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定まらぬ評価

 基地の広場に並んだ深緑の天幕がコンテナに繋げられた。手狭なテントから一部の人間が解放され、一部の変貌者が死体置き場に運ばれていく。死神による基地襲撃の惨事から数日。これによってテントに残された者にも恩恵はあった。体格や人数を考慮されずにはみ出してしまい野宿になっていた者が、ようやく星空を見ずに休めるようになる点だ。例えば何処で寝ているのか分からない村上と望月が。

 そして今日も朝食の配給時を見計らってテントで合流するのだと思われたが、どういうわけか望月は昼過ぎに大荷物を抱えて現れた。

「君達は、何をしてるんだ……」

 目深に被った帽子を脱いだ望月の困惑した第一声で丸金と布引が顔を上げる。足を潰された布引は両足を固い素材と布で固定されクッションに背中を預けて口を大きく開いていたし、付き添う丸金は匙を持って懸命に粥を布引の口に運んでいた。

 真面目な顔で丸金は答える。

「おはようございます。布引さんは大怪我をしているので、ご不便がなきよう食事をお手伝いしております」

「助かっちゃうなあ」

「いや布引君の怪我は足だから手は動くだろう」

 手枷の代わりに腕に巻かれているのは現在包帯だけだ。布引の右手は地面でのの字に垂れた丸金の髪を梳いて遊んでいる。


 望月がダンボールをテントの中に置くと、村上が蓋を叩いた。

「どったの、これ」

「残党狩りを条件に建物へ入る許可を得たんでな。置き去りにしていた荷物を少し運び出してきた。清掃が済めば我々も屋内での生活に戻れるそうだが」

 着替えや掛け物を取り出しながら望月がもたらした情報に、布引が顔をしかめる。

「ええ? 地下で監禁されるくらいなら私はテントが良いんだけどなあ」

 荒妻が手元で太い針状の凶器にヤスリをかけながら口を開く。

「修理したところで解除できることは証明済みだ」

 荷物を漁った村上がピンクのランドセルを持ち上げて丸金の横に置いた。

「監禁に意味がないっちゅう見解だからこそ一時的にしろテントでの生活が実現してるわけでぇ。ほれ、マル」

「あ……ありがとうございます」


 元々体格の良い大人達が揃うと横にならずともテントの中は狭く、望月はそれ以上の荷物は広げずに書類の束だけを引き抜いた。

「殺戮者についての資料だ。不測の事態がありえる以上、指令を待つ受け身でいるべきではない。我々はまだ人外との実践経験が浅いだろう。死神への対策も話し合っておきたい。君達も目を通してくれ」

 介護されている布引は後ろ頭に手を組む。

「一応パラパラッとは見てたんだけど百聞は一見に如かずだったというか。羽秋はねあきさんと海舟かいしゅう君は実際に死神の自分と対峙したわけでしょ。感想としてはどうなのかな?」

 聞き慣れない呼び名に望月が眉を顰める。

「現場で混乱を招くから死神の名で呼ぶのは止めてくれとは言ったが、かといって名前の方で呼ばれるのは複雑なんだが」

「同じ苗字が多い村では名字で呼び合う習慣がなくてね。付き合いも長くなりそうだし他人行儀よりは良いかと思ったんだけどな。名前が嫌ならあだ名を考えるけど」

「うっ、止めてくれ」


 荷物を検分しながら村上が口元を吊り上げる。

「感想ねぇ。とりあえず好感度の低さに納得しちまう下種っぷりだったな。あの機動力と小回りを考えりゃ空中戦でマウントとられたのも分かる。だが単純に他の雑魚と比べて頑丈で物理無効ってわけでもないし、他の死神よりは手に負えない脅威でもないんじゃないか?」

「特異点はそこじゃない」

 甲高い音が鳴って太い針が宙を回転する。針先を確認して荒妻はフォークを取り出して削り始める。目を向けずに荒妻は付け足す。

「周囲の状況を利用するだけの狡猾さと明らかに殺しを楽しんでいた様子。他の雑魚にはないあんただけの特徴だ」

 険悪な気配に丸金は肩をすくませ両者の間で目を泳がせる。村上は荒妻に流し目を向けると「蛇足をどうも」で一笑に付した。望月は両膝を叩いて注目を自分に集める。

「自分と対面するのは奇妙な気分だった。あんなものに成り果てたのかと否応にも実感させられた。他の化け物に対するより強く嫌悪感を感じる」

 村上はあぐらをかいて頬杖をつく。

「しかもあっちが本物、こっちは偽物ときたもんだ」

「村上君!」

 息を詰めて丸金は地面の一点を見つめる。彼らを呼び出したものが禁術とされた所以は明らかで、それを理解していながら最も残酷な形で使った。誹りを受ける覚悟はしていても耐えられるかどうかは別の話。

