3.マジで来てくれたんですねー
鈴加は数久にお茶を入れてくるように言うと、テーブルに頬杖を付いた。
数久は黙って従い、部屋を出ていく。それを見送ってから、鈴加は口を開いた。
「今年の私の夏の目標は、異世界旅行よ」
「異世界旅行?」
「そう。ちー子の世界に行ってみようと思うの。あっちには、もう一人私の友達がいてね。その子――菜穂子は千秋と違って、人だから、次元を越えられないわけ。私が会いに行ってあげないと、一生会えないのよ」
「鈴加ちゃんが来てくれれば、なほちゃんも喜ぶと思う」
「だけど、行けるのかよ? パラレルワールドって、簡単には行けないものなんだろ? うまいこと行けたとしても、帰ってこられないのが原則だって……」
「あんた、私を誰だと思っているのよ。鈴加様よ? そこらの一般人と一緒にしないでよ。私に不可能はなぁい!為せば成る! 為さねば成らぬ、何事も!」
ガッと立ち上がり、ダン、と足をテーブルに掛ける鈴加。
拳を振り上げ、だぁー、と吼えている姿は、ハッキリ言って、自分の肉親だとは思いたくない。 直久は顔を引きつらせた。
そんな直久の様子に気付き、鈴加は足を振り上げ、振り下ろす。
見事、踵落としが直久の脳天に直撃。痛がる弟に満足して、鈴加は再び腰を下ろした。
「ちー子が道案内してくれれば、次元の狭間で迷うことなく行けると思うのよね。後は、私が力を加え、貴樹がコントロールする。そうすれば、次元を越えた時の影響が、あちらの世界もこちらの世界も受けずに済むと思うのよ」
「影響?」
「そりゃあ、あるわよ。だって、次元なんてそうそう越えられないものでしょ? 越えられないようになっているのは、越える必要がないから。必要がない……と言うより、越えてはならないことなのかもしれない。越えることなく、満足するべきことなのかも。それをわざわざやるからには、それなりの代償を負うわ」
「そういうもん?」
鈴加が頷くと、千秋も目を細めて頷いた。
「世界を渡る時、その影響で嵐が起きてしまうの。私一人なら、強い風が吹く程度だけど、他に人を連れて渡ると、大きな嵐になってしまうの」
「大丈夫よ。嵐が最小限で済むように、努力するから。ちー子の世界を荒らしたりなんて、しないわ。鈴加さんを信じなさい」
「うん。信じてる」
数久がお盆を片手にして、戻ってきた。緑茶の入った湯飲みを千秋に、そして、鈴加、直久の前に置いていく。最後に自身の前に音もなく置くと、先程座っていた場所に腰を下ろした。
「何の話?」
「夏休み計画の話よ」
「夏休み計画? ――直ちゃんは肝試しを計画中なんだよね」
「肝試し?」
面白そうと言ったのは千秋で、鈴加は眉を寄せた。
「今年もやるの? やれるの? 誰、主催?」
「俺。生徒会から猛反対を受けている」
「そりゃあ、そうよね。あんた、計画性ないもん。去年の主催者って、誰だっけ? あの、やたら綺麗な顔の男の子」
「深沢先輩?」
「そうそう。あの子はしっかりしてたわよ。私に企画書を持ってきたもの。これこれこういう企画で、こういうことで協力して頂きたいです、って」
ズズッ、と茶を啜り、満足そうに鈴加は微笑んだ。千秋が小首を傾げる。
「協力って? 鈴加ちゃん、何したの?」
「興味本位で霊に近づこうとすると、霊を悪い方に刺激しちゃうのよ。肝試しなんて、その典型よ。まあ、めったにヒドイ状況にはならないものだけど、もしものことを考えて、私に依頼が来たの。もしもの時は徐霊をお願いします、ってね」
「だから、去年、鈴加もいたのか。何しに来たんだよ、って思ってた」
「あんた、バカでしょ? 何が哀しくて、中学生の肝試し大会に好んで付き合いますか!?」
金よ、金、と鈴加は親指と人差し指で丸を作って見せた。
「とにかく、あんたはバカなんだから、何をやるにしても前任者からのアドバイスを貰うことね」
「そうだね。深沢先輩に電話してみたら?」
――深沢先輩かぁ。
人の良い彼のことだ。きっと相談すれば良い知恵を授けてくれるに違いない。
おおっ。これは、日射しが差してきたカンジ〜?
