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松葉杖

 人型の侵入を抑えるガラス一面がヒビで覆われ、すぐ店内へ粉々になって雪崩れ込んできた。人型自身が淡く光っているのか、鮮明に白い身体がうねりながら入ってくるのが見えた。

 聖はすぐに動いた。扉に反転して片足を持ち上げて足の裏を叩きつける。

「いよいっしょーい!!」

 蹴破られた扉が勢いよく跳ね返ってくるのを腕で押さえ、ライターを着火しながら暗闇の中に飛び込んでいく。

「バレちまったらしょうがねえ。ぶっつけ本番、裏口探してとっとこ退散だ!」

 人型に追いつかれたら取り込まれる。丸金は急いで聖の背中に続いた。積み上げられたダンボールが視界を殺す雑然とした倉庫で、物陰にも何が潜むか分からない。物を倒しながら進む暗闇は迷路さながらで、聖が曲がるたびに光が一切届かなくなる。


 慌てて追った背中が突然止まり鼻先から衝突する。前を覗き込めば、そこには木造の扉がある。

「どうしたんですか? 早く外に」

 扉には鍵もなく難なく開いた。ライターに照らされた向こう側は部屋になっていた。いくつかのロッカー、石油ストーブ、人が隠れられる隙間はなく外に通じるのは天井近くにある採光用の細窓だけ。

「やっぱハズレか。連中の動きが遅いとはいえ、別の出口を探す猶予は」

 聖はパイプを壁に投げて丸金の腕をつかんで部屋に引っ張り込む。関節が外れるかと思う痛みと部屋に投げ出された視点で、背後に手を伸ばした人型が迫っていたのを知る。扉を足で乱暴に閉じた聖は間一髪のところで人型を部屋から締め出した。

「まあ無いよな」

 外から水袋を叩きつけるかの様な奇妙な音がする。扉を揺らす音は次第に増えて大きく重くなっていく。

 扉は木製だ。追い詰められてしまった。軋む扉はいずれ破られるだろう。打開出来るだけの武器も無ければ、逃げ場も無い。

 以前、基地で籠城した際には人間離れした戦力を持つ布引がいた。銃を所持した歴戦の大人も複数。そこまでしてようやく屋上まで抜けた。

 パイプで戦う少年に攻撃手段を持たない少女では条件が違い過ぎる。


 小窓を見上げる。

 丸金なら札を飛ばせば助けは呼べる。ただし周囲は廃墟、時は夜、誰かの目に留まるのは絶望的だろう。おまけに丸金の未熟な術が届く範囲は基地内の直径にも満たない。現実的な距離にいるのは望月だけだ。意識不明で死の淵にいる助けたい大人だけ。


 灯油ストーブのつまみを聖が捻る。何度か着火を試みて網目の筒に火花を散らし、それは奇跡的に赤い炎を燃やし始めた。埃が燃える臭いと共に。

「深刻な顔してどうした、菅原丸。あれか。ああいうのは陰陽師の力でなんか、ハーッ! って祓ったりすんのが難しい感じか」

「魑魅魍魎は幽霊じゃないので祓うとか浄化で消えたりしません。陰陽術とは世の理を読み解いて自然の流れを使うといった代物で、直接干渉したりは出来ないんです。さっきのお人形も意識をそらせて無害化したに過ぎなくて、完全に退治する術となると物理的に対象を殺せるくらい強い使鬼を顕現するしかないのですが」

「よーし、小難しい話はそこまでにしてもらおうか」

 丸金は頭を押さえ込まれた。

「つまりゲームみたいに儀式で世界を救う手っ取り早い新展開はありませんって事な。はあ、残念だわ」


「……ごめんなさい」

 一人前の陰陽師なら、あるいは解決する術を持っていたかもしれない。例えば貝塚なら精巧な幻術で人型の注意をそらせるだろう。大和なら何らかの倒し方を知っているかもしれない。菅原家で陰陽師として技を奮っていた父なら、力の使い方を教えてくれたかもしれない。

 だが、ここにいるのは伝書を丸かじりして本質を理解しない未熟な見習いだ。書いてある上部をそのまま撫でることしかできない紛い物。

「ご、めんな、さ…………」

 せいぜい昔話をマネておまじないの様な一時凌ぎが関の山。

「私が、もっと、ちゃんとした、陰陽師なら」

 この未熟さで再び他人を殺すのだ。

「助かったかも、しれないのに」

 聖だけじゃない。顕現術には縛りがある。肉体を作る代償に使った媒介は丸金自身の内臓だ。五行を司る五臓五腑(ごぞうごふ)が機能しなければ、術は前触れもなく一連托生で消えてしまう。

