5.どうなっとんじゃー
行ってきます、と最初のペアがスタートしてから、40分が経っている。そろそろ戻ってきてもいい頃だ。
直久は庭を見渡した。家は敷地の北寄りに建っている。庭は南に広く、スタート地点となっている門も南側にある。
池は門を入ってすぐ西側にあり、そこから庭を北に回り、見上げたところに梯子を立て掛けておいた。北西の隅の部屋である。
門から、その部屋も梯子も確認することはできないが、人影を求めて、直久はそちらの方をジッと見つめた。
「戻って来ないな」
響きに焦りが感じられた。ハッと振り返ると、木村も直久と同じ方角を見据えていた。直久は頷く。
――遅い。
いくら広い家だからといって、日本なのだ。たかが知れている。
ビー玉が見つからないのか?
いくつか分かり難いところに隠した覚えがあるが、ほとんどの物はすぐ目に付くようなところに置いたはずだ。 それなら、何をそんなに手間取っているのだろう?
すでに8組みがスタートしている。 つまり、16人が家の中でウロウロしていることになる。そんな大勢でウロウロしたって、怖くも何ともないだろう。
9組み目をスタートさせるかどうかで、直久と木村は視線を交わす。
「どっかで溜まっているんだろ?」
苦笑したのは高明だった。去年こそなかったことだが、予期できる範囲の事だ。
組んだ相手に不満を持ち、二人きりの空気に耐えきれないと、次のペアがやって来るまで待っているのだ。きっと、団子のように固まって、集団でゴールにやってくるに違いない。
「ゾロゾロ歩いたって、怖くないだろうに」
「肝試しの意味ないじゃん」
「丁度良い。次、私と高明の番でしょ? 散らしてきてあげるよ」
「散らすって、蜘蛛の子じゃないッスよ?」
両手を腰に、ニコニコしている怜司に向かって、木村は眉を寄せて笑った。
「でも、そうしてくれると助かります。このままだと後ろ詰まっちゃいますから」
「了解、了解。――さっそくだけど、スタートしてもいい?」
怜司は高明の袖を引っ張りながら、玄関の方を親指で指し示した。
行事好き、お祭り好きな性分なのだろう。表情がウズウズと、にやけたものになっている。
木村は高明に懐中電灯を手渡すと、深々と頭を下げた。
「深沢先輩、宜しくお願いします」
「分かった」
「ちょ、ちょっと、なんでそこで高明にお願いするんだ? 散らすのは私じゃんかっ」
「怜司、行くぞ」
「なっ」
納得行かない、と大声を上げて、怜司が高明を追うようにして、二人はスタートしていった。
やれやれ、である。
あれで、あの二人は付き合っていないと言うのだから、驚きだ。お互いの事を分かり合っていて、端から見ると、お似合いなのに……。
本人たち曰く、お互いの事を知りすぎてしまっていることで、却って、ダメなんだそうだ。
しかも、怜司曰く、
「高明の顔と、高明の家の財力は好きだけど、あの顔の隣に並んだ自分の顔を想像して、嫌気が差す。だから、高明とはイイカンジの距離関係で、高明の家の財力を存分に利用できるような関係であり続けたい」
……だそうだ。
タカリ、タカラレ関係?
二人の背中を見送り、直久は息を付いた。
ツンと、酒の匂いが鼻を刺す。眉間に皺を寄せて、直久はゆずるの方に振り向いた。
「先見を連れてきただろ?」
物を言わないゆずるの代わりに、数久が微笑んだ。
「よく分かったね」
「酒の匂いがする」
「酒?」
「するだろ? ぷんぷんするぜ?」
「そうか?」
答えたのは木村で、彼は顔を顰め、鼻を鳴らした。数久は小首を傾げる。
「確かに僕も匂うけれど、この匂いはある程度力を持っている者にしか感じられない匂いなんだ。――やっぱり、直ちゃんって、僕と双子だったんだねぇ」
「何を今更……。え? つまり? それって、俺にもちょっとは力があるってことか?」
「あったって不思議じゃないと思うよ。むしろ、まったくないという方が不思議なんだから」
「そっか」
直久は己の手の平を見つめた。
もしかしたら、自分にも数久やゆずるのような力があるのかもしれない。
特に、欲しいとは思わない。だけど、あれば便利だと思う。
それに、親族たちと同じ力を持っていれば、本家に行った時、嫌な思いをせずに済む。
――あの疎外感がなくなる。
直久は拳を握り締めた。
「そうそう。本家と言えば」
「へ?」
思い出したかのように突然、本家と口を開いた数久に、直久は目を大きく開く。
「お、お前、今、俺の心読んだだろ?」
「ごめん、つい」
「ついだぁ〜? いくら数だって、許せることと許せないことがあるぞ」
「ごめんね。……だぁって、直ちゃんの考えていることって、僕には筒抜けで聞こえてきちゃうんだもん。聞こうだなんて思っていないし、心を読もうだなんて……」
「筒抜け!?」
つ、つ、筒抜けだったのか!?
