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賭けられる心臓

 本陣の外郭に屋上で別れた顔ぶれが現れた。その中に狩衣をまとった白髪の老人も見つけ、丸金は無防備に老人に駆け寄ろうとした。

「大和様」

 それは布引を抱えたままの村上の片足によって遮られる。あからさまな警戒に対して、富田が前に進み出た。

「交渉は成立した。ただし死神として顔が割れている以上、混乱を避けるため本陣に招き入れることはできない。手厚い保護は期待するな」

「そんなのズルいです!」

 動揺で声を荒げる丸金を見下ろしながら言葉は続けられた。

「シザーの護衛には厳選した後ろの精鋭を残す。陰陽術やお前達の存在に懐疑的な一等陸佐としては破格の扱いだ」 

「あっそう。んで、肝心のヘリの鍵はいただけるんですかね?」

 村上がわざとらしく周りを見渡すと、突き出すように鍵がぶら下げられた。

「うーっし。んじゃま、化け物退治といきますか」

 手を伸ばせば富田が思い詰めた顔で鍵を握りこんだ。

「ヘリの場所までは私が案内する。元々お前達を呼びこんだのは私の独断だった。最期まで作戦を見届ける義務がある」

 村上はその場に布引を降ろし、「お好きにどうぞ」と身軽になった体を反って伸ばした。


「ついてこい」

 足早にヘリの場所に案内し始める富田に丸金も駆け足で続こうとした時、頭と腰に別々の手がかかった。頭上からは村上、地面からは布引だ。

「残念。ご主人様は布引ちゃんと良い子でお留守番なんだよなあ」

「わ、私も連れて行ってください。一緒に戦います。お役に立ちます。荒妻さんや、望月さんが戦ってくれてるのに、私が安全な所にいるなんて」

「いや、さすがに邪魔」

 にべもなく断られ愕然としていることろに、布引が畳みかける。

「心細いから一人で置き去りにしないで。ね?」

 優しくて卑怯な連携だった。

 危険から遠ざけようとしてるのは明らかで、だからといって何が出来るという説得力もない。自己弁護も売り込みも出来ない口下手な少女は、唇を噛んで両腕を垂らす。


「例えば陰陽師が同行すれば」

 少年の声があがる。

「ヘリまでの道中を空から偵察して殺戮者との遭遇を避けることができる。これは機械の利点をフル活用できない現状で十分なアドバンテージだ」

 建物に手をついた学生服の少年が、眉間に皺を寄せてへの字口で地面を睨みつけていた。現れた少年に丸金は目を見張る。

「貝塚君」

 流れを汲んで大和が富田に照準を当てる。

「富田殿、貴方は確か彼らが死神に変わることを強く案じておられたな。何度も言うようにそちらは杞憂じゃ。使鬼しき顕現けんげんじゅつ五臓ごぞう五腑ごふの一つにつき一人を呼び出せる大術。などと原理の講釈を垂れたとて素人には分かるまいが、丸金が死ねば実体の維持は出来ず消滅するものと理解されよ」

 丸金は目を輝かせ、富田に向かって心臓に掌を当てながら身を乗り出す。

「はい。同行さえしていれば変貌した時に解術かいじゅ出来るし、何が起きても私を殺せば解決できます」

 貝塚が顔を強張らせ、布引は丸金の服をつかむ力を強めた。狙い通り富田は振り返らないまま「では同行を」と答えた。

「それでは、今度こそ急ぐぞ」


 富田が走り出せば村上は溜息をついて頭から手を離したが、やはり腰からは手が離れない。布引を困った顔で見下ろせば、顔を伏せて表情は確認できなかった。

「おい」

 そこにもう一人、丸金の前に貝塚が立ちはだかった。険しい目に見下ろされた丸金は体を強張らせる。貝塚は短冊型のメモ帳を丸金の胸に押し付けた。

「汚い布で代用していたくらいだ。どうせ後先考えずに札を使い切ってるんだろう」

 手が離れるとメモ帳が地面に落下する。急いで拾い上げる時に開いたページに複雑な幾何学模様のような呪術が書き込まれているのが分かった。丸金が即興で書いた物よりも神経質なまでに基本に忠実な御札だ。

