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鬼子母神

 助かった。それより真っ先に丸金の頭に浮かんだのは焦り。慌てて掌についた埃を払いながら立ち上がって勢いよく頭を下げる。

「ごめんなさい! か、勝手にいなくなって、あの、でも私、泣き声がしたから誰かいるんだと思って」

「大抵なら死んでたところを生きて学べて儲けたな。まあ留守番できるかの試験でずっと見てたからなんだが」

 淡泊に告げられた内容に丸金は口を開けて泣きそうな顔で固まる。その間も村上は懐中電灯で今しがた襲ってきた生首を照らし検分していた。白目を剥き絶命寸前で口からはみ出した複数の細長い舌が弱くのたうっている。

「首だけで活動する殺戮者までいんのか。なんでもありだな」

 耳は二倍に肥大し、首から伸びた触手の方は細く引き伸ばした内臓の様なでたらめな形状をしている。

 丸金は力無く答える。

「多分、その子は、飛頭蛮(ひとうばん)になってしまったんだと思います」

「とはなんぞや」

「ろくろ首の仲間で耳をパタパタして飛びます」


 店の外で銃声と怒号が響く。

 シャッターがほぼ下りた店内は子供の娯楽用品しかなく、物色された痕跡はまるでない。この広いモールで切羽詰まった人間の興味をまるで惹かない空間は身を隠すのに最適だっただろう。

 助けが来ることを信じて希望さえ捨てなければ生き残れたかもしれない。

「このお嬢ちゃんは何から隠れていたんだろうな?」

 銃を構えた村上がシャッターの下に手をかける。

「ショッピングは一時中断だ。他の連中と合流するから良い子で着いて来いよ?」

「は、はい!」


 通路に這い出ると、吹き抜けから見える上の通路で隊員が二人殺戮者に囲まれて背中合わせで応戦していた。監視室から桐島も飛び出して状況を確認する。

「一階の監視映像では侵入された形跡はなかった。住人の自滅か?」

 村上は銃を構えて包囲網の片側を続けざまに撃ち崩す。殺戮者の壁が薄くなると、隊員は背後に「こっちだ!」と残りの殺戮者を突き飛ばしてエスカレーターへと走った。

 追撃してくる殺戮者を引き連れて。


 桐島は丸金達に叫ぶ。

「迎撃ポイントまで後退!」

 横を通り過ぎる桐島の後に村上が鈍い丸金の肩を押して走り出す。

「団体さん分の装備は与えられてねえぞ! 追いつかれたら終いだ、必死に走れ!」

 村上はしんがりで弾数の少ない銃の残数を数えた。殺戮者は栓を抜いたように上階から湧き出してくる。どうしたって足の遅い松葉杖の怪我人と子供の存在が道を塞ぎ、それを見てとった四階にいた隊員は後ろの殺戮者の注意を引き付けながら別のエスカレーターに走っていく。

 それでも殺戮者の一部は丸金達の方へと流れてきた。


 しんがりの村上はエスカレーター前に陣取って銃を構える。

「やるしかねえってか!」

 向かって来たのは五体。上から飛びかかってきた一体の頭を村上が撃ち抜いて重量のある肉が床に叩きつけられる。

 同じように丸金は足を止めて振り返ってしまう。

「村上さんっ!?」

「お・馬・鹿っ! いいから先に」

 もう一体を撃ち殺して弾切れした銃を投げ捨てた村上は、丸金に襲いかかろうとした殺戮者の股下に腕を差し入れて手すりから投げ落とした。

 上から更にもう一体が現れ、村上は手すりを背に三体の殺戮者相手につかみ合いになる。

「ぶあうっ!」

「ぼわあぶう」

「ばあっ!」

 首に嚙みつこうと順繰りに襲う鋭い牙は躱しきれるものではなく、村上の顔面や肩に裂傷をつけていく。


「どうすれば、どうすれば」

 焦って取り落とし札を地面に這いつくばって見比べる。丸金が使用できる術の中でわずかにも攻撃に適しているのは、誰かに実態を与えて使役する件の禁術だけで、それすら今この場で発動できるものではない。

 丸金は歯を食いしばって殺戮者の膝に向かって飛びかかる。

「うわああああああああああ!!」

 つかんだ膝の肉は丸金の手がめり込んで指の間から肉がはみ出す柔らかな感触をしていた。渾身の体当たりで体幹を崩した殺戮者は真後ろに円を描いて折れ曲り、丸金の真上から覆いかぶさるように頭と腕を垂れながして後頭部に湿った生暖かい息をかけた。


