第四章 男性ファン
ようやく新曲のプロモーション活動も、一息つき、今日は午後から半日のオフを貰った。
芳樹は部屋に入るなり、ベッドへ直行し、睡眠をとった。
目が覚めたのは、夕方の四時過ぎ。目を覚ました理由は、インターホンの呼び出し音だった。
宅配便が届いたのだ。芳樹のマンションはオートロック式なので、エントランスへ入る自動ドアを開けてやる。
ほどなくして、ドアがノックされた。
ハンコを持って、芳樹がドアを開けると、若い配達員が爽やかな笑顔で立っていた。見覚えのある配達員だった。芳樹はよくネットショッピングを利用するので、顔なじみになっている。この辺りを担当している配達員なのだろう。
「湧井芳樹さんで、お間違えないですか?」
宛先を示しながら問われ、芳樹は頷く。
ここにハンコお願いしますと、言われるままにハンコを押す。
荷物を受け取り、ドアを閉めようとドアノブに手を掛けた時。躊躇いがちな声が芳樹の耳に届いた。
「あの。こんなこと、聞くのは失礼かもしれませんが……」
「はい?」
芳樹は、閉じかけたドアを少し開いて配達員を見る。
彼は、思い切ったように俯けていた顔を上げた。
「あのっ。Winの、ヨシキさんですよね。あの、美王のCMに出てる」
ああ、またその話か。
少々うんざりしながらも、芳樹は笑顔を見せた。
「はい。そうです」
「あ、やっぱり。俺、あの。あのCM見て、惚れたっていうか、あなたのことが好きになって。WinのCDとかアルバムとか全部買いました」
芳樹はその発言に目を丸くした。
いままで、Winのファン層は若い女性だった。男性は一パーセントにも満たないだろう。その男性から、ファンだと告げられて、嬉しくない訳がない。
「それは、ありがとうございます。すごく嬉しいです」
にっこりと笑顔を見せると、配達員はなぜか頬を紅潮させ、放心した。
「あの。どうかしましたか?」
訝しく思って、声をかけると、配達員は、我に返ったようだった。
「あ、すみません。では、あの、またの御利用、お待ちしております」
脱帽して頭を下げた配達員は、走ってエレベーターの方へ向かって行った。
「またの御利用って……」
宅配業者の人から、またの御利用を、と言われたのは、始めてだ。
かなり焦っていたのだろうか。焦らせたのが自分だと思うと、彼には悪いが少し嬉しい。
芳樹はドアを閉めて、改めて届いた品物を見る。
数日前。甘い物が無性に食べたくなった時に注文した、白いプリンだった。芳樹はよく知らないが、結構有名なプリンらしく、注文したことを告げたら、瞬と悠斗が食べたがっていた。
芳樹は冷蔵庫にプリンを入れてから、リビングに移動し、携帯電話を手にした。
今日は、芳樹と同じで、瞬も悠斗も午後から仕事は入っていない。用事がないなら、食べに来てもらおうと考えたのだ。芳樹が住んでいるマンションは、事務所が借りてくれたもので、芳樹の部屋の両隣は、瞬と悠斗が住んでいる。
無意識に悠斗の番号を先に呼び出してから、芳樹は一瞬躊躇する。あのCM撮影の日からずっと、カズヤに言われるまでもなく、悠斗を意識している自分がいる。だが、それが、カズヤの言うように、悠斗が好きだからかどうかは分からない。きっと、今までにない悠斗の男の顔を見てしまったから、変に意識しているだけだ。
そう、自分に答えを出し、芳樹は通話ボタンを押した。
数度のコール音のあと、悠斗が電話にでた。
『もしもし? 何』
面倒臭そうな声が耳に届き、芳樹は電話をかけたことを後悔し始めた。せっかくの休みに、始終顔を突き合わせているメンバーの声を、聞きたくないのかもしれない。そんな後ろ向きな考えが頭を過る。
「あのさ。今、暇?」
『いや、暇っつーか……』
言い淀んだ悠斗の背後からだろうか。悠斗の名を呼ぶ、女の甘えた声が、電話越しに聞こえてきた。
