6.あっぶねぇーな。しっかり歩けよ
玄関の扉を閉めたとたんの出来事だった。ばたばたばた、と足音が響いた。
双子とゆずるは顔を見合わせる。
「誰だ?」
軽い音だった。おそらく、子どものものだろう。
耳を澄ませるが、音はそれっきりだった。空耳だったのかも知れない。
靴は脱がずに玄関を上がる。家の中は見るも無惨な有り様だ。壁はボロボロに剥がれ、天井には所々穴があいている。
数久は靴箱の中を覗いた。中は空だった。
それでもそこから何かを感じたようで、口元に拳を押し付ける。ゆずるも靴箱に手を置いて、瞼を閉ざした。
「以前ここに住んでいたのは、父親と母親、それから、男の子だったみたい」
「男の子は病気持ちだな」
「何の病気だろう?」
「さあな」
靴箱を見ただけで、そんなことまで分かるから、驚きだ。
直久も真似して靴箱を撫でてみるが、ザラザラしただけで、何も分からない。手が埃で白く汚れた。
足を進めると、廊下がギシギシと悲鳴を上げる。
その音が申し訳ないような、怖いような気がして、そっとそっと足を進めた。辺りは恐ろしく静かで、自分たちの足音と息遣いしか聞こえない。
数久が一番手前にある部屋の扉を開いた。肝試しの順路通りに進むつもりらしい。
ギィー、と耳に痛い音が鳴り響く。どうやら、この部屋は居間だったようだ。
大きく裂けたソファー。埃にまみれ、灰色に見えるが、おそらく元々はクリーム色だったのだろう。
クッションの下になっているところが、元の色を保持していた。
中央で真っ二つに割れているテーブル。ブラウン管テレビは画面が割れ、中の空洞が見えている。
ゆずるの躰がグラリと揺れる。フローリングの床に空いた穴に足を取られたようだ。
直久は咄嗟にゆずるの腕を引いて、その躰を自分の躰に寄せる。抱き留めた格好だ。
「あっぶねぇーな。しっかり歩けよ」
サラシでも巻いているのか、本来柔らかく膨らんでいるはずの胸はガチガチに固い。
――これじゃぁ、女だって分かるわけがないよな。
しかし、腕、激細っ!
前から細い細いと思ってはいたけれど、ホント細いよな。……ってゆーか、前より更に痩せてないか?
「……おいっ」
「んあ?」
「離せ」
「へ?」
「いい加減に離せって言っているんだ!」
バシン、とゆずるが直久の腕を打ち払う。
そうされてから、ようやく直久はゆずるを抱き締めたままでいたことに気が付いた。
「わりぃー。なんか、お前、こう、ギュウっとするのに丁度良いサイズでさー」
「はぁ〜?」
「でも、もうちょっと肉が付いていた方が抱き心地良いんだけど?」
「……」
バキッ。
「痛っ」
激痛が走った額を押さえる。何だか焦げ臭い。
チリチリになった前髪が、触れただけでボロボロと落ちてくる。
「なんか、前髪焦げてないか?!」
「直ちゃんがバカだからだよ」
ほら、と言って数久は直久の額に手を置く。手のひらから放たれた青く温かい光が額の痛みを治めてくれる。
どうやら前髪も元通りに戻ったようだ。
「てか、今、何が起こったわけ? 俺、どうなってたわけ?」
「ゆずるが火刈りの炎を借りて、直ちゃんにデコピンしたんだよ」
「火刈り?」
先見と同じく、ゆずるの式神である。
――火刈りも連れて来ていたのか。つーことは、力の調子は良んだな。
ゆずるの話によると、扱いづらい火刈りは調子の良い時にしか喚ぶことができないのだという。ゆずるの力は不安定なもので、月の満ち欠けによって、フルパワーになったり全く失ったりするらしい。
実はこれ、うちの家系でも女のみに見られる力の変化で、これこそゆずるが女である証だったわけだ。
そうと知っていれば俺だって、もっと早く女だって気付いたのにさー。
木村が前もってぶち抜いたという壁を抜けて、隣の部屋に移動する。
こちらはどういう部屋なんだろうか? あまりの家具の散乱ように判断しがたい。
誰からの私室だったのか、客間だったのか。
「あ。あれ? 直久」
「圭介じゃん。まだこんな所にいたのかよ」
直久は呆れ顔で相手を見やる。
どうやら、自分たちよりも5分早くスタートしたペアと合流してしまったらしい。
「えーっと、そっちは古川だっけ?」
同じバスケ部でも、女子部員の顔と名前はサッパリ一致していない直久だ。
立野圭介がペアを組んでいる少女を指差し、首を傾げる。少女は苦笑して頷いた。
「ビー玉がなかなか見つからなくて」
