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不惜身命問答

 扉を男三人で押さえつけながら鍵をかける。すぐさま黒い手首が小窓を叩き割って男達の頭に襲いかかり、滑り落ちるように屈んだ桐島の元いた位置に爪痕が深く刻む。それが届かないと知るや、血走った目が部屋を覗き込み、扉を大きく軋ませる衝撃と無数の威嚇が襲い掛かってきた。

「くそっ」

 仲前は銃を小窓に向けたが、富田は息を弾ませながら「無駄撃ちするな」と押し下げて阻んだ。その彼らの前に壁際のロッカーが置かれる。この戦場の中で日常から抜け出したようなタンクトップにワークパンツ、地下で別れた姿そのままの両腕を拘束する手錠、いるはずのない死神の写し身が場違いな笑みを浮かべていた。

「まずはバリケード、かな?」

 無言で大人達は扉の前にロッカーを積み上げ始めた。

 部屋の真ん中で布引を凝視したまま凍り付いていた丸金は、彼女と目が合い顔を伏せてしまう。だが相手に遠慮はなく目の前まで距離を詰めてくる。


 封鎖された地下に置き去りにされて殺されるはずだった人が、目の前にいる。


 足先が視界に入った丸金は小刻みに震え出した。構わず布引は膝をついて丸金に向かって腕を伸ばす。

「怪我はないみたいだね。あぁ、心臓が止まるかと思ったよ」

 心底安堵したという顔で、血の気が引いて冷たくなっていく体を胸の中に優しく抱きしめる。

「大丈夫。絶対助けてあげる」

 そのせいで丸金は呼吸も上手く出来ない。


 ロッカーを積み上げ終えると、振り返りざまに富田が布引へと銃を向けた。

「何故ここにいる、シザー」

 張り詰めた低い声に布引は表情を変えずに振り返り、丸金から一歩退き、彼らの方へ機敏に向き直る。拘束された非武装の女性が一人。それでも桐島と仲前はそれぞれ警戒で銃を向けた。

「何故かと言われてもねえ。そりゃあ、悲鳴とか銃声が聞こえたら普通駆けつけるもんだし」

「普通だったら駆けつけずに逃げるもんだわ」

 仲前が皮肉を挟んでも小首を傾げて知りたい内容の核心に触れない。富田は矛先を丸金に変える。

「君が呼び寄せたのか?」

 疑惑の目が丸金に向けられた途端に布引は口を割った。

「至って普通に脱走してきたんだよ。鍵なら解除する手筈は整えてあるって鎌イタチが言うからさ」

 背筋の凍る告白に桐島が「それは普通ではない」と血の気を失い顔を覆って座り込む。大掛かりな機械でハッキングする装備もないはずの男がどのような魔法を使ったのか想像し得ないが、猛獣を閉じ込めるのに十分だと思っていた牢獄が機能していなかったのだ。

