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すべき事を

 最初に地下で監禁されていた例の事故物件一棟に、今までは屋外で隔離されていた傷病者が入居した。変貌を危険視され不遇の待遇を受け、襲撃の際には前線でストレスに晒され、心の折れた者達が次々に処理されていく過酷な条件で生き残った彼らは、地獄の夜を越えて久方ぶりに建物へと招き入れられたのだ。

 この苦境を乗り越えてみせた精神力が安定したものだと証明されれば、いずれは最も守りの固い居住区にも移れるかもしれない。


 ただし彼らをそこで生活させるなら屋内に戻れないのが、掃除にまで参加していた望月で。

「あの、謝りようもないことになってしまって………」

 重ねがさね酷い条件で呼び出した罪悪感から土下座で詫びる丸金は、望月に「だから子供がそういう謝り方をするんじゃない!」と地面から摘み上げられた。そうして彼の口から出てくるのは恨み愚痴ではなく、そもそも天幕に残っていた傷病者の療養環境を優先して確保すべきと提案したのは望月なのだと、女子供に野営を続けさせることになることを詫び返された。


「で、その作業が終了した損な性分の羽秋さんはまた何処に出かけたの?」

「どうしてか、また何処かの掃除だそうで」

「あの人は働いてないと死ぬのかな?」

 毎日早朝に配給を受け取りに行き、連絡事項を確認して朝礼の如く伝達し、何処かに働きに出る。監禁から解放された後より丸金が彼の姿を見るのは食事時と日暮れのみ。

 四人の中では圧倒的に顔を合わせる時間が短くなっている。


 しかし、周囲の傷病者がはけた恩恵はささやかながら有った。譲った屋根と壁の代わりとしてはお粗末だが、閑散と建ち並ぶ天幕の中から上背のある望月でも歩き回れる物へ好きに移り住めた事だ。それこそ、こうして布引が座ったまま鉄骨で素振りも出来る程の。

「全力投入ってのも好きだけどメリハリをつけて休息するのも大事なんだよね。そういうことだから丸金」

 真っ直ぐ緩やかに上下していた布引の左腕が地面に平行した位置で留まり、重量が物足りないからと鉄骨の先に乗せられていた丸金は読んでいた本から顔を上げた。

 あと天幕に残っているのは荒妻くらいなもので、一方からは黙々とネジや鉄片を削る音と匂いが流れてくる。

「あ、はい。降りますか?」

「うんにゃー。私はまだまだ力が有り余ってるんだけど、君の顔色があんまりよろしくない。今日は勉強やめにしな」

「え!? いえ、私は大丈夫です」

 まさか話題の矛先が自分に向いていたとは思いもよらず、慌てて否定すれば「んー?」と口は笑っているのに眉根に皺を寄せて圧力をかけられる。

 か細い声で「まだ全然進んでないので」と目をそらすだけでは納得してくれるはずもない。


「あの、それはひとまず、置いて、もらって、この漢字の読み方を、教えてもらいたいんですが」

 本を布引に向け、なし崩しにしようと目論んでいるのはあからさまだったが、この作戦は意外にも布引には覿面で視線が泳いだ。

「ご、おぉ……んー」

 鉄骨の先が地面に近づいていき、胡坐で作業中の荒妻の隣にまで移動した。そして書面に視線を滑らせた荒妻が読み上げた。

「五臓五腑」

 鉄骨に本を置いて鉛筆で漢字に読み仮名を加える。

「ご、ぞ、う、ご、ふ」

 書き終わってすぐもごつきながら次の単語に指を置いていけば、表情も変えず荒妻が続けて教える。

「生贄。内臓。使って」

 鉄骨が完全に地面に降りて、布引は丸金の元まで這い寄って古書を覗き込む。

「ちょちょいちょい、ちょっと待って。単語が不穏過ぎて怖いよ。それなんの勉強してるの?」

「皆さんを顕現してる使役しえき術の概論です」

「えぇ……」


 彼らにとっては己の成り立ちや正体とも言える。それなのに基礎を跳び越えて禁術に手を出してしまった丸金は、呼び出す方法が分かっても一番重要な制御に関わる理屈が分かっていない。そうでなくとも罪の象徴として何よりもまず知り尽くすべき術だ。