「ビー玉? このへんは簡単に見つかるようなところに置いたから、もう誰かが見つけて持っていったんじゃん?」
「そっか」
「あ。待てよ。確か……」
直久は思いだして部屋の隅の方に目を移した。古い壷がある。陶器の壷で、大きさは抱えるほど。
「あの中に一つ隠した覚えが」
「マジで?」
圭介は顔を輝かせて、壷に歩み寄った。ずっしりと重い壷を傾ける。
カラン。
確かに何かが中に入っているようだ。軽い音が辺りに響く。深さのある壷だ。中を覗き込んでもビー玉の姿は確認できない。
圭介は腕を壷の中に突っ込んだ。腕は闇に吸い込まれるように、肩まで壷の中に入ってしまう。
「あった」
圭介が笑顔を浮かべた。手を壷から出すと、皆の前で広げて見せた。
透明のビー玉だった。懐中電灯の光の加減で所々、赤や黄色、青にも見えた。
古川も微笑みながら、圭介に駆け寄る。
「あと一つ見つければいいのね」
見せて、と圭介に手のひらを差し出す。
圭介はその手にビー玉を置こうとした。が、ビー玉は圭介の手のひらから離れなかった。
右手で掴んだビー玉。左手で摘み、引き剥がそうとするが、離れない。なんだか手のひらがムズムズするようである。
懐中電灯を当てて見やれば、ビー玉から虫の足のようなものが見えた。
「直久。これ、変だぞ」
「ん?」
「変だ。絶対、変だ」
変だと繰り返す圭介の声が次第に狂気じみたものになってくる。
「変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。直久―っ!」
助けてくれ、と叫ぶ。
何事かと直久たちは圭介に駆け寄った。見ると、ビー玉が割れ、その中から出てきた虫が圭介の手のひらから体内に潜り込もうとしているではないか。
虫――コガネムシだろうか。もっと大きいように見える。
「蛍だ」
「蛍?」
蛍なんぞ、暗闇で光っている姿しか知らない。
――これが蛍?
「痛っ。な、なんとかしてくれっ!」
見る見るうちに、蛍は圭介の手のひらの中に潜り込み、肉を喰らい、手首へと移動していく。
手首から腕へ、腕から肩へ。蛍が移動している様子は、異様に盛り上がった固まりが皮膚の下を這っていく様子を見れば分かる。
肩から首へ。首筋が虫の大きさに盛り上がり、その盛り上がりは更に上へ上へと這っていく。
顔に。そして。
「ぎゃああああああああああああああああああ」
ボロリ、と何かが落ちた。それはクシャリと床に落ちて、潰れた。
古川がギョッとして、それを懐中電灯を照らす。それは、圭介の右目だった。
「ひっ」
「圭介!」
圭介の顔に明かりを照らす。右目がない。あるべき場所には穴が空き、蛍が顔を覗かせていた。
次の瞬間。ブーン、と蛍が羽ばたいた。古川の頬に止まる。
「いやっ」
彼女が頭を左右に振ると、再び、ブーンと羽音をさせる。今度は彼女の左耳に止まった。
6本の足を素早く動かして、耳の穴の中に顔を突っ込んだ。
「やっ。取って。早く!」
助けて、と古川が叫んだ時だった。蛍は再び羽ばたき、耳の中へと潜っていった。
耳の中でカザゴソ音がする。それは恐怖を感じるほどに大きな音。
ブツ。
何かが破ける音が響いた。とたんに目の前が暗くなる。
「古川?」
直久は身動きが取れなかった。ただ、ジッと古川を見守っていた。
彼女の目から、鼻から、耳から、血が流れ出る。蛍は彼女の右耳から出てきて、頬伝い、顎を伝い、首を伝い、襟の下へと姿を消した。
ぐらり、と彼女の躯が傾く。
身動きが取れなかった。直久が指一本動かせないでいるうちに、彼女の躯は床に倒れた。
「直ちゃん!」
数久に呼ばれて我に返る。すぐ目の前を蛍が掠め飛んだところだった。
蛍は古川の腹から背へと穴を空け、再び圭介の頬に止まった。
「止めろ!」
開かれた口の中に潜り込む。
「うぐっ」
「圭介!」
助けに駆け寄ろうとしたが、それよりも早く、蛍は圭介の後頭部から飛び出てきた。
直久は唾を飲み込む。圭介の躯が床に倒れていくのを見守った。
「直。数。ここは逃げるぞ」
「うん。直ちゃん、早く」
「でも……」
数久に腕を引かれながら、直久は圭介と古川に振り返る。
――まさか、そんな。し、し、しん、死んじゃいないだろうな。
「早く!」
「だけどっ」
「大丈夫だから、早く!」
どこをどう見れば大丈夫だと思えるのか、まったく分からない。
だけど、それでも、今は数久の言葉を信じたい。
直久は二人から目を逸らし、手を引かれるままに、次の部屋へと駆けた。