 瀕死の望月を一人にした挙句、誰にも何も報いられず、言いつけも守らずに代償だけは撒き散らす。死神ではない四人にとっては覚えの無い修羅道なのに、見返りもなく全身全霊で助けてくれた人達なのに。


 丸金の頭を押さえ込んでいた聖の手が離れたと思うと、頭を強く叩かれる。

「ただの、不思議パワーで楽したかったわーって軽口だろ。いちいちゴミみたいな発言まで拾うなよ。真面目ちゃんか」

 聖は揺れる扉にもたれて腕を組む。

「お前が頼りにしてるおっさんは怪我人かもしれんけど、俺にも強い保護者はついてんの。俺の先生ならしばらく耐えてりゃ絶対来るから、菅原丸は無駄な心配してないで俺と古今東西ゲームでもしてりゃいいんだよ」

 扉が不穏な音を立てて小さく割れる。

「先生を、信頼、してるんですね」

「まー、俺、愛されてますから」

 先生が聖を探していたとして、脆い扉は籠城には適さないし、バリケードを作れるだけの物が無い。例え奇跡的に間に合ったとしても、この状況で民間人が増えたところで助かる見込みは期待できない。むしろ助けにきたせいで先生はいの一番に死ぬだろう。孤独な蔵の外で母と相打ちした貝塚の父の様に。


 ここまでだ。

 袋小路で逃げ道を狭めて選択を誤った。正面に向かって走れば突破できる可能性くらいはあった。

 後は何が出来る?

 犬死だけは許してもらえない。彼の父を身代わりにして生き延びた命を無価値にだけはしてはならない。日課のように浴びた言葉は脳髄まで染み込んで、何かを成せと責め立てる。

 死の間際にすべき事もあるはずと。

 最悪の中にも選択肢はあったのだと知ったから。


『助けるべき相手がいて死力を尽くさない選択は』


「あ」

 前を向いたら聖の顔が目に入った。丸金に外の人型を排除する力や躱すだけの能力は無い。今更焦ったところで前提だけは覆らない。

 それでも一つの選択肢を見つけられた。


 丸金は拳を握って竦む足を震わせて聖の前に立つ。

「聖さん、私は人型の中に飛び込みます。その間になんとかして逃げてください」

「ああん?」

 公園での様子や分裂する様子から考えて、白い人型は他人を取り込んでいく集合タイプなのだろう。人型が捕食や殺戮ではなく取り込む事を目的とするのなら、急所を狙われ一撃で仕留められはしない。足掻いて時間を稼げば囮になれる。人型の動きは速くない。注意さえ逸れたら並外れた身体能力の聖だけなら逃げられるのではないか。

 少なくとも、生存確率はゼロではなくなる。

 誰かの命を繋ぐ事が出来たなら、誰かを救う事が丸金にも出来たなら、虚しく意味もなく死ぬ事だけは避けられる。

「もしかして俺はチビ助から俺の屍を超えて生きろ的な事を言われてる?」

「このまま全滅するくらいなら、そうして欲しいんです。私だと逃げ切れない。でも聖さんなら生き残れるかもしれない。意味も無く死ぬのだけは駄目なんです。お願いします。逃げてください」

 丸金が死ねば最低四人を道連れにしてしまう。それでも、誰かを助ける為だと言えば彼らは許してくれるだろうか?


 口を曲げた聖は頬を掻く。

「なんで勝手に追い詰められるかなあ。あのさあ、これ別に死亡イベントとか必要じゃないの。俺はさ、適度にピンチっぽくして先生を誘き出せたら探す手間が省けるし菅原丸の用事と同時進行できちゃうなーとか考えてたりするわけよ」

 聖の背後で扉に垂直の溝が入った。それでも聖は落ち着き払って喋り続ける。まるで後ろで起きている事に気付いていないように。

「それなのにチビ助は目の前で今から死にますよって面して覚悟決めちゃってるし」

「雑談はやめてください。危ないから、早く扉から離れててください!」

 割れた扉から人型が上半身をねじ込んで顔を上げた。正面からストーブの光に照らされたせいで、ずっと空洞だと思われていた目の内側には中身の抜けた眼球が張り付いていた事に気づかされる。乾いた眼球は皺くちゃなのに薄い黒目がこちらを向いた。