 だが先日のショッピングモールでこれが戦場でなんの助力にもならないと思い知った。

 焦りは日増しに煮詰まっていく。果たして命を懸けている大人達の周りで、ただの死神化防止の安全装置として同行することが贖罪になるのだろうかと。

 陰陽師の血筋には術の向き不向きがあり、どうしたって修得できない類も多い。使役術もその一つだ。そもそも菅原は直接的、攻撃的な術は歴代持てなかった家系だと大和から告げられている。


 それでも戦闘の助けになる術をせめて一つ。


 少しでも早く戦力として役に立てる手立てを一つ。


 表情を曇らせて罪悪感の渦に嵌まり出した丸金に、布引は頭を引き寄せて頬擦りする。

「あーもう、勉強なんてやめやめ。たまには健全に遊んで頭空っぽにする日作んなきゃ何事も身に付きやしないって」

 荒妻がボソリと「脳筋の理屈だな」と漏らす。

「でも私は、怠け、られる、立場では、ない、の、で」

 細い首を反り返らせた丸金はもがきながら弱い抵抗を示すが、そんなもので布引が止まるはずもなく、肩に鉄骨、小脇に丸金を抱えて立ち上がった。

「よーし、とりあえず丸金がすべき事は文字を見ない日光浴だ。基地の探検でちょっと禁止区域ギリギリを攻めてみて、忠告に来た隊員さんとでも交流を図ってみよう」


「おい、不穏な計画は止めろ」

 即座に天幕が開いて仲前の制止が入る。出かけるタイミングでかち合ってしまった仲前は隙のない完全装備で、戦闘に赴く様相だ。

 銃で肩を叩きながら顎を突き出して見下ろす声には苛立ちがこもる。

「もっと人外の自覚を持て? 下手に刺激したら処分の話がまたどう転がってくるか分かんねえだろうが。鎖で緊縛してやろうかこのクソアマ」

 処分の単語に丸金がビクつく。逆にまったく意に返さない布引は笑顔で流す。

「おはよう蓮君。心配してくれてありがとう。それでそういう格好してるってことはまたお出かけのお誘いかな?」


 表情を切り替えて仲前が長い銃身を地面に立てる。

「監視カメラの映像が解析できた。鬼退治の許可も陸佐からもぎ取れたぞ」

「死神が映ってたんですか?」

 丸金の顔は勢いよく上がったが、布引は溜息をついて眉を歪めた。

「ええ? 休む暇もなく発見されるなんて気が利かないのがいるなあ」

「こっちは運試しやってんじゃねえんだよ。蝙蝠の逃走した方角から確率を計算して申請通してんだ。貴重なガソリン使って、テリトリーがない神出鬼没の野生動物探しで長期消耗戦なんざ洒落にならんわ」

「それは失礼」

「元々タイムラグのある捜索だ。時間をかけりゃそれだけ成功率が下がる。準備が済んだら車かっ飛ばすぞ。蝙蝠とタイタンは何処だ。とっとと全員招集しやがれ」

 そこまで神妙にしていた丸金が口を押さえて小さく悲鳴を上げ注目を集めた。そして一人マイペースに作業を続けていた荒妻は、研いでいた武器を隠しポケットに差し込んで荷物をまとめ終えていた。


 正直に居場所を把握していないと白状すると案の定だった。

「ああ!? なに死神連中を野放しにしてんだ、しょぼん丸。てめえ一応連中の首輪だって自覚ねえだろ!」

「ご、ごめ、ごめんなさ」

 すごむ仲前から布引が片足を引いて丸金を体の陰に隠す。

「この子の役目は陰陽術の習熟でしょ。私達の居場所なんて交代でひと時も目を離さず監視しているスナイパーさん達にでも聞けば済むことだし、自己管理も必要だってんなら次から私がやっとくよ」

