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アイドルLovers  作者: 愛田光希
16/22

第十五章 生死

 その日の夜。午後十時から放映された報道番組の途中、速報として、芳樹の事が伝えられた。

『今夜八時頃。アイドルグループWinのメンバー、ヨシキさん宅に、宅配業者を名乗る男が押し入ったとの情報がはいりました。男は駆け付けた警察官により逮捕されましたが、ヨシキさんはナイフで刺され、意識不明の重体だということです』




 報道番組で、芳樹が負傷したというニュースが流れている頃。

 真希達は手術室近くの椅子に座っていた。

 手術室の入り口の上には、手術中のランプが赤く光っている。

 真希は両膝に肘を付くと、手を顔で覆った。

 芳樹は救急車で病院へ搬送されている最中、一時、心肺停止状態に陥った。

 救急車に同乗していた真希はその一部始終を見ていた。

 本当に助かるのだろうか。

 真希の胸に不安が広がる。

 自分がもっとしっかりしていれば。

 未然に防げていたかもしれない。

 無理にでも、あの時、芳樹をホテルへ連れて行っていれば。

 後悔ばかりが、真希の胸を占める。

「星野さん!」

 女性の声が真希を呼んだ。

 真希はその声に反応して、立ち上がった。

 若い女性だった。小さな子どもを抱き抱えている。子どもは眠っているようだ。よほど慌てていたのだろうか。子どもの履いている靴下は左右バラバラで、女性は化粧をしていなかった。

