存在だ。味方に加わればどれほど心強い戦力になるか計り知れない。死神との戦況は拮抗するか下回っている。死神以外のもう一人の存在がいれば、生死の境をさまよう誰かを見ることなく使命を果たせるかもしれない。
説得出来ないのだろうか?
聖はこんなに親身に味方になってくれていた。その聖が慕っているなら話し合えば一縷の望みはあるかもしれない。丸金では駄目だ。口の上手い村上なら、あるいは社交的な布引なら。
聖の手を強く握る。
「聖さんの、先生は、どんな人ですか?」
「ん? そうだなあ。服装は多分汚れて見分けのつかない白のワンピース。髪はもう崩れたかもしれんが一纏めでダンゴにしといた。三十路の年増でノーメイク。半年前に暇潰しに測ったスリーサイズが、んー、あー、いくつだったか忘れちまった」
「あの、スリーサイズって、なんですか?」
「すんません、最後のは聞かなかったことにしてください。先生には絶対言うんじゃねえぞ。これはフリじゃねえからな」
何かやましい事で口を滑らせたらしい聖は必死になって口止めをする。丸金は今までの言動を振り返って不安に駆られる。聖が先生を語る際、やたらと口から殴るだのボコるだの乱暴な単語が多く出る。聖の話だけでは先生という人物像がまったく見えてこない。
「……あの、先生って結構怖い人なんですか?」
聖は空中に指で円を描きながら視線を空に向けた。
「えー、まー、あれだよ。怖いけど怖くないっていうか、菅原丸は心配ねえんだ。その、決闘で相手を半殺しにしたり、喧嘩で相手の歯をへし折ったり、隠れて火遊びしてたら山火事起こしたりとか諸々やらかしたりとかしなければ」
聖が怖い人だった。
握っていた手を離した丸金に聖は手首をつかみ直す。
「いやいや、もう反抗期とか終わったし! チビ助相手にやんねえよ!?」
眉間に皺を寄せて「違うなあ。えーっと」なんて記憶を探り寄せて唸っていた聖は、しばらくして最初から語り始めた。
「俺が捜してる先生ってのは学校の教師ってわけじゃなくて、親が匙を投げてぶち込む躾小屋みたいなとこの調教師なんだよ」
「調教師?」
「そう。悪ガキ追い回して、みんな良い子ねー、って言いながら足腰立たなくなるまでシゴキあげる調教師。まあ、ネグレクトで放置された連中が逃げ込む駆け込み寺みたいな事もしてたけど。俺はハイブリッド型つうか、親が子供に興味無いガチのクソだったから、菅原丸くらいの頃には出入りしてて三日に一回は先生にしばかれてたんだわ」
丸金はなんとも言えない顔で口を噤んで聞き手にまわる。
「家庭の味って言ったら先生の作った飯だったし、学校で親が呼び出されても来ないから代わりに来たのは先生だったし、運動会とか卒業式とか入学式とか、生徒の行事に爺ちゃん先生と手分けして総なめで来るんだよ。もうあんたら俺の親戚かよって感じでな! んで叱る時はメチャクチャ容赦ねえし、家出したら地の果てまで追い回されるし、繊細な思春期相手にデリカシーなくズカズカ踏み込んでくるクソババアなんだけど」
謎に包まれていた人物像が柔らかくて暖かな形になっていく。
「俺達にとっては最高のヒーローだったんだ」
話を聞き終えた丸金は作り置きの御札を空に飛ばして片目を閉じた。
「分かりました。先生が怖いんじゃなくて、聖さんが悪い事するからよく怒られてただけなんですね」
「待て待て。なんか先生の鬼畜さ加減が絶妙に伝えきれてない気がする。爺ちゃん先生のは厳しい躾って感じなんだけど、先生の場合は本当調教って感じで腕力に物を言わせるスパルタの」
顰め面で憎まれ口を挟み出す聖が勢いよく正面に顔を戻す。曲がり角の壁に赤い色がぶちまけられていた。一気に警戒した丸金が空に飛ばした目札を前方に飛ばす。肉眼でもわずかに死体の一部が見えていた。
視界が道に差し掛かった直後に広がった光景は赤黒く染まった死の小道だった。そこら中には切断面の鋭い輪切りの尋常ではない死骸が散らばっている。塀に低木に壁に張り付く目玉に内臓、肉片、四肢、何ともつかない触手の生えた体の一部。切断面から流れ出る液体が斬られた直後と語っている。
「うっ」
見回した限りでは全て人間の死体ではない。色も形も変わり果て攻撃的な造形をしている殺戮者達だ。
「殺戮者がたくさん死んでます。まだ血糊が新しい。体が真っ二つだったり、バラバラにされてるのばかりです」
丸金の言葉で聖は一気に目を輝かせる。
「先生だ!!」
「え!?」
手を握ったまま聖は死体の方へと駆け出した。
「先生! 先生! 何処だ!!」
「待ってください! 聖さん、大きな声は、屋内にいるかも、しれない、殺戮者を引き寄せちゃいます!」
曲がり角で遠心力に丸金の体がもっていかれて道の真ん中に飛び出した。赤い水溜りで新しいズボンに血飛沫が滲む。
「先生、出てこいよ!」
「止まってください聖さん!! 絶対何かおかしいです! 何か普通じゃないものがいます。こんな、こんなの」
聖は跳ねる血や凄惨な光景には目もくれずに突き進む。赤く染まった死骸の道が、曲がりくねって続いている。痙攣している下半身に、呻きを上げる上半身。何人もの骨を砕き、いくつもの肉を断ち、潰すのではなく脳天から股まで斬り裂ける武器など存在しない。それはもはや兵器であり、工具であり、人間が住宅地で狙って振り回せる範疇ではない。
大きな道に出た途端に殺戮者達の蠢く群れが見えた。聖は丸金をいつも通りに小脇に抱えて殺戮者へと突っ込んでいく。
「どうしたんですか! 止めて!! 聖さん!?」
「先生!」
聖は殺戮者の背中や肩を蹴って集団の真上へと跳躍した。殺戮者達の視線が聖へ集まる。群れの中心に居たのは女だった。
女は両手を広げて血に染まったスカートを膨らませて綺麗な円を描いて回転する。殺戮者の血が円周上に花弁の様に飛び散った。腹の高さから外側の地面に崩れて落ちる上半身。切断面を晒して垂直に脱力する下半身。その中心で立っているのは背の高い女だけ。
聖は死骸を足場に女の隣に着地した。
返り血で汚れた赤黒いワンピース。途中で壊れて溶けた様な眼鏡から枝を伸ばして頭に刺さる明らかな異物。焦点の分からない伏し目がちな光の無い目元から顎にかけては眼鏡から一筋の涙の様な異物が顎に伸びて皮膚を突き破り体へと同化している。肘から先には腕の代わりに大鉈が繋がっていた。右肘からは少し細めの、左肘からは少し厚めの巨大な鉄の塊だ。
「やっと見つけたぜ。無闇に一人で徘徊すんなっつってんだろ、轟先生!」
剣術師範、布引轟の変貌した姿。殺意を持つ者全てを切り裂く悲哀に満ちた死神シザーを、聖は嬉しそうに捕まえた。




