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匂い立つ怨嗟

 コンクリートの壁、汚水の臭い、下水を照らす灯は二つ。黒服の男はイヤホンに手を当てながら端末を弄り、迷彩服の男は地上に繋がる梯子に銃口を向けて警戒にあたる。

「カメラはどうだ」

「奇跡的に標的を映してる。到着まで少し時間がありそうだ」

 物々しく殺気立つ男達の中には場違いな存在が一人混じっていた。唇を引き結んで膝を抱える幼い少女だ。百人一首にみる平安貴族の男装束にタートルネック、足元には運動靴という和装としては些か邪道な装いをしている。少女もまた神経を張り詰めていた。名は菅原丸金すがわらまるがね。手を擦り合わせ、脛を撫で、この場を耐え忍び続けて数時間、唇は紫となっている。

 男達から少女を気遣う言葉は一言もない。


「死神を始末出来れば、戦況は変わると思うか?」

 黒服の投げかけを迷彩服は鼻で笑う。

「俺の趣味は映画観賞でな。ゾンビ映画も散々観てきたぜ。その中でめでたい結末がいくつあったと思う?」

「……観るジャンルが偏ってたんじゃないか」

「黙示録、アポカリプス、最期の時ってやつだ。日本は滅ぶんだよ。死神がおっんで穏やかに衰退するか、死神共が暴れまわって爆発的に消滅するかの違いだな」

 少女は灰色の袴を握り締める。その違いを作る為に少女は犠牲を払うのだ。

「映画みたいに問題を解決できるスーパーヒーローなんて存在しねぇってこった」

「もしあの死神を敵ではなく味方につけることが本当にできれば、そうなるかもしれないじゃないか」

 黒服は命懸けの使命に希望を見出そうとするが、迷彩服は否定する。

「絶望に陥って闇堕ちしたような大量殺戮者が、人を守る為に立ち上がるってか。おはよう、そろそろ夢から覚めちゃどうだい」

 黒服は立ち上がって迷彩服を睨んだが、何も言い返さずに懐中電灯を下水道の上流に向けた。

「連中の軌道が逸れた。位置を修正、ポイントFの四十九に移動する」


 迷彩服は銃を構えたまま移動を開始する。黒服が後に続き、少女の前を通ったことで久しぶりに存在を思い出したのか、黒服が少女を懐中電灯で照らした。

「行くぞ」

 少女は痺れた足をゆっくりと伸ばし、「はい」と掠れた声を絞り出す。ふと、黒服は和服の少女を照らしたまま目を眇めた。

 庇護される年頃の児童を渦中に放り込む。

 少女は戦場に置き去りにされる道徳や日常の象徴だ。

「確かに、こんなものに縋るところまで追い詰められている時点で、人類の終末なんて目と鼻の先なのかもな」

 少女の細い指が己の手首に爪を立てて食い込んだ。






 折れた電柱、壊れた埃だらけの車、立ち並ぶ建物。整備する人間のいなくなった町の壁には草が這い、アスファルトを割って人の代わりに花が立つ。

 退廃的な景色はどこか芸術性すら帯びていた。


「返してよ!? どうして、嫌だあ、死にたくない!!」

 エンジンのかかった一台の可愛らしい原付バイクに取り縋るのはヘルメットを被った若い女だ。バイクに跨る二人の男も必死に女を殴りつける。

「このままじゃ、追いつかれちまうじゃねえか!」

「もういい、引きずっちまえ!?」

 アクセル音と共にバイクが蛇行しながら走り出したが、女は駆け足になりながらもバイクを離さない。

「離れろよ!」

 その首筋に男が拳を振り下ろした。女は咳き込んで片手を放して両足をもつれさせてバイクに引きずられる。

 背後に視線を向けた男は悲鳴を上げる。

田村たむらぁ来てるぞお! 化け物の群れがこっちに向かって来てる!」

「分かってるから早く、その重りを切り離せ!!」


 後ろに乗った男は再び女に視線を戻したことで、道路に筆で書いた様に血の筋が引かれていることに気付く。

「なんてしぶとい」

 憐れむどころか忌々しげに拳を振り上げたところで、男は女が笑っていることに気付いた。視線が交錯した女の口が一音ずつ、ハッキリと、ゆっくり動く。


「お、ま、え、が、し、ね、ば、い、い、の、に」


 女の右膝から黒い何かが爆発的に膨らんで、女の両足に纏わりついてズボンまで取り込みながら変貌する。

「マズいぞ田村、この女、変貌が始まった!?」

 細い指先が血管の巻き付いた黒いアイスピックと化す。笑みを浮かべた口は頬骨まで裂け、頭は溶けてヘルメットと歪に同化する。

 化け物に変わり果てた女は、バイクをつかんだまま地面を蹴って、鋭く尖った五本の長過ぎる指を後ろの男に突き立てた。恐怖に染まった男の顔からピンクの泡が吹きこぼれて痙攣する様を覗き込みながら、化け物女はアイスピックの指を蠢かせて肉の中に潜り込ませていく。