「貝塚君、これ」

 貝塚は顔をそらして表情を隠してしまう。

「無駄死にだけは、許さない」

「……うん」

 傍で会話を聞いていた布引は二人の子供のやりとりを眺め、不意に眉尻を下げ、丸金を捕まえる手を離して地面につける。

 布引がその話を聞いたのはそれほど前ではないので、すぐに結びついたのだろう。


 貝塚。


 それは、孤立した丸金を助けに来て、丸金が術で作り出した母の殺戮者と相討ちで死んだ陰陽師の名前だ。




 貝塚に渡されたメモ帳から目が描かれている札を千切って投げれば、空へと一直線に飛んで行った。片目を押えながら走る丸金が殺戮者の群れている位置を知らせ、交戦を奇襲での三体に抑えられた。

 ドーム型の建物の裏側に位置する場所は飛行場だった。長い滑走路の端に並ぶ車庫に辿り着いてシャッターを開けば、中にはワゴン車を膨張させた四角い箱に巨大なプロペラが前後についた航空機一機だけが残っていた。

 機内に乗り込んだ村上は操縦席につくと、機動準備にかかる。反対側の操縦席には仲前が座るとレバーやボタンを弄りだした。

「残機がCHとは、蝙蝠の妨害を考えりゃ心許無えなあ」

「どうせ小回りの利く蝙蝠にヘリの機関銃は当たらねえよ。身を乗り出して複数で射撃した方がまだマシだ。口を動かしている間にエンジンをかけろ」

「墜落してえのか。こちとら哨戒機しょうかいきのプロですわ。ひとんちの機体動かすだけでもセンスフル回転もんだぜ」

「ほぼ二年ぶりで良ければ俺が操縦してやる」

「何をしてるんだ」

 桐島を加えて操縦席に空の専門家が三人集まり、しばらく設定を弄っていたが程なくしてヘリのエンジンがかかる。

「よし、マル」

「は、はい!」

 村上の呼びかけに丸金は転がるように操縦席へ駆け寄る。

「どうせなら操縦してみるか?」

 仲前が村上の頭をどついた。


 操縦席に残ったのは村上一人。準備は手早く進み、両側と大きな後部扉に一人ずつ配置につくと厳ついヘッドフォンと命綱を装備していく。手持無沙汰に眺めて立ち尽くす丸金に気付いたのは、意外にも富田だった。

 富田は丸金を両側の壁に沿った座席に着かせると、彼らが装備しているヘッドフォンを丸金にも取り付けた。

「菅原君は」

 座席に固定する丸金のベルトを締める富田の声がヘッドフォン越しに流れる。エンジンとプロペラの騒音は非常に大きく、丸金はヘッドフォンを押え耳を澄ませた。

「緊急避難、という言葉を知っているか?」

 丸金がしばらく考えた末に首を横に振ると答えが返る。

「己に迫った危険を回避するために行動し、そのために他人が不幸に見舞われたとしても状況によっては許されると定義された法律だ」

「緊急避難」

 新たに教わった言葉を丸金は復唱する。

 それに何の意味があるのか告げることなく富田は配置に戻ってしまった。ただのマイクテストだったのか、丸金は視線をさまよわせる。


「飛ぶぞ、マル」

 ヘッドフォンからは村上の声も届いた。三方向の扉が全開にされているため離陸する光景は直接目に飛び込んだ。風に髪を滅茶苦茶に掻き回され、肌寒さで丸金は両腕を抱きしめる。地上が少しずつ離れ、景色が流れるとヘリを見上げる黒い殺戮者の頭がいくつも足元の景色として流れていく。