「ごちそうさま」

 布引が音を立てて手を合わせ、丸金の腰を引っ張り上げて膝に乗せて頭に頬擦りする。

「んー、美味しかった。ありがとう」

「ちょっと待て布引君。君はちょっと自分が何処を負傷しているか考えてくれ」

 自由気ままな烏合の衆に、望月は額に手を当てて深い溜息をつく。


「殺戮者の変貌についての印象だが、肉体が作り替わることで頑丈に進化するものの、身体能力自体は人間の頃をベースにしているようだ」

 布引が手を挙げる。

「車をポンポン投げてる殺戮者がいた気がするんだけどな」

「正直自分も我が目を疑ったが、挑戦してみれば案外やれるものだ」

「確かに望月ちゃん車の瓦礫積み上げてヘリまで跳んできたわ」

「嘘やん」

 現場にいなかった布引は目を剥いて慄く。

「他人事みたいに言ってるが動画のシザーも相当ヤバそうなんだが?」

「ああ、確かに対抗できるだけの武器が手に入らないと互角に持ち込むのは苦戦するだろうね。素手だとご覧の通りか弱いから」

「先日は武装隊員の先頭で拘束されたまま切込み隊長やってたとマルから伺っています。そんでもって完全な未確認の死神は鎌イタチか。ヤバい予感しかせんな」

 村上は片手を振る。

「こっちは物資の補充に限界がある消耗戦で、あっちは自分ベースの身体能力に特殊強化のおまけ付き。実際問題ハンデがでかいわ」

「死神は一般的な殺戮者と比較すれば確かに手強いが、殺傷力の高い兵器まで退けるような次元の違う化け物とまでは思えん。何故ここまで大きな問題になっているのか」

「別にこの終末期を迎える直接の原因が死神ってわけじゃねえだろ。突如現れた殺戮者に散々全国引っ掻き回されるって下地ができてから死神が追い打ちをかけたのなら、対処は後手に回らざるをえんだろうさ。いうなればエイリアンの後に戦力を補充する間もなくゴジラが出ちまったようなもんだろ」

「体制を立て直すためには殺戮者を対処できる軍隊の維持、生活インフラの整備が必要だ。だからこそ、それを突き崩してしまう死神抹殺は安定のための大きな意味を持つんだろうが」

「破壊力の強い武器から消耗していって、死神以上のもんが出てきたら、次こそはへし折れそうだけどな」

「まさしく死神の時点でへし折れていってるわけで」


 状況を確認すればする程ただ絶望的だと知っていくようで、丸金は唇を引き結んで表情を曇らせる。

「あふぅ」

 欠伸を漏らして布引は丸金の腹を抱えたまま「よっこら」と立ち上がる。

「難しい話は退屈だな。散歩にでも行きますか」

「だから重傷者!?」

 空の皿とスプーンを持ったまま硬直している丸金の足を揺らしながら布引がテントの口をくぐると、入り口付近にいた荒妻に食器だけ抜き取られた。

 望月がテントから身を乗り出す。

「おい、待たないか布引君! 君も大概自由人だな。そんな堂々と顔を晒して外を出歩くんじゃない。我々の存在は周囲に余計な混乱を招くことをだな」

「眼鏡で常に変装しているようなものだから大丈夫だよ」

 鼻歌を歌って布引は丸金を抱えたまま歩きだす。それに当然のように丸金は道連れとされた。


 テントの外では洗濯をしている人がいくらか見受けられた。ここ数日覆っていた分厚い雲は風に流され晴天となっているからだろう。基地の外にある死体置き場の方角からは黒い煙が空へ昇り続け、やんわりとした風が止むと時々、肉の焼ける甘ったるく胸焼けのする悪臭がしていた。これでは衣服に染み付くのは避けられないだろう。