 村上は押さえつける手が減った隙間に足をねじ込んで丸金に腕を伸ばした殺戮者を蹴り倒した。

「もう一体引き付けろマル!」

 すぐさま起き上がった丸金は村上を襲う殺戮者の背後から胴体にしがみつく。今度は肋骨の感触すら感じる薄い感触で骸骨かミイラに近い。殺意が丸金に分散したところで村上は手前に残った一体を突き飛ばし、包囲網から抜けて店先でワンピースを着た鉄製のトルソーに手をかける。村上は起き上がりかけた殺戮者を殴り飛ばし、衝撃でへし折れたトルソーから露出した短い鉄パイプで丸金を振り解こうとしている殺戮者の胸を貫通させる。

 そこへ最後の一体が丸金の足首をつかんだ。

「ひうっ!?」

 肩で息をする村上は丸金に這い寄る殺戮者を目にすると、大きく息をついて殺戮者に跨り首に腕を回した。

「ロリコンは土に還ってどうぞ、ってな」

 殺戮者の首があらぬ方向に曲がっていき、鈍い音と共に殺戮者の手から力が抜ける。


 こちらに流れて来た殺戮者の襲撃がようやく止んだ。息切れをして座り込んだままの丸金の頭に村上の掌が乗る。

「やるじゃねえか、助かったぜ。怪我してねえな?」

 答える声が出ないまま顔を上げ、丸金は目を見開き慌てて両手を伸ばした。

 明け透けに褒めてくれた村上の頭上に見えたのは天井に張り付いたナマコの様な殺戮者が大口を開けて真下に落ちてくるところで、上を向いた村上の手が頭から離れて丸金を突き飛ばした。


 衝撃と激しい風圧に耐えられず丸金は目を瞑っていた。

 肉の潰れる音。

 体液が散らばる音。

 喉を焼く刺激臭。

 上手くいったはずだった。一緒に戦って、敵を全て退けて、それで。


 視界を覆う瞼の裏、目を開くことも出来ずに丸金は加速していく呼吸で痙攣しだす。

「マル」

 呼びかけてきた声は村上ではなく、何処かに姿を消していたはずの荒妻だった。過呼吸は止まらない。荒妻は丸金の体を掬い上げて背を叩いて耳元に低い声で静かにあやす。

「落ち着いて目を開け。何も心配はいらない」

 体を少し傾けられ、丸金は震えながら目をこじ開ける。壁にはナマコ状だった殺戮者が潰れてへばりつき、その手前に床で転がる村上がいた。上体を起こして前髪を掻き上げながら村上は口を歪めて荒妻に皮肉を吐く。