 舌打ち一つで頭を切り替える。

「三十分以内に見つけ出す。しばらく帰れねえぞ。連中の分まで荷造っとけ」

「あ、待って待って蓮君。今回は武器どうなるの? 死神との正面衝突なのに、まさか本番でまで現地調達なんて言わないよね」

「希望に近い物は用意してある!」

 忙しなく去っていく背中に布引は「やっぱり刀はなかったか」と呟き肩をすくめる。


 まとめるといってもたかがしれた荷物は、せいぜい外に干した服を取り込む程度で手間がない。荒妻は己の荷袋を肩にかけると 「出てくる」と言い出した。

 ようやく地面に降ろされた丸金は目を見開いて両手を広げる。

「え!? でも、もう出るって仲前さんがっ」

「何処行くの、あっつん」

「時間までには戻って……待て、なんだそれは」

「ん? あっつんって?」

 それとなく織り交ぜられた荒妻の新しい呼称に、丸金も「あっ……つん」と思わず引き留め忘れる。これまで冷徹な印象の強い男につける呼称としては随分と愛らしい。

「だって名前教えてくんないからね。私は親交を深めるつもりの人は名前で呼ぶのが信条だけど、本人が名前を嫌ってたり、他とかぶった時には可愛い具合に苗字をもじるんだ。親しみ深くて良いできでしょ」

「おい」

「なに、あっつん」


 押し通す気だ。


 顔中のシワを眉間に集めて荒妻が閉口した。しばらく黙考したが、特に抗議をするでもなく溜息をついて諦めた。

荒妻晋作(あらつましんさく)だ。アダ名はやめてくれ」

「奇兵隊の高杉晋作からかな。いいねぇ、凄くカッコいい名前だ」

 丸金はここに、何故かあらゆる人から名前を聞き出している布引の手管を見た気がした。嫌がらせに近くもあったが。


 難しい顔で天幕から出ていく荒妻は、すれ違い様に布引の耳元で丸金に届かない捨て台詞を残してから行った。すると布引は柔らかい表情で「了解。間に合わなければ時間を稼ぐさ」と応える。

 あくまで自由気ままな大人達に翻弄されて、最後に残っている布引の服をつかんだ丸金は眉尻を下げて口を引き絞る。呑気に笑って「大丈夫だって」なんて言われても、処分がトラウマになっている丸金には不安が嵩むだけだった。






 天幕の外で待機していると、いつもより多くの自衛隊員が散らばって草刈り鎌を振るっていた。片手には赤黒い汚れのついた大きなビニール袋、そこらには稲刈りを思わせる草の束が積まれている。

 死神襲撃からまだそこかしこで腕や頭の落とし物が見つかって、それが一般市民なら大騒ぎになる。

「望月さんの掃除って、もしかしてこれなんでしょうか」

「それっぽいよねぇ」

 丸金を膝に乗せて布引が答える。

 出撃前に他の大人達がまるでそろっていないにも関わらず、布引が至極能天気な調子でいるものだから、丸金も釣られて景色を眺める余裕が出ていた。

 待ち人の姿を捜して、不意に目が居住区で留まる。


 布引が丸金の頬を指で凹ませる。

「行ってきたい?」

「……もう、出発の時間なので」

「なぁに。それくらいの時間稼ぎなら、トイレにでもこもっててあげるよ」

「いえ。出発が遅れたら怖いので、そういうのはいいです。絶対に」

 実行しかねないので震えながら止める。そして落ち着かなげにうつむいて指先を弄り始めた。

「ただ、どれくらい基地を離れることになるのかと、思って」

「荷造りを言い渡されたってことは、場合によってはそのまま死神の足取りを追うってことだろうからね。しばらくかかるかもしれないなあ。カメラの場所からはまず移動してるだろうし」

