〇二
「なんか、変わったヤツだったな」
離れの部屋に荷物を下ろしながら、セーハチは何気ない顔で言った。
ここが、この家にいる間三人が泊まる部屋である。
もとは古い建物だったらしいけど、去年大がかりな改築をして、広くてすごしやすいようにしてある。
と、いうのがおじさんの説明だった。
なるほど確かにゲンやん、キロク、セーハチの三人がいても広く感じられる。
部屋には大きなガラス窓があり、隣には小さな流しが設置されていた。
また、さらにその隣には小さなトイレもある。
「あの子のこと?」
荷物の中身を整理しながら、ゲンやんは振り返る。
「他にいるか?」
セーハチのほうは、振り返りもしないでガラス窓を開け放つ。
山のほうから吹く涼しい空気が、すーっと中に入ってくるのがわかった。
(確かに、変わった顔だよな……)
ゲンやんは真澄の顔を思い出しながら、首をかしげる。
何しろ一度見たら、絶対に忘れないという顔だった。
「おじさんの顔と似てたなー」
キロクは窓から顔を出しながら、そんなことを言う。
「え?」
思わず、ゲンやんは振り返る。
真澄を見た時に、そういう感想は抱かなかったからだ。
(でも……。あ、そうだな)
改めて二人の顔を思い返したゲンやんは、納得できてしまった。
おじさんの顔と、真澄の顔。
どちらも、目がすごく大きいという共通点がある。
大人の男性と、小柄な女の子だからわかりにくかったのかもしれない。
「あ、そういえば? ゲンやんのおばさんとも、ちょっと似てるかな」
キロクが独り言のように、そんなことを言った。
「え……? そうかな」
ゲンやんは驚いて、バックを開きかけた手を止めてしまう。
一瞬頭の中で母と、真澄の顔が重なってしまったのだ。
顔のかたちは、ぜんぜん違う。
ただ、その大きな瞳だけは似ているような気がした。
「まあ目の大きいところは、似てるかもな」
ゲンやんの考えを読んだみたいに、そう言ったのはセーハチだ。
その口調はどうでもよさそうな感じだった。
ゲンやんは、何だか変な気持ちになって曖昧に笑う。
「どうしたの、変な顔して?」
ゲンやんのほうを振り向いたキロクは、キョトンとした顔である。
「いや、べーつに……」
ゲンやんはわざとおどけたようなことを言ってみたけど、
「ひょっとして車酔いでもした?」
キロクは大柄な体を揺らしながら、ゲンやんの顔をのぞきこむ。
「そうかも……。けっこう長かったし」
「駅から、ここまで三十分くらいとちがうか?」
ゲンやんの言葉を、携帯電話を見ていたセーハチは指摘してくる。
確かに、そのとおりだった。
駅までといっても、電車で来たわけではない。
三人は長距離バスで市内までやってきた後、駅まで降りた。
その後迎えに来たおじさんの車に乗りこみ、ここまで来たというわけだ。
電車より長距離バスが便利で良いというのは、ゲンやんの母の意見だった。
(つくまで完全に寝てたくせに……)
ゲンやんは、友達二人を見ながら降参するように首を振るのだった。
キロクは不思議そうな顔をして、セーハチは荷物の整理を終えて立ち上がる。
「気分が良くないなら、外の景色でも見てみたら? いやー、すごいよ!」
キロクは曖昧な態度のゲンやんを立たせ、ガラス戸のほうへ連れていく。
ゲンやんは、
(それもいいかな)
と、言われるままにガラス戸の外へ顔を出した。
その途端、青い空の下にでんとそびえる形の良い山が瞳に映る。
(あ……。なるほど、すごい)
感激屋のキロクのすごいには呆れることが多いのだけど、これは本当だった。
標高がそれほど高いわけではなさそうだけど、見ている場所が良いのか、何かすごく立派な山のように思えてしまう。
山の向こうに見える雲と合わさって、見ているうちに神秘的な気分になった。
「あれ、何ていう山かなあ?」
ゲンやんの横に並んで山を見つめるキロクは、楽しそうに言うのだった。
「さあ……。おじさんに聞いてみるか?」
ゲンやんがそう言った時だ。
「アラメヤマ」
そんな声は横から聞こえたのだった。
「え」
「あれ」
ゲンやんとキロクはほとんど同時に反応した。
いつの間にか、ガラス戸の前に真澄が立っている。
「だから。あの山は、アラメヤマだって」
真澄は山を指さしながら、大きな目と口で愛嬌たっぷりの笑顔を浮かべた。
(あ。こうして見ると……ちょっとかわいいかな)
ゲンやんはその笑顔に一瞬目を奪われたけど、真澄はそれに気づいた様子はない。
「荒っぽいの荒に、女の人の女で、荒女山って言うんだ」
「変わった名前だねえ」
キロクのほうは、真澄よりも山のほうに関心が言っているようだった。
「でも、なんで魚の名前なんだろ?」
「さかな?」
キロクの言葉に、ゲンやんはハテナと首をひねった。
(そんな名前の魚、いたかな)
「なにそれ」
真澄のほうも、大きな目を白黒させてキロクを見ている。
「だって、そういう名前の……」
「そら、アラメじゃなくて、ヤマメだ」
若干呆れたような声を出したのは、セーハチだった。
セーハチは畳の上に座ったまま、さめた目つきをしている。
「ああ、そっか」
数秒ほどたってから、キロクはあっけらかんとした顔で言った。
「たって一字でもだいぶ違うけどな」
セーハチはよいせっと、立ち上がる。
「……ところで、何か用事?」
ゲンやんは友人たちに苦笑しながら、真澄に話しかけた。
「ああ、そうだそうだ。お茶の用意ができたからみんなおいでって」
真澄は頭の後ろで腕を組みながら、ニッと笑う。
その表情はカエルというより、なんだか大きな猫みたいだった。
と、その時である。
ニャー。
近くで、本当に猫の鳴き声がした。
「はいはいっと」
真澄はそれに応えるように、ひょいとガラス戸から離れていく。
彼女の歩いていく先には、一匹のトラ猫がいた。
トラ猫は真澄の足に擦り寄りながら、ニャーニャーとうるさい。
「お客が来てるのに、お前はうるさいなー」
と、真澄はトラ猫を抱き上げて、その鼻をチョンチョンとつつく。
「じゃあ、みんな。急いでねー?」
軽く振り返りながら言い残すと、身軽な動作で裏手を歩いていくのだった。
何となくそれを目で追うゲンやん。
ガラス戸の正面は小さな畑になっており、その向こうには斜面と林が見えている。
涼しい風は、そこから吹いてくるらしかった。
「じゃあ、行く?」
ゲンやんが振り返った時には、セーハチはもう部屋から出て行こうとしていた。
「おい、セーハチ……」
「急いだほうがいいのと違うか?」
セーハチは靴をはきながら、ゲンやんとキロクを見る。
「っとに、もう」
ゲンやんは軽くセーハチを睨みながら、キロクの肩を叩いた。
「え。なに?」
肩を叩かれたキロクは、ちょっと声を甲高くして目をむく。
ずっと、荒女山を見ていたのだ。
「そんなに、見とれるほどのもんかなあ……」
キロクの態度を不思議に思いながら、ゲンやんは何気なく山を見直す。
確かに形の良い、見栄えのする山ではある。
一瞬、ゲンやんは山のほうから、何かの鳴き声を聞いた気がした。