第四話「誘い」
「昨日は‥‥すみませんでした」
寝ぼけ目を擦り、身嗜みを整え。リビングへ出てきたリチャードを迎えたのは、そんなフェミーの言葉。
僅かに顔を赤らめ、リチャードへ目を合わせようとはしない。
「いや、気にしてはいない。‥‥こちらこそ、キチンと言えなくてすまなかった」
「えっ」
顔を上げたフェミーの、黒い真珠のような瞳を真っ直ぐと見つめ、きっぱりと昨日は答えられなかった事を答える。
「確かに、フェミーは‥‥俺の、『家族』だ」
最初に見えたのは、驚き。その後に、目に涙を湛え、フェミーはリチャードに抱きつく。
その背を、兄のように優しく叩きながら、リチャードはラングルの優しい微笑みを目にしていた。
昨日と同じように、フェミーを手伝い、リチャードは木材を街へと運ぶ。
工房に入った時、中年男性の一人が、声をかけてきた。
「おうにーちゃん、昨日街中で一戦、やらかしたそうじゃねぇか」
「‥‥‥」
リチャードの表情が険しくなる。
昨日は理が自分の方に向くように仕向けたはずだったが、まさかあの中に相手の男と親密な者が居たのだろうか。場合によっては――
視線を四方へと飛ばす。
「‥‥良くぞやってくれた。いやぁ、捕まえられたあの男。ケンウッドって言うんだが。前々から街のやつらにゃ迷惑掛けててな。その割りには、保安官たちが到着してるころには魔法を使うのを止めるから直接的な証拠がねぇ。保安官たちが事情聴取を行っても、皆報復を恐れるから、何も無かったって証言の方が圧倒的に多いんだ」
強制連行は証拠がなければできず、保安官が直接聞きに行く際は『他人の空似』だの『誰かに罪を着せられた』だのとゴネる故に。確固たる証拠がないまま、今日まで至っていたと言う。
「‥‥別に、街を助けるとか大それた事は考えていなかった。ただ、‥‥‥‥降りかかる火の粉を払っただけだ」
言葉に空けた僅かな間は、自分の世界のことわざを使用した場合きちんと翻訳されるか否かと言う、一瞬の心配。が、無理に言葉を捜して意を曲解されるよりは、賭けてみるべきと判断した。
幸いにも、言葉の意は無事伝わったようだ。誰も不審に思うような表情を見せたりはしていない。
(「ことわざまで翻訳可能とは‥‥高性能だな。単に、この魔術が人の意を読んで翻訳する物なのか。‥‥あるいは、フェミーの母親は――」)
そんなリチャードの考えは、工房を出る瞬間、そこにいた二人に遮られる事になる。
「リチャード・ウォルス。ちょっと保安官本部まで同行してもらえないか?」
男女一人ずつが、そこにいた。確か、昨日の一件で連行された時も見た、『保安官』たちである。
名前は確か――
「レイウォルト様! グリアード様! 昨日の一件、確かリチャードさんに非がないと――」
「他の用があるんだよ」
ぴしゃりと、ショートヘアーの女性の方がフェミーの言葉を遮る。
昨日見た時もリチャードは感じていたが、この女性はその青い海のような髪色に似合わず。結構キツい性格をしている。
暴れたケンウッドを沈めるために拳打を浴びせるという、女性らしからぬ方法を取ったのだから。
「という訳で、よろしければ、ですが。ご同行願えませんでしょうか」
それと打って変わった、柔らかな物言い。長髪の男性が、背中に腕を組んだまま、にこりとリチャードに笑いかけてくる。
『よろしければ』と言っている以上、恐らくは強制ではないのだろう。拒もうと思えばそれもできるはずだ。
(「‥‥が、将来的な事を考えれば、この世界の『警察』に相当する保安官に反抗するのはあまりよろしくは無いな」)
「良いだろう。付き合おう」
「リチャードさん!」
「安心しろ。これだけの人間の目の前で俺を連れ去ると言う事は、危害を加える気がないという事だ」
「でも万一――」
「一般人の目を気にしなければならないのが、公的権力の問題だ。‥‥‥お前さんたちが騒ぎ立てれば、公的機関としては無視はできない。それを避けるためにも、俺に何かをする気なら単独――少なくとも、お前さんと俺だけ、の時を狙っただろう」
「へぇ、中々頭は回るようじゃん」
感心したように、ショートの女性がリチャードの方を見る。
「それが唯一の取り得な物でね。‥‥‥行っても良いか?」
「話が分かるようで助かる」
保安官の二人に連れて行かれるリチャードで目を見送るフェミー。
「‥‥‥」
「よう、いらっしゃい」
保安官の詰所に到着したリチャードは、昨日そこに居なかった、一人の男を目の当たりにする。
年は40歳強だろうか。無精ひげを生やし、茶色の髪もぼさぼさである。
足を机の上に乗せ、椅子で大きくふんぞり返っている。