「どういうことなんですか? どうして、よっくんが……」

 女性は、立ち上がった真希の前に立った。

 真希の横で、瞬も椅子から腰を上げ、同じく立ち上がった悠斗に小声で話しかける。

「誰?」

「ヨシキの兄ちゃんの嫁」

 悠斗の答える声と、真希の声が重なった。

「申し訳ありません。ヨシキ君がストーカー被害に合っているのを知っていたのに、守ってあげることができませんでした」

 恭子の血の気の無い顔が、怒りをはらんだように見えた。

「謝って……謝って済む問題じゃないでしょう!」

 恭子は激昂した。子どもを抱えていなければ、恭子は真希に掴みかかっていたかもしれない。

 子どもは、母親の声に驚いて目を覚ましたようだった。母の顔を見て、泣きだす。

 けたたましい子どもの泣き声が、辺りに響き渡る。

「本当に、申し訳ありませんでした」

 真希は、ただただ、頭を下げた。

 瞬と悠斗は、その姿を眺めている事しかできない。

 頭を下げる真希を見つめながら、恭子は泣きわめく我が子を抱きしめた。

「どうして? どうして、よっくんばかりこんな目に……」

 そう口走って、恭子は涙を流した。




 手術は成功したと、医者は告げた。もう少し発見が遅ければ、出血多量で亡くなっていただろうとも。

 長い夜が明けた。

 芳樹の意識はまだ戻っていない。

 芳樹には、個室が用意された。

 瞬と悠斗は時間になると、予定通り、仕事へ行った。仕事へ行くのを渋った瞬を諌めたのは、悠斗だった。

 仕事に穴をあけるのはよくない。それに、仕事を放棄して、ヨシキが復帰する時に、居場所がなかったらヨシキが悲しむからと。

 その朝から、芳樹の事件はマスメディアで大々的に報道された。瞬と悠斗は、記者達に追いまわされることになった。




 仕事を終えて、芳樹のいる病室へ来ることが出来たのは、午後十時を過ぎていた。面会時間は終わっていたが、病院から特別に許可を得られた。

 ずっと芳樹についていたという恭子から、芳樹の意識はまだ戻っていないと聞かされた。

 着替えを取りに行くという恭子が、病室を出て行く。

 それを見送った真希達三人は、病室に置いてあった椅子にそれぞれ腰かけた。

 しばらく、目を開けない芳樹を三人はただじっと見つめていた。

 悠斗達が仕事へ出かける前に見た時は、芳樹の顔に呼吸器が取りつけられていたが、今はない。

 首には包帯が巻いてある。頬には湿布がはられていた。

 不意に、廊下を走る音が真希達の耳に届いた。その音が近づいて、ノックもせずドアがスライドする。

 病室内にいた真希達の視線が、男の姿を捉えた。

 男はスーツの上にベージュのコートを羽織っていた。いかにもサラリーマンといった感じだ。男らしく整った顔立ちで、三十半ばといったところか。大きく肩で息をしている。

 瞬が、警戒したように立ち上がって、真希を庇う位置に立つ。

 その後ろで、真希が声を上げた。

「湧井さん」

 瞬はえっと声を上げて、真希と病室に入ってきた男とを見比べた。

 瞬とベッドを挟んだ向こう側に座っていた悠斗が、立ち上がる。

「シュン、ヨシキのお兄さんだよ」

「ああ」

 瞬は肩の力を抜いたようだった。芳樹の兄は、海外へ出張中だと恭子から聞いていた。

 急いで、帰ってきたのだろうか。

 湧井秀樹は、つかつかと真希と瞬の前へ来ると頭を下げた。

「弟が、大変お世話になったそうで。ありがとうございました」

 真希は慌てたように、瞬を押しのけ、秀樹の前に出た。

「あの、どうか頭を上げてください。頭を下げるのは私の方で……」

 当惑の声を出す真希を、秀樹は遮った。

「いいえ、医者から聞きました。もう少し、病院へ着くのが遅ければ、芳樹は助からなかったと。妻が、助けていただいたのに、大変失礼な態度をとってしまったと後悔しておりました。申し訳ありません」

 さらに腰を折った秀樹に、真希は酷く恐縮した。

「いえ、本当に、もう。こちらが、もっときちんと対処していれば、こんなことにはならなかったんです。お役にたてず、ヨシキ君を危険にさらしてしまい、大変、申し訳ありませんでした」

 真希も深くお辞儀を返した。

「あの、秀樹さん。イス、よかったら」

 悠斗が、自分の座っていた椅子を、秀樹に勧めた。

 秀樹は、悠斗に礼を言い、先ほどまで悠斗の座っていた椅子に腰を下ろした。

 秀樹は、ゆっくりと弟の顔に手を伸ばす。湿布のはられた頬にそっと手を当てた。

「ごめんな、芳樹。遅くなって」

 とても優しい声で、意識の無い弟に声をかける。

 その光景が、見ている者の胸に迫った。

「星野さん。うちの両親に、連絡しましたか?」

 しばらく芳樹を見つめたあと、唐突に、秀樹が問うた。視線は弟に据えたまま。

 真希は戸惑うような、困ったような顔で答える。

「ええ、ですが……」

「見舞には来ないと言われたんでしょう? 医療費はこちらで払うから、そっちで面倒を見てくれとも言われたんじゃないですか?」

 秀樹の言葉に、瞬と悠斗は驚いて真希を見た。

 真希も、目を見開いて秀樹に視線を向けている。無言が、肯定をあらわしていた。

 秀樹の口から、乾いた笑いが漏れる。

 秀樹は手を芳樹の頬から、額へと動かした。額に掛かった髪を梳くように、指を動かす。

「芳樹が死にかけたのは、これが初めてじゃないんですよ」

「えっ?」

 瞬が声を上げた。悠斗も真希も訝しげな顔を秀樹に向けている。

「二度目です。芳樹を殺しかけたのは、俺達家族だった」

 秀樹は話始めた。




 芳樹が生まれて三年程経った頃から、急に、両親の仲が悪くなった。両親の仲が悪くなった原因は、後に母の浮気が原因だと分かったが、その頃の秀樹は、仲の良かった両親が急に不仲になった理由が分からなかった。

 秀樹の妹であり、芳樹の姉の美樹が喧嘩の絶えない両親に反発し、不良グループに入った。それがまた、両親の不仲に拍車をかけた。

 両親は毎日のように、醜い喧嘩をした。そんな状態が、三年続いた。

「本当に、酷い状態でしたよ。ギスギスした関係が長年続いていて。妹は、高一の時、バイト先で知り合った男性との間に子どもが出来て、家を出ました。俺も、早く家を出たくて仕方がなかったんです。あの頃は自分の事しか考えていなかった。自分の事しか見えていなかったんです」