「あ」

 布引を置いてきた本陣の上を通過する。低い位置を飛ぶヘリは建物の屋上近くを通過し、そこで籠城する人の救いを求める視線とかち合った。

「蝙蝠の位置が確認できねえな」

 片目を失った仲前は身を乗り出して目をこらす。反対側を探す桐島も必死に位置をつかもうと地上を見渡す。

「こちら側もいない。奴は機体の死角が何処か理解している可能性が高く、建物の陰や頭上の死角を好むからね。そもそも航空機で相手をするのは極めて不利な死神だ」

「飛行物体見つけたら絶対来るけどな」

 そして無遠慮な意見を挟むのが村上という男だった。

「そんじゃ、死角が人の二倍ある仲前側からの襲撃でヤマはっとくか」

「間違って後頭部撃ったらゴメンな、村上」

「同じ顔だもんなって、おい」


 地上に車を破壊しながら暴れているタイタンが見え始める。村上は舌なめずりをして操縦桿を上げる。

「襲ってくる前に速やかにタイタンを確保してお空の彼方に飛び去りゃいいんだろ。急降下すんぜ、舌噛むんじゃねえぞ!」

 隊員達は素早くヘリの壁に体を固定して身を屈める。浮遊感と共に丸金の体は浮き上がった。足も尻も空気に包まれ、ベルトがなければ小さな体は座席を離れて天井にまで衝突したかもしれない。

 忠告に従うべく丸金は悲鳴を上げそうな口を両手で押さえる。時間にすればほんのひと時、衝撃と共に浮遊感が消えて体が重力を思い出せば、座席に叩き付けられた。


 三方向の扉から太い縄が地上に投げ落とされる。タイタンの動きを引き付ける荒妻の姿が機内から確認できた。

「荒妻さんっ」

 怪我をしている様子はないが、遠過ぎて詳細までは分からない。

「ここまではクリア。後は荒妻ちゃんが予定通りタイタンとヘリを接続してくれりゃあ、無駄な観客降ろして軽くなったこいつを全速力で飛ばして、海まで持ち堪えればパーフェクトなんだが」


 地上に垂れた右側の縄先だけが重力に逆らって機内に戻ってくる。

「なんだ!?」

 丸金は座席のベルトにしがみ付きながら外を見た。地上のタイタンは荒妻に集中してヘリには目もくれていない。縄を一本つかんだ荒妻がタイタンに向かっていく。

 そこで丸金は地上が見える広い後部扉の縁から頭が一つ覗き込んでいるのに気付く。それは丸金のよく知る顔で、しかし、その彼は間違いなく操縦席にいた。


 だとすれば、口の端を吊り上げて床に頭を置いているのは?


「こ、蝙蝠は、下にいます!?」

 富田が即座に撃った銃弾はヘリの床を掠め、蝙蝠は機体の真下に潜り込んだ。直後にヘリの正面ガラスに人が叩き付けられる。血で正面の景色が奪われ、押し付けられた内臓だけが鮮明だ。

「ぶふあ!? 何やってくれとんじゃ!」

 前方を目隠しされた村上の上げた悲痛な声に、ヘリの前では蝙蝠が村上を指差して笑い転げる。口を歪めた村上は足で強く床を踏みつける。

「野郎の担当者どこ行った!」

「地べたの親父じゃ撒かれちまうに決まってんだろうが!!」

 仲前が前方のガラスに向かって銃を構える。


 だが赤いガラスを砕く前に蝙蝠の翼を銃弾が掠め、何かがヘリの正面に再び衝突する。血糊を拭いながら死体が落下し、禿げた赤色の向こうに短髪の後頭部が映った。蝙蝠はヘリから距離をとっている。

 丸金は腰を浮かせる。

「望月さん!!」

「ああ!? ちょっと待て、周りに建物もないのにあの親父何処から」

 村上が旋回した先に、無理やり高く積み重ねられたへしゃげた車が外側に向かって崩れて砂塵を上げるのを見た。機内では一時戦いを忘れて人離れした所業に魅入られる。

 桐島は呻く。

「蝙蝠を銃で威嚇し続けているのかと思ったら」

「完全に人間辞めてやがる」

 飛んでいるヘリにいつまでもへばりつけるはずもなく、望月は飛び降りて地上の車を凹ませながら着地する。そのまま辺りに散らばる鉄屑を蝙蝠に向かって投げ始めた。

「ちょ、待て待て待て! ヘリまで撃墜するつもりか!?」

 仲前達が慌てて望月に攻撃を止めるようサインを送る。蝙蝠も人離れした攻撃に高度を上げて大きく逃げた。


 派手な音で現れた望月に、タイタンが視線を向ける。望月もサインの意を組んで攻撃を止めて地上に目を向けた。真逆の立場に立った同じ顔が対峙する。


 荒妻はタイタンの意識が望月に逸れた瞬間、背後に回ると己の手を拘束していたあの分厚い手錠をタイタンの右手に掛ける。望月がタイタンに飛び掛かり、後ろ手に左にも手錠を掛ければタイタンは両腕を絡めとられた。