「あ、ごめん。今デート中か。じゃあ、いいや」
『え、ちょっ……』
悠斗が何か言おうとしていたが、芳樹は無理やり通話を切った。大きく息を吐き出す。
胸が、痛かった。
もの凄く痛かった。
何故、こんなに苦しいのだろう。
悠斗が女といることは、以前に何度もあった。悠斗は芳樹と違い、自由奔放で、女性との付き合いも奔放なところがある。瞬に言わせれば『ユウ君は女好き』だという。真希からは、もう少し女遊びは控えなさいと注意を受けるほどだ。
午後だけとはいえ、久しぶりの休みなのだ。悠斗が女と会っていても何の不思議もない。
こんなことで傷ついてどうするんだ。
そう思って、はっとする。
俺は、傷ついているのかと。
困惑と苛立ちと不安がないまぜになったような気分で、芳樹は大きな溜息をついた。
もう一度、携帯電話に目を落とし、今度は瞬に電話をかける。
瞬はワンコールで出た。
『わーい。ヨシ兄どうしたの』
わーい、って。芳樹は苦笑した。瞬の能天気な声を聞いたら、暗くなっていた気分が少しだけ浮上した。
「この間、言ってたプリン。届いたんだけど、食べに来るか?」
『ダッシュで行く!』
即答のあと、通話が切れた。驚いて携帯電話に目を落としたところで、ドアが大きく叩かれる音が室内に響く。
慌ててドアを開ける。せっかく男らしく整った顔立ちをしているのに、それが台無しになるような、満面の笑みを浮かべている瞬が立っていた。
「本当にすぐ来たな」
苦笑する芳樹に、だって部屋隣だもんと、瞬が答えた。
紅茶とプリンを持って、リビングにあるテーブルの上に置くと、瞬が嬉しそうにプリンを持ち上げた。
「わー。本当に真っ白だ」
「白いプリンなんて、最近じゃ珍しくもないだろう」
興味津津な表情をしている瞬に、スプーンを渡してやる。
「そうだけどさー。俺、食べるの初めてだもん」
「そうか。あ、そう言えば、真希ちゃんは?」
芳樹達のマネージャー兼、瞬の恋人の名を口にすると、とたんに瞬の顔から笑顔が消えた。唇を尖らせる。テレビで見るクールな瞬からは想像もできない表情だ。
「真希ちゃんは仕事だってー。俺に構ってくんないんだもん。だから、ヨシ兄の呼び出し嬉しかった」
へへーと笑った瞬に、芳樹は苦笑した。瞬は大人びた端正な外見に似合わず、子どもっぽい性格である。甘えっ子という表現が一番しっくりくるかもしれない。さすがに最近では、甘えた口調で話すのは、真希とメンバーの前だけに限られるが。
瞬のおかげで、落ち込んだ気分が随分浮上した。
プリンの甘さも、落ち込んだ気分を浮上させるのに貢献した。
あー、美味しかったーと、至福の言葉を発した瞬は、ふと、思いついたように芳樹に顔を向けた。
「そういえば、ユウ君は? これ食べたいって、ユウ君も言ってたよね」
瞬の何気ないその一言に、自分が酷く動揺しているのが分かる。また、気分が沈みこみそうになるのをおさえて、芳樹は無理やり笑みを浮かべた。
「女と一緒にいるみたいだよ」
「えー。あの女ったらし。ちょっと時間があると、女遊びに走るんだから。ヨシ兄知ってる? 大学でも、ユウ君は遊び人で通ってるんだよ」
ズキリと胸が痛んだ。それを隠すように、芳樹は平静を装って相槌を打つ。
「そうなんだ。それって、まずくないか?」
「んー。まぁ。上手いことやってるみたい。トラブルもないし」
瞬と悠斗は現在、同じ大学に通っている。ちなみに芳樹は高卒だ。
「なら、いいけど。スキャンダルとか出たら、真希ちゃんが怖いしな」
「確かにー。真希ちゃん怒らせるとマジ怖い」
もの凄く実感のこもった言葉に、芳樹はつい笑ってしまう。
「あ、そうだー。俺、ヨシ兄に聞いときたいことがあったんだった」
突然声を上げた瞬に、芳樹は身構えた。
「何?」
「この間さ、ケータイの女性用のゲーム、えっと、乙ゲーっていうんだっけ? あれのCM見たんだけど、超恥ずかしい台詞言ってる王子様の声、ヨシ兄じゃなかった?」
