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物言わぬ舌

 死神を殺すためには居場所を突き止めなければならない。

 神頼みに等しい陰陽術に望みを託した富田二等陸佐の独断専行は存続を許されたが、割くことを許された人員は壊滅した部隊の生き残りわずか二人。


 振動で揺れる厳つい装輪装甲車そうりんそうこうしゃ内で向かい合わせのベンチシートが十二席。ハッチに近い後部座席からほとんどを埋めているのは完全武装の隊員達で、両側の最奥に荒妻と村上が配置されていた。その間には一席分の空席が設けられている。今回ただ一人のお目付け役として同行した桐島も荒妻との間に松葉杖を立て掛けて溝を目に見える形にしており、移動時間にも関わらず誰も銃を手放さなかった。


「お手」

 その空気を踏まえた上で、村上の前で立たされた丸金は芸を仕込まれる犬と化していた。

「右っ」

「おかわり」

「左っ」

「伏せ」

「地べたっ」

 なまじ村上に空間を与えたのが悪かったのか、目的地までの移動時間で「退屈だしな?」と言い出してからかれこれ延々と遊ばれている。

「右回って、はい左回って、小さくジャンプ。三回まわって、ワン!」

「ワン!」

「まわるのが遅い。はい、おかわり」

「右……あっ!?」

 右手を村上の手に置けば手を握りこまれ判断ミスに気付く。おかわりは左。速度が上がればどうしても左を出し損ねてしまう。

「これでペナルティは七つじゃないか。大変だなあ。何させよっかなぁ」

「うっ、うう……」

 楽しそうに言い出した罰の単語に震える。一昨日やらされた罰ゲームは瓦礫で作った特設ステージで校歌斉唱だった。数十メートル離れた位置から聞こえないとヤジを飛ばす村上に望月が拳骨を落とすまで延々と。


 今回の遠征では布引と望月が居残りとなった。平然と過ごしているため見過ごされかけたが、己の負傷を顧みない特攻を繰り返してドクターストップがかかったのだ。自己評価はどうであれ怪我が治る暇もなかったのは確かで、本番はむしろこれからだ。監視対象が分裂すれば当然誰かがお目付け役を担わなくてはならず、自動的に仲前も留守組へ。

 荒妻と桐島はじゃれている程度では止めに入らない。丸金には実に不利な組み合わせだった。


「いい加減にしろ。遊んでんじゃねえよ」

「おい、五十嵐いがらし……」

 遂に低く苛立った声が上がった。

 死神と同一体である存在への畏怖と嫌悪感で敬遠されている相手からの叱責に、丸金はすぐさま萎縮して謝罪する。

「ご、ごめんなさい」

「遊んでるんじゃなくて芸を仕込んでるんだよなあ」

 間髪いれずに台無しにする村上に丸金は顔を覆った。案の定、怒りの増した隊員が憤懣の矛先を丸金に向ける。

「死神を制御するための術者だって話だったが、良いように操縦されてるようじゃ役立たずで確定みたいだな。飼い主ならお手をするんじゃなくて、犬にやらせろってんだ」

 そこで軽薄な口笛を吹いて村上が煽る。

「だそうだ。どうするご主人様?」

 針のむしろで課される突然の試練に玉の汗を浮かべる。握られていた右手が解放され空中で彷徨うのを面白おかしく眺める村上の真意はまるで読めない。お手をして欲しいと頼めば、村上はあっさりと応じるのだろう。だが、彼は飼い犬どころか残酷な仕打ちを強いている協力者だ。出来る限り報いると約束している立場で、悪意ある衆目のために屈辱的な扱いをすることが許される事なのか。

「お、おぉ」

 差し出されたままの村上の掌に丸金は右手を乗せた。

「お手です…………」

 舌打ちと共に別の隊員に「お前がするのかよ」と吐き捨てられ、手を乗せたまま丸金は頭を垂れた。

 殺気立つ車内で助けを求めて桐島に視線を向けるが、端末を弄るばかりで仕事以外我関せずを貫き視線を一度として上げない。代わりに伸ばされた腕は背後からだ。脇を救い上げられて足元の浮いた丸金は荒妻の膝の上に乗せられ、臍の前で手を組まれて囲われた。そこで何を言うでもなく、何かするでもなく、荒妻は壁にもたれて目を瞑る。