 聖は気怠げにそれを見上げて嘆息する。

「おまけに思ったより扉は脆くて菅原丸が思ったより過激派だった。仕方ない。諦めた。先生使って楽しようと思ったけど根性出すしかないわけね」


 パイプが人型の顎から脳天までを貫く。


 のんびりと立ち上がった聖は引き抜いたパイプを肩にかけて腰を捻って体をほぐす。

「要は分裂しなくなるまで打ち込みに付き合ってりゃいいんだろ。大体、増殖するとか吸収できる敵って限界くるまでボコってたら勝てるって漫画でよく見るもん。先生の鬼畜な罰しごきよりヤバいわけないから付き合ってやるよ」

 至近距離で白い人型に顔を寄せて笑顔満面で言い放つ。

「どうせお前ら滅多打ちでも死なないから遠慮しなくて良いんだろ?」


 扉が内側から蹴り開かれた。

 巻き添えになって跳ね飛ばされた人型の分だけ開いた隙間は数人分。扉の前は密集して殺到する人型で埋め尽くされていた。ストーブの光を受けて赤く染まりながら蠢めく数は光が届かず計れない。

 豪快な少年はパイプを前で横に構えて場にそぐわない掛け声を上げて踏み出した。

「はいはい、ちょっと後ろへ下がってちょーだいねー!」

 部屋に雪崩れ込みかけた人型を、後ろにいる数十体ごと押し返す。周りにある棚が倒れ、箱が落ちて、潰れて、左右に大きく振り回されたパイプで人型の体が暗闇の中に打ち上げられた。

「駄目です聖さん! 無闇に増やしたら逃げられなくなってしまう。体力がある内に」

「若者だから体力だけなら先生よりも俺が上! こいつらは扉の前でぶった斬る。お前は絶対変貌したりせずに信じて見てればいいんだよ。いいか菅原丸、俺はめっちゃ強いんだ!!」


 パイプ一本で戦う少年の背中に顔を覆って首を振る。

「人型の正体は多分人間を取り込んだ集合妖怪です!! もしも、もしも取り込まれたのが町中の人だったりしたら、きっと増える数は」

「それならそれで勘の良い先生が助けに来る! 可愛い教え子が孤軍奮闘してんだ。何万人いたとしても先生なら全員ぶっ飛ばすぜ!」

「大人は無敵じゃないんです! どれだけ凄い人でも、増やすだけ増やした酷い状況なんかじゃ子供の尻拭いで死なせてしまう!!」

「そうかもな」

 簡単に千切れる人型は床に落ちると泡だちながら膨らんで二体となる。それでも少年は迷わず目先の敵を倒していく。

「でも俺を守って死ねるんなら先生は本望だ。俺がすべき事は状況を最善に保ったり敵を減らす事じゃない。絶対無事で生き残る事、ただ一つ」

 短く呼吸を吐き出して白い体躯を数メートルも吹き飛ばす。どれだけ奥に打ち返しても暗闇から生まれてくるようにキリがない。狂おしい数の圧力。体力が尽きて囲まれる最期。こんなものは人間が切り抜けられる状況じゃない。


 パイプは原型を失って折れた。


 拳を振るえば腕にまとわりついて振り払い、その辺にある物を投げつけて距離をとった。


 髪は乱れ、服は破れ、光窓から朝日が差し込んでも倉庫に白い人型が立っている。


 こんな状況でもどうにかしてしまえる超人は知っている。口に出せば嘘臭く、聞けば存在を怪しむ常識で測れない稀有で得難い味方だ。


「はい、ラスト!!」

 最後の一体を聖の拳が天井へと打ち上げた。放物線を描いた人型は分裂せずに床に落ちて動かなくなる。倉庫の中はそんな白い人型で埋め尽くされていた。下敷きになった何体もの人型は萎びて干物と化している。

 倉庫の真ん中に立つ少年は膝に手を置いて雄叫びを上げる。

「あー、もう、何処まで徘徊しに行ったんだクソババア!! 可愛い生徒が孤軍奮闘してんのに結局助けに来てねえし。俺が嘘ついたみたいになってんじゃん。んあああ、この服結構イケてたのに激おこ」


