四つの檻
生存者の遠征捜索部隊が死神により全滅。この訃報に絶望した自衛官がまた一人化け物へと堕ちた。
ある日突然、今まで普通に生きていた人間が、絶望という操作できない感情をきっかけに化け物へ変貌して人を襲う異変は始まった。
化け物は『殺戮者』と呼ばれ、恐慌状態に陥った社会は次々と日常を消し去る。異常が続けば病む者も増える。悪循環を断つべく行われた言論統制も虚しく、先月、遂に日本は無政府状態にまで衰退した。
希望を呼びかける放送局からは電波が途絶え、他の基地との連絡もつかない。「自衛隊が機能しなくなれば日本は終わりだ」と励ます詭弁はいつまで通じるものなのか。
四体の強力な殺戮者、通称『死神』。
まだ全国の通信網が生きていた頃、各地で報告される特殊な殺戮者の情報は他人事で処理されていた。どこの基地も目前の化け物で尻に火がついてそれどころではなかったからだ。
この二年で老け込んだ勝間一等陸佐の眉間の皺が、基地の地下にある射撃訓練室に並べられた四つの檻を前に限界まで深められた。
「死神を入れるための檻ですよ」
平安貴族の装いをした場違いな老人がそう言った。部屋にいる自衛官は二人。老人の他にも部外者が男と少女の二人。訓練室の床と壁にはスプレーで不気味な呪いが吹き付けられ、酷い様変わりを果たしている。
「上官の許可なく民間人を引き入れた者がいる。昨日の報告だけでも私の神経は擦り切れているというのに、昇格試験よりも胃にくる光景を眺めながら、寛容さを示し声を荒げないよう自分を律している状況だ。胃薬はいいから誰かこの現状を説明しろ」
口を開いたのは部屋にいた自衛官ではなく、勝間の後ろに立つ富田二等陸佐だった。
「我々は死神の対策に行き詰っています。連中に勝つには同等の化け物をぶつけるしかありません」
己の背後に潜んでいた裏切者に勝間は深い溜息をつく。
「殺戮者は肉体の構造こそ変貌するが身体能力自体はおそらく向上しないと報告されています。にもかかわらず、死神の脅威は兵器を凌駕する。仮説が正しければ、もしもあの死神の内の一人でも正気であったならと考えずにはいられませんでした」
「夢物語に縋る気持ちは理解しよう。殺戮者になるくらいなら神仏に頼るのも良いだろう。だが貴様に現実逃避をしている時間はやれん。結論はなんだ。部外者を侵入させて何をしようとしていた」
富田は直立したまま拳を握り締めた。
「陰陽師ならば死神を過去の正常な人間の状態で呼び出せると。つまり、あの死神と渡り合えるかもしれない人間をここに顕現できると」
「馬鹿馬鹿しい」
老人に肩をつかまれ、項垂れた白装束の少女が檻の方へと突き出される。魔法陣に向かって歩き出した少女を背に、老人は広い袖口をさばいて勝間と向き合った。
「死神には自殺してもらう。単純な考えの転換ですな。私は陰陽師の大和光三郎と申す者。この基地も壊滅まで秒読みに入られたとみる。価値観を捨て去り、別の角度から活路を模索する時期ではないですかな?」
「空想に付き合う時間は無い。保護区域でやっていろ」
腹に響く威圧的な低い声を真っ向から受け止めても老人は退かなかった。
「魑魅魍魎を目にしておきながら、現実が見えておらぬはどちらなのか。火薬や燃料が補充できる目処はつけられたか。あの死神に対抗できる者がこの隊におられるか。死神がいる限り平和の維持こそ夢物語!」
大和の襟首が勝間によって持ち上げられる。
「でたらめな怪奇現象で過去から人間を呼び出せたところでどうした。あの化け物をたかが四人が殺せるとでも思うのか」
「試して損がありますかな?」
ゆっくりと大和を手放して、勝間は側頭部を揉みほぐす。
「そもそも、殺戮者に変貌したような人間を前線に出せるかが疑わしい。その術が成功したところで死神の数を増やすだけではないのか」
「そのための檻では? そちらの富田さんに、再び殺戮者へと変貌した際には銃殺できる場所をと指定されたので我らは足を運んだわけです。元より使役術とは」
