第二章 まさかの女装?!
美王化粧品のCM撮りは、一月中旬に入ってからとなった。話が来てから、ほとんど間をおかずの撮影になったのは、どうやら、起用するタレントが、中々決まらなかったかららしい。
CMの内容はこうだ。男が、新作の化粧品を手に、女性にメイクをする。メイクをしながら、男達は誘惑されていく。
女性は外国人モデルを起用したそうだ。
絵コンテを見た悠斗いわく『ちょっとエロい感じのCM』になりそうだった。
「それにしても遅いな」
誰かの呟きが聞こえた。
スタッフの一人が、すみません、と、可哀相な程、恐縮しきった声をだす。
芳樹たちWinのメンバーは、一時間前にメイクをすませ、衣装も身につけていた。
撮影が始まらないのは、外国人モデルの到着が遅れているせいだ。
先ほどからスタッフ達が必死で、モデル事務所や、モデルのマネージャーに連絡を取ろうとしていたが、どうやら繋がらないらしい。
「今日、撮影できんのかな」
悠斗がぼそっと、芳樹の耳に口を寄せて囁く。
「さあ? どうだろう」
そう答えた時だった。
スタジオの入り口から、慌ただしい足音が響いて来た。
「大変です。モデルさんの乗った車が事故に遭って、モデルさん救急車で運ばれたそうです。大事には至りませんでしたが、今日の撮影は無理だということです」
その言葉に、スタジオ内がざわめいた。
「くそっ。スケジュールがおしているのに」
美王の担当責任者が苦々しい顔をする。その彼の部下と名乗った女性は、青い顔をして、上司を見つめる。
「誰か、他のモデルはいないのか。今回のコンセプトに合うモデル」
「そんなの中々いませんよ。やっと探しだしたモデルだったのに」
そう言った美王の女性社員と、芳樹は目があった。
その時、女性社員が何かを思いついたように、大きな声を上げる。
「あっ。部長。ヨシキさん、どうですか?」
女性社員が、部長と呼ばれた美王の担当責任者の腕を叩いて、芳樹を指さした。
「え? どうって?」
部長と呼ばれた男性が、困惑した表情で部下を見る。
「だから、ヨシキさんですよ!」
女性が大声で、芳樹を指さした。スタジオにいる全員の視線が、芳樹に向けられる。
「え?」
芳樹は当惑する。今まで、瞬や悠斗が注目されることはあっても、芳樹が注目の的になったことが、ほとんどなかったのだ。
「あー。それ、いいかもしれません。っていうか、本当にいいと思います。ヨシキさんって、色白で、ものすっごく、綺麗な肌してるんですよー。触りまくりたくなるような」
芳樹のメイクを担当してくれた子が、声をあげた。その横で、瞬のメイクを担当した子が大きく頷く。
「あ、分かります。私も、ヨシキさんの顔に一回メイクしたいーって、思ってたんですよねー。絶対綺麗になりますよ」
「それって、ヨシキ君に女装をさせるってことか?」
部長が、考え込むように声を出す。じっと見つめられ、芳樹は居心地が悪くなり目を逸らした。
いくらなんでも、女装は無理があるだろう。芳樹は美王の責任者が、この案を却下してくれることに期待した。
自分の女装姿など見苦しいに決まっている。
だが、部長の言葉は、芳樹を凍りつかせるものだった。
「それも、面白いかもな。話題づくりにもなるし」
「ですよね。ですよね。私、絶対いけると思うんです」
力説する、美王の女性社員に、我に返った芳樹は待ったをかけた。
「ちょ、ちょっと待ってください。女装って、俺が女装しても気持ち悪いだけでしょう。俺より、悠斗の方がよっぽどましだと思いますけど」
そう言って、悠斗を見ると、もの凄い目で睨まれた。悠斗は幼少の頃、女の子に間違われることが多々あり、そのことがある種のコンプレックスとなっているのだ。
「そんなことありません! ヨシキさんの方が断然いいと思います」
メイク担当の女の子が声を張り上げた。
「心配しなくても、絶対に綺麗にして見せますって」
もう一人のメイク担当も、胸を張る。
いや、綺麗にしてもらいたくもないんだけど。と、内心動揺していた芳樹の耳に、部長の声が入る。
「星野さん。どうです? ヨシキ君に女装してもらうっていうのは」
部長は事務所的にどうだ? と、聞いているのだ。芳樹は真希を見つめた。ダメだって言ってくれと心の中で祈ったが、真希はにっこりと笑顔を作って、美王の責任者に言った。
「面白いと思います。こちらは問題ありません」
わっと女性陣が盛り上がった。男性スタッフは興味と困惑が入り混じった顔を、芳樹に向けている。
「いや、でも。やっぱり無理ですよ。衣装だってないでしょう」
芳樹は食い下がってみる。
「大丈夫ですよ。外国人モデルさんだったから、衣装、大き目なんですよ。芳樹さん、華奢だし、衣装あのまま着れると思うんですよね」
「えぇ?」