直久はすくっと立ち上がると、電話を掛けに居間へと駆け出した。
▽▲
放課後、唐突に黄色い声が上がった。久し振りに聞いた響きだった。
「きゃああああああああ。深沢先輩!」
「きゃあ。こっち見た!」
「深沢せんぱーい!」
あと二週間で夏休みがスタートする。期末試験を負えた本日、直久の頼みを聞いて、深沢高明が中学校にまでやってきてくれたのだ。
2年生以上の女子で、彼のことを覚えていない者はなく、初めて彼を目にした1年生をも交えて、歓声を上げている。
高明は体育館の入り口で持参してきたバッシュに履き替えると、懐かしそうに中を見渡した。
すぐに直久の姿を見つけ、片手を上げた。
「直!」
「先輩、マジで来てくれたんですねー」
「お前が来いって言ったんだろ?」
「来いって言って、ちゃんと来てくれる先輩、ダイスキです!」
普段、数久にするように、ぎゅうっと両腕で高明に抱き付いて、直久は上機嫌に笑った。
「だ、抱き付くな」
「いいじゃないですか。減るもんじゃないんですから」
「擦り減りそう」
「ひどっ!?」
高明が直久を己から引き剥がした時、タイミング良くバスケ部部長の木村史宏がやって来た。
「相変わらず、すげーッスね。深沢先輩って」
「何が?」
「女子がギャーギャー」
「きゃぁ、きゃぁ、だろ?」
「うるさいことには変わりない」
ははは、と高明は苦笑する。さっそくだけどと、学生鞄から紙切れを取り出した。
3人は、練習している他の部員を横目に、体育館の隅に寄った。
「これが去年、俺が書いた企画書」
「ほうほう。……すっげぇー。何コレ!? 細かい」
「お前なぁ。お前が無企画なんだろ? 『やりたい』って言っているだけじゃ、何も実現しないんだ。もっと具体的に、現実的に考えなきゃダメだろ」
「例えば?」
そうだな、と言いながら、高明は学生鞄からB5サイズのレポート用紙とペンを取りだした。
鞄を机代わり、ペンを滑らせる。
「日程は決めたのか? 去年と同じで、夏期大会最終日の翌日にするのか?」
「そのつもり……」
「参加人数は? 女子も参加するのか?」
「するんじゃねーの? 去年も参加してたし……」
「聞いて来い、すぐに」
高明が滑らせたペンは、レポート用紙に日時を書き込み、その下に男子バスケ部員の数を書き込んでいく。
彼に命じられ、木村が女子部の方に駆けていった。
バスケ部の男子と女子は体育館を時間で区切り、交代で使う。男子が体育館を使っている時間、女子は校庭で走り込みをしているはずだ。
「それで、どこで肝試しをするんだ? 去年は俺んちの別宅でやっただろ?」
――そうなのだ。 この先輩の家は、ものすごく金持ちで、自宅の他にも家があったりする。
これも、彼が『王子』などと呼ばれる所以だ。
「あー、考えてなかった!?」
「本当に行き当たりバッタリだな。どうにかなると思っていたのか?」
「なると思ってた」
「……」
高明はため息を付く。そして、黙って、『場所:深沢宅』とレポート用紙に書き込んだ。
それを戻ってきた木村が覗き込んで、驚いたように声を上げる。
「貸してくれるんスか?」
「うわっ。先輩、好き過ぎっ!」
「だから、抱き付くな。直!」
直久の躰を押しやって、高明は再びため息を付いた。
「どうせ、今、使っていない家だから良いよ。――父さんが愛人のために買った家なんだ。もうその人とは別れたから、必要なくなったんだってさ」
「あ、愛人ッスか」
「なかなかヘビーな」
「好きに使って良いって言われて貰った物だから、好きに使っていいぜ」
「すっげ!」
「ありえねぇー」
家一件丸ごとをプレゼントするような親子関係がワカラン。
だけど、無事、肝試し会場ゲットだぜ!