15年間、一緒に生きてきて初めて知った事実だ。
それが本当なら、俺が今まであんなことやこんなことを妄想して――考えていたこと全部、数は知っているってことだ。
直久は額を抑えた。
「数ぅ」
「あ。それでねー。お祖父様のことなんだけど」
直久がウルウルした目で見つめていることなど、お構い無しの数久だ。あくまで自分の話したい話題を押し付けるつもりらしい。
ニコニコと笑う数がやたらめったら眩しく、そして、憎い。
これって、憎さ余って、可愛さ100倍ってヤツ?
――逆か!? 可愛さ余って、憎さ100倍だつーの。
直久は諦めるように、頭を左右に振った。それで?と話の先を促す。
「実はね、具合がよくないらしいんだ。ホント言うと、今年の初め頃からなんだけど。最近はよく寝込むらしいんだ」
「じじいが?」
「うん。そうだよね、ゆずる?」
「……」
同意を求めて、数久はゆずるに振り返る。ゆずるは無言で頷いた。
「だからね、直ちゃん。時々は本家に顔を出して欲しいんだ。お祖父様の一番のお気に入りは直ちゃんなんだから」
「だけど……」
直久はゆずるの顔を盗み見る。
本家にはゆずるがいる。行けば、必ず会うことになる。会いたくない。だけど……。
「直」
呼ばれて、振り返る。木村が自分の腕時計を指し示していた。
「そろそろ次のペアをスタートさせる時間なんだけど?」
「一向に誰も戻ってこないなぁ〜」
「どうなっとんじゃー」
困った、困った、と木村が頭を掻く。すると、今までどこに居たのか森岡が口を開いた。
「次、私の番でしょ?」
ちゃっかり肝試しに参加している生徒会長である。監視しに来たとか言っていたが、単に参加したかっただけなのかもしれない。
木村は彼女に振り返り、頷いた。
「お前と俺だ。お前が10番なんか引くから……」
不服そうにパートナーを見やる木村に、森岡も不満そうである。
このペア――10組目で丁度半分となる。
直久は最後の組みに、木村は真ん中の組みにと、最初から決められていた。木村が森岡と組むことになったのは、木村の運の悪さと、森岡が10番と書かれたクジを引いてしまったからだ。直久は笑い、片手を振った。
「行って来―い。んで、中にいる奴らをとっとと追い出してくれ」
「おー」
木村も軽く腕を上げて、笑った。
▽▲
更に20分が経った。
さすがにオカシイと言わざるを得ない。未だに誰一人として戻ってこないのである。
順番待ちの面々も不安げな顔をしている。
「俺、中の様子、見に行ってくる」
ゆずるだった。何か感じるものがあるのか、胸の前に拳を押し付けている。
「違和感が……」
「違和感?」
「……」
直久の問いに答えず、ゆずるは懐中電灯を手に門を押し開いた。慌てて、直久も追う。
「待て。俺も行く」
「僕も」
数久も追ってくる。
門を通り抜けた時だった。ふっ、と光が顔を掠めた。直久は振り返る。
まるで、星が、夜空から降ってきたかのようだった。
「ほたる」
誰かが呟いた。
言われて見ると、それは蛍だった。どこに潜んでいたのか、数十匹という蛍が一斉に光を放ったのである。
「蛍?」
「どうして、こんなところに?」
時期も時期だった。早くて5月末、大抵7月の半ばあたりが、蛍が現れる時期とされている。
今はもう8月の終わりだ。
そして、蛍は綺麗な水を好む。この住宅街にそのようなものがあるはずがなかった。
――なんで、蛍が?
「死者の魂」
「え?」
「……」
呟くだけ呟いて、聞き返しても答えてくれないゆずるに、さすがの直久も苛立ち、舌打ちをした。
順番待ちをしているバスケ部員に振り返り、片手を振る。
「中の様子を見てくるから、お前らはここで待ってろよ」
残りは十数名ばかりだ。彼らは蛍に見入りながらも、頷く。
それを確認してから、直久はゆずると数久を追って、家の中へと足を踏み入れた。