 丸金が歓声を上げる。

「やった!?」

「その台詞フラグなんだよなあ」

 村上の不吉な呟き通り、タイタンは手錠を左右に引き千切ろうとしていた。普通の相手なら無駄な抵抗と捨て置けるが、相手は車を叩き潰し、コンクリートを砕く化け物だ。


 手足を封じた隙に荒妻は縄をタイタンの首に掛ける。丸金は村上に叫ぶ。

「タイタンをヘリに繋げました!」

「まだですよ、っと! 引き千切って途中で逃げられることをおりこんで、逃げられるまでの時間を稼ぐために縄は全部タイタンに繋ぐ!!」

 荒妻はタイタンの横をすり抜け、次々に腕、足と絡めとっていく。暴れるタイタンに望月が両拳を叩き付け、ダメージを与えられないことを除けば多勢に無勢で一方的な優勢になっている。


 だが、襲撃してきた死神はタイタンだけではない。

 縄の一本が空中に引き上げられる。暴れるタイタンに合わせて低く飛ぶヘリの正面で、蝙蝠が見せつけるように縄を両手に掲げて見せた。

 操縦席の村上は蝙蝠の意図に思い至り叫ぶ。

「仲前、縄を奪い返せ!! 野郎、プロペラにあれを投げ込むつもりだぞ!?」

「綱引きで機内に引きずり込んだらあ! 死ねえ、村上(むらかみ)海舟かいしゅう!!」

「そこで本名使う悪意よ」

 銃を避けながらヘリを滑空されれば、縄が巻き付かないよう合わせて飛ぶしかない。縄を引く仲前に富田が加勢すると、蝙蝠はあっさり縄を手放した。勢い余って反対側から富田が投げ出される。

「富田さん!?」

 丸金の目の前で落ちかけた富田は、片手でヘリの縁をつかんで宙に留まった。


「きひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 蝙蝠は遊んでいた。

 何度も執拗に弄び、腹を捩らせ笑い転げる。

 自力でよじ登る富田は、青ざめている丸金を見上げる。

「菅原君、奴からヘリを幻覚で隠すことはできないか!?」

「も、モヤッとしたものしか。幻覚は空間術に分類されるので、見分けがつかないくらい凄いものは五行陰陽の中でも火の属性じゃないと修得できなくて、貝塚君が得意なんですけど、菅原家の属性は金なので魑魅魍魎を具現化して縛る使鬼しきの分野しか高度な術は」

 村上が説明に口を挟む。

「切迫した局面ではイエスかノーで答えよう!」


 地上ではタイタンが縄を引き千切らないよう荒妻、望月の二人掛かりで慎重に動きを誘導していた。吊り下げるための捕縛であると同時に、あの怪力で縄を引き寄せられればヘリは逆に墜落するだろう。

 隙をついてタイタンを空に吊り上げて飛んでも、蝙蝠が追いかけてほどいてしまえば襲撃は続いてしまう。

 もう一度、やり直す機会が巡るかも怪しい状態で。


「少しでも動きを止めることができれば」

 丸金は座席の上に三角座りで体を丸めてメモ帳をめくって必死に考える。蝙蝠が妨害できなくなる状況。簡単な術しか使えない丸金がやれることは限られており、応用でなんとかなる戦闘向きの手札は修得していない。

 これではただ安全が保障されていない観客席に座る野次馬だ。

 大和や貝塚は第三者として冷静にこうなることが分かっていただろう。それでも同行の後押しをした。大和の立場から考えれば、村上や荒妻が死神に変貌した時に速やかに自害させるためかもしれない。だが、丸金が死ねば全てなかったことに出来ることを知らないようだった貝塚はどういうつもりだったのか。安全な場所でのうのうとしていることが単に許せなかった可能性はある。