「助けてもらっといてなんだが、女じゃあるまいし買い物が長過ぎやしませんでしたかねえ」


 生きていた。


「四階の偵察ついでに生存者を確認していたからな。あそこはもぬけの殻だった。陸自の連中が向かった屋上が殺戮者の巣窟になっていたらしい」

 顔を覆って涙を滲ませる丸金に、立ち上がった村上が頭を鷲掴みにして前後に振りまわす。

「何処に行ったかと思えば大胆に攻めたな」

「素人に見つかる愚図のつもりはない」

 エスカレーターで甲高い音を立てながら桐島が戻ってくる。額に汗をかき、降りてこないことに相当慌てたのか松葉杖が一本なくなっていた。

 村上は片手を挙げる。

「よう兄さん、おかえり。そんなに張り切って折れた足で階段昇降繰り返してると転落死すんぞ。そのまま先に行ってりゃ良かったのに」

 軽い調子に苛立ちで眉を潜めた桐島は無言で息を整えながら睨みつける。


 合流した桐島に荒妻が話を振る。

「確認したいことがある。死神の襲撃時にも見かけた人間サイズじゃない巨体の殺戮者、あれはどういうものなのかだ。殺戮者は人間をベースに変貌しているんじゃないのか」

「……大型は、時々現れる破壊力と耐久性の強い、例外の個体だ。変貌機序や、巨大化の法則なんてものまで、調べきれてはいないっ」

「では殺戮者の中に人間を吸収する個体がいたという事例は?」

 矢継ぎ早に問われる具体的で不穏な質問に、桐島の表情が強張っていく。長い息を吐いて酸素を深く吸い込んで真っ直ぐに向かい合う。

「奴らは多種多様な形状と動きを見せるが、そこまで特殊な個体の報告は聞いたことがない。何が言いたいんだ」

 抱えられたままの丸金は涙を拭い、躊躇いがちに荒妻の胸に手を置いて話に加わる。

「ありえなくはないと思います。中には海坊主うみぼうずみたいな魑魅魍魎の集合妖怪も存在しているので」

 桐島が声を荒げる。

「妖怪!?」

「あ、その……殺戮者は魑魅魍魎の一種なので。大和様が言ってたし……」

 縮こまりながら答える丸金に桐島は頭痛に堪えるようにこめかみを押える。

「……ありえるのか」

 荒妻が小さく呟く。


 別の道から一階に流れ込んだ殺戮者も一掃されたのか、銃声が一発、二発と間隔を開けて完全に沈黙すると、先程までの騒乱が嘘の様に静寂となる。

 しかし、そこで突然三階から弾ける音がして瓦礫が一階に降り注いだ。モール内に響く落下物の衝突音で、視線が一斉に上階へ集中した。そこから始まったのは火がついた様な激しい幼児の泣き声だった。三階エスカレーター前に築かれていたバリケードが崩れ、そこには障害物を巨木の腕で振り払いながら地上を睨みつける大型の殺戮者の姿があった。ざんばら髪の下から血走った眼光が覗き、全身をドス黒い皮膚で覆い、口は動いていないのに外見にそぐわない声を連れている。


 荒妻はおそらく最後の一体である大型の殺戮者を顎で指す。

「見つけた時点で仕留めておいてもよかったんだが判断に迷って残した。奴の背中に、体が半分取り込まれた幼児が埋まっていた」

 茫然とする丸金を荒妻が見下ろす。

「あれは人間だったものの残滓なのか、もしくは取り込まれかけた人間なのか。マルには判るか?」

 ざんばら髪の間から肌色の細く短い腕が蠢いた。巨体を引きずる重い足取りで向こう側にあるエスカレーターから同じ二階に到達するが、一階に目をつける殺戮者は気付かず降りていく。


 桐島は手すりに体を預けて銃を構え大型殺戮者に狙いを定めて連続で撃ち始める。丸金は荒妻から身を乗り出して桐島の服を引っ張って妨害する。

「止めてえ! あの子に当たっちゃう!?」

「悠長なことを言ってる場合か!? 大型はタイタン程ではなくとも頑丈で攻撃が通りにくいんだ! 距離をとって接触する前に集中砲火にしないと犠牲が出かねないんだぞっ」

 腕を振り払われ勢い余ってぶつかりかけた桐島の拳を荒妻が二の腕で流す。階下でも隊員が集まり大型を迎え撃つ指示が飛びかっていた。

 村上が片目を閉じて親指と小指を立てた拳を殺戮者に向ける。

「重心がかなり歪だな。ありゃ弾が当たらなくても腰回りがでかいから仕留めて脱力したら背中から倒れて圧死だな」

「でも、だったら私が幻術で気をそらします。その隙に荒妻さんが背中からあの子を抉り出してくれれば」

「他人の命を賭けてまで危険な橋が渡りたいのか! 何も判らない子供は引っ込んでろ!」

 桐島の恫喝で丸金は硬直し、それに荒妻が嫌悪を示す。

「マルが助けたいと言ってるんだ。お前は連中に避難でも呼びかけて高みの見物をしていればいい。引き受けるかどうかは俺の勝手だ」

 険悪な空気に村上が体を捻じ込んで強引に割り込む。

「情報を整理してやろうか。まずあの大型殺戮者の背中に荒妻ちゃんが張り付けたとして、物理攻撃が通りにくい奴の体にサクサク刃物を通すわけがない。中に埋まりこんでるなら確実に手間取っちまう。背中刺されたら痛いに決まってんだから囮なんざ構わずにあいつは全力で作業中に殺しにくるだろう。仮に攻撃を躱しながら作戦を続行するととしても、身動きが出来ない坊主は一回殴り潰されたら、はいお終いだ」

