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思惑交錯

 ただ一人だけ手錠から解放された荒妻。その手がすれ違いざまで丸金の頭に触れていく。

 手応えのない幻影に翻弄されるタイタンが咆哮を上げる。その足元には身動きのとれない布引がいる。

「布引さんっ」

 前に飛び出そうとした丸金を追い抜かして荒妻がタイタンの頭上を跳ぶ。足が空に弧を描いて、荒妻のナイフがタイタンの首を両側から掻き切る。

 着地と同時に荒妻は腕を交差させて腰を低く落とす。

 首を切られたタイタンは血を噴き出しながら荒妻の方へ身を翻す。ほとんどの幻影は紙が焼けた匂いだけを残して霧散してしまった。

「普通は急所だが、これで始末できるなら死神とは呼ばれないか」

 タイタンの標的が荒妻へと変わる。圧倒的な破壊力と対称する安定感のある身軽さで、荒妻はタイタンの攻撃を引き付けた。

「それでも回避だけなら苦でもない」


 手錠が何故はずれているのか、どうしてここにいるのか、そんなことを話す間もない。丸金は一直線に布引の元へ駆け寄る。状況は分からずとも縦横無尽に動く荒妻は優勢に見えた。今の内に彼女を戦線から離脱させようと腰にしがみついて引っ張る。戦闘に近づき過ぎた丸金を布引が焦って制する。

「待って、待って丸金。自分で動けるから」

 細腕では微動だにしない布引の重さに必死で丸金がもがく。そこに車から村上が飛び降りて、拘束されたままの両手で器用に布引を担ぎ上げた。

「どうやら死神は一体じゃなかったみたいだが、とりあえず作戦は決行だ。ここは荒妻ちゃんの担当なんで、マルはこっちゃ来い」

 車上の望月は、自分と同じ顔のタイタンを目にして表情を歪めて眉間に皺を深く刻む。だが蝙蝠が高度を下げれば素早く小銃で威嚇射撃を放って、声を張り上げる。

「村上君、資料で読んだ限り、蝙蝠の特性は武器兵器を理解して使ってくることにある。しかも人間では不可能な空でだ。ヘリより小回りが利く上にヘリにまとわりついて手榴弾を投げ入れてくるような相手だ」

 同じく自分の同位体と対面した村上は、真顔で空を見上げ目を細めた。

「ぶっふぁ、作戦遂行に超邪魔じゃねえか」

「あれは自分が承ろう。徹底的に追い回し邪魔だてはさせん!」

 弾を装填しながら望月が名乗り出る。

 蝙蝠はこちらを見上げる複数の顔を見まわして、肩を持ち上げるいやに人間臭い仕草をして笑った。

「きひっ」

 黒い翼が翻り、新しい玩具を求めて基地の建物へ向かって飛び去る。それを追って望月は離脱した。


 合流した途端に散開した彼らに、丸金は元より仲前と桐島も判断に迷う。車間に飛び込んで姿を消す村上の「マル!」の呼びかけで、荒妻に後ろ髪を引かれながらも丸金は村上に続いた。

 戦況を見比べた監視二人も後につき、仲前は叫ぶ。

「何をするつもりだ、蝙蝠!」

 車がパズルの隙間を埋めるように衝突する迷路を、運任せに走り抜ける。下手をすればタイタンに間接的に殺される。

「退治が難しいなら死神の方にお帰りいただく一択だろ? それよりご本人登場後に紛らわしい呼称続けないんでくんない。背面撃ちされたら死神退治どころじゃねえだろ、戦友」