 終わった。

 正面突破で、力任せで、隙の見える危うさで、けして余裕ではなかった。肝を冷やす場面も多々あった。それでも彼が何故、魑魅魍魎の闊歩する外の世界でキャンプ染みた生活をしながら生存者でいられたのか答えは明白だった。何時間も動き回れる桁外れの体力、終わりの見えない襲撃で濁りもしない精神力、この歪な世界で生きていくのに必要な能力を兼ね揃えた少年。


 藤崎聖もまた常軌を逸した力を持つ者だった。


 床の人型に躓いてよろけながら丸金の前まで戻ってきた聖は、目をこすりながら座り込んだ丸金を見下ろして口を吊り上げる。

「よしよし、ちゃんと変貌せずに俺の強くてカッコいいとこ目に焼き付けてたな」

 丸金は夢現な思考のまま問いかける。

「殺戮者は、殺さないはずでは」

「分裂しなくなるまで殴っただけじゃん。最後の奴は千切れてないし一体残しとけばなんとかなるって」

 集合妖怪はおそらく吸収された人間の数だけ分裂出来て、ハリボテのような分身ではなくその一体ずつに魂があったはずだ。萎びた人型はおそらく死んでいるし、そう計算すると下手をすれば数百を超える殺戮者を一晩で殺してしまっている。

 丸金は折り重なる人型を見渡して言葉を飲み込んだ。説明する必要はない。結果的にそうなったとしても、彼が殺したと知らなければ良いだけの話だ。


「サクラちゃんは渡さないわあああ!!」

 店から金切り声が空気を裂いた。人形の尋常ではない様子に、苦虫を噛み潰した顔で聖が向かう。丸金もよろけながら急いで後を追った。

 そこでは思いがけない光景が繰り広げられていた。

「許さない、許さない、許さない」

 黒い繭が大きく膨れ上がっていた。髪の間からは白い手足が空を掻いてもがいている。


 密やかに魍魎同士の衝突を覗いていた二人は慎重に棚の後ろへ移動する。癇癪を起こす人形の声を背にして黙って入口を目指す。夕陽も月明かりも通り過ぎ、空に昇った太陽の光が割れたガラスに反射して煌めいていた。

 見るはずのなかった夕陽から、見るはずのなかった朝日を迎えたのだ。






 壁に張り付けられた死体は肩と両膝の骨が砕けていた。垂れ下がる足は風が吹けば関節に配慮もなく横に揺れて、重力に耐えきれず地面に一本足が落ちた。指も潰れ、身体中へ縞模様をつけるよう丁寧に刻まれた傷からはもう血の一滴も滲んでこない。

 それほど酷く傷めつけた相手にも関わらず、狂人は死体の顔を丁寧に敬意を持って拭った。強烈な痛みで浮いた脂汗も、必死に這ってついた泥も、悔恨に膿んで流れた涙の何もかもを。服の裾に未練たらしくつけられた徽章(きしょう)

を胸に付け直し、癖のある乱れた髪を整えて後ろへ数歩移動する。

「ああ、せっかく飾り立てたのにお嬢ちゃんはニアミスか。どうあっても変貌しない気高い意思、死して尚目的を遂げようとする彼の勇姿を、是非とも未来を背負う子供達に鑑賞してもらいたかったのに」

 構図を確認するような仕草で死体を眺める。目の周りに色濃く染み付いた隈の中で今もなお安らかに眠れないのか、半分開いた目は濁りきって乾いていた。周りに落ちているのは松葉杖。足で遺品を死体の前に蹴り出せば、戦い半ばで倒れた憐れな戦士というおぞましい作品の完成だ。 


「さて、そろそろ反応の無い腐った肉には飽きてきたな。何よりお嬢ちゃんが勝手に面白い展開に進んでる。これは予定を変更してでも見学しないと勿体ないだろう? ボーイ&ミーツガールにはもちろん苦難と刺激が必要だ。舞台構成に多少手を加えドラマチックに仕立ててやらなきゃな。どんな顔をするか今から楽しみだ」

 地下鉄の案内板に分厚いナイフを突き立てる。

「そんなわけで、俺は忙しいからお暇させてもらうよ。俺の為に貴重な最期をありがとう、航空自衛隊の亡霊さん」

 男はいい加減な敬礼を向けると鼻歌交じりに歩き去っていく。


 残された遺体の足元で無線機がノイズを鳴らす。

「……デ、メーデ……答しろ! ……りしま」

 合間に聞こえる呼びかけは誰の耳にも届かない。死体は虚空だけを見つめ続ける。

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