「そうですよね…………」


 会話が途切れて一拍。

「そう一人で悩み込んでないで心配事を率直に言ってみ? くだらないことでも弱音でも悪く言ったりしないから」

「え!? ど、どうしてですか。別に大丈夫です! 何もありません」

 丸金は再び自分の口を押さえてうつむき目を閉じる。過剰反応。心情を隠したいなら失敗もいいところだった。布引は口を大きく押し上げて「本当にぃ?」と踏み込んでくる。

 無防備に心を晒せる程の関係はなくて、それなのに運命は共同していて。


 目を細めて腰まで垂れる少女の髪一束を梳きながら次の言葉を待つ布引に勝てないのは分かりきっていた。

「どうすれば正解なのか分からなくて」

 意を決して丸金は体を捻り、上目遣いに恐るおそる告げる。

「ちゃんと面倒をみるので、一人、男の子を一緒に連れて行っちゃ駄目でしょうか?」

 思い詰めた丸金に布引も思案の表情を浮かべる。

「それは貝塚君、ではないか。じゃあ、この間助けたっていう殺戮者に取り込まれかけていた子かな」

 母親から引き剥がされた幼児。

 化け物になるかもしれない危険分子。

 布引や傷病者達への扱いを考えれば普通の扱いを受けない可能性は極めて高い存在。

「あの子が酷い目にあったら全部私の責任です。私がお母さんの中から引きずり出すよう頼んだんです。そのせいで大好きなお母さんを目の前で殺してしまった。きっとまだ泣いてるのに、もしもここを離れてる間にあの子が変貌してしまったら」

 無責任に何も出来ず、後で幼児が不幸な最後を迎えたと知るのが怖い。助けたのではなく地獄に陥れたのだと明確な結果が出れば、贖罪すら考えられずに絶望で溺れてしまう。


「ひとりぼっちで処分されるくらいなら……」

「全滅するかもしれないところにでも連れて行って、寄り添ってあげた方が良い?」

 飲み込んだ言葉をハッキリと形にされ、唇を噛みしめる。遠征の帰還後から塞ぎ込んでいた丸金の心を暴いた布引は、沈み込んだ丸金ごと勢いよく立ち上がった。

「よしきた。これはやっぱり少しお散歩してから出発すべきだね!」

「はい?」

 思いついたが吉日とばかりに走り出した布引の言葉が脳に届いた丸金は、慌てて声を張り上げた。






 天幕から直線上に建つコンクリート壁の建物につくなり、丸金を座らせている腕と逆の手を頭上に振って声をかける。

「スナイパーさん方お勤めご苦労様ー! 話があるんだけど時間貰っていいかなあ?」

 放心していた丸金が布引の特攻に目を剥く。

「ぬ、布引さん! そんな、声なんてかけたら」

 有事に自分達を始末するため用意された狙撃手。常に刺激しないよう意識を向けて行動はしても、接触しようなどとは思ってもいなかった相手だ。

「おーい、居留守しないでー。大事な話だから。いつもみたいに雑談じゃないからー」

 初犯じゃなかった。


 しつこい呼びかけに対して二階と三階の窓から複数の銃身と渋面が身を乗り出す。二階にいた一人には丸金も見覚えがある。ショピングモールで同行していた自衛官だ。

「ふざけんなよ、シザー。そう気安く話しかけてくるなって、なんべん言わすんだ」

「基本的に接触禁止だって普通分かるだろうがよ」

「親交を深めるにはまず挨拶からだし、しょうがないね。叱られといてー。ちょっと聞きたいんだけどー」

「話を聞かねえ女だなあ!」

「ショピングモールで保護した子の処遇って決定した?」


 ここで幼児を引き取る交渉を始めるつもりなのかと、まさかの行動力に丸金は服を両手で握り締める。

「任務外だ。お前達の飼育係にでも聞け」

「この子が心配してるんだ。この後すぐ本物の死神のとこに送り込まれる予定でね」

 計算も駆け引きもあったものじゃなかった。

「お願い、優しくしてあげてよ」

 思わず大人達の顔色を見回す丸金に、呆れて口を半開きにしたスナイパー。彼らは目配せをして見覚えのある中年自衛官を残して元の配置へと姿を消した。


 押し付けられた彼は姿勢を変えて銃を持ち直し、トランシーバーを見せて布引に投げ寄越した。危なげなく受け取った布引は無造作に丸金の手元に持たせる。 

「あのチビ助は陰陽師の爺さんが細かい状況を周りに伏せて管理することになってる。隔離はするだろうが、親を亡くした他のチビ助と同じ程度だ。世話役も厳つくないのがついてる。虐待を疑ってるなら検討違いだ。お前らより数倍良く扱ってる」