何だ、そんなことか。
芳樹は、知らずに入っていた肩の力が抜けるのを感じた。そこで気づく。なぜ、自分は瞬の質問に、体を強張らせる必要があったのだろうかと。
「よく、分かったな。去年録ったやつだよ」
態度が変に思われないようにと、願いながら口にする。瞬は納得いったというように頷いた。
「あ、やっぱりー。去年の冬さ。俺がドラマ入る前。真希ちゃんが、ヨシ兄はCM撮りがあるって言ってたのに、一向にCM流れないなーって思ってたんだよな。声の仕事の方だったのか」
芳樹は頷いた。
リバースタープロダクションに入ってから、子役として何度かドラマやCMにも出演したが、一番多く仕事をしたのは、声優の仕事だった。芳樹自身が声優の仕事に興味があったからだ。
何度となく、オーディションを受け、アニメや洋画の吹き替えの仕事をした。アイドルユニットを組んでからは、アイドルの仕事を優先しているため、声の仕事はオファーがある時だけになっているが。
「あのさぁ、ヨシ兄」
心なし、弱弱しくなった声に顔を向けると、瞬が捨てられた子犬のような目で、芳樹を上目使いに見ていた。
「ん?」
「本当はさ、声の仕事したいんじゃない? アイドルの仕事じゃなくてさ」
何で、そんなことを聞くのだろう。
芳樹はまじまじと瞬の端正な顔を見た。瞬はさらに、落ち込んだように顔を伏せる。
「最近、疲れた顔してるし。嫌なのかなって。前の方が楽しそうだった」
見抜かれていたか。芳樹は、ばつの悪い思いを味わった。確かに、美王のCMが放映されてからというもの、番組の出演依頼が相次ぎ、休みという休みがなかったので、肉体的にも疲れていた。だが、それ以上に、悠斗と一緒にいると、変に意識してしまう。そのことがばれないようにと、変に気をはって、気疲れしていたのだ。
芳樹は腕を伸ばして、瞬の頭を荒っぽく撫でた。
「シュン。考えすぎだよ。最近忙しいからな。疲れてたのは本当だけど、仕事が嫌だった訳じゃない。俺は、おまえらと一緒に仕事が出来て幸せだと思ってるよ」
心配かけてごめんな。と、続けると、瞬は勢いよく首を横に振った。
「それならいいや。俺、ヨシ兄いなくなったら、嫌だし。っていうか絶対ヤダ」
子どもっぽい仕草に、苦笑する。なんとなく、沈黙が落ちる。
芳樹は話題を変えることにした。空になったプリンの容器を持ち上げて振って見せる。
「そう言えば、このプリン持ってきてくれた配達の人がな、俺達のファンだって言ってくれたんだよ」
「マジで? それって男だよね」
目を輝かせる瞬に、芳樹は頷く。
「そう。男性のファンって貴重だよな。CDも、アルバムも、全部買ってくれたって言ってたよ」
「すっげー。何か俺達もいよいよメジャーになってきたんじゃない? 真希ちゃんにあとで教えなきゃ」
「本当に、瞬は何でも真希ちゃんだな」
呆れた声をだすと、当たり前じゃんと、返ってきた。
自分の気持ちを、素直に表に出せる瞬が、羨ましい。
「シュンはいいなぁ」
しみじみとした口調になってしまった。
瞬は瞬きを繰り返したあと、にやりと笑った。
「ヨシ兄にも、早く彼女できるといいね」
そういうつもりで言った訳ではないのだが。芳樹は苦笑して、余計なお世話だよと返した。
その時、部屋のドアが勢いよく叩かれた。
何事かと、瞬と顔を見合わせてから、芳樹は立ちあがった。
鍵を解錠して、ドアを大きく開く。
「はい、どちら様で……」
「おい、ヨシキ。いきなりドア開けんな。俺が強盗とか変な勧誘の人とかだったらどうすんだよ」
いきなり怒鳴られて、芳樹は面食らった。ドアの前には、女性といるはずの悠斗が立っていた。
「普通、ドアスコープでどんな相手か確かめたり、チェーンはしたままドア開けて、相手がどんな用件か確認したりするもんだろ。おまえは自己防衛がたんねぇんだよ!」
