第一話「異なる夜」
ここから、本編開始となります。
「‥‥っ」
まるで寝ぼけていたような、そんな感覚。
最初に感じたのは、頬や手に触れる「柔らかさ」。
それはどこか、馴染みの無い物で――
「くっ!?」
がばぁ、と起き上がる。
寝ていたのは簡素な木製のベッドの上のようだ。起き上がった拍子に、ギシギシと、音を立てている。
周りを見渡す。火の光がある物の、全体的に暗い。そもそも焚き火等、テレビの中以外では見たことが無い筈だったが――
「&^@#%@&&%&$$」
何か、意味の分からない声を掛けられた。今までに聞いた事があるどの言語とも違う。
そちらに振り向くと、少女の姿。身に着けている着衣は、とても綺麗とは言えない。寧ろ使い古しである。
――ああ、そうか。リチャードには、先ほどから感じていた違和感が分かった。
今、自分が寝ているベッドに敷かれているシーツ、掛けられている布団。
それは何れも、荒い『麻布』の様な生地だったのだ。
良く周りを見渡してみれば、建物も――率直に言えば『ボロい』の一言である。
築50年以上経過している老化した建物もこうは行くまい。
「&^%$&####&&?」
何を言っているのか、皆目検討もつかなかった。
目線と、身振りからは‥‥恐らく青年を心配してくれているのだろうが――
(「完全には理解できない、か」)
とりあえず、微笑んでみせる。
それに安心したのか、少女が微笑み返してくれた。
(「とりあえず、敵意は無い様だな。‥‥まぁ、あったのであれば、俺は今既に死んでいるか、縛り上げられているんだろうが」)
何とか、口を開いてみる。
「言葉が、分からない」
自分の口を指差し、それから耳を指差す。
また、言語系統自体が違う事を理解させるために‥‥自分の言葉を発音して見せる。
――ある意味賭けではあった。若しも、この者の文化に於いてこの身振りが何か失礼に当たるのであれば。最悪、殺されても文句は言えないのである。
が、何もしなくても、最善でも現状維持にしかならず、時間の経過によってやはり悪い方に局面が傾く事もある。
いつまでもコミュニケーションすら取れないような奇妙な者を養っておく者はこの世には少ないであろう。
「#*^@@!」
頷き、振り向いて、タンスの中を漁る少女。
その隙に、リチャードはズボンポケットに入っていた携帯に手をやり、少女の位置から見えないよう後ろ手に持ち、チェックする。
信号は、ない。
この携帯は衛星電話の類で、地上であれば海の孤島でも山の上でも通じる、と言うのが売りであった。
それが通じない、と言う事は‥‥少なくともここは『地球の表面上』ではない、と言う事となる。
「&^%&?」
咄嗟にポケットに携帯を仕舞い直す。
少女の方に目線をやれば、何やら指輪を差し出して来ている。
――先程は余りよく観察しなかったのだが、すす汚れているとは言え、整った顔立ちだ。
青い髪の下から覗く黒い瞳が、じっとリチャードを見つめる。
「‥‥分かった」
少女の持った指輪に、大人しく中指を差し込む。
――ここが地球の表面ではないどこかである事が分かった以上、この行動に伴うリスクをもリチャードは考慮していた。
だが、先程熟考したように、この少女が敵意を持っている可能性は低い。そして、現状打開の為には、この手を取るしかないのである。
「‥‥‥」
指から伝わる、ひんやりとした感触。
「あの、私の言っている事、分かりますか?」
それと同時に耳に伝わってきた声は、理解できる物だった。
「ああ。ちゃんと理解できた。‥‥しかし‥‥この道具のお陰か?」
つけてもらった指輪をリチャードは見る。
古ぼけてはいるが、作りは細かく。嵌めこまれた宝石も、相当値打ちのありそうな物だ。
「お母様が昔作った指輪です。言葉が通じない他の国の人のための魔法が掛けられているんですよ」
「魔法‥‥?」