 富田は先を促す。

「階段の鉄扉はどうした。あれは一度作動すれば物理的に持ち上げる必要がある。八トンあるものをまさか素手で持ち上げたというのか」

「あー、どうりで重いわけだ。持ち手もなかったし階段で足場もいまいちで、正直行き詰ったかなって私は焦ったんだけど」

 組んだ両手を布引が何もない空間に振り下ろす。

「そこは扉と壁の境目辺りをタイタンがこう、パーンって」

「お前それでよく普通に脱走したって言ったな!?」

 目を剥く仲前に対してあくまで他人事の布引は両肩を竦める。

「こっち方面サッパリで便乗させてもらっただけの立場だからねえ」


「……いや、それではおかしい」

 そこまで確認した富田の顔は更に険しくなる。

「工程に嘘がないなら、初めの発砲からの行動では合流するタイミングが早過ぎる」

 一人目が変貌してからの判断は早く、制圧などすぐさま諦めて退却している。進路を阻まれながらの疾走に二階での攻防が足止めになっていたにせよ束の間の出来事だ。

「シザーの申告に嘘が無い前提で推測できる自然な答えはただ一つ」

 銃声が聞こえる前から行動していたのだ。

「なるほど。処分を仄めかしたことで一刻の猶予も無いとみて速やかに脱走を決行したか。それに偶然こちらの混乱が重なったせいで、容易に取り逃がしてしまったと」

 声を震わせて富田が黙り込み、布引は肯定も否定もせず肩を上げて落とす。


 バリケードの向こうから木が割れる不吉な音がし始めた。

 黙ってしまった上官に代わり、仲前が髪を掻きまわして長い溜息の後に状況の整理へ回る。

「上手いことやって、わざわざ向かった先がこの袋小路かよ。ご苦労なこって。他の三人はどうした?」

「うーん、殺戮者だらけのどさくさで分散しちゃったみたいだね。彼らは自衛できそうだったし、固まって探すより効率が良いかと思って引き返さなかったんだ。直感には自信があったしね。ほら、こうして見つけることができた」

 その親指は背後の丸金を差していた。

「会って間もないガキのために、いるのか確信もない渦中に飛び込んだってか?」

 仲前は口を歪めて銃身を振る。

「なんのこっちゃねえ。お前らは俺達の会話を聞いてたわけだ。すぐ背後の階段の暗がりでな。姿をくらましたって不思議な力で消されたんじゃ、たまらんよなあ。土壇場で実行されないためにもガキは確実に始末したいはずだ。それこそ、危険な修羅場に飛び入ってでも」

「不安にさせているようで申し訳ない。でも私は嘘偽りなく加勢に来たんだ。それに、もしもおチビちゃんをここで死なせるつもりだなんて言い出す輩がいるのなら」

 初めからだ。

「刺し違えてでも止めてもらうよ」

 何も分からない時から理不尽な状況に陥った後でさえ、彼女はなにより丸金の身を案じ続ける。

 盲目に。


 髪をかき乱して丸金は叫ぶ。

「私に助けられる価値なんてありません!!」

 少女が拒絶したのは布引だった。

「人間を複製するのは凄く駄目なことなんです! お母さんを作った時に、もう二度としてはいけないってお婆ちゃんに叱られたのに、布引さん達に酷いことを押し付けることを選んだ酷い人間なんです!!」


 各地で殺戮者が現れだした当時、無防備な大勢の人が訳もわからず悲劇に襲われた。その中にはまだ新しいランドセルを背にした丸金も含まれてしまった。後三歩で玄関の扉に辿り着く。それが日常の最後。だが丸金は両親によって助けだされた。生き長らえる代償に母が肉塊へと成り果てながら。

 屋敷の周りは殺戮者に囲まれ祖母と父は孤軍奮闘して助けを待っていた。母を失った子供を野放しにせざるを得なかった。そして悲劇を引き起こした。

 丸金は菅原家に伝わる禁書に手を出してしまった。

 寂しかった。

 怖かった。

 愛する家族を取り戻したかった。

 まだ簡単な術しか習得していないにも関わらず、七歳の丸金は禁術を発動させて母親を呼び戻した。


 死ぬ直前の記憶を持って。


 目の前に戻ってきた母が恐怖によって醜い化け物に変わり、騒ぎに気づいた父は愛する妻に手を出せず体を引き裂かれ、祖母は丸金の手を引いて蔵の中に逃げ込んだ。

 暗闇の中で祖母は禁術に手を出す恐ろしさを説いた。そして命懸けで蔵の外から強力な結界を張りに出て、祖母もまた母によって殺された。

 暗闇の中で泣いて謝り続けた。どれくらいの時間が過ぎたのか丸金には分からない。それでも追い打ちは続く。再び丸金には助けが現れた。貝塚という男はとても強い陰陽師で殺戮者の母と相討ちとなることで幼い少女を救ったのだ。


 地獄絵図を作った丸金を。


「今度はみんなを助けるためだから仕方ないって思いました。理不尽なお願いをする代わりに一生懸命お世話して、命を懸けて償おうって思ってました。なのに今度は死神になったら困るなんて理由で殺そうとしたんです。なんにも悪いことしてないのに、みんなに死神の名前で呼ばれて、酷い扱いをされて、私も結局裏切ったんです」