 運転していた男は背後の光景に泣き叫びながらバイクを乗り捨てて逃げだした。

 女の皮膚は服をまだらに取り込んで黒い革に包まれていた。遠くから見ればライダースーツにも見えるが、血管の拍動する外見は悪魔を彷彿とさせた。

 彼女だったものは笑い声を上げながら指にぶら下げていた男を放り捨て、逃げる男の背中を追いかける。

「嫌だ! 死にたくない!!」

 それは先刻、人間だった時の女が言った台詞と同じだった。その女はそれを口にして助かっただろうか。

 男の体に黒い腕が巻きついた。背中に隙間なく寄せられた女の胸は、予想外に温かく柔らかい。

 過呼吸となり目を見開いた男の背後からは、更に数十人の人間ではなくなった黒い群れが追いつこうとしている。


「誰か、神様…………」


 外道の祈りに一発の銃声が応えた。

 口裂け女は左耳から右頬にかけて風穴をあけられ、地面に脳漿を飛び散らせて倒れ込む。流れる血の色は化け物となり果てても赤いまま。

「あ、あ……?」

 現状を把握できずに立ち尽くす男の前に、建物の陰から自衛隊が数十と現れ厳つい銃を化け物の群れに向けて構えた。銃弾が一斉に化け物を撃ち殺し、地面、壁、赤一色の花畑を作り上げていく。


 茫然としている男の肩が力強い手に叩かれる。

「大丈夫か?」

 助け出されたことをようやく自覚した男は脱力して崩れ落ち、自衛官の服にしがみ付いて泣きだした。

「ありがとうごうざいます! ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう」

 壊れたように礼を繰り返す男に自衛官が苦笑して口を開いた。その手は立ち上がらせようと動いていたが、彼の声が発せられる前に頭が吹き飛ばされていた。


 風切り音と共に男の周りで次々と自衛官の首が不自然な角度に折れ、腕が千切れ、腹が裂ける。リズム良く、順番に、マネキンを跳ね飛ばして遊ぶ様に人が壊れていく。


 生暖かく粘着質な血の雨が降る。


「死神だ! 鎌イタチが現れたぞ!!」

 地面へ伏せた男の頭上で刃が空を切った。

 視線を向けた先にいたのは、一見、目の下まで顔を覆面で隠した男だった。だがその覆面は一枚の布ではなく、黒い革上の繊維が皮膚に沿って目元まで這い上り、縫い込まれる様に埋もれて一体化した体の一部だった。

 指は鉤爪、手は赤く染まり、液体が地面に流れている。

 指揮官が周囲を鼓舞しげきを飛ばす。

「あそこだ! 死神といえどたかが一体! 怯まず全員でかかるんだああ!!」


 指揮官の背後から重量のある物が投げ込まれる。

 化け物との間に落ちたのは迷彩柄の制服だった。首も、手も、足もなく、蓋を開けたペットボトルをひっくり返した様に赤い液体が流れ出す。

「何、が」

 コンクリートの壁が破壊され、そこにいた自衛官が断末魔を上げて瓦礫の下敷きになる。現れたのは腕と下半身が熊の様に変貌した男だった。肌色の分厚い胸板には無数の銃痕を刻み、顔面には眉間から放射線状に黒い筋が広がる。

 新手の化け物が壊れた壁を無遠慮に踏みつけると、瓦礫の下から血が絞り出されて水溜りを広げていく。


「し、死神、二体目ですっ!!」

「タイタンだと!?」

 動揺する指揮官に代わり副官が叫ぶ。

「こいつに物理は効かん! 戦車まで退避して時間を稼げ!!」

 一斉に撤退する背中の一つをタイタンと呼ばれた化け物が咆哮をあげてへし折る。削られる人員を確認する余裕もない。

 そして、一般人である男にも死神の視線は向けられる。しばし停止していた鎌イタチが鉤爪を振り上げた。そこに勇気ある自衛官の銃弾が一閃し、鎌イタチは軽やかに後ろへ跳んで躱す。