だが、そのずぼらな格好は、不思議と人に嫌悪感をあまり与えない。寧ろ、そこには一種の『余裕から来る安心感』があった。
「おやっさん、帰ってたのかよ‥‥‥」
脱力したようなショートカットの少女の声に気に障った様子も無く、がっはっはと奥に座った男が笑う。
「昨日騒ぎが起こったって連絡が来ててな。急いで帰ってきた訳なんだが‥‥‥ケイン。そいつがお前が言ってた奴か?」
「はい」
ケインと呼ばれた男――先ほどリチャードを連行しに行った、男性の方――は簡潔に答える。その表情は全く変わらず、感情を読み取る事はできない。
その回答を聞いて、奥の男は、まるで品定めのような目で、上から下までリチャードを見やる。
いい気分ではない。だが‥‥‥同時に彼もまた、相手を品定めしていた。
服装は整っているとは言い難い。そこはずぼらな外見と合致している。
だが、それでも、汚れの下から覗く生地はそれなりの高級品に見える。
服につけられた傷の切り口は整っており、引っ掛けたり古くなったりしたために破れた物ではなく、寧ろ刃物によってわざと切られたように見える。
何よりも気になるのは、周りの者が彼に向ける視線。親密な友人に向けるそれのような物にも見えるが、僅かながらの尊敬が見える。
それはつまり――
「いや、呼びつけてすまなかったな。俺がここの保安官統括――ヴァン・ディランだ」
「何の用ですか? 昨日の事件なら、きちんと昨日説明したはずですが」
「いや、それがだな――ええい、まどろっこしいのは止めだ。単刀直入に言おう。――お前、保安官になる気はねぇか?」
「「ええっ!?」」
驚きの声は、彼の周りの保安官からも上がっていた。
「こんな素性不明の人間を――」
「そうですね。保安官は、そう簡単になれる物なのですか?」
「ああ、成れると言えば、成れる。人選は、各地の統括に一任されているからな」
なるほど、とリチャードは考える。
つまりは、このヴァンと言う男は、この場の最高責任者である訳だ。
周りの者の視線に含まれた尊敬の意は、恐らくそれに関係するのだろう。
が――それならば。
(「相当、慕われている訳か」)
視線に含まれる友情の意。それはある意味、尊敬の意を上回っていた。
――リチャードのこの視線から感情を読み取る技術は、彼が『異邦人』として過ごして来た経験から自然に身についた物である。
最も、その効力には上下があり、例えば彼を連行しに来た男性の方の感情は読み取れなかったし、また――彼自身は気づいていないが、恋愛感情も、彼自身の恋愛経験の無さから探知が困難である。
「で、どうなんだ?」
ヴァンの再度の問いかけに、リチャードはにやりと笑い――
「えっ!?!?」
耳を疑うようかのように。フェミーはリチャードが宣言した事実を聞き返す。
「ああ、だから、俺は保安官になる事にした」
「そんな軽々しく‥‥っ!? 危険も伴う仕事、前回のような現場に、自分から飛び込むのですよ?」
大男、ケンウッドに殴られ、壁に叩きつけられるリチャードの姿が、フェミーの脳内には浮かんだ。
あの様な危険を――
「準備を十分に整える事ができるのだ。アレよりは楽だろう」
「そういう問題じゃありません!」
「――そもそも、何のために受けたんだ? 今の生活が不満か? そりゃ、あまりいい生活はさせられてねぇが」
怒鳴りつけるフェミーとは対照的に、ラングルは冷静に彼に問いかける。
「拾ってもらった身です。感謝はあれど、生活に文句を言うつもりは、全くありません」
目を閉じるリチャード。
「ですが、現状のこの家の財務状況も、あまり良くないのではないですか?」
「む、むう‥‥‥」
ラングルが押し黙る。
「保安官としての月収は、交渉時に確認しました。あれが入れば、ラングルさんもフェミーも、楽になるでしょう?」
「然し、それはリチャードさんが危険を犯す理由にはなりません! 何ならもう少し簡単な仕事を――」
「技術が無く、この世界の事を良く知らず。おまけに魔法は使えません。そんな俺に、どんな仕事があるんだ?」
「そ、それは――」
リチャードが了承したのは、熟考した末の事である。
この世界を良く知らず、工房の人間のような技術はなく。魔法も使えない。
そして、保安官の仕事の一端は、昨日体験した。この仕事は、元の世界に戻るための『情報収集』にも使えるかもしれない。
何よりも――
(「ここで俺に例え何かあろうが、この世界にあるべきではなかった者が一人、消えるだけだ」)
結果。『危険な仕事は、保安官を辞めてでも拒否する事』との約束の下。
フェミーは、何とかリチャードが保安官になる事を、了承したのであった。