〇二
○
「困ったな」
「なにが?」
離れの部屋で何気なくつぶやいたゲンやんと、顔を向けるキロク。
ゲンやんは窓を開いて、正面の畑とその後ろに続く木々を見ていた。
外ではセミの声がうるさいくらいに響いて、強い日差しが降り注いでいる。
けれど、それと同時に離れには涼しい風が吹き込んでくるのだった。
その風は実に気持ちよく、とてもすごしやすい。
扇風機も用意されているが、ほとんど必要なかった。
「一体なにをすればいいのか、わからん」
ゲンやんは部屋を見回しながら、独り言のように言った。
中学生三人は夏休みだが、本日は平日の月曜日である。
朝食後、おじさんとおばさんはすぐ出勤してしまい、おばあさんもさっきまで畑にいたようなのだが今は姿が見えない。
現在の三人は、軽く放置されたような状態だった。
「中学生らしく、宿題でもやる?」
キロクはのびをしながら、そんなことを言った。
「お前、まだ残ってるか?」
「いや、ゲンやんは?」
「残ってない」
ゲンやんは首を振って、窓から離れると畳に寝転がる。
「真面目だなあ、僕らは。もう宿題終わってるもん」
そう自分で言ってから、ゲンやんは爆笑してしまう。
つられて、キロクもアハアハと笑った。
「強制だったけどな」
と、本を読んでいたセーハチが冷静な声で発言まで。
言われて、二人は黙り込んでしまう。
神縛町に来る一週間前、三人は監視役立会いのもと夏休みの宿題をやらされた。
ここへ送られることが決まった保護者たちに会議の席で、
「最低でも宿題は全部すませておかないと。どうせ勉強なんかしないんだから」
ゲンやんの母が放ったこの意見により、満場一致で宿題の突貫作業が決定した。
監視役となったのは、発言者であるゲンやんの母である。
三人は市内の図書館に連れて行かれ、そこで一日中宿題にかかりっきり。
図書館が休みの時は、ゲンやんの家に集められ、やっぱり一日中宿題。
昼に持参した弁当を食べたらまた宿題である。
市の図書館は午前九時から午後七時まで開いているため、長時間の拘束となった。
おかげで、宿題は全部片づいたのだが、最終日には三人ともグロッキー。
あらかじめ計画的にやっていたセーハチでさえも、かなり堪えたようである。
「あれはきつかった……」
連日の修羅場を思い出して、一番宿題を遅らせていたゲンやんは青い顔をする。
自分の息子ということもあってか、母は一番ゲンやんに厳しくしたからだ。
「なんだかんだで、えらくない? 自分ら」
キロクは飽きもせずに外の風景を見ながら、ぽつりと言った。
「えらいと思うよ。いや、えらい!」
ゲンやんとキロクは、自分で自分を褒め称えて偉いと繰り返すのだった。
「えらいえらい」
セーハチは本から目を離さぬまま、どうでも良さそうにつぶやく。
宿題が終わった後、すぐ神縛町へ行く準備に取りかからせれたので、それを実感する余裕がなかったせいもある。
親たちも、
「やっと終わった。来年もこうあってほしいな」
などと安堵はしても、あんまり褒めてはくれなかった。
もっともそうなったのは、三人の普段の行動があまり良くないせいでもある。
つまり、信用というのがあんまりなかったわけだ。
放置されていたら、セーハチはともかく他の二人は後日地獄を見たことだろう。
(来る時は、林間学校みたいなことになるのかって思ってたけど……。これはこれで困るな。かといって家にいる時と同じようなわけにいかないし)
ゲンやんは寝転がったまま、目を閉じる。
どこかに出かけようにも、周りは田園風景ばかりが広がって、中学生が遊ぶような店や施設というものは何もない。
「まいるなあ……」
これなら、なにか用事でも言いつけられたほうが良かった、とゲンやんが思った時。
「うわあっ!」
記録の悲鳴があがったかと思うと、どっしりとしたキロクのお尻がゲンやんめがけて降ってくる……ように、ゲンやんには見えた。
ゲンやんは息をのんで、転がるようにして逃げる。
振り返ると尻もちをついたキロクは、窓を凝視していた。
窓から、一匹の猫が顎をのせる形で部屋を見ている。
「なんだぁ……?」
ゲンやんは目を丸くして、猫を見つめた。
高さからして、あそこからあんな体勢で猫が顔を出せるわけがない。
一瞬ゲンやんは背中に寒気が走った気がした。
すると、クスクスと猫がしのび笑いを漏らす。
「だれ?」
セーハチがうんざりした、という顔つきで猫に向かってそう言った。
「にゃあお?」
猫の後ろから、そんな声が飛んでくる。
同時に猫の体が持ち上がって、その後ろから真澄が大きな瞳をのぞかせただった。
「あっ」
簡単すぎる、仕掛とも言えない種明かしにゲンやんは赤面する。
なんのことはない。
かがんだ真澄が猫を抱きかかえて、後ろから猫の顔を突き出させただけ。
そんな簡単なことでも、不意を突かれたキロクが大声を上げてしまったのだ。
猫だってよく見れば、真澄にひっついていたトラ猫である。
だけど、ゲンやんはそれを非難はできない。
一瞬とはいえ顔をのぞかせた猫に、
(お化けじゃないのか……)
などと思ってしまったのだから。
「しょうもない……」
一番冷静だったセーハチは真澄のイタズラに眉をひそめたけど、すぐに興味を失ったのか、また本に視線を落としてしまう。
「三人組がこんなド田舎でどうしているかなって、思ってさ」
真澄はトラ猫を抱き直しながら、ニコニコと三人を見る。
「見た感じ、おひまそうですねえ?」
「悪うございましたねえ」
ニンマリとする真澄に、ゲンやんは少し眉を寄せる。
「悪いなんて言ってないよ。むしろちょうど良かったと思ってるし」
と、真澄はトラ猫ののどを優しくなでながら、意味ありげに目を細める。
ゲンやんとキロクは顔を見合わせたが、セーハチは本を読んだままだ。