芳樹は慌てた。真希に視線を向けると、厳しい目で見返される。仕事でしょと、言っている目だ。瞬は真希の言うことには絶対服従だし、悠斗は面白そうな表情でこちらを見ている。この無茶な提案を、とめる気はないようだ。
「でも、やっぱり俺が女装しても……」
芳樹の反論に割って入ったのは、メイク担当の子たちだった。
「大丈夫ですってば。私たちがそれはもう、美人に仕立てて見せますから」
「私達の腕を信じてくれないんですか?」
挑むような目で見られ、芳樹はたじたじとなった。まいった。降参だ。
「分かりました。一回、メイクはしてみます……駄目だと思いますけど」
やったー。と、女性スタッフから声が上がった。何がそんなに嬉しいのだと、芳樹は思う。メイクの腕がいくらよくても、元が自分の顔じゃ限界がある。
きっと笑いものにされるのが落ちだ。
重い気分のまま、芳樹は、メイク担当者たちに引きずられるように、スタジオからメイク室へ移動した。
メイクが終わって、衣装のドレスに着替えたあとも、芳樹は鏡を見なかった。
自分の女装姿などみたくない。絶対変に決まっている。笑われるのが落ちだ。
メイクの子や、スタイリストたちは美人、綺麗と口々に褒めてくれたが、気を使ってのことだろう。
自分の女装姿を見た美王の責任者はきっと、これは駄目だと言ってくれる。
そう期待しつつ、芳樹はスタジオに入った。
「ヨシキさん入られまーす」
スタッフの一人が声を上げた。
一斉にスタジオにいた人たちが、芳樹へと視線を向ける。
全員が全員とも芳樹を見た瞬間動きを止めた。息を飲む音と、溜息をつく音が芳樹の耳に入ってくる。
ああ、やっぱり気持ち悪いんだ。
と、逃げ出したくなる気持ちを抑えて、俯き、じっとしていると、足音が近づいて来た。
「ヨシ兄」
呼ばれて顔を上げる。興奮したような顔の瞬と目があった。
「すっげー美人。何これ、何これ。本当に、女の人にしか見えないよ」
「え?」
「本当にねぇ。芳樹だって言われないと、ぱっと見じゃ分からないわ」
真希が感心したような声を上げた。
「いけます、いけますよ。ねぇ部長」
「ああ。予想以上に化けたな」
美王の社員達が色めき立っている。
気持ち悪い、とは思われていないようだ。少し安心して、胸をなでおろす。
化粧の魔力ってやつなのだろうか。そう言えば以前。地味な顔の人の方が化粧映えすると聞いたことがある。
「なあ、ヨシキ。その胸ってどうなってるの?」
興味津津といった態で、悠斗が芳樹の胸を見ている。かなりボリュームのある膨らみになっていた。
「え? ああ。パッドをいっぱい詰め込んであるけど」
「ふーん。なるほどねぇ」
そう言いながら、悠斗は芳樹の膨らんだ胸を、人さし指で数度つついた。
すかさず、真希が悠斗の頭を叩く。
「あんた何やってんの」
「いいじゃん。別に。パッドなんだし」
このやり取りに、スタジオ中が笑いに包まれた。
「じゃあ、ヨシキ君がモデルの代役ということで、随分おしているし、早速、撮影始めよう」
監督の一言で、全員の顔が引き締まった。
芳樹は本当にするのかよ。という、内心の不安と不満を押し殺さねばならなかった。
モデルが来られなくなるというアクシデントを除いて、表面上、撮影は順調に進んだ。
芳樹は顔には出さないものの、この格好をした自分が全国放送で流れるのかと思うと、気が滅入ってしかたなかった。
監督の指示どおりに動き、表情をつくり、演技をする。
それだけといえども、女性を演じるのは初めてで、戸惑いの方が大きかった。救いはほとんど歩かなくて済むことだ。男性と女性では、歩き方から変えなければならない。今、芳樹が履いている靴は、かなりヒールの高い靴だった。
「はいオッケーです。じゃあ次。ユウト君とのからみ行きます」
スタッフの声が上がった。
芳樹はセットの中にある豪奢なソファーに寝転がり、肘かけに頭を乗せる。
悠斗がやってきて、ソファーの縁に腰かけた。
寝転がる芳樹に顔を近づける。
「これくらいで、いいっすか?」
悠斗が監督に尋ねる。今から撮影するのは、悠斗が、芳樹にキスをしようとする場面の撮影である。
「もう少し近づけて、もう少し。そう。その辺まで」
監督の指示を受け、悠斗の顔がどんどん近づいてくる。
これ以上近づくと、唇が触れてしまう。それほどの近さだった。
リハーサルを終え、本番直前。悠斗が、にやりと笑って、芳樹に声をかけた。
「いっそのこと、本当にキスしようか」
思いっきり面白がっている顔だ。芳樹が常になく苛ついていることに、気づいているらしい。
「ふざけるな」
一言そう返すと、悠斗は肩をすくめた。
「おお、怖っ」
そのタイミングで、本番と声がかかる。
悠斗の表情がすっと変わった。
芳樹は思わず、えっと声を上げそうになる。
悠斗の表情は、芳樹にとって初めて見る顔だった。
なんというか、男らしい色気のある顔、とでもいおうか。
芳樹の胸の鼓動が、我知らず早くなる。
何で?
