4.何かあんのかよ?
午後7時と言えども、8月である。西の空がうっすらと明るい。つい先程まで、隣にいる木村の顔がハッキリと確認できた。
夏は好きだ。昼間の時間が長いってことは、その分、遊ぶ時間も長くなるから。
直久は集まってきたメンバーを見渡し、その顔を確認した。
――さすがに、そろそろ灯りが欲しくなってきたか。
用意してあった懐中電灯を点ける。それを見て、木村も習う。
「暗くなってきたな。そろそろ時間だ」
皆も習い、次々に光の花が咲いていく。まるで、そこだけが昼間に戻ったようだ。
直久は眉を顰め、辺りを見渡した。
「まだ、数とゆずるが来ていない。あいつらが来ないと始められない」
「そうだな。……けど、本当に来るのか?」
数久はともかく、ゆずるは?と木村が言う。直久だって、それは不安なのである。
あれから、もう一ヶ月が過ぎ去っている。
だが、確かに一ヶ月前、木村と二人で肝試しの企画書を持参し、頼み込み、なんとか良い返事を貰ったのだ。来てくれるハズ。
「来なかったら、中止だからね」
不意に声がして、振り向けば、森岡いずみが腰に手を当てて、仁王立ちをしている。
「げっ。森岡。何しに来たんだよ?」
「もちろん、監視」
私は生徒会長だから、と目を光らせる。そのすぐ隣には、腰巾着――副会長と書記がさも偉そうにふんぞり返っている。
直久はウンザリして、彼女たちから目を逸らした。
「直!」
呼ばれて振り返ると、今度は高明だった。直久の顔が綻ぶ。
「せんぱーい。来てくれたんですねー」
「こっちも大会が終わって、暇だったからな」
高明は高校でもバスケ部に入り、一年生ながらレギュラーに選ばれ、活躍しているらしい。
どこに行っても相変わらずのパーフェクト人間ぶりに、ホント辟易してしまう。
ふと、高明の隣の人物に気が付いて、直久は目を大きくする。
「わっ。いけべー先輩じゃないですか!?」
「べーと伸ばすな、べーっと」
苦々しく笑った彼女の声と、女の子たちの声が被さる。
「きゃあ、レイジ先輩!」
「レイジ先輩、来てくれたんですか!?」
「深沢先輩が来るんなら、レイジ先輩も来てくださると、信じていました!」
「さすが、レイジ先輩!」
「何がさすがなんだかワカランけど。みんな、レイジじゃなくて、レイシだから。――ったく、ここには私の名前を正確に呼べるヤツはいないのかよっ」
更に苦笑を浮かべるこの人物は、去年の女子部の部長で、池部怜司である。
高明とは小学校に上がる前からの仲で、中学はもちろん、高校も同じところに通っているような仲である。いわゆる、幼馴染み&腐れ縁というヤツだ。
「いけべー先輩。髪、伸びましたね」
「切ってないだけ。うちの高校のバスケ部は自由だから。ここみたいに髪の長さを規制されてないからね」
怜司は肩を越す程度まで伸びた己の髪を撫でながら、後輩の女の子達を指し示した。
みんな、見事なほどショートカットだ。強制されているわけではないが、ある程度長くなると、激しい運動には長い髪は邪魔だろうと、顧問が耳元で囁くので、半ば強制されているような気分で、皆、髪を切ってしまうのだ。
高明が怜司を親指で差して、笑った。
「こいつ、一年だからって試合に出させて貰えなかったらしいんだ。練習でも、一年だからって、基礎ばっかりでさ。だから、その憂さ晴らしにって、誘ったんだ。参加しても良いだろ?」
「もちろんッスよ。いけべー先輩なら、女子も大喜びですし」
「でも、一年だからって……。いけべー先輩はそこらの男子よか上手いのに?」
眉を寄せた直久に、怜司は肩を竦めて嗤った。
「女はそういうのに、やたらうるさいんだよ。先輩の言葉には従え、そして、敬えってね。ウザイ。マジ、ウザイ!女子部の方で練習させてくれないから、男子部に紛れてやっていれば、生意気だとか言うし。あげく、男好きだの、タラシだの言うんだよ。信じられる?」
「女って、いろいろ大変そうッスねー」
「いっそう、いけべー先輩、男なら良かったんじゃん?」
「私もそう思う」
そういって苦笑し、怜司は背後を振り返る。そこには古めかしい家が建っていた。深沢家の別宅である。
まるで使用していないというのは事実らしく、荒れた庭が広がり、そこから伸びた蔦が壁という壁を覆っていた。
庭の隅に小さな池がある。周りを石に囲まれたそれは、一般家庭にある風呂ほどの大きさで、
つまり、人一人が入れる程度。
深さは分からない。覗き込むと、黒く淀んだ水に己の顔が映るばかりだ。
蔦は二階の窓まで伸びている。 窓にはカーテンが掛けられている。薄汚れた白いカーテンで、ビリビリに破れている。
かなり大きな家だ。中も広そうで、部屋数も多そうである。
「肝試しには持ってこいの家だな」
「ちなみに、電気も水道も通ってない。改装して愛人を住まわせようとしたらしいんだけど、その前に、その愛人と別れちゃったんだと」
「高明のお父さんって、ホント、お盛んだよなー」
怜司の言葉に高明は、直久と木村に振り返り、眉をわずかに吊り上げる。
「破壊するつもりで使ってくれ」
「ありがたいです!」
その時だった。 不意に気配を感じて、直久は辺りを見渡した。
――酒の匂い?