 残虐な殺戮者との落差についていけなくなる程、顕現してからの死神達は優しい大人だった。だからこそ丸金の顔は余計に曇った。

「やっぱり私に生き残った意味なんてなかった! だから罰を受けて惨たらしく死ぬべきなんです!」

 縁の分厚い眼鏡の奥から気遣う目が見つめてくる。

「おチビちゃんはそもそも間違えてる。子供は守られるべき立場だ。こんな泥沼の命のやり取りは大人に任せておくのが当然なんだから、そんな風に気に病まなくて良いんだよ」

「子供は人殺しの理由になりません。因果応報として罰を受けるべきです」

 献身的な布引の態度は丸金の罪悪感を際限なく膨らませ破裂させる。この状況では最も相性の悪い手合いだろう。ともすれば、この少女は殺戮者に堕ちる。

 男達は打ち壊されようとしている扉と布引に視線を配る。

 死の足音は程近い。


 自罰で目を濁らせる少女の凶器に触れ、布引は一歩引き下がった。

「分かった。君の責任感を否定したのは謝る。でもそれは本当の望みじゃない。思い出してごらん。おチビちゃんはお祖母様の言い付けを破ってまで、どうして私達を呼んだの?」

 母を模して作ってしまった殺戮者の死骸の首を抱えた血溜まりの中で、茫然自失の丸金を見つけたのは老人だった。絶望に陥りかけた少女を見つけた大和は暗示をかけるように繰り返した。

「菅原家に伝わるこの禁術には価値があるって大和様が教えてくれたから。何もしないで無意味に死んだり絶望で鬼と化すのは自分を憐れむ逃げで、私のせいで死んだり苦しめられた人達が報われなくなってしまう。禁術に手を染めてでも救済に尽力することでしか私の贖罪は果たされない」

 その罪悪感と使命感が少女の心を支えている。

 丸金の懺悔を受けた布引は返すべき言葉を探し、口の端を上げて答えをだした。

「そうか、だったら尚更何もせずに終わるなんて出来ないな。まだ諦めるには早いよね。おチビちゃんが一緒に戦う仲間として選んだ私は、幸いその期待に応えられるだけの活躍が出来ちゃったりするんだよ?」

 激しい感情を宿した丸金の目が戸惑いに揺れる。


 その時、遂に扉が割れてロッカーごと黒い爪が貫いた。扉側に視線が集中する。その隙を仲前が突いた。手加減のない体当たりで布引は壁に叩き付けられ、体制を立て直すよりも早く両手を繋ぐ鎖を高い位置にあるフックに掛けられ踵が浮いた。コンクリートに埋まったフックはクレーンにでも使われそうな厚さで、人間の体重程度なら容易に支えて歪みもしない。男の掌が布引の首を締め上げ、深い胸の谷間に銃身が埋まる。

「平和ボケも大概にしろよ。ようやく分かった。お前あれだよ。ゾンビ映画なんかで初期につまんねえ情を出して危険を招き入れる危機感の無い戦犯タイプだわ。殺戮者に堕ちた理由がよく分かるな」

 息苦しそうに顔を動かす布引に、丸金は困惑して動けないまま手をさまよわせる。富田と桐島は額に汗を浮かべながら、外から押し寄せる殺戮者をロッカーで押さえる。仲前は布引の耳元に息がかかる距離まで口を寄せて、小さな声で捲し立てる。

「殺戮者になるつもりの人間なんて誰一人いねえ。無責任にガキを煽るんじゃねえよ。せいぜいガキの罪悪感が軽くなるよう笑って消えやがれ。武器も自由も無いお前に何ができるってんだ、ええ? 非武装のシザーさんがよう」