 スピーカーから声が流れ、カサついた雑音で途切れる。

「だってさ」

 布引はその言葉を疑わない様子だった。逆に、疑心暗鬼に囚われた丸金は、戸惑いに目を伏せて何も言えなくなってしまう。


 布引はトランシーバーをつかむ丸金の上から手を添えて、通話ボタンを押しながら話し始める。

「心が死ぬと存在ごと壊れてしまうような世界じゃ、誰だって他人を信頼できなくなるし、病んでしまって当然だよね」

 スナイパーを見上げる。

「特殊な事情がある子の身を案じるのは仕方ない。彼らは変貌する人々を撃ち殺し、リスクが高ければ切り捨てもする。でも同時に、無法地帯で他人なんて守る必要がないのに、あえて危険をおかしてでも助け合うことを選んだ人達なんだよね」

 武器も要塞も人手もある組織だ。非戦闘員を匿うより、排除した方が防衛しやすいはずなのだ。

「必要な判断を迫られた時にいつも正解を選びたい人達なんだろうね。全員だとは言えない。気の良い隣人じゃないかもしれない。ただ、すべき事をやれる心の強い善人だと思ったよ」

 危険な外にまで調達へ出かけ、潤沢とは言えない水食料を配り、生活を維持するための設備を整える。

「なにより彼らは生存者に気を使ってる。本当なら、掃除なんて危険はないんだから生存者全員でやればいいんだ。でも、彼らはそうしない。落ちているスプラッタを見せないように」


 とうとう丸金はうつむいてしまう。

「余計なことを言い出して、ごめんなさい」

「まさか!」

 即座に大きく布引が首を振った。

「心配だって思ったことは、大体誰かがやらなければならないものがあるってことだ。丸金が感じた不安はとても重要なことだよ。何もせずにずっと後悔し続ける辛さを丸金はよく知ってるでしょ?」

 混乱して涙声で丸金は問う。

「でも、あの子を連れて行けるよう頼むんじゃないなら、一体何をすればいいんですか?」

「丸金がおチビちゃんにしてあげたいと思ったことを、そのままおじさんにお願いしてみな? 断言するよ。あのおじさん絶対断らないから」

「おぅい」

 低い声がトランシーバーから漏れる。布引の視線の先にいる自衛官は苦虫を噛み潰した顔で口を歪めて明後日の方に視線を向ける。トランシーバーの通信ボタンから指を離して布引は付け加える。

「割り込みもせずに黙って話に付き合うくらい、お人好しだからね」


 丸金は恐々とトランシーバーに口元を寄せる。

「お願いします。あの子が変貌しないように優しくしてくれませんか?」

 トランシーバーから「あー、そうだな」の返事が戻ってくる。布引を見上げると「まだあるんじゃない?」と促される。

 少し汚れたトランシーバーは沈黙していて、上を見上げると自衛官は静かに見下ろしてきて。

「泣いて煩くしても怒らないであげてください」

「いちいちキレる奴は寄り付かねえよ」

「出来るだけそばにいてあげてください」

「仕事ない時だけならな」


 いくつも、くだらないことまで、思いつく限りを頼み続け、丸金は空気を大きく吸い込んで頭を下げる。

「ありがとうございます。垣渕さん」

「トランシーバーは一階の窓の下に立て掛けとけ。話がある時はあんま死神連れてくんなよ」

 千切れる音で声が終わり、布引は大きく口を開けて笑う。

「勇気を出して、すべき事をちゃんとやれたね。偉いぞぉ、丸金」

 抱き込まれて頭を撫で回される。腹に回された腕に手を当て、丸金は、言葉を噛み締める。


 基地では危険因子の度合いで保護に差をつけられるという事実を布引は知らない。村上はこれを他の仲間には黙っておくよう言った。

 理由は丸金にも理解できる。嫌悪感や猜疑心は善意で成り立っているに等しい関係を崩壊しかねない。価値観の違いが結束を崩壊させる大きな原因になるのを丸金ですら何度も目にしてきた。あのショッピングモールも本来なら生活していくには最適な場所の一つだったはずなのだ。