 うずくまる男に駆け寄った自衛官が男の腕を引いて「早く動け!」と急かす。

「ポイントまで逃げきれば戦闘ヘリがある。希望を捨てるな!」

 延々と続く死の綱渡りの中で、なんとか元気づけようとする自衛官に背を叩かれて、足元が覚束ないまま男は泣きながら走る。


 戦車が見える大きな通りに出た。

 大勢の武装した屈強な男達に、安心する間もなく空から爆発音が響く。周辺の窓が一斉に割れ、破片が飛び散って地上に降り注いだ。

 炎上しながら横切るのは戦闘機だった。流れるようにいくつもいくつも黒い飛行機雲が線を引いて落ちていく。その間を黒い翼の生えた異形が滑空する。

「コウモリ(こうもり)……じゃあ、ヘリはまさか、全滅」

 男の背を押していた自衛官が新たな名を漏らす。

 戦車が空の異形に機関銃を向けて弾を放出するが、建物の陰に飛び込んだコウモリは一度姿を消し、物陰から男の隣にいた隊員の首を掴んで連れ去った。人間の体を建物にぶつけながら旋回したコウモリは、砲撃が止んだ瞬間を狙って戦車の砲筒に人間の頭をねじ込んだ。

 砲撃を再開した戦車の前で肉塊が飛び散った。空中でコウモリが腹を抱えて笑い声をそこら中に響かせる。


 視界に入るのは死体、肉塊、死体。


「ここはもう駄目だ! 無駄死にするな、撤退しろ!」

 周りに救ってくれる者がいなくなった男は「待ってくれ!」と懇願する。四方に散って逃げ出す自衛官達は、もう誰も振り返ってはくれない。

 そして、そんな自衛官達の道を女が塞いだ。胸元だけを隠すチューブトップに、前面の大きく裂けたロングスカートで黒く変質した長い足を危ういところまで晒す煽情的な身なり。

「……シザー」

 だがその両腕は地面に届く程に長く凶悪な大鉈だった。人を叩き潰すには十分で、切れ味も背後にあるバラバラな体が物語っている。右目だけを囲んでいる黒い輪が放射状黒い筋を伸ばし、目の下に伸びたそれはまるで泣いている様にも見えた。


 静かに長い睫毛が瞬いて首が傾げられる。指揮官は乾いた笑いを漏らした。

「これで死神がそろい踏みか。運命はここにいる連中を皆殺しにしたいらしい」

 決死の想いで銃を構えれば、シザーは彼らに向かって前傾となり凶悪な右腕を振り抜いて一息に二、三人を上下に両断した。


「置いてかないでくれ。頼む、なんでもします。許してください。嫌だ、神様!?」

 男の命運は尽きた。

 頭をつかんだタイタンの指が柔らかい皮膚にめり込んで硬い骨を軋ませる。男が白目を剥きながら絶叫を上げても、怒りに満ちたタイタンには響かない。

 握り潰した頭から体が離れて地面に落ちる。


 周辺に動くものがいなくなると、今まで暴れていたのが嘘のように鎌イタチは動きを止める。飛んできた広告が腕に張り付いても気に留めず、血の川に目を落とした。血はそこら中から集まり、雨と同じくマンホールの中に流れて吸い込まれていく。

 しばらく立ち尽くしていた鎌イタチはそこら中を闊歩する化け物の咆哮に視線を巡らせると、瓦礫を蹴って屋根まで跳んで何処かへと姿を消した。






 初めの異変が、いつ、誰の身に起きたのかを突き止める術はもはや無い。

 化け物へと変貌する人間が現れ、世界中で非常事態宣言が出され、この世が無法地帯と化してから二年もの月日が流れてしまった。


 死神と呼ばれる四体の化け物が立ち去った血の海の中で、密かにマンホールが薄く持ち上げられる。それに呼応して広告の裏から呪術じみた札が現れた。

 短冊サイズの紙切れは、赤く染まらないように赤い水面ギリギリを低く飛んで移動し、マンホールの隙間から地下へと消えていった。

主役 :菅原丸金すがわらまるがね

メイン:*****/カマイタチ

    *****/コウモリ

    *****/シザー

    *****/タイタン


口裂け女:普段はマスクで口元を隠しており、質問を投げかけて答えが気に障ると殺戮者となる妖怪。口の端が耳まで裂けた恐ろしい風貌をしている。

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