 死神が相手じゃなくても生と死は紙一重。先程も少しタイミングがズレていれば村上は死んでいたのだ。無理をしなければならない場面はあったとしても、今がそうか。


 唇を震わせ、丸金は力無く頷く。桐島は溜息をついて再度銃を構えようと腕を持ち上げた。しかし、今度はその手を村上がつかんで妨害する。

「おい!? いい加減にしろっ」

 激しく上下する手元の攻防に丸金は困惑する。村上の顔には不敵に片眉を上げた笑みがあった。

「大型殺戮者が立っている内に幼児を抉り出すことはできない。銃による集中砲火で息の根を止めれば後ろに倒れる。ならば夢中で追いかけさせて前屈みになったところで仕留めれば安全に救出作業ができる。至極単純な話だな」

「接近戦なんて正気の沙汰じゃない。試せば死ぬかもしれないんだぞ」

 一階に辿り着いた大型が隊列を組んで銃を撃ち込む隊員に落下している椅子やテーブルを投げつける。堪らず散開する隊員達に殺戮者が両手を広げて突進していく。

「いいか、マル。あれは前例が確認されていない未知の怪物で、遠くから始末しちまえば想定外の被害は抑えられる。そもそも、助けたと思ったらおもちゃ屋にいたお嬢ちゃんみたいに人間じゃなくなっちまってましたなんて可能性も大いにあるわけよ」

 血で汚れた指が小さな鼻を軽く押した。

「理解できたところで改めて聞くぜ。化け物かもしれない子供を助けるか、生きてるかもしれない子供を切り捨てるか、どっちにしたい?」


 父と母が死に、祖母が死に、助けにきてくれた男が死に、血の臭いに包まれながら延々と暗い倉庫で泣き続けた自分に重なる。あの幼児も殺戮者の息遣いを聞きながらずっと一人だったのだろうか?

 救助するとして戦場に向かわせるのは他人なのに、丸金がそれを選んでも良いのだろうか?


 荒妻は眉一つ動かさず丸金を床に降ろして手すりに飛び乗った。その背中から二本の先の鋭い包丁が両手に握られる。

「そもそも、誰かを助ける力が欲しくて禁術まで使ったんだろ。望む通り俺にはそれを実行する力がある。目の前の誰かを助ける相手にするか、切り捨てる相手にするかはお前のさじ加減一つだ。どうとでもしてやる」

 殺戮者の投擲とうてきと拳を回避するために隊員が二階に続々と逃れてくる。皮の厚い殺戮者は銃弾を正面から浴びて血を噴き出しながら、まだ衰え息絶える様子を見せていない。


 丁寧に与えられた選択を、真剣に考えて丸金は選び取る。

「助けたい」

 村上は笑みを浮かべ手すりに片腕をかける。

「理解して選んだんだ。どんな結果になっても受け止めるんだぜ」

 荒妻は無造作に空中に足を踏み出した。


 銃弾の降り注ぐ中に飛び込んでいく荒妻に、桐島は手すりから身を乗り出して周囲に叫ぶ。

「撃つなあああああ!!」

 声が届ききる前に荒妻は殺戮者の正面に立ち塞がっていた。

 大型殺戮者は目の前に現れた荒妻目掛けて拳を振り下ろす。床を軽く蹴って躱した荒妻がいた床が割れて丸く窪みを作る。

 丸金はエスカレーターに張り付いて荒妻と大型殺戮者の戦闘を凝視する。周囲の隊員も攻撃を止めて息を潜めた。

 機動力で上回る荒妻は、巨体に対して肘と膝が床につく程の低さで対峙した。床に叩き潰そうとする攻撃を寸前で躱し、荒妻からは攻撃を仕掛けることなく捕まえようと伸ばされる腕から少しずつ距離を離していく。


 危なげもなく大型を翻弄する荒妻を見守る丸金が安堵の表情を見せるのと逆に、これを提案したはずの村上の表情は消えていた。

「どいつもこいつも超人側か。味方なのを心底良かったと思うと同時に、あのスペックの鎌イタチを敵に回すのかと思うとゾッとする」


 荒妻を追った大型殺戮者が腕をいっぱいに伸ばして前のめりに襲ってきたところで、荒妻は殺戮者を正面からかいくぐって足元へ滑り込んだ。低く遠い位置にいた物を掴もうとした喉元は下から見上げれば無防備で、簡単に荒妻の包丁が突き破った。