「ええ、そうです。日常的に使っているあれですよ」
さも当然に言い放つ少女に、然しリチャードはショックを受けたように、下を見やる。
(「‥‥ここはそういう世界だったのか‥‥?」)
「? どうしたのですか?」
ベタだ。ベタ過ぎる。
まさかこの様なファンタジー小説の定石とも言える状況に陥るとは。
「ああ、いや、俺のいた場所では、魔法という物はなくてな。どう言う物なんだ?」
「実際にお見せした方が早いですね」
ボッ。
差し出された少女の掌から、火の玉が浮き上がる。
それはまるで、小型の太陽。表面でうねる微かな炎の蠢きに、思わず完全に見とれてしまう。
その瞬間、掌で握りつぶすように、閉じた手と共に、火の玉は消え去る。
「こういう感じの物ですよー」
「ほう、便利な物だ」
ふむ、と考え込むリチャード。
今のデモンストレーションを見るに、どうやらこの世界でも魔法、という物は‥‥自分が本で読んだ物と、然程変わらないようだ。
――少なくとも、表面上では。
「あ、そう言えば、言葉が分からなくて名前も聞いてませんでしたね! 私、フェミー・ロイエンと申します!」
「リチャード。リチャード・ウェルスだ」
とりあえず魔法について考えるのは一旦止め、答える。
「おお、客人は起きたか」
がちゃりと扉が開かれ、中年の男が入ってくる。
服装は少女同様、薄汚かったが‥‥それなりに体力を使う仕事をしているのか、体つきは精悍である。
「どうも、お世話になってます。リチャードと言う者です」
「おお、ワシはラングル・ロイエン。フェミーの父じゃよ」
「所で、リチャードさんは‥‥どうして、あの様な廃墟で倒れてたのですか? 服装も、見た事のない物でしたし‥‥」
「‥‥廃墟?」
「ええ、私が街に買い物に行った際、廃墟を通り掛かる事になるのですけど‥‥そこで倒れているのを見かけまして、こうして‥‥」
さてどうするか。
‥‥魔法と言う概念が存在する事。衛星電話が通じなかった事。
これらを踏まえれば、自分が地球表面上ではないどこかに飛ばされた事は明白だろう。
だが、それを正直に言うか?それもまたリチャードにとっては、一考すべき要項であった。
「‥‥思い出せないんです」
嘘であった。あの紫の光を踏んだ瞬間、ここに飛ばされた事は明白だ。
だが、自分は余りにもこの世界を知らない。最悪、異界から来た人間だと、『上に居る人間』に知られれば、捕縛されサンプルとして研究される可能性がある。
――少なくとも、『元居た世界』では、ありえない話ではなかったのである。
故にリチャードは、最も無難な回答を選ぶ。これならば、魔法を知らなかった事も、納得のいく解説とする事ができるだろう。服装の件もまた、誤魔化せる。
「ううん‥‥記憶喪失、と言う物でしょうか」
「そう言う事に‥‥なりますね。なので何をすればいいかも‥‥」
「はっはっは、ならば、しばらく、休んでいけばよい」
豪快に笑いながら、ラングルが口を開く。
「‥‥いいのですか?」
「いいんじゃよ。ここはワシ等二人しか住んでおらん。どうしてもフェミーを一人にさせてしまう状況も多い。男手が居れば、少しは安心じゃ」
「あの‥‥俺も男なんですが、そこは心配ないのですか?」
「何、わしはこれでも‥‥人を見る目には少しは自信はあってな」
にやりと、ラングルは真っ直ぐリチャードを見つめて、口角を吊り上げる。
「‥‥それに‥‥記憶喪失のお前さんは、ここを追い出されるような行動をする程馬鹿ではない。そう思うのじゃよ」
その口ぶりに、リチャードの背には冷や汗が流れる。
一瞬、全て見透かされてしまったと思った。しかし、
「ま、ただで養っておく訳にもいかんな。できる仕事はしてもらうから、覚悟せい!がっはっは!」
その豪快な笑いは、そんな心配を吹き飛ばしてくれた。
(「これも、魔法の一環‥‥か? ‥‥いや、な‥‥」)