 ようやく装甲車が停車したのは大規模なショッピングモール前で、周囲を警戒しながら二人の隊員が車を降りたことで分かった。周りにはビルが多く、ガラスが太陽を反射して眩しい。

 業務用搬入口のシャッターが上がれば地下へと降る通路が開かれ、電源を入れてコンクリート通路を電気で照らした。装甲車は後ろのハッチを開いたまま車外の隊員を残して慎重に駐車場へ降り始める。坂道が終わって車が曲がると、まだ下にも階層はあるらしくオレンジの塗料でB2と明示された壁が見えた。

 しかし、その先は重厚な鉄扉を溶接してまで先に進めないよう封鎖されていた。車の後ろから見えた鉄板は向こう側から何かが殴りつけた様に歪んで張り出している。

 風か、微かに揺れて音を出す壁を見つめ、丸金は腰につけた巾着を震える手で緩め、ピンクの数珠と術式を書き込んだ札の存在を確認した。


 到着後すぐに隊員は丸金達を放置して駐車場へ降りて行った。

「補充リストを配布する。装甲車には酒井さかい稲上いねがみを残し、地下への経路確保は五十嵐、片山かたやまを当てる。屋上の整備には俺と」

 外から計画を確認する声を聞きながら、直前まで端末を弄っていた桐島が松葉杖を構えてようやく丸金達に顔を向ける。

「こちらの目的は陸上自衛隊が保持している拠点で設置している監視カメラのデータ回収だ。定期の物資補充に相乗りしている形だから、迷惑をかければ今後の活動に支障がでる。勝手な行動だけはとらないでくれ」

 村上が座ったまま額に掌を当てて敬礼する。

「そう心配せんでも、余計な事をする前に宣言くらいはしてやるって」

 桐島の顔の中心に深く皺が寄ったのに慌てた丸金が間に入って首を振る。

「ちゃんと、相談、しますのでっ!」

 これで死神の位置を割り出す。ようやく少し前に進んだのだ。再びしがらみに縛られたくはない。

 不信感の籠った深く長い溜息は信頼からは程遠く、桐島は言葉を飲み込んで松葉杖をついて歩きだす。

「それからもう一つ、各地にはシェルターに避難するのを拒んでいる人間が点在している。ここにもそういった居住者がいて、こちらに設置してある設備の点検修理で顔を合わせる程度の交流で原則は不可侵だ。もし見かけても接触しようとはしないでくれ」


 駐車場から一階への階段は電気が点いても薄暗く点滅して圧迫感があった。前を歩く村上は地上への扉に手をかけて少し開きかけ、振り返って丸金を見下ろして口角を上げて大きく開け放った。

「眩し……」

 目の前に手をかざした先には光が溢れていた。高い吹き抜けの天井は磨りガラスで、降り注ぐ太陽の光で埃が煌きながら緩やかに舞う。本来は広く開かれるエントランスは外部からの侵入に備えて厳重に鉄板が打ち据えられ、吹き抜けの左右を飾る通路が左右に長く伸びている。

 かつて賑わせていたはずの買い物客も店員もいない、時が止まった箱庭のような空間。

 隊員達が二人一組で散開していき、久方ぶりの来客で埃が舞い上がって空気を動かした。桐島は彼らとは違う方角へ足を向けて、動かないエスカレーターから上を目指す。

「何かあれば地下階段前が迎撃ポイントだ。最悪、撤退する事態も想定して行動するように。置き去りになれば軽装備で十㎞を行軍するはめになるぞ」

「はいはい、たかが十kmね。よく耳をかっぽじって銃声を聞き逃さないようにしまーす」

 緊張感のない態度で村上が桐島の後ろに続く。荒妻に背中を押された丸金は大人達に挟まれる形で歩き始めた。後ろにつけば村上の腰に下げられた拳銃が目について、丸金は表情を更に曇らせる。基地の外で許された武装は、他の隊員と比べれば圧倒的に心許無い。予備の銃弾すら支給してもらえず放り出された。