「あ、あの、あの、降ろしてください布引さん。足を怪我しているのに出歩いたりしたら体に悪いです。ご用事なら、私に申し付けていただければいいので」

「丸金、怪我をしたからといって完治するまでジッとしていれば体は鈍ってしまうものだ。少しずつリハビリをしなくてはね」

「でも望月さんが」

「はっはっは。あの人、女子供は安全な場所に引っ込んでなさいタイプじゃないか。怪我なんて大抵のものは三日あれば治るし、治った」

「そ……そう、ですか? でも色がまだ紫だったような」


 鬱蒼とした草むらの中に突き刺さった瓦礫を踏み越えながら、布引は目に留まった鉄パイプを器用に爪先で蹴り上げて丸金から片手を離してつかむ。

「地下を出てから私だけまともに出歩いていなかったからね。良い機会だから基地を案内してくれないかな。いい加減にまともな武器も欲しいし、いっそこのまま直接頼みに行ってみようと思うんだ。物資を管理してる人には何処に行けば会えると思う?」


 建物の屋上からは隠す気のない銃身が布引に照準を合わせて動いていく。自衛隊とのパイプ役でもあった仲前と桐島はあれ以来顔をみせていない。こうして出歩いても警告がないのを踏まえると、ある程度の実績は認められたとみてもいいのだろう。

「あそこのドームの建物は居住区です。一階に少しだけ隊員さんの詰所があります。何かあったら、そこに言ったりしてました」

 地面には降ろしてもらえたが手を繋がれた丸金は、気恥ずかしさでうつむきがちのまま基地内を案内した。手で額に影を作った布引は建物を眺めて肩を竦める。

「接近禁止命令されちゃってる所かあ。行ったらさすがに撃たれちゃうな」

「隊員さんのいる建物は居住区横の四角い校舎みたいな所と、一般人立ち入り禁止の地下があった作戦棟と、運動場の向こうにある小さい方の校舎みたいな所です。あの」

 袂からメモ帳を取り出すと、丸金は頭上の布引を見上げて小声で尋ねる。

「武器の場所を探りますか?」

「貴重な物資を盗むわけにもいかんさ。堂々と頼んで断られたら、瓦礫から良い具合の物を見つけよう。その時は手伝ってくれるかい?」


 表情を曇らせて丸金は立ち止まる。

「布引さんは、怖くないんですか?」

「んー?」

 能天気な声は血生臭い空気の中ではとてつもなく場違いで、状況が分かっていないのではないかと思わせる程だ。殺戮者が現れた最初期は誰しもが混乱に呑まれ動揺していたのに。

「ちゃんとした武器もないのに、みなさん、平然としているので」

 人間ではないと宣告され、おまけにいつ射殺されるかも分からない不安定な立場におかれている。


 普通過ぎて異様だった。


 繋いでいた手が離され、丸金は肩を跳ね上げる。布引は丸金の前に立つとしゃがみこみ、丸金の顔を覗き込んで歯を剥きだしにした子供っぽい笑顔を向けた。鉄パイプを傍らに置いた掌が優しく丸金の頭を撫でていた。

「もちろん怖いことだらけだよ。特に丸金がヘリから飛び降りたって聞いた時は心臓が痛かった。だからあまり無茶をしてくれなさんな」

 この口からは甘い言葉しか出てこない。異常で、とても懐かしくて、泣きそうになる。


 されるがままに丸金は目と口を閉じた。そこに数日ぶりになる聞き慣れた男の声が割り込む。

「簡単に死んじまいそうな子供と紐づけされた一蓮托生の命じゃ、そりゃ当然の不安だわな」

 布引の体の向こうを覗き込んで確かめる。そこにはいつもの迷彩服ではなく、黒い眼帯をつけたジャージ姿でタバコを咥えた仲前が立っていた。

「絶対安静の重傷者が歩いてるっつうのは、どういうこった」

 無造作に歩いてくる仲前に、布引は立ち上がって丸金の両肩をつかむと後ろに押して彼に掌を向けた。

「待って。近寄らないで」

 眉を寄せた布引は顔をしかめて警戒心を露わにした。仲前はいつもと身なりこそ違うが、武装すらしている様子もなかった。銃を突き付けられても平然としている布引の豹変だ。丸金も硬直して慎重に仲前を観察しなおす。