 メモ帳を見下ろして貝塚の真意に意識を取られた時、不意に丸金はメモ帳の表紙に小さく書かれた文字に気付く。


 もしもコウモリが襲ってきたら、一度だけ。 


 表紙の裏をめくって見つけたのは、他とは比較にならない複雑で細かな書き込みのされた呪符じゅふだった。

 丸金は唇を引き結び、表紙をメモから破り取った。


 固定ベルトをはずして勢いよく駆け出した丸金は、誰かの制止も聞かず、ヘリの下側にいた人を弄ぶ黒い翼に視線を定めてヘリから、跳んだ。

 動き回る予定ではなかった丸金に命綱はない。空中に投げ出された小さな体を眺める蝙蝠と視線が交錯する。


「邪魔しちゃ」

 丸金の持つ右手の御札が燃え上がり、薄く広い光が網目状に数百m四方に広がった。

「駄目、ですっ!!」

 突然現れた投網に、蝙蝠は両腕を頭上で交差させて怯んだ。


 地上にいた望月は距離の縮んだ蝙蝠をふり仰ぎ、手近にあった半壊した車を持ち上げる。

「ふん、ぐ、ああああああああ!!」

 投網から逃れようと降下した蝙蝠が望月の振りかぶった車に気付いた時には殴りつけられ、黒く大きな塊が光の網を透過して吹き飛ばされた。


 身を投げた丸金はその姿を確認しながら背中から車の上へ落下していく。

「まっ!?」

 荒妻が声を上げ、タイタンに背を向けて飛びだした。車が大きく凹む踏み込みで、捨て身で両腕を伸ばした。

「ぐっ!」

 丸金が車に衝突する寸前で荒妻の両腕は背中に回り込み、車の天井は大きく凹みをつくる。

 丸金がつけていたヘッドフォンが車から転がり落ちる。

 荒妻は目をきつく閉じて唇を震わせ身を固める丸金を凝視する。ゆっくりと片目ずつ丸金が薄目を開くと、荒妻は脱力して丸金の腹部に頭を埋めた。

「あ、れ?」


 少し離れた空中で蝙蝠は逆さまで留まっていた。背を丸め、咳き込んで安定を失くしふらつきながら、目を丸くして何が起こったのかよく理解していない様子で。

 周りを見回した蝙蝠は、背を向けて塀の向こうに飛んでいく。


 操縦席で唖然としていた村上が、あまりの無謀ぶりに爆笑するのがヘッドフォンから漏れ聞こえる。投網はハッキリとした輪郭を崩して靄となって消え始めていた。物理的なものではない。タイタンを惑わせたものより高度な技術が込められてはいたが、ただの幻術だった。

 息が切れるまで笑う村上の声が、殴打の音と共に途切れる。

 このままでは縄でタイタンと繋がったヘリは墜落しそうだった。ヘリが慎重に上昇していく。タイタンは背中側から宙吊りとなり暴れ始めたが、吊し上げている縄にはまだ注意を向けていないようだ。


 このまま飛び立つと思われたヘリはなかなか動きださなかった。

 もどかしさに丸金は上半身を起こしてタイタンを見つめる。UFOキャッチャーのようにすり抜けて逃げ出してしまいそうで、もどかしさに丸金は上半身を捻ってタイタンを見つめる。