 全ては信用と実績。

 早く手に入れなければ遠からず無理な戦況で彼らを失うことになるだろう。拳を強く握り締めた丸金は神経を尖らせた。


 立ち並ぶ店舗には太陽の光が行き届かず奥はいずれも薄暗い。手前の棚が荒らされた見るも無残な店には、生き残るために引き起こされたのであろう強奪の爪痕が刻まれている。

 三階で桐島は通路へ進んだ。そこで四階へのエスカレーターに過剰なまでのバリケードが詰まれているのを横目に確認する。荒妻は人影のいない四階へ視線を向ける。

「住んでいる連中は上で籠城しているのか」

「下のフロアで鉢合わせたこともあるらしいが、基本は四階だ」

 村上が手すりから身を乗り出して上を覗き込む。

「廃墟で備蓄なんぞ底が知れてんだろ。食料もわざわざ運んでやってんのかい?」

「以前ヘリで目視した限りでは屋上を畑にして自給自足はしていたそうだ。食料に関しては基地でも施してやれるほど余裕があるわけじゃない。労働力として基地で働かないなら見捨てることになる」

 早くから大和に付いて基地で保護されていた丸金には理解できない。

「どうして、みんなの所に移るのが嫌なんでしょうか……。助け合った方が、できることも多いのに」

「人のいるところに絶対の安全はないからだ。人口密度が多ければ殺戮者になる人も相対的に多くなってしまう。だから基地の安全を信用してくれない人も少なくないんだ」

 それに対して荒妻は醒めた声音を挟む。

「護衛のためと言えば聞こえは良いが、実質的には独裁状態だからな。俺でも選ばない」

 村上も指を鳴らしてデメリットを付け加える。

「変貌したら即射殺される所に身も心も追い詰められた家族を連れて行けるかっつったら、人間合理的にゃあ割り切れないんだよなあ」

 立ち止まった桐島は、うつむいて悲痛な声を引き絞る。

「それでも、大勢を護るためには必要なことなんだ」


 辿り着いた部屋には壁一面に液晶画面が並んでいた。椅子に座った桐島は机に銃を置いてキーボードに指を置いて、背中を向けたまま指示を出した。

「死神の居場所がここの映像だけで割り出せれば、すぐに基地を出ることになる。許可は得ているから必要な物があればこの階層にある店から調達してきてくれ。下の階層からは僕が同行する」