「あ? なんだこら。要監視対象のくせに無神経に建物近くをうろつきやがって。そのせいで、こちとら非番なのに引きずり出されたんだぞ」

 怪しい様子はなく、いつも通り不遜な態度で距離を詰めてくる仲前。それでも布引は態度を軟化せず、丸金を抱き上げて更に後退して腕の中身を隠すように立つ。

「それ以上近寄ったら走って逃げる! 子供の前での喫煙はなんびとたりとも許さんよ。その距離から話すか、吸い終わってから出直してもらおうか」

「はあ!?」

 腰を落として本気で走り出しそうな布引に、仲前は口をへの字に曲げ、タバコを摘まんで火を消した。




 射程距離からは出ず、見晴らしが良く、なおかつ危機感を抱かない程度に離れている位置まで移動させられる。仲前は途中で拾ったひしゃげたパイプ椅子を広げて、顎で指す。

「んで、今度はなんの用事で重傷者が出歩いてたんだよ。桐島が骨折したせいで、てめえらの監視担当は俺しかいねえんだぞ。たまの休みくらい大人しくできんのか」

「おかげさまで歩けるようになったので、そろそろ次の戦闘に向けて武器をおねだりしてみようかと思ってね」

「人間の体をミンチにするタイタンに両足プレスされたら、通常歩けるようにはならんわ! いいからとりあえず座っとけ!」

 用意された椅子に布引は丸金を抱えたまま座る。イライラしながら仲前はその辺の瓦礫に座って片膝を立て、火をつけずにタバコをくわえた。


「てめえらの武装許可はまだおりてない」

「残念」

 すぐさま諦めてしまった布引に、丸金は慌てて膝から降りて仲前の前に進み出る。

「頼んでください!」

「まだ時期じゃねえんだよ」

「いつまた襲撃されるか、分からないのに、ですか。ほ、他の人には内緒で」

「バレたら俺が処罰される。閉鎖的な社会でカーストが下がると不利に直結するのはガキでも思い知ったはずだ」

 建物の中で保護もされない傷病者と彼らの身内が、今回どれだけ不平等な扱いを受けたのか見ていたのだから。それでも、彼らは貴重な戦力として活躍したはずなのだ。

「でもあの不死身のタイタンだって退治できました」

 容赦のない片目を見返して、声は震えたが引かなかった。

「もう誰も要らないなんて言えないはずです」

「丸金」

 柔らかい声で背後から制止が入る。

「ありがとう、もういいよ。拘束されていない分いくらか動きやすいんだ。大丈夫。本当は武器がなくたって私はそこそこやれるんだ」


 前方からは厳しい言葉が放たれる。

「俺自身に武器を支給する権限があったとしても答えは否だね。心配ならお前が武器を使えない穴を埋めろ。最後の大技は他人の作った道具を使ったらしいな。あれを自分で使えるようになるのが先だ。こいつらに心を許し過ぎるな」

 指に挟まれたタバコが丸金の眉間に向けられる。

「シザーはまだ良い。保護欲だけで動いてるような女だ。お前が生きている内は変貌しねえだろうよ。懐くならそいつだけにしとけ。特に鎌イタチは無しだ」

 唐突に出された名前に丸金は胸の前で手を組んでうつむき、小さな声で反抗する。

「……どうして、ですか」

「殺戮者には元の戦闘力がそのまま反映されたタイタンみたいな化け物と、肉体の変貌が最悪な相乗効果を発揮した蝙蝠みたいな糞野郎に分かれている。奴は明らかに異常さが際立った前者だ」

「それなら布引さんと同じです。凄く強い人を選んで呼んだんだから、他の人より強くたって当たり前じゃないですか」

 本当に強かった。

 死神がもしも敵じゃなかったとしたら。その仮説は正しかったのだと確信させる程の人間離れした戦闘だった。

 強いから、殺戮者が跋扈ばっこする世界に呼び出されても恐怖すらせずにいられる。

「殺し慣れ過ぎてるんだよ」

「……え?」

 突きつけられている話を丸金は飲み込めなかった。

「顔色も変えずにザクザク手際良いもんじゃねえか。セキュリティも拘束も解除。あいつの職業忍者っつったか? そりゃなんの隠語だっつう話だよ」

「いんご?」

「あいつは一般人じゃねえ。元からヤバい何かだ」

 ここに呼び出されてからは拘束されている上に非武装という不利な状況で戦ってきた。治る間もなく負傷を重ねているが、唯一無傷なのが荒妻だ。檻に入っている状態ですら武器を手作り、実際に殺傷能力を証明している。