 村上とは特に複雑な関係であろう仲前は、鼻の付け根に皺を寄せて口を歪めて視線を右に傾けて逡巡したが、村上に視線を戻すと何かを割り切った。

「何が必要だ、村上」

 口の端を吊り上げて、蝙蝠と同じ顔、同じ表情で村上は笑う。

「我ら誇り高き海鷹うみたかに必要なのは翼だろ」

 車の囲いを突破して草原に飛び出せば、タイタンが投げた車が地面にひしゃげていた。ここもまだ安全地帯ではない。視界の良い場所には生きた人影は見当たらなかった。


「ときに布引ちゃん」

 布引は振動で増す足の痛みに耐えながら声を押し出す。

「何、かな」

「悪いんだけど体重いくつ?」

 困った顔で布引が乾いた笑いを漏らす。

「……ごめんね。ハタチを超えた辺りから測るの止めちゃってて」

「うおお」

 真顔になった村上を仲前と桐島が追い抜かして前方の殺戮者を撃つ。担がれるままの布引は村上の肩をつかんで身を起こした。

「構わないから置いていきなよ。走れそうにはないけど、足首さえ固定すれば自衛くらいはなんとかなるってね」

「置いていきません!」

 大きな声を上げた丸金は、村上の服をつかんで懇願する。

「お、重くないですよね?」

「事実を捻じ曲げようとする児童からの酷い圧力。いや置き去りはしないけどね。どんだけ冷血に見られてんだ。こっちは割と正義の味方気取りなんだが正直滅茶苦茶重いです!」


 建物の陰まで辿り着くと、周囲を警戒しながら仲前が嫌そうに口を挟む。

「車投げる化け物を殴り飛ばす女だぞ。筋肉の塊に決まってんだろうが。逃げ回る連中追いかけて殺戮者も周辺から姿消してるし、置いてっても平気なんじゃねえか」

 適当な軽口に対して当の本人が「そうそう」と相槌を打てば、丸金が「駄目です!」と必死になる。そこに桐島が真剣に第三の意見を挟む。

「シザーを置いていくなら確実に息の音を止めてからだし、連れて行かないなら富田二等陸佐に保護を求めるしかない」

 仲前と桐島が額を突き合わせて議論を始める。

「死神に神経張り詰めてる連中が、脱走した猛獣を見つけたらイチニのサンで銃殺決定だろ。だったら俺がここにシザーと残って、ヤバくなったら心中って方がまだ現実的だわ」

「死神一人を使い切るために、残り三人の監視を僕に押し付けるわけ?」

「そっちがシザーと残っても俺は一向に構わんぜ。内勤隊員が白兵戦で何分持つか見物じゃねえか」

「操縦士だって白兵戦じゃ陸自の格下じゃないか! シザーに命を賭けるつもりがあるなら、荷物持ちを交代してやればいいだろ!?」


 布引が口元に手を当て棒読みで「私のために争わないでー」と口を挟んでも口論は止まらない。布引は村上に協力を仰ぐ。

「あそこに私を投げ入れてもらえないだろうか」

「どっちか死ぬと思うし、こっちの腕も折れるから却下。それに」

 言葉を止めて、監視の元に向かった小さな背中を顎でしゃくる。二人の大人を見上げて丸金は意見を挟む。

「村上さんがやろうとしている作戦を教えてもらうのが先です。荒妻さんも、望月さんも、死神と戦ってるのに、喧嘩してる場合じゃないです。布引さんを守ってもらうのだって、絶対に死神を追い払える作戦があるって言えば、偉い人だって聞いてくれます」

 桐島はこめかみを押えて頭を振る。

「交渉するために近づけば、それだけで蜂の巣にされるさ。誰がその役目を負うと」

「私がなんとかします」

 強い口調で言い切った。村上が口笛を吹けば、その口を布引が繋がれたままの両手でつねって引き伸ばす。

「無力な君に何ができるんだ」

「私は子供です」

 ピンクの数珠を前に突き出す華奢な少女は、冷たい目で見下されても引き下がらなかった。

「でも、普通じゃないことが出来る陰陽師です」

 平安の時代から脈々と続く、銃火器の物理的な次元ではない力を行使する日本の術師。数日前なら迷信だと切り捨てられただろう。だが目の前で見ていた。反論は出来ない。確かに、先程危機を乗り切ったのは丸金の繰り出す陰陽術あってのことだ。

 丸金の意見は土壇場になって初めて認められた。


 敵影を確認しながら本陣を目指す。絶えず聞こえてくる銃撃の方角へ近づくにつれ戦場の全容が見えだす。

 生存者の気配を感じて進軍する殺戮者の種類は色とりどりだが、本陣ではこれを統制された射撃で仕留めて死骸に変えていた。

 射撃範囲の手前で、村上は布引を壁沿いに降ろして肩を回す。

「一糸乱れずよく訓練された部隊じゃねえか。これなら連中だけでもタイタンの無力化までは持っていけそうな気がするけどねえ」

 空を見回しても蝙蝠の黒い翼はなく、本陣が襲撃を受けた様子もない。ただし損害を出していないわけでもない。地上では大型の殺戮者が太い腕で頭を庇いながら前線と距離を詰め、集中砲火で迎え撃って隊列手前でようやく土煙を上げて巨体が倒れ伏す。その影から複数の殺戮者が彼らの陣営へ侵入する光景が飛び込んだ。