 それでも、布引は一つ大事なことを丸金に思い出させた。陰陽五行において極端こそ崩壊。全てが必要な量をそろえ初めて調和を成す。

 猜疑心ばかりに傾くバランサーの反対側に布引はいた。


 丸金から緊張が解け、髪に笑みを埋める布引へ困った顔で身を預ける。






 戻る途中で天幕に装甲車が横付けされるのが見える。後ろから出てきた仲前は戻ってくる布引と丸金の姿を見るなり、遠くからブチ切れた。

「出るっつってるのに、なんで出かけてんだよ、ふざけんな!!」

「やだなー、女の準備には色々あるんだよ」

「まさか鎌イタチも出てるんじゃないだろうな!?」

 天幕を乱暴に跳ね上げると当然中には誰もいない。丸金は真っ青になるが、布引はウィンクをして指を装甲車の上に向ける。

「晋作君なら、もう車の上に乗ってるよ」

 車上に先程までは確実に姿のなかった荒妻が座っていた。細く息を空に向かって吐く荒妻が何をしに行っていたのか分からないが、どうやら間に合ったらしい。


 天幕まで近づくなり布引は丸金を地面に下ろして天幕に軽やかに飛び込んでいく。

「さあテキパキ荷物を運び込もうか。一分で終わるけどね」

 汗だくの仲前は眉間にシワを刻み、「くそババアが」と悪態をついてから見えない車上に向かって「てめえもさっさと降りて来い!」と声を張り上げた。


 荒妻は装甲車から丸金の横に飛び降り、黙って装甲車の後部に向かって歩き出す。布引が天幕から丸金のランドセルも含めた荷物を鈴なりにして現れ、荒妻の横につくと、「どう?」と尋ねた。

 なんのことか分からない丸金が黙って耳を傾けていると門の所という言葉が出る。


 中には既に回収された望月と村上がいて、奥には重火器が山と積み上げられていた。

 唸る声で仲前が車の戸に手をかける。

「三十分ジャスト。出発だ。走行中には間違っても脱走すんじゃねえぞ」

 力任せに扉が閉められる。仲前は運転席にいる桐島の横に乗り込んで、銃を脇に抱えた。


 村上はしゃがんで武器を物色しながら鼻歌交じりに揶揄を飛ばす。

「運転手骨折してんだけど。運転くらい気晴らしにやってやんのにねえ」

 監禁すべきか、野放しにすべきか、貴重な武器を死地に放つべきか。そう評価していた勝間一等陸佐が最終的に出撃させたのは、陸上自衛隊の部外者たる仲前と桐島のみ。

 蝙蝠に基地の場所を把握され、放置するわけにはいかずとも遠征に人手を裂けば生活が維持できなくなる。


 襲撃を受けて先に二体もの死神と対峙する惨事が起きた。それが慎重を期す勝間から危険な賭けを引き出し、ここにきて、ようやくこちらから攻撃を仕掛けるところまで叶った。

 死神の分身たる彼らは、常人にはまるで歯が立たない大量殺戮者に実戦で通用した。


 後は、いかに都合の良い条件で死神と対峙するか。


「あまり安全運転は期待できん。シートベルトを早くつけておけ」

「あ、はい」

 武器を見つめて没頭していた丸金は、望月の指示に

意識を取り戻して動き出す。そこを荒妻が肩をつかんで引き留めた。

 何かと聞く前に荒妻はつかむ肩の手から人差し指を伸ばして窓を示す。視線で追った先には、車で動いて変わっていく景色の中に黒い学生服の貝塚がいて。


 小さな意味を持たない声を漏らす。


 一瞬で表情は見えない。それでも荒妻の呼びかけに応えたのは、父の仇たる丸金の行方を見届けるためか、それとも。

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