「それなんだよねえ。刀じゃなくても構わないから、せめてバールみたいな物でも貸してくれると助かるんだけどなあ」

 平然と笑顔で返す布引に仲前は歪んだ笑みを返しながら銃口を強く食い込ませる。


 侵入を図る無数の腕に傷つけられながら富田は丸金に再び命じた。

「ここはもう駄目だ! 菅原、罪を増やしたくなければ彼らを消すんだ!?」

 その一方で布引は真逆の言葉を重ねる。

「禁を破ってまで背負った使命を君は諦めてしまうの?」

 激しい言葉の渦に丸金は数珠を拾って両者の間で首を何度も巡らせる。

「一人でも死神を増せば、死者は君が犯した過去の比ではなくなるんだぞ!?」

 それは最も恐れること。

「死神に怯えながら化け物に成り代わられて衰退していくより、抗えるだけの戦力に賭けるべきだ!」

 賭ける命が多過ぎる。

「生に縋らず運命を受け入れるんだ!」

 迷いが自己保身からではないと言い切れるか。

「もう安全な場所に隠れていろとは言わない。けれど生きることだけは放棄しないで。私も覚悟を決めるから」

 しかし希望を捨てる理由だって見つけられない。

「信じて丸金」

 この期に及んでも布引は丸金に歯を見せて笑っていた。死臭で満ちた殺戮者の中に現れてから、ずっと。

 死相からは程遠い人。


 ロッカーから生えた大量の黒い腕が引き下がり、代わりに痩せこけた黒い上半身が乱暴に現れた。それは体を左右へ揺らしながら、バリケードを遂にすり抜ける。

 富田は殺戮者の関節が分からない首に組み付きながら命じる矛先を変えた。

「もういい! 仲前三佐、シザーだけでも撃て!!」

 丸金は駆け出した。

 頭から仲前の腰に全身で突っ込んでしがみ付いた。その行動が鍛えられた体躯に意味をなさなくとも、引き金の瞬間は遅らせた。


 仲前の放った銃弾が埋まったのはコンクリートの壁で、布引の体は壁を蹴って横へと大きくしなっていた。体重を支えるフックを支点に壁を走った布引は天井に近い場所で両足を突っぱねるという並外れた身体能力を見せる。

 眼鏡だけが重力に負けて丸金の手元まで落ちてきて、頭上には映像で見たシザーの顔がある。その人間離れした体制でフックを握りこんだ布引は、更に両足の力を込めた。

「さあて。口先だけじゃないってとこを全部退けて証明するとしますかね、っと!」

 コンクリートからフックに繋がった長く太い杭が抜き取られる。勢いよく天井近くを跳んだ布引は、富田が拘束する殺戮者の隣に着地ざまに杭を一閃する。殺戮者の首が裂け、血が線状に飛び散って富田の顔を汚した。


 ロッカーが遂に横に投げ飛ばされ、一緒に吹き飛ばされた桐島が壁と挟まれ絶叫を上げる。バリケードが崩れて入ってきたのは、出口を覆い隠す巨体にまで膨れあがった手足の短い化け物だった。そいつは横に転がるロッカーを片手で持ち上げると、布引に向かって投げつける。

「布引さん!?」

 勢いよく直進で飛んだ鉄の箱を布引は片足で真っ直ぐ蹴り返した。衝突で盛大に凹んだロッカーはそのまま化け物の顔を潰し、ロッカーに全体重をかけた跳び蹴りの追い打ちがかけられると巨体は部屋の外まで押し戻されて廊下に沈む。鉄が落下した甲高い金属音に肩をすくめて、丸金はその布引の強さに彼女の横顔を凝視する。


 だがこれで終わりのわけもなく、異形が横から姿を現し、部屋へ侵入しようと出口を埋め尽くして群がった。鼻に吐き気を誘う甘ったるくも苦味のある臭いが流れ込んでくる。

 布引はフックを構え直して唇を舐める。

「無限多数試合、と言っても建物の中だけなら数も知れてるさ。とりあえず全部張り倒すけど、戦闘中に背後から撃つのは勘弁してくれると嬉しいな」

 富田は群れを為す殺戮者ではなく布引に銃口を向けていた。慌てて飛び出そうとした丸金の肩を仲前がつかむ。ロッカーから這い出した桐島も呻いてはいても行動ができるようだった。

