第五話「その力の程」
「おはよう」
次の朝。
詰所へ到着したリチャードを待っていたのは、昨日の物言いが柔らかな男、ケインであった。
「早めに来たつもりなのだが、遅刻になってたか?」
「…いえ」
話が続かない。
「おおう、もうついたか。約束の時間を守る新人ってのも久しぶりだぜ」
どうしようかとリチャードが考えていた間に、ヴァンが到着する。
相変わらず豪快に笑いながら、どかっと席につく。
「すいません遅れましたぁ!」
昨日リチャードを呼びに行った女性も、また直後詰め所に到着する。
――走ってきたのか、勢いがつきすぎて机にぶつかるようにして空中三回転。
思わず片目を覆ったリチャードだが、驚く事に。
その女性は空中で体を丸めるように回転。体勢を正し、着地したのである。
「……何見てんだよ」
「いや、中々の体術だと感心していた所だ」
僅かな皮肉を感じ取れないほど、女性は鈍感ではない。だが、リチャードの言い方が巧妙で、怒るに怒れないのである。
しばらく、その場をうろうろと左右に歩いてから、キッとリチャードを睨み付ける。
「おいおい、アイリア、新人には仲良くしてやっておけよ」
「だってボス、こいつ――」
アイリアと呼ばれた女性は、声を荒げてボス――ヴァンに抗議する。
「こんな実力も分からない奴が、本当に役に立つんすか?」
「ケンウッドを退治しただろう」
「あれはまぐれかもしれないっすよ?」
ふむ。と、ヴァンは完全に髭が剃り切れていない顎をさすりながら、考え込む。
そして、いたずらっ子の如くその目が輝いたかと思うと、にやりとした笑いを浮かべ。
「ならアイリア、お前が練習がてら、実力を試してやればいいんじゃねぇか」
そう、言い放った。
「――へっ、上等だ。ボス。全力でぶちのめしてもいいんだよな!」
「ああ、だが死傷沙汰にはするなよ?そうなっちまったら俺はてめぇを逮捕しなきゃならねぇからな」
そう言って、ヴァンは目線をリチャードの方に向ける。
「――逃げねぇよな?てめぇも男だろ?」
「…良いだろう」
ほう、とヴァンは眉を細める。結局は了承すると――いや、『了承させる』ための準備を色々考えていたのだが、ここまで即答されるのは予想外だ。
だが、リチャード側にも理由があった。ここで少しでも弱気な姿勢を見せれば、直後より自分の保安官たちの間での立場がどうなるかは想像に難しくない。後々に禍根を残すよりは、ここで決着をつけるべきと判断したのである。
(「それに――」)
拳をばきぼきと鳴らす女性の方を見る。
運動能力には自信があるのだろう。それは先ほどの動きを見れば明らかだ。
――だが、人間だ。
しかも、余り考えを巡らせないタイプ――直情型、と言うべきなのだろうか。
ならば、付け入る隙は恐らくある。少なくとも『底が知れない』ケインとヴァンの二人よりは。
「おう、ケイン、訓練スペースの用意をしとけや」
「…この様な茶番は…」
「茶番じゃねぇ。立派な交流の舞台だぜ。それに…」
にやりと、目を細める。
「何で俺があいつに目をつけたのか、知りたくないのか?」
「……」
沈黙を以って、ケインは己が意を示した。
「…ほう」
詰め所の裏に案内されたリチャードは、そこにあった広い空間に僅かながら驚きを示す。
「まぁ、この仕事ぁ『鍛える』必要のあるやつだからな。だからこう言ったそのための空間も必要なのさ」
運動場のようなその空間の反対側。上着を脱ぎ、タンクトップ姿になったアイリアの姿もあった。
その手には、二本の短剣。
「なるほど、納得の得物だ」
「へっ、怖気ついたか? 降参するなら今の内だぜ?」
その台詞に、リチャードは…この世界に転送される前日に友人から借りたあの本の一節を思い出し…苦笑いする。
「…そう言った台詞は言わない方がいい。負ける確率が上がるからな」
「なんだとぉ!?」
激昂するアイリア。
「さっさとあんたも得物を選べ! 直ぐにでもぼっこぼこにしてやるからよ!」
指差したのは、壁に立てかけてある数々の武器。刀、槌、棍、斧、槍――凡そ考えうる火薬を使わない武器は、そこに一通り揃っていた。
「ふむ…」
それらを一通り見、手にとって感触を確かめ。リチャードはその隣の物を手に取った。
「俺はこれで問題ない」
「なっ…」
アイリアの驚きは一瞬。直ぐにその表情は、怒りに変わる。
「あんた、ふざけてんのか!?」
――それもその筈。リチャードが手に取ったのは、本来は付近の木を整える時に使われるはずだったと思われる、『はしご』だったのである。