 村上は後頭部を掻いて扉に背を預ける。

「骨折した足で一人取り残しちまっても構わないのか? 見張りがいないんじゃ背中がガラ空きになっちまうぜ?」

「行く先々で殺戮者に襲われるかもしれないとビクビクしてたら何も出来やしない。どうせ何度も捨てた命だ」

「勇敢なことで」


 そんなやりとりに無関心な荒妻は許しを得てすぐ無造作に歩き出していた。離れていたことに気づいた丸金は慌てて声をかける。

「荒妻さん?」

 足を止めず振り返りもしない荒妻は片手を振って去って行く。

「見張りは一人で十分だろう。俺は付近の偵察ついでに物を調達してくる」

「それなら私も」

 ついて行こうと足を踏み出した頭が鷲掴みにされる。

「そうかそうか。マルもやる気充分か。そんじゃ、しっかり見張りに勤しんで何かあれば桐島お兄さんにちゃんと報告するんだぞう」

「え!?」

 問答無用で見張りを押し付けた村上が、軽やかに離れて行く。

 突然取り残されて初任務を言いつけられた丸金は、やりとりに無関心な桐島の背中を見て、無人の通路を見回し、壁まで後退って慌てて数珠と札を両手で握り締めた。




 三階向こう通路に現れた隊員二人が、落ち着かなげに右往左往している丸金に視線を向けてから赤ん坊洋品店に入って行った。

 少し前に何処からか四階に上がった隊員も吹き抜けから見えて、意外に近い店を覗く村上の姿も時々通路に出てくるので、徐々に肩から力が抜けて余裕が出てくる。

「基地で赤ちゃんが生まれたのかな」

 食料は基地内で生産する方向で労働を募っているが、籠城しながらの生活ではどうしても物作りにまでは手が回らない。

「今度は死なないといいなぁ……」

 居住区で耳にした悲しい噂を思い出す。避難生活一年目の頃から妊婦が隔離対象になったのは、生まれて数日の赤ん坊が死んで母親が変貌する事故が起こったせいなのだと。


 部屋の中を見ても桐島の作業が終わる様子はなく、丸金は周囲を警戒しながら隣の店を通路から覗く。ピンク色の壁紙にタオル生地のヌイグルミが並ぶ棚、ビニール製の筆箱、プラスチックの貯金箱。子供向けの雑貨店だった。手を伸ばして鈴のついたマスコットを鳴らす。

 踵を返して桐島の背中を見ながら、今度は反対側にある店を覗いた。靴下屋らしい。可愛らしく小さなサイズが多い子供用の店だ。


「うっ、うぇっ、ええっ、おえっ」

 無言で丸金は飛び上がる。くぐもった泣き声を耳が拾った。

 耳をすまして、周りの通路や向こう側の通路まで見回して、丸金は少し足を伸ばした。足元が開いたシャッターの前まで来ると声がしっかりと近づく。店内は暗く、しばし迷ったが丸金は膝をついて中に入り込んだ。

 外からの薄明かりで見える商品は文房具で、棚は整然と商品を残していた。棚をなぞっていくと指に当たるキャラクターの消しゴム。鉛筆やカラーペン、分度器、コンパス。どうやって使うのか分からないけど、小学校に入学した時に両親が一通りそろえてくれた見覚えある物だった。


 自衛隊はショッピングモールの住人に警戒されて説得することを諦めているようだが、子供という立場を利用すれば近づけるかもしれない。泣き声の主も子供だと思われた。

 基地に移るデメリットは、確かに丸金も居住区でよく耳にしていたものだった。それでも彼らが廃墟で生活するよりは健全な生活ができるよう手を尽くしてくれていて、だからこそ桐島の言う事も丸金には理解出来た。

 泣き声はしているが人影になかなか辿り着けなかつた。次の列を覗いても見つからなかったが、泣き声に耳を澄ませて歩いて隠れている子供を探す。


 泣き声にかなり近づいた、と思われた所で声がぴたりと止んだ。丸金は覚悟を決めて声をかけた。

「あの、大丈夫ですか? 私、自衛隊の人に連れてきてもらってて、泣き声が聞こえたから、どうしたのかなって」

 棚に並んだ愛らしいヌイグルミに指を這わせて、柔らかな感触に安心感を得ながら一歩ずつ進む。そこに布とは違う人肌の感触に触れ、驚いて視線を棚に向けた。


 絶句して身動きも出来ずに眺めてしまった。外からのわずかな灯りで見えた。そこにいたのは少女の生首だった。死体であるはずの目は忙しなく動き回り、視線が合うと首から無数の触手がぬめりだし棚の上に自立して。

「あぁぁぁ」

 細く途切れそうなひび割れた声が漏れ、生首の唇から唾液が垂れ、口を開いて喉の奥から舌を細く千切りしたような触手が手に巻きついた。

「ひぐっ!?」

 息を吸いこんで手を振りほどけば、生首が棚から飛び出した。放物線を描き、乗っていた棚は後ろへ倒れ、目の前で大口を開いて。


「マル、伏せだ!」


 地面に手をついた丸金の頭上で閃光と破裂音が通り、生首が壁で砕けて血肉が張り付く。暗闇の中で銃を構えた横顔は見えなくても声で分かった。

「よう。何か見つけた時には迂闊に飛び込まず、ちゃんとワンワンって吠えなきゃ駄目だろ? この前、せっかく発声練習したのに」

 心臓を押さえて呼吸を乱した丸金の横に村上が並び立つ。

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