春の襲撃編 20 「──涙、か……」
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阿武隈流浪は次々と現れるモニターに瞬時に映る、テロ事件についての資料を見ていた。流浪とて、伊達に《コンピューターの天才》と呼ばれている訳ではない。今見ているのは、防衛省が防衛省内で報告しているもの。だからこれは全て、一般公開されていないということになる。盗み見、というものだろう。
資料に1通り目を通してはいたが、何か違和感を感じるのだ。
防衛省とて全ての情報を持っているわけでもない。
ましてや、今は『ハッカー』対策として監視カメラというものを付けていない。その代わりにあちらこちらに『想力分子感知機』が付いている。誰しもが『想力分子』を持っている。そして、『想力分子』はその者の想いに反応する。つまり、悪さをしようとする輩の企みが『想力分子』に現れる。『想力分子感知機』はそれに反応する。
流浪がわかっている限りでは、自分の教え子である刈星蒼翔が狂って辺り一帯を破壊したこと。その原因である男もいるそうだが、映像がない為誰かはわからない。どうやら防衛省でも大臣以外はわかっていないらしい。
「全く手のかかる子だよ」
流浪はパソコンを弄りながら呟いた。
パソコンならぬモニター複数に映し出される『念擂々』、『刈星蒼翔』についてを見ながら──
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多重人格──
解離性同一性障害のひとつである。
解離性障害は自分にとって堪えられない状況を、自分のことではないと感じたり、その時期の感情や記憶を切り離して、それを2度と思い出させないとすることで心へのダメージを避けよう、とすることから起きる障害である。その中でも解離性同一性障害というのは、解離性障害の中で最も重くて、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格になって表に表れるものである。
何故解離を生んでしまうのだろうか。主な要因はストレスである。
いじめ・人間関係・ネグレクト・児童虐待(心理的虐待・身体的虐待・性的虐待)・心的外傷がストレスの要因として挙げられるものである。
つまり、解離性同一性障害はストレスからなるものである。
だが、刈星蒼翔──刀塚玄翔にはそれがない。蒼翔はストレスからなるものではなく、『異能力』の副作用的なものである。蒼翔の『異能力』は世界最強並の力を持つため、それ相応の代償が付いてくる。だから、蒼翔の多重人格というものは治療しようにも治療ができないのである。
蒼翔の持つ人格は無数にある。だが実際、今のところ別人格が出た例がほぼ無い。緋里だけがそれを知っている。
そう、つまりは本来なら別人格が出ていないのに、別人格が出た、と言っているということだ。
今のところ別人格になったことがあるのは過去『1回』のみ。その時は蒼翔が蒼翔でなくなっている。
今現在、蒼翔が一人称を変えた時のことを別人格としているが、それは間違い。思考力が低下し、『喜怒哀楽』の感情に身を委ねているだけである。だから『記憶』が残ったままなのである。
彼女だけが──双子である緋里だけがそれを知っている。
『暴走』という言葉の方が正しいのだろう。あれは別人格というわけではない。
一旦暴走したら蒼翔自身では止められない。
しかし、緋里によってその暴走は止められるのだが、その止め方が少しおかしいのである。
口付け──キスをすれば蒼翔は元の状態に戻るのである。理由はわからない。昔緋里がたまたました事が結果的にこうなったのである。多分だが、これが双子パワーなのかもしれない。
蒼翔は極力他の人格を出さないようにと思い、常に冷静を装い、周りと少し距離を置く。そうしないと感情が揺さぶられ、別の人格がすぐに出てしまう──と思っている。だが実際それは別人格ではなく、ただの暴走。
──別人格になった時は、暴走の比ではない。
世間一般では暴走状態の蒼翔が世界最強だと言われている。だが、暴走状態だろうが通常状態だろうが変わらない。通常状態の時は、自分でストッパーをかけているだけである。つまりは、最初から世界最強の能力を有しているのである。
では、別人格になった蒼翔はどうなるのか。
それを知っているのは緋里だけである。
その本当の『異能力』を目の当たりにしたのは。
しかしながら、刈星蒼翔が『多重人格』であることには変わらず、さらには人よりもメンタルに左右されやすい。
世界最強にも苦労は付き物だ。世界最強だからって万能ではない。
──この世に万能な人間など存在しない。いや、存在してはいけない。
人間には絶対欠点はなければならない。万能な者はそれは人間ではない──神だ。
だが、緋里にとったら多重人格なんて関係ない。
蒼翔は蒼翔だけだ。彼の本心の人格は1つだけ。それは確信が持てる。一番近くで見てきたからこそわかる。蒼翔は蒼翔のままでいい。
──私の弟は蒼翔1人だけだから。
彼女は暗闇の中、1人で信じて待っていた。
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「──涙、か……」
《消える暗殺者》の目の前で緋里が眠っているはずなのに涙がこぼれ落ちている。何の夢を見ているのだろうか。
「僕が涙を流したのはいつ以来だろうねぇ──」
いつなのだろう。もうここ2、3年程流していない気がする。いや、流す機会がない。流す理由がない。目から出るゴミクズのような水などどうでもいい。そんなものはいらない。この世に存在してはならない。ゴミクズなど存在してはならない。存在しなければならないのは万能な人物だ。
──万能な人物こそがこの世にとって必要とされるべき存在だ。
《消える暗殺者》は自分で考えが間違っているとは思っていない。むしろ合っていると思っている。万能な人物がいる世界がどれ程素晴らしいものだろうか──それがわからないから、万能な人物なんて存在してはならないとかほざいているのだ。
そういえば先程あの場にいた蒼翔以外を連れてきたわけだが、まさか松田家までいるとは思ってもいなかった。二刀流家に松田家とは、また厄介な家を相手にしたものである。
どうやら刈星蒼翔と刈星緋里がキスをすると刈星蒼翔の暴走が止まるという噂は本当だったようだ。先程全員気絶させたので試してみたら、本当に元の人格に戻っていた。これは使えそうだ。
「──さて、楽しい楽しい絶望という名のものを植え付けようとするか──」