基地の最高責任者である勝間に不毛な議論を交わしている余裕はなかった。昼夜を問わず戦闘状態に放り込まれている隊員達は常に限界にいる。基地で保護する民間人も明日をも知れぬ不安に苛まれ続けている。
机に齧りついて対策を打たねばならないのだ。不意に変貌する隣人が襲い掛かり、誰もかれもが疑心暗鬼。焼け石に水だろうと、勝間が諦めを見せれば使命感で自分を支えていた隊員達は折れてしまうだろう。
勝間はここから不審者を追い出すことより、この茶番を手早く終わらせる方を選んだ。
「やれるものならやってみせろ」
魔法陣の中心で勝間に背を向けていた少女は唇を噛んで目を瞑る。茶番で終わらないことを術者である少女は知っていたから。
大和が告げる。
「丸金。始めなさい」
少女はメモ用紙の手順に従いながら丁寧に準備を整える。全ての檻の中へと人の形に切り取った使役札を置き、その上に死神本体から情報を読み取った写し札を乗せる。そして最後に取り出した紙には、筆で四種類の紋章が描かれていた。何処かの家紋を少し弄って丸金が作った模様だ。
「ごめんなさい」
涙を溜めて紋章を一番上に乗せていき、少女らしいピンクの数珠を胸元で握りながら呪いを唱える。
始めは何も起こらない。だが、子供の声が朗々と響く異様な空間で、檻の中に入っている紙切れから黒い煙が上がりだし、どれからともなく発火しだす。
勝間は富田に「消化器を」と小さく指示したが、大和が興奮ぎみに「必要ない」と遮る。灯った炎の色は黒。その炎が燃えている紙を超えて檻に溢れる大きさまで一気に膨らみ、檻の真ん中にいる少女が炎の陰に隠れると、どよめきが起こる。勝間は「消化器を持ってこいと言っている!」と怒鳴りつけたが、炎は急激に檻の中へと萎んで消え去った。
辺りに煙と紙の燃えた匂いが残り、狭い部屋で激しく咳き込む声が重なる。
「これは一体何事だ!! 煙!?」
「え、なに、火事!? って、いったあああい!?」
自衛官の間に緊張が走った。少女しかいない方角から大人の声が突き抜け、鉄板に衝突する鈍い音が響く。煙が薄まれば四角い檻の中には人影が浮かんでいた。
少女が咳き込みながら一つの檻にすがりつく。
「あの……!」
風が通った。
煙の中から現れた腕が、身じろぎする間も与えず少女を捕まえた。檻の中にいたのは見覚えのある青年だった。睨め付けるような目元と跳ね上がった前髪は、確かに下水道で黒服の男が持つ端末に映っていた死神の一人。
別の檻が勢いよく揺れる。
「な!? なんだこの檻は! 君達は何者だ! これはどういうことか説明しろ!?」
困惑する短髪の男に富田が近づき、顔を確認する。
「タイタン」
次に、背を丸めて頭を撫でながら呻く眼鏡の女を覗く。
「初めまして。火事じゃなさそうだね」
「シザー」
順番に目を向ければ、胡座をかいて手を振るジャケットの男。
「どうも」
「蝙蝠」
最後に、少女を捕まえている青年の前で立ち止まる。
「鎌イタチ。特徴は、一致しています」
陰陽師大和は両手をふり仰いだ。
「素晴らしい! 日本に脈々と受け継がれし奇跡の妙技、顧みられず忘却の憂き目に合おうとも技は生きている。やはり古来より魑魅魍魎には陰陽術よ」
ここまで、まったく口を開いていなかった男が老人に水を差す。
「恐れながら老師。まだ手駒が使えるとは限りません」
「今は手探りであった道に光が射したことを喜ばんか。希望こそ絶望を司る殺戮者の相剋よ」
殺戮者だけでも理解を超える中、超常現象は成功を収めてしまった。
「頭痛がする」
勝間はポケットに手を入れて薬を取り出し口に含むと、富田を押し退けて、鎌イタチと同じ顔立ちの青年に銃を向けた。
「子供を離せ」
「一等陸佐!」
青年は勝間を睨みながらも命令に従って少女を解放した。勝間は少女にも「退がれ」と命じる。しかし、少女はここで初めて意思を見せた。
