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黒い繭

 服の敷き詰められたハンガーラックの一角で、コートの間から藤崎が顔を出す。

「やり過ごせたかなあ」

 中型店舗の正面を占めるガラス張りの壁は中心のレジカウンターを除けば道路が丸見えで、陽が落ちて暗闇で塗り潰された中に置き去りにしてきた一粒の電球だけが光源だ。後はガラスに散りばめられた暗闇で光る雪とクリスマスツリーのシールが心ばかり発光してるが、昼間に蓄光された淡い光は既に色を失いつつある。


 隣で新古品の埃っぽいコート達に全身を包まれた丸金は三角座りで膝に口元を埋めて涙を滲ませる。望月から離れて随分な時間が経ってしまった。意識不明で何はなくとも出血多量で死を待つばかりの重傷者が無防備にアパートの一室でただ一人。


「うへー。さっきの奴マジヤバかったな。まさか無限増殖じゃないとは思うけど割と分裂させちまったよなあ。最後何倍になってたっけ?」

「掛け算は、まだ全部覚えていないので」

「そういや菅原丸だと最終学歴は低学年辺りか。俺も二次関数から税率計算まで記憶の彼方だわ。今更受験勉強とか言われたら即決で中卒だな。算数はともかく数学なんて」

 服の隙間から能天気な調子で空中に円を描く少年を眺めながら、基地の天幕に貼られた九九表を思い出す。数日前に望月が書き上げたもので、几帳面に並んだ数字は彼の性格を示すように厳つく角張っていて、まるで印刷された教材のようだと村上が揶揄していた。

 少しでも陰陽師として役に立たなければと本にばかり噛り付いて一つも覚えなかった。

「私は最低なクズです」

「まあまあ、九九が出来ないくらいで自己嫌悪すんなって。先生なんて大人のくせに二桁の暗算になると指使うんだぜ。お前は子供なんだから成長してくのはこれからだろ。俺だったら今更勉強なんてゴメンだけど」


 藤崎は棚から抜け出すと伸び上がって体をほぐす。

「なんなら潜んでる間に九九の暗唱付き合ってやるぜ。気晴らしにもちょうど良いし」

「今はいいです」

「んじゃ、しりとりでもするか」

「いいえ。大丈夫です」

「いいいいいい」

 藤崎は腰を落として明後日をむいて謎の異音を発する。我関せずの丸金は暗い調子で質問を繰り出す。

「藤崎さん、少し聞いてもいいですか」

「駄目です」

 にべも無く即答された丸金は黙り込む。藤崎は両手の指を鳴らして高らかに宣言した。

「堅苦しいからやり直せ。俺の呼び方は聖君もしくはヒジリンとしてもらおう」

 目が泳ぐ。

「…………いえ、でも知り合ったばかりの、年上ですし」

「ならばお兄たんでも許可しよう」

 丸金はこの人種を知っている。相手に拒絶されることを歯牙にもかけず、割と手段を選ばず一方的に距離を詰めていく。

「なんだ嫌なのか? じゃあ、小学生が好きそうな落語の長名でいってみるか。久しぶりだから覚えてっかな。寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の」

 布引と荒妻のやり取りを目の当たりにしている丸金は早々に歩み寄った。

「聖さんでお願いします」

「オーケイ、話を続けな」


 深刻な空気に水を差された丸金は切り出し方に迷って、とりあえず服の中から這い出した。まごついてうつむいてしまった丸金の前に少年はしゃがみ込んで自分の肩をパイプで叩く。