「…本当に、それが得物でいいのか?」
「ああ」
「…ああ、いいよ、そこまで嘗められちゃ、本気を出さない訳にはいかねぇよなぁ…!?」
怒りの余り、アイリアの体がぷるぷると震える。
「甘く見るとどうなるか、しっかりと教えてやるぜッ!!」
――アイリスの姿が消えた。
リチャードが感じたのは、それだけだった。
とっさに僅かな風を体の左半分に感じ、全力で体を右に倒す。
「っ!!?」
回避したかと思われた。しかし、次の瞬間、僅かに首筋は切れ、血が流れ出る。
「ちっ…一発で倒せると思ったのによ。中々しぶといじゃねぇか」
リチャードの遥か後ろに、アイリアは立っていた。
構える刃は、日光を反射しきらりと輝く。やはり訓練用だろうか。刃は潰されている。
「そうだな。…俺は、少しお前さんを甘く見ていたようだ」
感心したような声を漏らし、リチャードは体についた埃を叩き落としながら、立ち上がる。
身体能力の高さは予測していた。だが、彼女らは日々『魔法を使う敵』と相対してきたのだ。それだけである筈も無い。
『魔法による犯罪』を取り締まる保安官である彼らが『魔法』を運用できたとしても、何らおかしくはないのである。
「ちっ、やっぱ魔法使いを倒したってのもデマか。やっぱボスに言ってお前は追い出してもらって――」
「――保安官と言うのは、敵を無力化する前から大口を叩き始めるのか?」
「…何!?」
キッと、立ち上がったリチャードをアイリアは睨み付ける。
「なら、今度こそ暫く立てないようにしてやる…!」
スッとその姿が消える。
その瞬間、リチャードもまた、考慮していた作戦を行動に移す。
ガン。
「なっ!?」
鈍い音と共に、空を舞ったのはアイリアの方。
「どうだ?ケイン」
「アイリアの突撃に合わせて体勢を低くして梯子を横にし、ハードルのように『躓かせ』ましたね。運よく戦法がアイリアの魔法と合ったからこそ成功した物の、若しもアイリアの能力がケンウッドみたいな力の増強だったのでしたら…」
「意外と、あいつはアイリアの魔法の正体を見破っていたのかもしれないぜ?」
「若しも本当にそうなら――使い物になるかも知れませんね」
「っ、まだまだっ!」
宙に浮いた状態になりながら、アイリアは何か不思議な力に動かされるように、空中で体勢を立て直す。
「このまま、もう一度突っ込めば――何っ!?」
彼女が探していたリチャードの姿は、そこには無く。
「…ここだ!」
アイリアが振り向いた瞬間、空より降下するリチャードの体重を乗せて振り下ろす梯子が、彼女を地に叩きつける。そのまま梯子を首に押し付けるようにし、拳が顔を狙う。とっさに目を閉じて防御の為の力を展開するが、衝撃は襲っては来ず。
ドン。
手首を衝撃が貫き、ナイフを取り落とす。一瞬の集中の乱れを突き、リチャードの手が彼女の首に掛かる。
「これで…俺の勝ち、と言う扱いでいいか?」
「どうだケイン。お前の予想外だったんじゃねぇか?この結果は」
「ええ。空を舞ったアイリアに油断せず、梯子を棒高跳びのように使ってその頭上を取って押し落とし。更にフェイントからの攻撃で武器を狙った…本当にあいつは――」
「あたしの負けだよ…一つ聞いていい?」
「何だ?」
「どうして、あたしの魔法の正体が分かったの?」
その言葉に、リチャードはくすりと笑う。
「首に掠ったからだな」
「えっ?」
「お前さんのナイフは刃が潰されていた訓練用の物。故に直撃すれば、打撃感はあろうとも切れはしない。同じ理由で、刃による真空による切断の線もない。ならば、残っている物で怪しいのは、お前さんの纏った『風』だ」
梯子を外し、アイリアに手を差し出す。
その手を取り、彼女は起き上がる。
「恐らく風による爆発的な推進の残渣が、俺に当たって首に傷を残したのだろうな。…後は、急な方向変換の可否だが…可能だったら一発目を外してはいないだろうからな。これも簡単だ」
「…なるほど、それで方向転換できない弱点をついて転ばせ、後ろを取って叩き落したわけか」
「ああ。風の能力だと分かった以上、空中での立て直しも、風を使っての防御も十分に可能性はあったからな。だからあの一連のやり方がベストだと判断した」
「な?ケイン。中々使えるヤツだろ?」
「ええ、認めましょう。少なくとも魔法使いを相手にできない訳ではないでしょうね」
或いは、今朝の態度は、リチャードの実力への疑惑故の物かもしれない。
そう思えるほど、ケインの口調は、普通に戻っていた。