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第五章:紅蓮都市の深奥にて



 


少し、時を巻き戻そう──


封印の神殿に、ひとつの“私物”が運び込まれるに至るまで。


それはほんの数日前、ひとりの少年が紅蓮都市を訪れた、ささやかな“好奇心”から始まっていた。


 


――そしてそれは、決して偶然などではなかったのかもしれない。

祭りの日中に遡る

「……っ、やば。あれ、“夜藍”染めじゃない……!? しかも、アーリム工芸で手彫り……まさかこの街に来てるとは……!」


炎朱の市場通り。生誕祭二日目の夕刻、人混みで賑わうその一角。


カイルは小声で唸るように言いながら、手にした焼き串を宙に固定したまま、一点を凝視していた。もう片手には、ルミア族製の瓶入りジュース──ほんのりと淡く発光する、炭酸入りの白蜜液。


「……っは~、やっぱ光系の種族って瓶のデザインも抜け目ないなぁ……」


彼の視線の先には、アーリム族が出店した手工芸品店。鉄藍よりも深く、夜空のように鈍く光る“夜藍”で染め上げられた装飾布が風に揺れていた。


その傍らには琥珀の首飾り、銀糸の織物、雷光加工された宝石。


炎朱に集う多種多様な種族とその特産が、彼の瞳を次々と塗り替えていく。


「……あれ? あれって、闘技場?」


通りの先。赤い柱の向こうに見える観覧席。

その奥で、火花のような魔力が宙に弾ける。


各種族の戦士が“属性覚醒”を披露する、祭り期間限定の特設闘技場だった。


そして隣接するブースでは、ヴァルネア族が仕立てた《迷彩樹海ダンジョン》の模擬体験アタックが行われている。


「色の……集合体じゃん、ここ……。こんな場所……あるんだ……」


──そんなカイルの独り言に、後ろから柔らかな声が落ちてくる。


「ふむ、ずいぶんと見入っていたな。目利きかと思ったが……どうやら、それ以上のようだな」


振り返ると、そこにはひとりの男が立っていた。


年の頃は四十代ほど。褐色のマントに身を包み、真紅のターバンのような布を肩から巻いている。やや柔らかな口調に、鋭くも穏やかな瞳が印象的だった。


「す、すみません……見惚れてて。えっと……観光、みたいなものです……」


控えめに言いながらも、カイルの目線はその男が着ている衣服の縁飾りへと滑っていた。


──手染め。しかも、炎朱の地紋じゃない。あれは、古い文様──火輪の旧紋……。


「ふ、やはり。君のような目を持つ者は珍しい。“色”をそんなふうに見つめる者は……この都市でも、そう多くはない」


男はふっと目を細めた。


「私は、炎朱王政庁の者だ。視察中だが……よければ少し、案内させてもらえないか?」


「え……? ……いいんですか。ぜひ……」


少し驚きながらも、カイルは自然と頷いていた。


それからしばらく、カイルはその男とともに闘技場を巡り、各種族が出展したダンジョン模擬アタックのブースを見学した。


男は、特に色彩や文化に詳しかった。


古代染料の調合法。色の流行が種族ごとにどう広がったかの歴史。そして、“色が持つ魔力干渉”という未知の理論。


どれも、カイルにとっては涎が出そうな知識だった。


(この人……すごい……どの色にも、深い“目”を持ってる……)


──その頃。

誰も気づかぬまま、カイルが背にしていた使い古しのカバンから、ごく微かに、魔力の揺らぎが漏れ出していた。


ほんの一瞬。だが、その場の誰もが気づかないほどの微細な揺れを──


男だけが、確かに感じ取っていた。


「……ふむ、失礼。少しだけ席を外すよ」


唐突にそう言い残すと、男は人波の中へと消えていった。


「……あ、はい。ありがとうございました……!」


カイルは頭を下げ、再び一人で祭りの通りへと戻っていく。


宿に戻ったのは、祭りの熱気がようやく冷めはじめた夜のこと。


部屋に入り、ようやく一息つこうとベッドの縁に腰を下ろしたその時──


「…………あれ?」


何かが足りない。


「あれ……おれのカバン……?」


視線を巡らせる。


どこにも──ない。


焦げ茶色のカバン、それだけが、忽然と消えていた。


一方その頃。


宰相は、誰にも気づかれぬまま、ひとつのカバンを手に、紅蓮都市の最奥へと歩を進めていた。

それは彼が長年待ち望んでいた“因子”をようやく手にした瞬間だった。


 


「……まさか、こんな形で戻ってくるとはな。“赫色”の鼓動が、まだ生きていたとは……」


 


鈍く響く足音が、封印の神殿の床に吸い込まれていく。

神殿の奥深く――王族の中でも限られた者しか立ち入れぬ空間。

そこに眠るのは、深紅を帯びた巨大な“封印石”。


神の血が染みたとも言われる、紅蓮の魔獣アヴァドンの一部を抑え込むための、唯一無二の封印だ。


 


神殿の中心に立ち止まると、宰相はゆっくりと手にしたカバンを開いた。

そして、そこから取り出したものを、封印石の目前へとそっと置く。


 


――赫色の封印石。


本来、ここに安置されていなければならないはずの、それとまったく同じ構造を持つ“もう一つ”の封印石。


紅蓮王家が代々管理してきた封印の根源。

その一部ではなく、紛れもなく本物の赫石が、なぜか異邦の少年のカバンの中に納まっていた。


 


「これは封ずる石だ。しかし……同じ赫の力が、二つ存在してしまえば?」


 


宰相の瞳が細められる。


 


「干渉が起きる。均衡は崩れ、赫の力が赫を侵す。“封”の構造が、逆へと傾くのだ」


 


──そう、それが彼の狙いだった。


封印を破壊するのではない。

解放の力を外から叩きつけるのでもない。

ただ“同質の赫”を、そっと傍らに置く。

それだけで、封印石の律が乱れ、自壊の波動が広がり始める。

 

 


宰相は、静かに目を伏せたまま、指先で赫色の石をなぞる。

その瞳の奥に、別の“赫”がちらりと浮かぶ。


 


「……それにしても。あの娘……」


 


彼女の名は、リセリア・フレイ。

紅蓮王家の末裔にして、赫焔の式を発現した者。


封印石と同質の赫を宿す、その存在。


 


「“赫”を持つ者が現れた以上……こちらの手で制御するほかあるまい」


 


封印を緩める鍵は、すでにこの手にある。

ならば次は、目覚めの導火線。


──封印に最も“近い”赫の器を、掌握せねばならぬ。


 


封印石の脈動が、ほんの僅かに増す。

それはまるで、遠くにいる“何か”に呼応しているかのようだった。


 


「王家の姫君よ。お前もまた、赫の運命からは逃れられぬ……」


 


静寂の神殿で、誰にも聞かれることのない低い声が、赫色の石に染み渡った。 


──それは、長き眠りの“兆し”だった。

神殿に差し込む赤光に照らされて、一瞬だけ石の表面に黒い亀裂のようなものが走ったように見えたのは、気のせいだったのだろうか。

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