「何々、さっきの冗談じゃん。何でも聞いてみ。先生のスリーサイズから俺のパンツの色まで確実に答えてやんよ」

「先程、白い人型が半分に千切れた時に言ってた事なんですけど」

「なんか俺珍しい事でも言ってた?」

「殺戮者を、殺してしまったかもと。まるで殺さないように気をつけているように聞こえたので」

「そんな言葉の切れっ端よく気がつくなあ。知り合いだと割り切れなくて殺せないとかよく聞く話だろ。どんな姿になっても大事な相手に変わりないって」

 変貌した母の姿がチラつく。あの時、もし丸金に力が有っても母を殺す事は出来なかっただろう。それが元に戻るかどうか、面影を残しているかどうかに関わらずだ。

「あの人型、聖さんのお知り合いだったんですか?」

「うんにゃ全然初対面。俺ずっと先生と二人旅だし、前に他人と行動したの半年も前だ」

「あ、あの、だったらなんで、その話を」

 額の一点を指でつつき回される。

「話せば長くなるから手短に俺と先生の目的を教えてやろう。何を隠そう、俺達は世界の崩壊を止めるべく愛と正義の為に戦う正義のヒーローなのだ。カッコいいだろう」

「えっと」

「そうかそうか、説明の対象年齢を間違えたか。そんじゃ具体的に言い直してやる。つまり変貌した連中を元に戻す方法を探してるんだわ」

 丸金の顔が強張る。

「殺戮者を、元に?」

「そういう事。だから奴らの正体が人間である以上、わざと殺すつもりはないってわけ。いつかの話、助けられるぞってな時に後悔したくねえからな」


 丸金は希望に満ちた答えを台無しにする言葉をなんとか飲みこんだ。

 生者が死体に変われても死体が生者になれないように、一度変貌した体を人間に戻すことは出来ない。聖の探す真理に最も近い存在は陰陽師だ。変貌とは何かを根底まで理解できていない丸金とは違い、大人の陰陽師は事態を正確に把握している。

 元に戻す方法なんてものがあるなら知らされているはずだ。


 いや、目的の為なら禁忌をも侵す子供に大和は教えるだろうか?


 勢いよく頭を振って疑心を搔き消す。未熟な身に過ぎた知識は不幸を招く。他人の命を代償にして学んだ事だ。秘匿されるなら暴くべきではない。


「なーんて、これは後付けで考えた理由」

「え?」

 おどけた調子で立ち上がった少年は棚の向こうに姿を消した。見えない暗闇の中から声が響く。

「ぶっちゃけ先生に見つからなきゃ俺だって追い詰められた時くらい正当防衛したいんだけどな。まあなんつうの。うちの先生ちょっとイカれて融通利かなくなっちまってんだ。猫も杓子も人間も変貌者も殺人は絶対悪で粛清対象。理不尽な話、どんな状況だろうと殺しがバレたらガチでぶっ殺されんのよ」

「そんなの、殺さなきゃ殺される状況だってあるかもしれないのに」

「そ。さっきも言ったけど、完全に実力で上回らない限り出来るわけねえんだよなあ。先生の鬼畜縛りプレイに付き合える俺マジ凄い」

 棚を一周してきた聖が丸金の肩にパイプを置いた。すると丸金の体にハンガー掛けの柔らかな服が鈴なりとなって滑り落ちてくる。

「謎が一つ解けたところで、とりま汚ねえ服を着替えて店内の探索でも始めようぜ。ホラーゲームってのはマップの把握が最重要だからな」

 複雑な事情を聞かされて、なんとも言い難い顔で丸金は見繕われた服を両手で受け取った。






 天井の高い平屋の店舗、正面には大部分がガラスの壁、籠城には不向きな環境だが密集した服が所狭しと飾られて物陰を多く作ってくれていた。

「逃げる時に大事なのは相手に気取られる前にこっちが察知する事だ。接近された時に良い場所を陣取りやすいしな。わざわざ目立つ光源を入口に置いとくのも囮になるからだ。注意を引きつけてる隙に逃げる。まあまあ成功率は半分くらいで大半は正面衝突のゴリ押しになっちまうんだけど」

 聖はとにかくよく喋る。丸金の返事が間に合わなくても気にせず次の話題に移って、一人で笑って、一人で唸る。どこぞから出したライターで時々服を見るような余裕すらあるらしく、普段から殺戮者に見つかってしまうと嘆く原因が透けて見えていた。

 店内は埃が厚く積もった綺麗なもので荒れた様子がまるで無い。

「良い感じだ。もしかしたらバックヤードに救急箱とか残ってるかもしんねえな」

「服屋さんには薬があるんですか!?」

「消毒液程度ならどんな店でも割とあるぜ。ついでに服飾系なら針と糸が手に入るだろうし、でかい傷口を縫ってもいいかもな」

「か、体を縫うんですか?」

「ガムテープなんかで傷を塞ぐ方が手軽なんだけど手持ち切らしちまってるかんなあ。腕とか千切れた時には止血も出来るし便利なんだぜ。ゲームでも回復アイテムになってるくらいだ。頑丈なテープ類は見つけたら軒並み確保な」

