アリスと三日月ウサギ
何気ない顔をして、とんでもなく恐ろしいことをしている人間なんて、それこそ世の中にはゴマンといる。
掃いて捨てるほどいるのだから、自分だってそうであろうと構わない。
そう思えるのが、人間の人間らしさであり、また愚かさであると、僕は最近そう思う。
「これいくらになると思う?」
「知るかよ。売ればわかるだろ」
白い粉をグラム単位で計りながら、そんな会話をする男が二人。
それを干し芋を咥えながら眺めて、よりそう思うのだ。
────ここは荒廃した日本。
進化と退化を繰り返し、衰退を余儀なくされた国は、結果として荒廃していた。
そして僕はこのアパートの住人の一人だ。
「トール、おまえも手伝えよ」
二人の内のいかつい方、雅が、呆れた顔で僕を見た。
「バカかおまえ。十歳の子供にやらせてみろ、うっかり吸ったらうっかり死ぬぞ」
正論を吐きつつも僕の目の前で作業する華奢な方、鹿角も、やっぱりバカなのかとぼんやり思いながら、敢えて口にはしなかった。
バカがバカ同士そんな会話を繰り広げるのを相変わらず干し芋を食べつつ眺めていれば、廊下からどかどかと忙しない足音が近づいてくる。
「おまえら、ちゃんとやってるか!?」
ばたーんっと勢いよく開けられたドアの風圧により、白い粉がぶわっと部屋中に舞い散った。
「うわっ、何やってんすか玲子さん!」
「うっかり吸った!うっかり死ぬ!」
「バカかてめぇら!死ぬわけねぇだろ!ちょっとハイになるだけだよ!」
玲子さんは怒鳴り散らして、それから盛大に溜め息を吐いた。
「……一グラムいくらになると思ってんだよ、もったいねぇなあ」
高額らしいことは読み取れたけれど、雅も鹿角も具体的な価格は理解してなかったから、この台詞は大した効力を持たないと思う。
ふと僕に気付いたらしい玲子さんが、荒っぽい口調とは裏腹にふんわりと笑った。
「おまえは賢いからな、手は出すなよ」
それは多分、白い粉を吸うことと売り捌くこと。
両方を意味しているのだと理解していた。
「……うん」
何気ない顔をして、とんでもなく恐ろしいことをしている人間なんて、それこそ世の中にはゴマンといる。
掃いて捨てる程いるのだから、自分だってそうであろうと構わない。
そう思えるのが、人間の人間らしさであり、また愚かさであると、僕は最近そう思う────けれど、白い粉舞い散るアパートで、それでも僕の未来を見据えてくれる人間も確かにいるから。
良くも悪くも人間らしくある彼らと共に、今日も僕は、荒廃した国で、荒廃したアパートの中、干し芋をくわえながら、少しだけ笑うことが出来るのだ。
ほんの僅かに狂った世界。
そこに迷い込んだ僕は紛れもなく『アリス』で、アパートは『マーチラビット』。