 断末魔と血飛沫が人間のものだったのかは、遠くでうかがい知れない。ただ、攻撃の手が乱れたのは瞬く間、侵略者の排除は動揺なく再開された。


 仲前は肩を銃で叩いて顎で戦場を差す。

「あのでかい殺戮者みたいに、時々頑丈なのが戦車みたいに突っ込んできても対処はできる。猿程度のうざい連携で近接戦に持ち込まれたとしても冷静に始末すれば戦況は巻き返せる。それは奴らが急所を潰せば死んでくれるからだわな。タイタンの厄介なところは、しこまた弾をぶち込んでも普通に戦い続けるところだ」

 布引が溜息をつく。

「衝撃で体勢は崩してくれるんだけどね」

「ああやって連携で吹っ飛ばし続けりゃ時間は稼げても、物資の限界がくれば懐に入られて負け確定ってわけだ。ある意味、始末に最も手こずる可能性がある死神だな」

 外周に向け銃を構える仲前の表情が、一瞬、歪む。

「だからこそ、あの村上の作戦なら採用される確率は高い」

 村上は沈黙のまま視線を合わせず笑みを深める。


 壁を背に座り込むしかできない布引は、足に手を這わせながら丸金を見上げる。

「そのためにも、まずはどうやって交渉に行くかだけど」

 丸金は数珠を握り締めて頷いた。

「作戦を書いた手紙を届けます」

「矢文や特攻じゃなくて、もちろん陰陽術とかでってことだよね?」

「はい。御札を作る紙がないのは、服の袖を千切ればなんとか使えます。なので後は書くための」

 丸金はゆるりと周りを見回す。

「死体……」

 血糊を探す少女に苦虫を噛み潰した桐島が、胸ポケットからマジックを引き抜いて差し出した。




 本陣の上を風に逆らって飛ぶ布が目を引いた。

 目前に迫る殺戮者を撃ち漏らさないよう押しとどめるのが前線の役目なら、壁を這う爬虫類や空を飛ぶ鳥類を模した化け物を警戒するのが後方支援の役目だ。常識が崩れ去った魑魅魍魎の世界、布型の化け物が現れないとも限らない。


 駆けずり回る緑の迷彩服の中で一人、組織を指揮する男が仁王立ちで腕を組んで前線を睨みつけていた。拠点に戦闘が持ち込まれた時点で行動パターンは限られる。

 基地を放棄するか、しないか。

 勝間一等陸佐が号令をかければ一斉に撤退戦に切り替えられる。タイタンを含んだ多くの殺戮者に囲まれる殿しんがりだ。募ったところで志願する者は期待できない。自衛隊など、無政府状態となって久しい現状では責任も立場もあって無きに等しい。死んでくれと命じて従う者も期待できない。この戦闘では称賛も、感謝も、栄誉も、金も存在しない。

 選ばれた心境はまさに絶望。辛うじて保たれている戦線の内部が殺戮者にとって代わるだろう。戦闘が長引けば、血の臭いに惹かれた死神シザーも現れる。

 いずれにせよ、決めるのならば余力も生存者も多い早目が良い。


「勝間陸佐、報告です」

 振り返ってまず目についたのは声の主よりも、着物姿の見覚えのある老人と、詰襟まで締めた学生服の見知らぬ少年だった。彼らを連れて来た隊員に目を細めて確認する。

「シェルター内で変貌がおきたのか」

「いいえ。その、実はこの老人が」

「建物の中は至って平和なものよ。少々手荒じゃが、うちの若い衆にことごとく眠りの術で意識を奪わせたのでな。変貌する隙を与えねば後顧に憂いもあるまい」

 繋ぎの会話すら惜しいとばかりに、老人は本題を差し出した。勝間には老人に見覚えがある。死神の元人格を持つ人間を生み出した少女の後ろ盾、陰陽師の長、大和光三郎やまとこうざぶろう。枯れ枝の如き右手に握られているのは、自然の摂理を無視して飛んでいた怪しげな布が握られていた。