 治療の話になった途端、分かりやすく食いついてきた少女の頭を聖がパイプを握ったままの拳で撫でる。

「そんじゃ、いっちょ奥にググいと進みますか」


 店の奥には一か所だけ扉があった。聖が耳を押し当てて中の様子をうかがいながらドアノブを回したが、小さく扉が軋んで鍵に止められる。

「残念。やっぱまずはピッキングからか」

 ライターが丸金に渡される。

「使い方はこう。鍵穴を照らしといてくれ。火傷するから傾けて持つなよ」

 力の弱い丸金は上手く着火出来ず両手で苦労してなんとか火を灯す。灯りを確保した聖は針金を二本取り出して鍵穴に差し込んだ。手持無沙汰な丸金は周りを見回す。

 炎の揺らめきに合わせて動く影は多様な形に蠢いて、まるで何かが近づいてくるような錯覚を起こす。ハッキリとした光源は手元を明るく照らしてくれるが、光の外ではむしろ暗闇を一層深めて輪郭をも塗り潰して覆い隠す。何もいないか目を凝らすたび無意識に手が動いて「鍵穴をちゃんと照らせ」と呼び戻される。しかし余所見をやめて作業を眺めていると今度はライターが熱を帯びて耐えきれなくなってくる。消すわけにもいかず左右の手に持ち替えてはみるが、そのたびに光が右往左往と動いてしまう。

「あー、もうちょっとだから動かすなって」

 再度の苦情にライターを両手で持って耐え忍ぶ。


 安いライターは長時間火を灯していられる代物ではなく、徐々に薄い皮膚を焼き始めて甘ったるい臭いが漂い始めた。歯を食いしばってうつむいた丸金は足元に血で汚れた人形を見つける。先程まではまるで気付かなかった。仰向けに転がる人形は瞼を閉じていた。赤ん坊を模したよく見かける女児用玩具で抱き起こせばつぶらな丸い目が開く。

 まだ平和な頃、丸金はこれと似た様な物を持っていた。今もまだ血塗られた家に戻れば玩具箱に入っているだろう。


 懐かしさに熱さを一時忘れた次の瞬間、人形の瞼が開いた。

「サクラちゃん?」

 突然聞こえた声に聖は針金から手を離して素早くパイプを拾い上げて振り返った。人形の髪が床をうねって丸金の足に絡みつく。

「サクラちゃん、新しいサクラちゃん。もう落とさないでね。ずっと一緒よ」

 聖はパイプを取り落とす。

「きぃやああああ!? 怪異ナンバー三十二号発生いいいいい!」

 抑えた声量で悲鳴を上げながら丸金を持ち上げた少年は、力任せに振り落そうと試みる。ゴム製の体内は空洞らしく喋るたびに顔を凹ませベコベコと音を鳴らし、足に巻きつく髪は延々と伸び続けて体を覆い隠していく。

「き、きめえ! なんなんだよ、こんの野郎、菅原丸を離しやがれ」

 床に丸金を戻して本体を叩き潰しても空気が抜けて平らになるだけで髪の動きは止まらず、丸金の足と人形をつかんで引き剥がしにかかっても糸が張り詰めるばかりで柔らかな皮膚に食い込んでいく。

「待ってください。いた、痛い、引っ張ると痛いです!」

「我慢しとけって! 被害の範囲が狭い内に対処しねえと、痛いだけじゃ済まなくなるだろ!?」

「殺戮者じゃない無機物の変貌者は力で解決出来ないんです」

「は? なんだって!?」

「無機物が変貌すると付喪神つくもがみになるんです。今は陰陽五行が乱れてるから変貌の閾値が極端に低い状態になっていて、人間だけじゃなくて妖怪変化の類も生まれやすくなってるんです。付喪神には急所がなくて、退治したり追い払うにも手順を読む必要があるんです」

 聖は眉に深く皺を寄せて唸りながら手を緩める。

「付喪神って妖怪のあれか。おばけ提灯とか古い道具に魂が宿るとかの」

「捨てられた物が雨晒しになると怨念で変貌します。昔から時々ゴミ捨て場なんかにいて、フホウトウキで長年放置された物にも生じやすいって書いてました。長年所有された物から変貌する子もいて、持ち主の残留思念が溜まることによって生まれます。変貌の仕方によって性格は色々あって」