 膝が震える。

 この数日で分かったつもりでいた荒妻が、一気に未知のものに変貌してしまう予感だった。


 頭が整理できない丸金の代わりに、布引が話を進める。

「なんだか比較的信頼されてて光栄だけどさ、君がよく知る友達君の評価も聞いてみたいな」

 仲前は眉と鼻の付け根に皺を刻んで唇を歪める。

「誰が友達だ。あんな奴は信用せんでいいわ。常に警戒しとけ」

「凄くぞんざいだ」

 笑いを含んだ調子で布引は立ち上がって丸金の手をつかむ。大きく震えてしまった丸金を気にすることなく、布引は「何処行っても堅苦しい話でまいっちゃうね」で話を終わらせた。


「何が足りないんですか?」

 掠れた声で丸金は呟く。

 命懸けで死神を一体退治するという実績を勝ち取った。監禁が解け、己が呼び出した者は認められ、状況は前進したはずだった。

「ここまでやってくれてるのに疑われるなら、どうすれば信用してもらえるんですか」

「丸金、もう止めな。そこまで私達のことを気に病む必要はないんだ」

 仲前が髪を搔き上げる。

「お前何か勘違いしてんな。死神はそいつらの成れの果てだ。恐怖では絶望しなくても、しっかり地雷持ちだってことなんだよ。現にどいつもこいつも自覚があるから聞いてこねえじゃねえか。普通なら真っ先に質問してもいいような」


 手が離された。


 布引の腕が一直線に仲前に伸びて、唇に人差し指を押し当てる。

 それは先の言葉を形にする事への完全な拒絶だった。丸金からは布引がどんな表情をしているのか見ることはできない。


「布引さん?」

 指がぎこちなく唇から離れる。

「帰ろっか」

 振り返らないまま、聞こえた声音はいつも通り底抜けに明るい。




 テントに戻った丸金は一直線にランドセルに向かうと、和紙で挟まれた本を取り出して黙読し始める。

「おう、どうしたどうした」

 村上が本を覗き込むと、おそらく陰陽師の専門用語であろう単語が紙面一杯に並んでいた。

「勉強を、しなくてはいけないと、反省したので」

「良いことだ」

 強く賛同して頷く望月とは逆に、少し遅れて戻って来た布引が不満を滲ませながら反論する。

れん君が丸金に意地悪言ったからだよ。遊ぶ時間もとれてないってのに、可哀想なことを」

 望月が「蓮君?」と疑問を漏らせば村上が「監視の仲前の名前だよ」と答える。久々に動いた布引は空いた所に座ると、負荷をかけて熱を持った足を撫でさすった。


 並んで本を覗いて流し読みしていた村上は不意に気付く。

「ところでマル。お前漢字読めてないだろ」

 指摘された丸金は村上を見上げて蒼白になる。図星を突かれたらしい。本はまだ数ページしか進んでおらず、最初の二行には稚い読み仮名が書き込まれている。

 こんな世の中で学校など成立するはずがない。望月は片手を挙げる。

「ちょ、ちょっと待て。殺戮者が出始めたのが二年前ということは、菅原君の学力は何年生で止まってるんだ?」

「二年生、です」

「マル、九九何段まで言えるんだ?」

 本から片手を離し、丸金は恐る恐る指を五本立てる。望月は額に拳を当てて沈痛の面持ちとなる。

「まずは筆記用具と辞書を入手するところからか」

「待ってよ。本ぐらい読んであげればいいじゃないか。根を詰めさせるのは反対だ!」

「過、保、護か。読み仮名書いてやれば一人でも読めるだろー?」

 言い争い始めた大人三人に丸金は目を開いて慌てる。「あの」だの「その」なんて小さい声は掻き消されて白熱しだす教育方針に困惑した丸金は、一人静かに武器を作成していく荒妻で視線を留める。


『殺し慣れ過ぎてるんだよ』


 視線に気づいた荒妻と視線が合う。すると掌を上に向けて人差し指を曲げて丸金を呼んだ。しばし躊躇しながら、丸金が本を持ったまま歩み寄ると腰をつかまれ胡坐の上に乗せられる。本が取られて荒妻によって広げ直されると、静かに耳元で問われた。

「読み始めはここからで良いのか」

「あ、……はい」

 低く落ち着いた声が本を音読し始める。自然と包まれた背中からは乱れの無い鼓動と体温が伝わった。信じるなと忠告された。それでも、下から見上げる荒妻の顔が丸金にはどうしたって優しく見えてしまう。

菅原丸金(すがわらまるがね)

荒妻あらつま**/かまイタチ

村上むらかみ海舟かいしゅう/蝙蝠こうもり

布引(ぬのびき)とどろ /シザー

望月羽秋もちづきはねあき/タイタン

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