「うちの者が指揮権のある者と交渉したいと直訴状を寄越した。死神を追い払ってみせると言ってきておる。勝間殿、目を通していただけるかな?」


 勝間はこめかみを微動させ、横目で隊員のどす黒い顔色を見下ろした。

 通常ならすげなく断ったのだろう。ここまで生き残っている人間はそれなりに神経が図太い屈強の者か、自己暗示の強い性質か、もしくは壊れてしまったか狂人かだ。そんな人間も、誰がいつ変貌するか分からないまでに追い詰められている。そこに気付かないフリをしてやっと凌いでいる。だからこそ、きっかけがあるたびに大量の脱落者を出す。

 藁にも縋りたい絶望の淵だ。霞をつかむような老人の申し出を上官に持ってきてしまう程に。


 布を受取って目を通した勝間は表情を変えた。

「蝙蝠が現れた?」

 大和は両手を袖の中に入れて空を仰ぐ。

「死神が二体に増えて吐きそうかね? しかし、蝙蝠はほとんど生身に近い殺戮者。小賢しいことに周囲の状況を利用するタイプなんじゃろう。戦況が落ち着けば集中砲火を嫌って姿を消す。つまり、その対極にあるタイタンさえどうにかすれば勝機は見えるぞ」

 なんでもないことのように落ち着き払った大和に、勝間は苦悶の表情を浮かべる。

「簡単に言ってくれる。始末を命じたはずの写し身が生き残って戦場に潜んでいるのも度し難いが、蝙蝠がいる状況でヘリを使うなど愚の骨頂だ」

 村上の提示した策。それはタイタンをヘリで吊し上げて遠方に運ぶといった申し出だった。代わりに負傷している布引を保護して欲しいと。

 眉間に深い皺を刻む勝間に、大和は優しく甘い言葉を押し付ける。

「死神を始末するために作り出した荒妻、望月、村上が協力すると言っておる。失敗したとしても損失はたかがヘリコプターのみ。全滅と比較して何を迷うことがある。上手く高い位置から落とせれば退治できるやもしれんぞ」


 大和に黙って付き従っていた学生服の少年が口を挟む。

「大和様。大事にしなくても俺が行ってあいつの使鬼しきを幻術で隠してきます。遠くまで手札を飛ばせない無能のことだから、どうせ近くに潜んでるはずです。頭の固い連中相手に交渉なんて時間の無駄です」

「隠すだけなら変装で避難者に紛れれば済む話。ヘリコプターを使うなら鍵が必要じゃろう。それは、どうやったところで陰陽術では事足りん」

 振り返りもせずに提案を切り捨てられた少年は、唇を引き結んでうつむく。逆に大和は口元を緩めた。

「丸金が心配か?」

 間髪入れずに少年の顔が険しく歪む。

「誰が、あんな奴なんかっ!?」


 勝間は少年の言葉に気分を害された様子もなく、思考を巡らせて結論に至る。

「どちらにせよ蝙蝠に基地の場所を知られた以上、奴が生きている限りここは襲撃を受け続ける。この拠点に貴重な物資を消費してまで防衛する価値はなくなった」

「果たして安住を知った人間に、必要だと説明したところで心が耐えられるかのう。傷病者が迫害されてでも去らなかったように、整った拠点を手放せば生存者の大半は心が折れるぞ。しかし本当に幸いな話じゃ」

 大和は飄然と話をひっくり返す。

「この基地には優秀な血筋の陰陽師がそろっている。位置を知っていても見つけられなくなる結界で基地を隠してやろう。その間に蝙蝠が興味を失うか退治をして解決すると良い」

 首を振った勝間はいよいよ胡散臭い物を見る目を隠さなくなる。

「それが可能ならば、何故今までそうしなかった」

「おお、そうじゃな。もっともな疑問じゃ。重大な局面まで沈黙していた理由は三つある。一つ、お主らが信じない確信があった。二つ、理解を超えた現象を恐れ迫害される危険が高かった。三つ、術者への負担が重いからアテにされたくなかった」

 大和が学生服の少年を前に押し出す。

「そういった類の術に秀でた血統書付きの陰陽術師が一人しかおらんものでな。消耗を考えれば数カ月が限界と考えられよ」

 勝間が胃の辺りを鷲掴みにする。

「また、子供」

 ここまで都合の良い条件を並び立てば断る理由は無い。それが全てでまかせで塗り固められていたとしても、そもそも勝間の腹には大半を救う妙案など存在しない。

 勝間は静かに丸金からの布を握り締めた。

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