直久が大喜びしている横で、それで?と高明は木村に振り返った。
「女子は何だって?」
「参加するって言ってました」
「そうか」
高明のペンが滑った。女子部員の人数がレポート用紙に書き込まれる。こんな感じに次々と、高明によって、企画書が書き上がっていった。
――ああ。先輩って、なんて出来る人なんだ。
これは是非、嫁に欲しい! 一家に一台、使える男を、ってカンジだよなぁ〜。
……などと直久が、おバカなことを真剣に考えているうちに、あれよこれよと企画書は完成していってしまった。
▽▲
――問題は、ゆずるだった。
「私は無理だからね」
スッパリと断ってくれたのは、鈴加だ。軽く片手を振り、こちらを振り返ろうともしてくれなかった。
企画書を生徒会に提出し、一応の許可が出たが、条件も一つ出されてしまった。それは、つまり、もしもの場合に備え、霊に詳しい人にも参加して貰うことだ。
要するに、去年の鈴加の役目である。
ところが、鈴加は、今年の夏は千秋の世界に行くから、中学生の肝試し大会には付き合ってやれないと言う。貴樹も当然、鈴加の方に付き合うことが決定しているので、ダメ。
すると、頼める相手は数久しかいない。
そうだと思い、生徒会に掛け合えば、まだ中学生の数久では不安だと言われる。
数久と、あともう一人いれば許可できる、と。
もう一人。――暗に、ゆずるを差して言われた言葉だった。
直久は目前に連なる石階段を見上げて、ため息を漏らした。すぐ隣で木村もため息をついたが、彼と自分のため息では意味合いが異なる。
彼のため息は、この階段を登るのかと、ウンザリした気持ちの表れだ。だが、この程度の石階段ならば、直久の家の神社とそう変わらない。
直久にとっては慣れたものだ。直久の憂鬱は、ゆずると会わねばならないという気持ちから来る。
ゆずるとは4月の初め頃から、3ヶ月近く、口を利いていない。目すら合わせていないのだ。
ゆずるが直久を避けている。それもある。だが、直久の方もゆずるを避けていた。
九堂ゆずる。直久や数久の従姉である。
大伴家の本家筋にあたる九堂家の御曹司として育てられているが、ゆずるは女だ。
直久がそのことを知ったのは、たった3ヶ月前。 それまでずっとゆずるは自分と同じ男だと思っていた。疑いもしなかった。
なぜなら、ゆずるは物心付いた頃から、ずっと男の格好をしていたし、男として生きていたからだ。
おそらく、学校の友人たち誰一人として、ゆずるが女だと気付いている者はいないだろう。
直久と木村は石階段を登った。
石階段を上がり切ると、やはり石で造られた鳥居が見えてくる。登ってくる者をさらに高い位置から見下ろすそれの足下には、『朝霧神社』と彫られていた。
その下をくぐると、やたら立派な社が姿を現してくる。
やはり、そこにも狛犬の姿はない。直久の家の神社には、代わりに狼の石像が置かれているが、この神社にはそれさえもなかった。
神社の後ろに古い造りの家があって、社の両脇の部屋とは長い廊下で繋がっている。
この古い日本邸こそがゆずるの暮らす家で、歴代の九堂家当主が生まれ育ち、受け継いできた家だ。
玄関前まで来ると、直久は息を呑んだ。木村に振り返る。
「いいか。先手必勝だぞ。ゆずるの姿を見つけたら、即、土下座だ。余計な事は言わずに、手短に、頼み込んで、頼み込んで、頼み倒す!」
「……わかった」
おそらく、直久一人で頼みに行っても、ゆずるは引き受けてくれないだろう。
そう思い、木村を伴ってきたのだ。
ゆずるは直久のことを嫌っている。どうしてだか、分からない。幼い頃から、そうなのだ。
直久だって、ゆずるが嫌い。ずっと、そう思ってきた。
だけど、どうしてだろうか?
この頃は、ゆずるのことが気になって仕方がない。
会いたくない。だけど、今のこの瞬間、彼女がどこで何をしているのか、知りたい。
彼女が見つめているもの、彼女が考えていること、何でも良い、知りたいのだ。
だけど、怖い。会いたくない。 知りたくない。
自分の気持ちが分からない。どう、ゆずるに接して良いのか、分からない。
ゆずるは九堂家の跡取りで、男だ。そう思おうとしている。
だけど、事実、ゆずるは女で、女だと知ってからは、女にしか見なかった。
九堂家の当主は男子と定められていた。
本来ならば、祖父の後を継ぐのは、ゆずるの父なのだが、彼は破門されてしまった身だ。
ゆずるしかいないのだ。――でも、だからって!
だいたい、男子しか当主になれないっていう決まり事からして時代遅れだし、どうしても男子が必要なら、養子とか婿養子とか、他に方法があるんじゃないの?
ゆずるが犠牲にならなくても良い方法が。
だって、無理だろ?
今は良いかもしれない。だけど、いつかは無理が来る。本当は女なのに、男の振りをし続けて生きるなんて。
もしも、自分が女として生きろと言われたと仮定して、想像してみる。
――あり得ない!
直久はすぐに頭を左右に振った。自分が女装している姿を思い浮かべて、鳥肌が立つ。
その格好で一生を送れだなんて言われたら、泣く!
泣いて気持ちが済むわけもないけれど、自分の生まれを恨んで、憎んで、ひたすら喚き散らすと思う。
ゆずるもそうなのだろうか?
ゆずるは、泣いた? ゆずるは己の運命を憎んでいる?
直久は玄関の扉を睨み付け、それが開くのを無言で待った。