〇一
その夜、陰洲家はちょっとした宴会みたいな騒ぎだった。
居間に四角い大型の座卓が二つ並び、その上にはおいしそうな料理がずらりと。
ほとんどが、雷蔵おじさんがはりきって作ったものだ。
それらを、ゲンやん、キロク、セーハチの三人組と陰洲一家全員が囲んでの夕食。
「いやあ、うまい、おいしいなあ!」
中でも、おじさんたちに評判が良かったのはキロクである。
三人の中でも一番体格が良いだけあって、食欲もすさまじい。
食べっぷりが良いだけではなく、ものすごくおいしそうに食べる。
だから見ていても気持ちの良いのだ。
また、キロクは大柄ではあるけど、肥満気味というわけではない。
むしろ柔和な顔つきに似合わない、筋骨のがっしりした肉体なのである。
そのへんがまた、陰洲家の人々に受けが良かったらしい。
「おう、いいね、コレも食べなさい」
「あ、こっちにもあるよ? 良かったらお食べ」
おばさんはどんどん勧めて、おばあさんは自分の分まで出してくる。
キロクのほうも、これまた遠慮なしに食べるのだ。
──いつもながら、すごいなキロクは……。
横で食べているゲンやんは、感心こそすれ、
「そんなに食べて大丈夫か?」
などとは、言わない。
もはや慣れきった光景だからだ。
しかし、慣れていない真澄は、
「あんなにいっぺんに食べて……おなか、大丈夫かな?」
気づかうような、呆れたような複雑な顔をしていた。
「ぜんぜん大丈夫でしょ。いつものことだし」
「え! いつあんなに食べてるの!?」
ゲンやんの言葉に、真澄のキロクを見る視線は、心配そうなものから、まるで怪獣でも見るようなものに変化した。
「……ところで、君たちはどんなことする予定なの?」
食べ続けるキロクから視線をはずした真澄は、少し身を乗り出して聞いてきた。
大きな瞳の中に、好奇心が渦を巻いている。
そこのところが、ゲンやんには少し意外だった。
初対面の時は、なんだかとっつきづらそうな印象を受けたのだけど。
いざ話してみると、明るくて気の良い女の子である。
「うーん……。そういえば、特に決まってないなあ」
ゲンやんは、天井へと視線を上げながら考え込む。
ここに来たのも、ほとんど両親による強制だったから、予定など何もない。
「……まさか、ここで農作業とか手伝わされるのかなあ?」
「手伝ってもらうほどのこと、あるかな。うちに」
真澄は料理を小皿に取りながら、不思議そうに言ったのだった。
「でも、ここ兼業農家だろ?」
「そうだけど……。うちの場合、ばあちゃんがほとんど趣味でやってるようなもんだしねえ。畑にしたって勝手に触ったり入ると怒るし。後は草刈だけど……君ら、草刈機使える?」
ゲンやんが首を振ると、
「慣れない人に、下手なことしてケガでもされるとこっちだって困るんだよね」
そうつぶやく真澄の言葉には、妙に実感みたいなものがこもっていた。
「あたしだって、農作業なんか特に何もしてないけど」
言われてみれば、真澄の肌はあまり焼けていない。むしろ色白とさえ言えた。
田舎。農業。農作業。
ゲンやんの乏しい想像力は、そんなものを予想していたが、どうも違うらしい。
偶然なのか、ちょうどこの時だった。
「そういやあ、君ら荒女山を熱心に見てたんだって?」
おじさんが面白いことを気づいた、といった顔つきで三人を順繰りに見回す。
「はい。形の良い山ですね」
キロクがハキハキとした声で答えた。
おせじなんかではなく、本気でそう思っているのがゲンやんにもわかる。
そもそも、おせじを言えるような器用な性格ではない。
本心だからこそ、あっさりと淀みなく言えたのだろう。
事実、荒女山は円錐形の見栄えの良い形だ。
「でも、どうしてアラメって言うんですかね」
「なんでかな?」
キロクの素朴な疑問におじさんは首をひねった。
考えこともない、という顔つきである。
