夢のワンダーランド
────白く白い世界は不自然な清潔さに包まれていて、それを〝不自然な〟と感じる自分が何より不自然であることを自覚したのはいつだったか。
周りはいつだって従順に物事をこなしていたし、異論などなく、そして反論もなかった。
毎月、その中でも特に出来のよかった者達は何かしらの振るいに掛けられ「世界のために」どこかへ連れて行かれる。
戻ってきたかどうかは知らないけれど、おそらくは行ったきりだと思う。
ふと、今まで気にしたこともなかった左耳の識別ナンバーが振られたカフスを撫でる。
「世界のために」────具体的に彼等は、どこで何をしているのだろう。
そこまでを考えたとき、初めて『ここ』に恐怖を覚えた。
* * * * *
そもそもどうして僕がここにいるかといえば、それは至極簡単な話だった。
世界は今、荒廃し退廃している。
それはここ日本に留まらず、全てがそうだ。
世界大戦はもう何十回に及び、いちいち教科書に記すまでもなくなった。
ないものねだりが得意な人類は、ないものばかりをねだって進化という名目の下に兵器を創造する。
そうしてそれを駆使したつもりで、たくさんのものを破壊し崩壊させていった。
その幾つかを目にしてきたけれど、それが生産的な行為だったのだと、少なくとも僕は思えない。
いつか世界はいろんなものを失って、ないものねだりはただの愚行だと証明された。
そうして証明された一つに〝人類の退化〟があった。
人は人と交配し新たな人を生み出す。
当然であり自然であったそれが、退化によって困難になったのだ。
〝退化〟と呼ぶか〝弱体化〟と呼ぶか。
一見して大差ないように思えるそれは、よくよく考えたなら根本が違う。
しかし人はそれを前者と捉え呼んだ────人は人として、遥か昔から人を生み落としてきたのに、おかしな話だと思った。
とにかく、荒廃しようとも世界はまだそこに在って、人類も滅亡はしていない。
けれど、自然交配が困難になった今、その問題は目前にある。
それだけは確かで、何よりも脅威に違いなかった。
自然交配が困難ならば、当然、考えることは皆同じだ。
人工交配、つまり人工受精で人を生み出す。
その機関は世界各地で創立され、いつしか『アリス』と呼ばれるようになる。
しかし、退化が進んで蔓延しようと、全員が自然交配不可能な訳じゃない。
〝そうである〟者と〝そうでない〟者がいたのだ。
世界は大半が民主主義であり、多数の意見と強者によって歴史は作られる。
〝そうである〟者が多数ならば、そういった世界に型取られていくのが世の常だ。
それが僕は嫌だった────怖かった。
当然に求められる高い能力、決まってしまった将来、当然と疑問を持たないままに生きていくこれから。
これから────何を求められるのか。
「あんた『アリス』?」
行く当てなくうずくまっていた路地裏────そこにたまたま現れたのは、アパート『マーチラビット』大家の玲子さんだった。
アリス機関で作られた人間を人は『優性遺伝子』と勝手に取り決め、俗称で『アリス』と呼ぶようになった。
アリスは増殖の一途をたどり、逆に自然交配で生まれた極一部の新生児や下級生活レベルの者達を『劣性遺伝子』と蔑むようにもなる。
繰り返される大戦で人は死に、その分作られていくアリス達。
それに違和感と共に怖れをなした僕は、おかしい?
わからない、わからないわからないわからない────怖い。
「『アリス』が何でこんなところに?」
「……疑問を持った時点で、僕は反乱分子なんだよ」
自然ではない子供。
様々な理由の上で望まれて生まれた子供なら、例え人工交配であっても、それはしあわせなことだと思う。
そうでない数合わせで作られた僕は、既に反乱分子に違いなかった。
答えた僕に哀れむわけでもなく、玲子さんはただ、笑って言った。
「じゃあうちに来るか?この先の小汚いアパートだけど」
「え?だって……」
驚いた。
アリスに関わりを持ちたくないのが、下級生活を強いられたここの人達の心理だと思っていた。
「当てはないんだろ?バカなのが二人いるけどな」
からから笑いながら繋がれた手は、思った以上に温かいものだった。
そうして僕は、ここにいる。
今まで知らなかった世界が広がっている。
僕にとってここは、まさに『不思議の国』だ。
荒廃し退廃したと言われる世界でも、治安が悪くドラッグが蔓延した都市新宿であっても、あそこにいたときよりずっと、世界は鮮やかに彩られている。
いつまでもそうしていられないことはわかっていたけれど、それでも僕はここにいたいと思う。
僕が『アリス』でなかったなら……いつだってそれは過るけれど、アリスはアリスであるからこそ、今、『不思議の国』にいられる。
それがいつか、覚めてしまう夢だとしても。