 時間をおいてヘリから村上、桐島、仲前が車の上に飛び降りてきた。

「ぐあっ!!」

「うっ!?」

「足があああ!?」

 桐島がうずくまって悲鳴を上げる。

「降下用の縄くらい残しとけ、馬鹿じゃねえの!?」

「嫌なら高度が上がってから落下傘らっかさん使えっつったろ」

 操縦士の登場に丸金は困惑してヘリと村上を見比べる。

「え? え?」

 村上は口の端を上げて車を跳び越えて丸金の元に向かってきた。

「よう、無謀で勇敢なるご主人様。荒妻ちゃんがいて命拾いしたなあ」

「村上さん、あの、運転、は?」

「海まで飛んでタイタンを深海付近で落としてやろうと思ってたんだが、燃料的に片道分しかなくてなあ」

 丸金を真上から覗き込んで、村上は緩い笑みを浮かべた。

「良いことを教えてやろう。ヘリには自動操縦ってもんがあって、設定すれば無人で勝手に目的地まで飛んで行けるんだわ」

 ヘリが上昇していくのを見て、過緊張の連続だった丸金は脱力する。

「良かっ」

 急に丸金の言葉が途切れると、荒妻がようやく柔らかい腹から顔を上げた。荒妻の腕の中で、丸金は安心しきった顔で意識を手放していた。


 それを立ったまま見下ろす村上は、少しの間をおいて低い声で呟いた。

「あれは有人だけどな」

 ヘリから降下したのは三人。

 正面のガラスが血糊で汚れたヘリが高度と速度を上げて飛んでいく。タイタンを吊るして。

 高く、遠くへ。




 良くも悪くも人の死に慣れてしまったのだろう。

 血生臭い基地の中で淡々と殺戮者は片付けられていった。指揮系統に隊列、後援があれば白兵戦にかけて陸上自衛隊が化け物に遅れをとることはなかった。時々、強力な個体に被害を受けることはあったが死神程ではない。掃討作戦は日暮れまでに呆気なく終了した。

 破壊された外壁はタイタンの侵入した一箇所のみ。そこには車の残骸が集められ、バリケードを形成。ただ一つ無傷で済んだというドーム型の建物。一般人はそこに集められている。

 ただし元から隔離されていた傷病者が中に入れてもらえるはずもなく、近場の指定された場所でテントでの療養が指示された。テントの中に光源はなかったが、外からは夜も煌煌と白熱灯で照らされて、時々化け物の遠吠えと銃声が鳴らされる。


 酷い惨状の中を平然と歩む老人がいた。

 赤く染まって潰れたテントに目もくれず、一つだけ入口に蛍光塗料が吹き付けられたテントの前で立ち止まった。

「夜分疲れている時にすまんが少々良いかね?」

 大和の呼びかけにテントから望月が上半身を出した。

「貴方は確か菅原君の」

 外に見張りはいなかった。遠くからスナイパーが一般人と平等に変貌しないか監視するだけで。


 大和を中に招き入れると、野営テントの中心では深く寝入る丸金が寝かされていた。両足を包帯と木の板で固定された布引は横に並んで、体を優しく撫でながら欠伸を噛み殺しており、あれだけの惨状の後ながら安らかな夜の空間といった空気を取り戻している。

「大きな負傷をしたのは一人かね」

 布引は呑気な調子で「捻挫と打撲で大したことないですよ」と手を振る。村上は呆れた調子でシートの上に脱力する。

「人体を肉片にする一撃で受けた負傷なんですけどぉ」

「まあ、衝撃を逃がす受け身鍛錬の賜物かな?」


 大和に席を作った望月は、そこに座った大和を正面から睨む。

「貴方は菅原君の保護者でしたね」

 寝ている丸金を気遣った小声だが、そこには明確な怒気が籠っていた。ここに呼び出されて数日。たった数日だが丸金は何度も戦場で命を投げ出そうとした。

「何故、子供にこんな無茶なマネをさせるのか弁解を聞きたい。今日、この子が何をしでかしたかご存知か。ヘリから飛び降りたんだ」

 その直前に丸金の前で同じような高さから飛び降りた布引は顔を覆う。

「子供はマネしないでねって言うの忘れてたなあ」

 望月が大和の前を拳で殴る。

「確かに子供は高所から転落しても車がクッションになって軽傷で済んだケースも存在する。だが死傷した可能性の方が遥かに高かった。こういうものは平素から粗末に扱われている子供の行動だ」