「そりゃあな……」
この時、おばあさんが大きな声をあげた。
「あそこに祭られてる神様からだよ」
「神様?」
キロクは聞き返す。
ゲンやんは何も言わなかったが、山道を上がってくる時に見た、あの古いお宮らしき建物を思い出していた。
ただ、あそこと話の神様とやら関係ないだろう。
場所がぜんぜん違うのだから。
「あそこの神様は女でな? 昔むかしは気性の激しい悪さ神だったんだと」
「わるさ、がみ?」
キロクが聞きなれない単語を繰り返す。
「悪いことをする神様で、悪さ神というんだわ」
(そのまんまだな)
ゲンやんは、今風にするなら『邪神』とでも書くのだろうかと考える。
「女神様は荒女山のてっぺんから遠い海のほうを見てな、海を行く船を神通力でひっくり返しては喜んどったんだと」
「海? あの山から海が見えるんですか?」
黙って聞いていたゲンやんは、思わず質問してしまう。
「見えるわけないじゃん」
真澄がさめた声であっさり否定をする。
「神様だから、人間には見えないところまで見えたんでしょ」
おばあさんは笑ってそう言った。
「確かに」
と、キロクは納得しているようだった。
「そこで気づいた神様の悪さに気づいた猟師たちは、なんとかしてくれとここに文句を言ってきた。それで村のものがやめてくれと言ったんだけど、悪さ神だから人間の言うことなんか、聞きゃあせん。それで、村のものは相談しあって、神様を無理やりに山のてっぺんからおろすことにしたんだわ」
「神様を?」
「神様を」
キロクの問いにおばあさんはうなずいて、
「それでも相手は気性の激しい悪さ神なもんだから、まずは笛や太鼓のお囃子とお酒で機嫌を取った後、まあまあの百回も言って、やっと山の中ほどまでおりてもらったんだと」
平和的な解決法ではある。
しかし、酔いがさめたらまたすぐに元通りにになってしまうのではないか。
「で、その後は? どうなったんです?」
キロクはやや身を乗り出して、さらに質問する。
(なんで、そんなに真剣に聞いているんだか……)
ゲンやんは内心呆れてしまう。
「無事に社に入っていただいて、その後もずうっとお神酒を絶やさないようにして、いっつも神様をほろ酔いかげんにしているんだそうな」
「今も?」
「今も。当番で毎日毎日お神酒を運んどるのよ。戦争中も神様へのお神酒だけは絶やしたことなかった、と古いお姑さんが言ってたわ」
(なんだかな……変な話)
と、ゲンやんは首をかしげてしまう。
てっきり、最後には鎖で縛られるか、あるいは殺されるかするのかと思ったが……。
つまり、邪神を酒で機嫌を取って封じ込めているというわけである。
そう思うと、あの形の良い山がちょっと不気味なものに思えてきた。
しかも、その神というのは女神というからなお妙な気がする。
「そんなに興味がわいたなら、登ってみるか? あそこはキャンプ場もあるぞ」
おじさんは楽しそう笑って、そんな提案をしてきた。
「おお、楽しそうですね! どう思う」
キロクは快活な反応をして、ゲンやん、キロクを見る。
「いいかもしれないな」
ゲンやんも、素直な気持ちでうなずいた。
「かもしれんなー」
セーハチも返事をするが、今は食事に集中している様子だった。
食べる量はそれほど多くはない。
ただしセーハチの場合、食べ物を口に入れてから咀嚼する時間が長いのである。
ほとんど、汁状になるまで念入りに噛み砕くのだ。
どんな時でも、セーハチはそのペースを崩すことはない。
「雨か……」
セーハチのつぶやきに、ゲンやんはふと顔を上げた。
ちょうど正面にテレビがあるため、自然と画面が目に映る。
画面の上に、『大雨』という白いテロップが流れていった。
雨。昼間はあんなに晴れていたのに。
ゲンやんはふと家外へと注意を向けてみたが、雨音は聞こえてこなかった。