 そうして、秀樹も大学入学を機に家を出た。

 小さい芳樹の事など、正直ほとんど気にかけていなかったと秀樹は言った。

「家を出て、一年間は平和でした。俺と妹が出て行けば、小さい芳樹と両親が家に残る。そうすれば、少しずつでも、両親の仲が元に戻るんじゃないか、なんて、的外れなことを考えていたんです。俺達が小さかった頃、両親は凄く、俺達を可愛がってくれていたから」

 しかし、秀樹の楽観的な考えは、最悪な形で裏切られる。

「大学二年の時でした。芳樹が小学一年の頃です。俺のケータイに、小学校から電話がありました。三日も、芳樹が小学校に来ていないという連絡でした。家に電話をしても誰も出ないと。親が、緊急連絡先に、俺のケータイ番号を勝手に書いていたようです。それだけが、両親が芳樹にしたことの中で唯一良かった事でした」

 秀樹は、点滴の針が刺さった芳樹の手をそっと握った。少し持ち上げたその手を、秀樹は自身の額に当てる。

「俺が、家に帰った時。芳樹は一人、倒れていました。どこに倒れていたと思います?」

 秀樹は尋ねるように、声を上げたが、真希達は答えることが出来なかった。

「台所の、冷蔵庫の前です。俺が芳樹を発見した時、冷蔵庫のドアは開いていました。中は、ほぼ空っぽの状態でした。芳樹を抱き上げた時、酷く痩せて軽かったのを、今でも憶えています。芳樹は腹をすかして、冷蔵庫を漁っていたんでしょう」

 その時の光景を思い出したのか、秀樹の表情は苦痛に満ちていた。

「病院へ連れて行くと、芳樹は栄養失調と、肺炎を起こし、危険な状態だと言われました」

 秀樹は大きく息をついた。ゆっくりと、悠斗達を見回してから、口を開く。

「俺は両親を呼び出して、問い詰めましたよ。何でこんなことになってるんだって。小さな子どもを冷蔵庫が空になるくらいの期間、放っておいたのは何故なのかって。そしたら、あいつら、そろって同じことを言ったんです。自分には責任がない。自分は、相手が芳樹の面倒を見ていると思っていたって。あいつらは、まだ七歳の芳樹を放って、互いに愛人の家に入り浸っていたんですよ」

 皮肉な物ですよね。ずっと、意見が食い違っていた両親が、こんな時だけ、同じことを言うんですから。

 そう言って、秀樹は乾いた笑いを洩らした。笑うしかないとでもいうように。そして、大きく息をつく。

「それで、ヨシキはお兄さんと暮らしてたのか」

 独り言のように、悠斗が呟いた。呟きが聞こえたのだろう。秀樹は頷いた。

「芳樹が、死の淵から脱して、目を覚ました時。俺の顔を見て、芳樹は嬉しそうに笑ったんです。お兄ちゃんだって。一年も家に帰ってなかったのに。家にいた時だって、ほとんど構ってやらなかったのに。本当に、嬉しそうに笑うんですよ」

 秀樹はその時を思い出しているのか、遠い目をしていた。

「守ってやらなきゃって思いました。俺が、こいつを幸せにしてやらなきゃって。芳樹は傷ついていました。両親は、俺達が居なくなった後、小さな芳樹に、苛立ちをぶつけていたんです。酷い話ですよね。そのせいで、芳樹は思いこんでしまった。自分は酷く醜くて、見る人を不愉快にさせるんだって。そのせいで芳樹は自分に自身が持てないんですよ。だから、芳樹が芸能活動に興味を示した時、嬉しかった。それなのに、こんなことになるなんて……」

 秀樹の言葉が途切れた。

 男らしい、広い肩が震えている。

 泣いているようだった。

 悠斗と瞬は顔を見合わせた後、芳樹へと視線を向けた。

 芳樹が必要以上に自分に対して無頓着だったことを思い出していた。それは、生い立ちが影響していたということか。

 真希は、瞬と悠斗を促して、秀樹に軽く会釈すると、そっと病室を出た。

 閉めたドアに手を当てて、真希は目を伏せた。

「ヨシキ、気づいてあげられなくてごめんね」

 小さく呟く声が廊下を通った。


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