近ごろ分かったことだが、この匂いは先見だ。
先見は九堂家当主とその次代が使役する妖狼で、先見神社の主である。 先見神社とは、直久の家が管理している神社のことで、その境内で時々この気配を感じるのだ。
「直ちゃん。お待たせ」
声が響き、振り返ると、数久だった。隣にゆずるがいる。
――来てくれたのか。
直久はホッと胸を撫で下ろした。
しかし、まあ……。この酒の匂いから察するに、先見を連れてきたらしいけど、大丈夫なのか? 先見って、酒ばっか飲んでいるような奴だろ?
内心、不安を感じながら、直久は弟に向かって手を振った。
「遅いよー、数ぅー」
「ゴメン」
数久はすぐに高明と怜司の存在に気付き、軽く頭を下げた。
「お久し振りです。深沢先輩、池部先輩」
「大伴弟、あんただけだよ、私の名前を正確に言えるヤツは」
「久し振り。九堂も」
「お久し振りです」
高明に微笑みかけられて、ゆずるはペコリと頭を下げた。そうして、家に振り返る。
「深沢先輩、この家って……」
「ん?」
「いえ」
「失礼ですが、この家を購入する際、何か特別な説明はなかったですか?」
「特別な? いや、買ったのは父さんだから、よく知らないけど。……そう言えば、土地の広さにしては安値だったとか言っていたっけ」
「そうですか」
数久はゆずると目を交わすと、口元に拳を押し付けた。その思案中ポーズに、直久は不安になる。
「何かあんのかよ?」
「うーん。まあ。んーっと。でも、大丈夫だと思うよ。ね、ゆずる?」
「そうだな」
「本当かよっ!?」
思わずツッコミを入れて、ゆずるに振り返る。目が合った。まさに数ヶ月ぶりに、だ。
だが、それも一瞬で、ゆずるの方から目を逸らされてしまった。
――ゆずるの奴、ちょっと見ないうちに痩せたよな。
肌も白く、闇の中に溶け入ってしまいそうな程、頼り無げだ。
ゆずるの様子を盗み見ていると、数久が尋ねてきて、ハッと我に返る。
「去年の肝試しもこの家でやったの?」
「違う。別の家だった。……よね? 先輩」
「ああ。別の家だ。あっちの家はもう駐車場にしちゃったからな。ここしか空き家はないぞ」
「今更、中止にするわけにはいかないんだから、何とか頼むよ、数」
「うん。大丈夫だよ」
きっと、と疑わしい言葉を続けて、数久はニッコリ微笑んだ。この微笑みを信じて良いものか、頭が痛いところだが、信じるしかない。
直久は持参してきた紙袋の中から、ミニサイズのスピーカを取りだし、口元に当てた。
「バスケ部集合!肝試し、始めるよん」
▽▲
ルールは単純。男女一組で家の中を回るのだ。
高明が貸してくれた間取り図を拡大コピーした物を、木村が塀に貼り付けた。
「いいか。よく聞け。こういう順路で回れば、次のペアと鉢合わせすることなく、すべての部屋を回る事ができる」
木村の指が図上を滑っていく。すると、それを見た一人が声を上げた。
「ちょっと待て、そこ壁じゃねーの?」
確かにその通り、木村の指はことごとく壁を無視して滑っている。彼は笑った。
「壁は前もってぶち抜いてある」
「マジで!?」
「すっげ!マジで、家、破壊するつもりじゃん」
木村の指は階段を上がり、二階へと移動していく。
やはり、二階の壁も無視しまくり、すべての部屋を通り抜けると、一番隅の部屋の窓にたどり着く。
「この窓に梯子を付けて置いたから、そこから庭に降りてくれ。んで、庭を回って、玄関の方に戻ってきて、ゴールだ」
「だけど、ただ回るだけじゃ、つまんないだろ? 家のどこかに人数分のビー玉を隠してある。それを探して、一人一つずつ持って帰って来てくれ」
これな、と直久は透明に輝くビー玉を摘み上げ、みんなに見せた。
「つまり、ペアで二つな。ビー玉を持ち帰らなかったペアはもう一回りして貰うからな」
「それって、先に回った方が有利じゃねーの?」
「おう。だから、渾身の力を込めてクジを引いてくれ」
「渾身って……」
ドッと湧く笑いの中、直久自身も笑いながら、くじ引きの箱を紙袋から取り出した。