「よく分からんが、悠長に説明してたらヤバいぞ」

「うっ」

 髪は足首から膝の上まで巻きついて尚、侵食し続ける。


 埃の積もる長らく無人だったであろう店、鍵のかかっている扉、簡単に忍び込めた鍵のかかっていない正面扉。取り残されていたのは綺麗に残る商品と血塗れの人形一体。人形の丸い眼球は片方だけが赤黒く濁っていた。衣装も汚れが酷くて元の色すら分からない。

「こんなに血を吸うくらい人形の近くで誰かが大怪我をしているのに、店で暴れた様子がない。持ち主は人形を持ち歩いていたサクラちゃんで、店の中に置き去りされていて、入口は開いてた。落ちてたのは人形だけ。血の跡もない。怪我人は同行していなかった」

 腰にまで髪が巻きついていく。このまま付喪神は丸金を取り込むつもりらしい。


 ショッピングモール。飛頭蛮に変貌してはいたが、丸金が現れるまで静かに物陰に潜んでいた子供がいた。大人達が次々と殺される中ずっと隠れていたのかもしれない。正面ゲートも地下の駐車場ゲートも堅固なシャッターで封鎖されていた。袋小路で子供だけでは逃げようもなかっただろう。窓から飛んで逃げたい想いが形を成したのか。

 赤ん坊人形の持ち主は恐らくもっと幼い。幼児自身が人形を汚すほどの怪我をしていたのなら店はもっと汚れていてもいいはずだ。亡骸も血痕も無いから店に入ったのは血で汚れた後。服を新調する為に立ち寄っただけかもしれない。袋小路と知って密やかに脱出したのかもしれない。慌てて立ち去った痕跡は見つからないのだから。

 それなら店内に人形だけが何故取り残されたのか。

「汚れた人形をずっと持ってたのに急に捨てた。取り上げられた。もしくは付喪神の言う通り本当に落とした…………」

 他にも可能性は山程あるのに、一つの想像が固まっていく。根拠はほとんど無い。八割型が予感だ。

 付喪神には持ち主への憎悪が無い。

 引き離した原因への怨恨も無い。

 粗末に扱われた付喪神がここまで持ち主に執着するだろうか。愛されていた思い出が詰まっているからこそ手放したがらないのではないだろうか。幼児も人形を大事にしていた。こんな血みどろの世界で余計な荷物を持ち歩いていたのだから。


「もしかして」

 店を振り返る。

「聖さん、店の中に子供の死体が隠れているかもしれません。その子と会わせて持ち主だと納得させられれば離れてくれると思います」

「は? 何それ、怖」

「え」

 言葉に詰まり、丸金は指を絡ませて急激に自信を失くす。

「そ、その、もしもなんですけど、サクラちゃんは一人でここに逃げ込んできたかもって。それで、出るに出られなくて、ずっと隠れて迎えを待ってて、死んじゃって、迎えに来てって気持ちでずっと縋り付いてたから人形に念が篭っちゃって、て、思って、て、て」

「よく分からんけど、あれか。お前、もしかして前にもこういうのと遭遇したことあんのか」

「無いですけど、私は、魑魅魍魎について勉強してる陰陽師なので……」

 自信なさげに尻つぼみになっていく声に、渋い顔で逡巡していた聖が人形の髪と丸金の足を手放して、パイプ片手にライターの火を灯す。

「隠れてるチビ助がいないか見てくればいいんだな」


 力強い踏み込みで丸金の後ろ髪が風に持っていかれる。手元の小さな炎で赤い尾を引きながら、パイプを振るって綺麗に並んで掛けられていた服を床に薙ぎ払った。曲がり角で炎は風圧にかき消える。すぐにライターで着火する音がして、棚に畳まれた物も、上に掛けられた服も、聖によって地面に落とされていく。棚の間から飛び出す聖の靴が向きを変えるたびに甲高く摩擦して物陰を派手に容赦なく暴いていった。