「ごめん」
反射的に、芳樹は謝った。言いたいことをいった事で、満足したのか、悠斗はよしっと頷く。
「で、誰か来てんの?」
悠斗の視線が、玄関に置いてある靴に向いている。
「ああ、シュンが来てる。この間言ってたプリンが届いたから……」
「電話の用件ってそれ?」
「そうだけど……」
芳樹は頷いた。悠斗は眉間に皺を寄せて、大きく息をつくと、ことわりもなく玄関に入ってきた。
靴を脱いで、リビングにいる瞬に目を止める。
「あ、ユウ君。女と一緒じゃなかったの?」
瞬がからかう表情を見せた。
悠斗は、ふんっと鼻をならし、瞬の隣に腰を下ろす。そして、瞬の頭を叩いた。
「何すんだよー。ユウ君のバカ」
「テメーは、真希ちゃんとデートじゃなかったのかよ。何で芳樹と二人っきりでプリン食ってんだ」
「うるさいなっ。真希ちゃん仕事だもん。しょうがないじゃん」
「はーん。もう、振られたか」
悠斗がからかう。瞬はふくれっ面をした。
「振られてないよっ!」
呆気にとられて、二人のやり取りを見ていた芳樹は、瞬の大声に我に返った。
悠斗には色々と聞きたいことがあったが、とりあえず二人の言い争いを止めるべく、悠斗に声をかける。
「ユウト、プリン食べるだろ? 紅茶でいいか?」
尋ねると、よろしくと返事が返ってきた。芳樹は、紅茶の用意をして、冷蔵庫からプリンを取り出し悠斗の前に置いた。
そして、瞬の正面の位置に腰を下ろす。
さっそくプリンを食す悠斗に、瞬が興味津津の顔で尋ねた。
「ねぇ。ユウ君。女の人と会ってたんでしょう? 女の人はどうしたの」
悠斗は不機嫌そうな顔で、瞬を見る。瞬はどこ吹く風で、答えを待っている。
「おまえ、うるせー」
「もしかして、俺が電話したせいか?」
芳樹が尋ねると、一瞬プリンを掬ったスプーンの動きが止まった。
「んー、まあ。なんつうか、電話での、おまえの様子がおかしかったから、気になって」
いつもの悠斗らしからぬ、煮え切らない物言いだった。
悠斗の言葉を頭の中で、反芻し、じわじわと嬉しさがこみあげてくる。
それって、一緒にいた女性よりも、俺を優先してくれたってことだよな。
そんなことを思ってしまう。
「え? それで、デート途中でやめてこっち来たの? 女の人怒らなかった?」
瞬が驚きの声を上げた。
「いちいち、うるせー奴だな。そら、怒ってたけど、どうせ遊びの相手だし。遊び相手には不自由してないし」
「うわっ。最低男がいるよ、ヨシ兄」
瞬が大げさに眉を顰めて、悠斗を指さす。
芳樹は苦笑でそれに答えた。複雑な気分を抱えていて、それを言葉に表すことができなかったのだ。
「いい歳して、甘えっ子なおまえに言われたくない」
「俺は誰かれ構わずじゃないもん。甘えるのは、真希ちゃんとー、ヨシ兄とー、ユウ君。あと家族くらいだもん」
「俺だって、誰かれ構わず女に手を出してねぇっつーの。ちゃんと後腐れのない相手を選んでんだよ。っつーか、おまえ、甘える相手に、俺まで入れてんのか」
後半、嫌そうに顔を歪めた悠斗に、瞬が真顔で頷いて見せた。
「当たり前じゃん。ユウ君、意地悪だけど、俺、ユウ君好きだもん」
「意地悪はよけいだよ」
悠斗は、瞬の額を叩いた。この行動は、たぶん照れ隠しだ。
「痛ーい。やっぱ、ユウ君、意地悪じゃん」
恨めしげな目を悠斗に向ける。悠斗はにやりと笑う。
「じゃあ、瞬のお望み通り、虐めてやるよ」
そう言って、悠斗は素早く動くと、瞬にヘッドロックを決める。傍目にもたいして、力を入れていないのが見て取れた。
「ギャー。ヨシ兄助けてー」
芳樹は苦笑して、じゃれ合っている二人に告げた。
「程々にしとけよ」
芳樹は空になった紅茶のカップを手に取ると、流しへ持っていくべく腰を上げた。
じゃれ合っている二人を見て、羨ましいと思ってしまう自分が嫌だった。