 前方に倒れていく巨体の股の間からすり抜けた荒妻は、動きを止めた殺戮者の背中を踏みつけて白髪を掻き分ける。

 観戦していた誰もが周囲に駆け付ける。胸から下が黒い皮膚の中に埋まった泣き続ける幼児を傷つけないよう、荒妻は周囲を慎重に包丁で切り裂くが、手元に血が溢れ頑丈な黒い皮膚が容易く刃物を通さない。

 隊員が数人大振りのナイフを取り出して幼児の救出に加わる。涙と涎でぐちゃぐちゃになった幼児は恐慌に陥って動く腕を振りまわして暴れた。丸金は幼児に駆け寄って小さな体を抱きしめる。

「後ちょっとだ!」

「もう少しの我慢だからな!」

 数人がかりの作業でえぐり出された体が殺戮者から離れる。その身は赤黒い液体に染まっていたが、変貌箇所は見受けられず泣きじゃくる幼児は完全な五体満足だった。

 純粋な喜びの歓声が周囲から巻き起こる。丸金も腕の中に抱き上げた唯一の生存者に感情を昂らせ目を輝かせた。

 大型殺戮者の体から降り、歩きながら泣き止まない幼児に丸金はたどたどしく「大丈夫だよ」と体を揺らして背中を叩く。モールの全滅という悲劇にあって、この温もりを噛みしめられたことは唯一の救いと言える。

 もし、そこで終わっていたならば。


 息絶えたはずの殺戮者の目が丸金の背後で見開かれた。血を含んだ金切り声が耳をつんざき、大きな手が伸びた先には丸金がいた。

「あっ!?」

 怯みながら丸金は幼児を腕の中に包み込んで目を瞑る。即座に桐島が殺戮者の頭を撃ち抜いて、殺戮者の掌が丸金の前で落ちる。

 幼児は腕の中で暴れながら両手を伸ばして叫んだ。


「ママ!!」


 丸金は目を見開いて息を止める。力の抜けた丸金の腕から幼児が抜け出して大きな手に縋り付いて泣き喚く。

 もう微動だにしない殺戮者の死骸に。




 帰りの装甲車の中で泣き疲れて気絶した幼児を抱きしめた丸金が小さな声で呟く。

「一緒に、殺してあげればよかった」

 向かい側にだらしなく座って天井を仰ぐ村上が重く深い溜息をつく。

「そりゃ言いっこなしだぜマル。お前の年齢じゃ酷かもしれんが、命懸けで助けた連中の前で言うべきじゃない」

 消え入りそうな声で丸金は謝った。


 喜びで沸いていた空気は完全になくなった。粛々と物資の調達と設備の手入れを済ませ、死骸を処理するのには丸金も加わった。モールに住んでいたであろう人間の死体は一階に二人分、屋上には五人分が発見された。

 原因は分からない。ただ、状況から推測出来るのは、最後に大勢が屋上に逃げ込んで、恐らく変貌が連鎖していったということだけだ。


 あまりにも静かな車内で、行きでは一言も口を利かなかった隊員が口を開いた。

「身内を失った救助者の末路は三通りある。変貌するか、無気力になるか、持ち直すか。命懸けで連れ帰った救助者に殺された奴だっている。居住区の連中は勘違いしてるが、俺達に特権はない。給料もない」

 負傷した腕を包帯できつく縛りながら、唐突に愚痴とも独り言ともつかない言葉が重ねられていく。

「おまけに影では悪しざまに叩かれるしな。頑張って突き進んだって報われるご時勢じゃない」

 自嘲を漏らした一人が彼の話に合いの手を入れた。

「無政府化で上司にコキ使われてゴミみたいに殉職しまくって馬鹿みたいっすね。垣淵かきぶちさんはなんで自衛隊ゴッコ続けてんっすか?」

「希望を手放したくないからだ」

 それはあちら側の会話のようで、丸金への慰めと評価だった。


 耳を傾けてはいたが表情の変わらない丸金に、隣の荒妻が静かに語りかける。

「これくらいなら親の顔は忘れられる。まだ十年後に生きてて良かったと言える年齢だ。お前とは違う」

 幼児を見下ろして丸金は涙で腫れた幼児の瞼をなぞる。

「本当ですか?」

 肩を引き寄せられ荒妻の体に顔を半分埋められた。

「助かって良かったな」

 涙が丸金の頬を一筋流れ荒妻の服に染み込んで形を失くしていく。助けることができたのか、地獄の中に引きずり込んだのか分からなくなる。

 正解だけを選んでいたいのに。

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