 人形の髪が胸に届く。座ってすらいられずに丸金は地面へと転がった。

「棚にはいねえ、が、残る隠れ場所といったら本命はココ!」

 レジカウンターを手も使わずに飛び越えて、宙に浮きながらライターをつけた。


「居た!」


 遺体を避けて着地した聖は大きなレジ袋を広げて床に居るサクラちゃんを拾い集めた。

 硬くて軽く乾いた物同士がぶつかる音で、それがどういう状態になっているか分かった。変貌とは違う変わり果てた幼児を生まれたばかりの付喪神は見失ってしまったのだ。

「骨だけじゃ駄目なんだ」

 数珠を口元につけて記憶を探り回る。これは本来の陰陽師の仕事だ。怪異災厄を遠去ける話を丸金は寝物語に聞き知っている。

 聖が再びカウンターを飛び越える音がして、急いで指示を追加する。

「何か書く物と、紙と、私の血で汚れた服を持ってきてください! 依り代が足りるか分からないけど、形代(かたしろ)を作ります!」

「本当に大丈夫なんだろうなあ!?」

 疑いながらも戻る足で指定した物を集めて聖が戻ってきた。


 血塗れの服を骨の入ったレジ袋に入れる。ノートを一枚破いて、寝そべったまま術を紙の上に刻みつけた。怯えて身動きも出来ず、怖い者も、助ける者も現れないまま亡くなってしまった子供を思い浮かべながら。

 丸金には大和が現れた。

 聖にはおそらく先生が現れた。

 しかし、サクラを大事に思って探し続けていた存在はいた。それが人に非るとしても。

「二人共、寂しかったよね」

 本人の骨を核に幼児の身代わりを作り上げる。人形に視覚があるなら幻術で姿を、五感を持つなら人肉の匂いでもって気配を組み上げる。

 札が火の気も無いのに燃え上がると、聖は小さく感嘆を漏らした。熱を持たない炎を袋の中に落として口をきつく縛りあげると、中から優しい光が透けて見えた。光の輪郭は少しずつ明確に幼児を型取っていく。顔も色も淡く判然としない幻術だが、人形は首を回して反応を見せた。

「あれ、サクラちゃん?」

 巻き付いていた髪が解けていく。

「なあんだ、そんな所にいたの。寂しかったわ。これでママがいなくても悲しくないでしょ。ずっと一緒にいてあげるんだから。私は貴女のお友達」

 実体の無い体を通り抜けて袋に髪が巻き付いていく。興味が完全に形代に移っている。


 拘束から解放された聖と丸金は扉まで後退する。

「や、やったのか?」

 黒い繭になる様を息を潜めて眺めながら丸金は何度も頷いた。ヤマカンが当たった。実際にやったのは勿論、正規の教育を終えていない状態での実行だ。後になって背筋が冷たくなって吐き気を覚える。

 小声で聖に当然の確認をされる。

「おい、アレいつまで保つんだ」

「形代の処分は、お焚き上げしたり、封じ込めたり、川に流したりするって言ってました。多分」

「多分とかアカン台詞聞こえたけど、とりあえず誰が?」

「うちが代々陰陽師の家系なので、お婆ちゃんとか、お父さんとか、お母さんとか。寝る前に本を読んでくれたり」

「菅原丸、マジで陰陽師なの? お祓いやれる系小学生とか超ヤベェ。言われてみればそれっぽい衣装着てた。人間が変貌とかするくらいだから、そういう奴もいるわな。うわあ、マジかあ。ところでカタシロって結局なんなんだ?」

「え、その、形代というのは災厄を身代わりしてくれる物で、有名な物だと、ひ、雛人形、とか」

「怖い話とかでよくあるやつ!」


 前のめりに言葉を浴びせる聖に気後れして身を引くが、陽気な笑顔で片手を掲げられる。

「凄ぇじゃん、菅原丸。お手柄ぁ!」

 意味が分からず顔と手を見比べて困惑していると目の前の手が二枚に増やされる。

「なんだ、お前ハイタッチも知らねえのか? なんか上手いこといった時ってのはなあ、こうやってお互いが高い位置で手を構えて」

 真似をして手を挙げると、音を立てて互いの掌が打ち合わされた。

「やってやったぜ! って成功を祝うもんなの。ナイス連携。俺達結構良いコンビじゃん」

 丸金は口を丸く開いて固まる。衝撃の残る掌がむず痒くて、場にそぐわない、まるで平和から抜け出してきたばかりの望月達の様な健全さが眩しくて、目を泳がせて言葉を探す。


 忘れていた何かを思い出しそうな感覚がした。

 喉まで言葉が出てきていた。


 しかし、声を発する前にガラスにヒビが入った。店内のガラスはレジの左右。夜に塗り潰されていたウインドウガラスには店内を覗き込む大量の白い顔が張り付き、黒い空洞の目が一つ残らずこちらを捉えていた。

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