「でも、私、この人達に、説明しないと」
「面倒をかけるな退がっていろ!」
勝間の恫喝に少女が目を瞑って尻餅をつくと、青年が鉄格子を殴りつけ、女が檻の天井を蹴り上げた。
激しい破裂音で部屋中の自衛官が一斉に銃を向けたのに慌てた短髪の男が両者を諌める。
「おい、乱暴は止めろ! 短気を起こすな!!」
大和も近くの銃を無造作につかんで「せっかく作った使鬼を殺されては困る」と間に入った。少女は勝間の銃と檻の間に膝立ちになって震えながら腕を広げる。
黙って成り行きを眺めていたジャケットの男が、緊迫した空気の中で口を挟んだ。
「一つ提案。どうにもお互い現状を持て余してるし、話を纏めるために出直すのが最善では?」
大和が同調する。
「まったく、今から使っていく使鬼と険悪になってどうするのか。陰陽術を目の当たりにして聞く耳もできたことだろう。軍服さん逹には一度部屋から出て頭を冷やしていただこうか」
銃を構える勝間の重圧はしばらく続いたが、銃をしまって踵を返した。直後に、少女はコンクリートの冷たい床に座り込んで卒倒した。
扉の前に自衛官が一人残った。
気を失った少女の下には重ねた上着が敷かれ、上からも一枚、包み込むように掛けられている。代わりに、服の持ち主たる囚われ人達は寒々しい姿で話を交わす。
「やはり気になるので君だけは服を着てくれないか」
筋骨隆々な上半身を晒した短髪の男は、スポーツブラを平然と晒す女に頼んだが、明るく退けられる。
「ちょいちょい。私に顔色の悪いおチビちゃんから掛け物取れっての?」
唯一手が届く青年が少女の髪を耳にかけて顔色を見る。
「多少マシにはなったが憔悴してる。時と場合を考えろ」
「あはははは。おっさんフルボッコだな。監視が協力してくれねえんだから仕方ねぇよ」
非人道的かつ使命感の強い監視に非難の目が集う。狭い檻の中に押し込められている説明を求めても、返ってくるのは黙って待ての一点張り。男二人などは特に窮屈で、背も伸ばせず体を折り曲げて耐えている。
苛立たしげに短髪を撫で付けた男は同じ境遇の囚われ人に問う。
「この状況を把握できている者はいるか?」
ジャケットを着ていた男が答える。
「連中の正体なら解るぜ。陸上自衛隊だ。ただしあそこの監視だけ何故か航空自衛隊。服自体は隊の作業服じゃねえけど服の裾に所属と階級を示すバッチがついてる。コスプレいかれポンチじゃなきゃだけどな」
「何故分かる」
少女に掛けられた深緑の厚いジャケットを指す。
「それ、海上自衛隊パイロットの制服」
短髪の男は顔を険しくする。
「そうか、そうだな。まずお互いの素性から把握した方がよさそうだ」
そう言いつつも沈黙が落ちる。
敵意を向ける謎の集団もさることながら、檻に入っている相手も正体不明の他人なのだ。まったく名乗る気のなさそうな青年などは少女の乱れた結び紐を外して勝手に整え始めた。
まず折れたのは女だった。
「あー、はいはい。私の名前は布引轟。普段は道場で剣術教えてる人だよ」
「……自分は警察だ。望月羽秋という」
短髪の男が続くと、仕方ないという態度を隠さずに海上自衛隊の男も名乗る。
「んー、村上だ。言っておくがここにいる理由は検討もついてない」
しかし、素知らぬ顔で作業をする青年が一人。望月は協調しない青年に声を強める。
「非常事態だ。君だけ協力しないつもりか」
髪を綺麗に結い終わると、青年は溜息をついて地面を睨め付ける。
「荒妻。忍者だ」
集まっていた目が点になる。
布引が手を叩き、「あぁ、時代劇的なテーマパークの人?」と問えば即座に「そうだな」と適当な返事がかえされた。
提示された情報をまとめた、村上は指を鳴らして断言した。
「とりあえず共通点がねえな!」
過去から呼び起こされた死神達は、圧倒的に情報が足りていなかった。
主役 :菅原丸金
メイン:荒妻**/鎌イタチ
村上**/蝙蝠
布引轟 /シザー
望月羽秋/タイタン