 強面である望月の詰問に、大和は僅かな物怖じもせず頷く。

「よく分析されている。丸金について話しておくにはちょうど良い頃合いじゃろうな」


 少し事情を先に聞いている布引は、眠る丸金の頭を痛ましげに撫でると上半身を起こして姿勢を正した。

「丸金には人の役に立たねばお前は無価値なのだと洗脳しておる」

 強烈な出だしで居並ぶ顔ぶれの表情が強張る。ここまで穏やかに眠る丸金の顔を大和はほとんど見たことがない。

「少し我々の話をしよう。わしは殺戮者の正体を知っておる」

 大和が手を振ると、テントの中に白く小さな未知の生物が浮かび出す。

「奴らは太古から在る鬼という魑魅魍魎じゃ。何も特別なことではない。怨み悲哀で堕ちる者の末路よ」

 村上が目の前を飛ぶ雪ダルマ型の羽虫を指でつまむと、蝙蝠を怯ませた投網と同じく光を散らせて消える。指を見下ろしていた村上は大和を値踏みする。

「特別なことじゃないのは明治までの昔話であって、絶望で化け物になったなんて話しは現代じゃあ聞かない話だよなあ」

「聞かなくなったことが問題、とは思わんかね。古来より陰陽師とは自然の摂理を読む者。妖もまた極端に減ればバランスを戻そうと調整される。その結果が堕ちる域値が安易になった現状じゃ」

 布引が額を押える。

「ええっと、あれかな? つまり羊が増えると狼が増えて、羊が減ると狼も減って、狼が減った辺りで羊が増えるみたいな」

「羊が減ると草が増えるって部分が抜けてるけど、布引ちゃんは食物連鎖みたいなものかと聞きたいそうだ」

「適格な理解じゃ」

 村上の意訳に大和が軽い調子で答える。荒妻は鼻で笑い、村上は肩を落とす。

「ならば解決策は容易に想像がつく」

「こりゃまた絶望的なネタを持ってきたな」

 まだ思い至っていない布引と望月に向けて、大和は口を開く。


「鬼を殺さず飽和するまで増やさねば変貌する閾値は下がり続ける。人間と鬼の数が規定値に達すまで」


 テントの中が静まり返る。

 寝息だけが規則正しく安らかで、外では殺戮者の断末魔が響く。

「矛盾しているじゃないか」

 望月は膝においた手を震わせる。

「命を掛けてまで殺戮者と戦っている現状は一体なんだというんだ。子供を前線に送り出し、こんな処刑場のような場所に捨て置く理由は」

 外が静かになる。

 銃声の聞こえる間隔は徐々に開いていた。外に並ぶテントの数を考えれば、そこまで人口は減ってはいないだろう。迫害の正当性を肯定してしまうように外では変貌を起こしているが、生死の境を彷徨った末にこの扱いを受ければ、正常な者程悲観に陥るだろう。


「いずれ必要な鬼の数がそろえば容易な変貌は止まる。されど人間を殺し過ぎる死神のような存在は荒れた時代を長引かせる要因となる。陰陽道に携わる者としては成り行きを見守るのが正しい在り方であり、死神の討伐に協力することも道として矛盾はしておらんわけじゃが」

 慈愛に満ちた目で大和は丸金を見下ろした。

「この子への虐待に関しては単なる身内可愛さの延命処置よ。丸金は変貌寸前まで堕ちかけていた。友の忘れ形見を守るためには外敵から引き離すだけでは不足じゃった。心を強く持てと口で諭して即座に対応できる者がこの世のどれくらいを占めるものか」

 親が死に、祖母が死に、助けに現れた父の友人が死んだ。まだ七つの幼子だったのだ。絶望しなかったはずがない。

「わしは柔らかな子供の心を歪めることにした。時が傷を癒せば一縷の望みはある。あの子を守った大人達が無残な死を遂げた原因はお前にあると残酷な言葉で苛んだ。己を憐れんで鬼と化すも、死による安息を得るも生温い。彼らの死を無駄にするかどうかは、お前がいかに使命を果たし人を救うかにかかるだろう」

 大和の一計は確かに丸金を人間に留めた。

「罪悪感が絶望感を上回る限り、丸金は使命を果たすべく未来を見つめ続ける。わしは余計な親切をせぬよう警告に来たんじゃよ。その子が血塗られた過去を克服する前に贖罪という暗示を解かぬようにと。菅原丸金が鬼化すれば、お主らはこの幻術の羽虫の如く消える運命よ」


 重く、血生臭く、救いもない。

 外では立て続けに近い天幕で銃声が響く。


「どうでもいい」

 荒妻が丸金の髪を撫でながら口火を切った。

「マルが満足できる結末なら、なんだって良い」

 禁術の陰陽師へと絶望的で投げやりな優しい声音が注がれる。

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