芳樹は無意識に胸をおさえて、近づく悠斗の顔を見つめた。
目が、離せない。
悠斗の顔が近づくにつれて、心臓の音がこれ以上ないほど、大きく早くなっていく。
ああ、駄目だ。
芳樹は思わず目を瞑って、顔を逸らした。
普段とは違う悠斗の顔を、これ以上見ていられなかったのだ。
カットの声がかかって、芳樹は我に返った。
まだ、動悸のおさまらない胸をもてあましつつ、監督を見る。
「あの、すみません。俺、顔逸らしちゃって」
慌てた芳樹の声を、監督が手をあげて遮った。
「いや、いいよ。今の方がいい。いい絵が撮れたよ」
中年の監督から、にんまりと笑顔を向けられる。
ええ?
芳樹は内心釈然としないながらも、今撮った映像を確認するために立ちあがって、悠斗とともにカメラの前に行く。
そして、映像を目にした途端。芳樹は羞恥に見舞われた。
俺、何ていう顔してんだ。
映像に映っている自分は、恥じらうように少し頬を染めて、キスをしようと近づいてくる悠斗から、顔を逸らしたのである。
もう最悪だ。
芳樹は、傍らに立つ悠斗を見た。
視線を感じたのか、悠斗が「何?」と、首を傾げる。
いつもの悠斗の表情。なのに、まだ動悸がおさまらない。
何で、こんなにドキドキするんだろう。
芳樹は自分の心をもてあまし、深い溜息をついたのだった。
「いやー。今日の撮影は本当に面白かった」
CM撮りを終え、帰りの車中。悠斗の言葉に、芳樹は眉を寄せた。後部座席の隣に座る悠斗を、不機嫌な顔で見やる。
「どこがだよ」
「おまえがだよ」
悠斗は、悪びれもせず、即答した。
「久しぶりに見たわ。おまえのてんぱってる姿。マジうけるし」
悠斗は本気で笑いだした。
「もう、やめてあげなさいよ。ユウト。ヨシキは一人二役して、あんたたちより疲れてるんだから」
同情した声を出したのは、運転中の真希だ。助手席には、瞬が当たり前のように座っている。
「ヨシ兄、嫌だった? 女装」
心配そうに声をかけてきた瞬に、芳樹は頷く。
「当たり前だろ。俺に女装趣味はないよ」
「でも、似合ってたけどなぁ。ね、真希ちゃん」
「まあね」
真希が笑いを含みながら同意する。
「ヨシキ、おまえアイドルやめても、女装で食ってけるんじゃねぇ?」
悠斗の手が芳樹の肩におかれる。芳樹はたじろいだ。撮影の時と同様、心臓が早鐘を打ち始めたのだ。
一体何なんだよ。そう思いながら、芳樹は内心の動揺を隠すように動いた。肩におかれた手をはずさせると、悠斗を睨む。
「おまえに言われたくない」
その言葉に、悠斗の眉が寄った。気に障ったらしい。
「どういう意味だよ。こら」
「あー。もう。二人ともケンカしないでよー」
瞬が大きな声を上げて、助手席から心配そうに、こちらを見るので、芳樹は大きな溜息をついた。会話を打ち切ろうと、車窓に目を向ける。
街の灯りが、どんどん後方へと流れて行く。
今日は本当にろくなことがない。
芳樹はもう一度深い溜息をついて、目を閉じた。