「馬鹿な提案をする」


 銃弾が部屋を飛び交った。布引はその場から動かない。壁に脳漿をぶちまけたのは襲い掛かってきた殺戮者達だった。自衛官達は弾を装填する。

 息を吸った富田は建物中に届きそうなよく通る声を張り上げた。

「屋上まで突破の後に基地の戦況を把握。これから生きている戦線に合流する! 戦意のある者は後に続けえええ!!」

「イエッサー!」




 屋上の扉が開けば、まず一番に丸金は放り込まれた。階段から迫りくる殺戮者を蹴り落として最後に布引が滑り込めば、力強く鉄板のような扉が閉めきられる。

 途中で合流した生存隊員は両手を超える数で、この惨状からすれば僥倖だろう。


 肩で息をする布引は青白い顔で汗を拭いかけて、両手を繋ぐ鎖に動きをとられて得物を取り落とした。

 丸金が走り寄って血塗れのフックを拾って手渡すと、布引が微笑んで「ありがとう」と答える。そこで丸金は反対の手に握っていた眼鏡を思い出して両手で掲げる。

「ああ、そっか。丸金が持っていてくれたんだね。手が汚れているから掛けてくれるかい」

 布引は腰を屈めて顎を突き出す。慎重に眼鏡の柄を開いて彼女の顔に装着すれば、黄色い縁が目元の印象を見慣れた柔和で垢抜けないものに戻す。

 健闘を称え合い、悲嘆にくれ、扉を塞がなくてはと忙しない集団の中で、布引は眼鏡が戻っても腰を屈めたまま至近距離で丸金を見つめた。視線の置き場に困って丸金がうつむいて両手の指を弄りだすと、何故か布引はもう一度「ありがとう」と口にする。

 丸金は首を振った。

「あの、お礼を言うのは私の方なので」

「そんなことないよ。怖いおじさんから私を助けてくれたじゃないか」

 動きを止めて考えた丸金は、仲前を見て、顔色を悪くする。後少し迷っていれば目の前の布引は撃たれていたのかもしれない。それどころか、丸金の選択次第では暗い部屋の中で全滅心中だった。

「よく言う」

 銃を弄りながら近くにいた仲前が水を差した。

 死神が現れ、基地の中は混乱と焦燥で心の安定を持ち崩した者だらけ。四方が戦場と化し、今も扉を破ろうと殺戮者が詰めかけている。それでも彼女はまだ余力すら感じさせていた。その強さは口先だけではなく、荒妻同様に異常な身体能力を持っている。何よりこの異常な状況で布引だけは笑顔を崩さない。シザーと同じ顔なのに陽気な態度はまるで別人だった。

 彼女は嘆きに満ちたシザーじゃない。


 地下にいた頃から張り詰めていた丸金の気はここにきてようやく緩んでいた。

 相変わらず予断を許さない状況の最中だが。

「おい、気をつけろ!」

 地上を見下ろしていた隊員が後退して身を屈んで何かを避ける。地上から何かが投げ込まれたのだ。視線が集まった先にあったのは首無しの死体で、地上から殺戮者の甲高く馬鹿にした声が騒ぎ立てながら次々と投げ込んできた。

 その一つは大きく放物線を描いて丸金の方に向かい、少女の元に辿り着く前に布引が受け止める。

「誰だてめえ! 化け物側に回った途端に調子扱いてんじゃねえぞ、軟弱野郎共があ!」

 威勢の良い隊員達が苛立ち紛れに手すりに寄って体の一部を投げ返し始める。


 布引が受け止めた心臓を静かに地面に置く。

「うっ」

 地面に向けて漏れた布引の声に、傍らの丸金は話しの続きかと急いで身を傾ける。それに対して布引は仲前の方を向いて無言で首を振って口元を仰いで手を合わせ出した。

「どうしたんですか、布引さん!?」

 手を伸ばそうとした丸金に両手を激しく振って、布引は走り出す。突然の奇行に丸金は驚いて慌てて追いかけようとした。それを仲前が首根っこに指をかけて引き留める。

「今回はトイレまでもたなかったな」

 仲前は耳をほじって、物陰に姿を消した布引を見送った。

不惜身命:ふしゃくしんみょう:身や命をささげて惜しまないこと。身を顧みないこと。元は仏教用語。<goo辞書引用>

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