第二章:赫式(かくしき)と灰の目覚め
熱い、と思った。
それは太陽の熱でも、焚火のぬくもりでもない。
もっとこう、荒々しくて重たい……そう、火山のような熱だった。
視界がぐにゃりと歪み、空気の震える音が耳を満たす。
灰の匂い。焦げた草の臭気。そして鉄の味──口の中に広がる血の味に、カイルは目を開けた。
まず見えたのは天井。暗い岩肌が、ところどころ光る鉱石に照らされてぼんやりと浮かび上がっていた。
体の下には干草と布。意外にも柔らかい寝床だった。
「……ここ、は……?」
体を起こした瞬間、頭の奥に鈍い痛みが走る。
脳裏に、あの忌まわしい存在がよみがえった。
灰色の霧。人の形をしているようで、まったく人ではない。
色の気配が一切なかった。むしろ色そのものを拒絶するような、空虚。
そして、確かに聞こえた。
──実験体、無属性、確保──
声ではない、意思のようなもの。
だが確かに、あれはカイルの存在を名指ししていた。
「……気のせい、じゃないよな……」
小さく呟いた言葉が、狭い洞窟の中に反響した。
「お、起きた?」
振り返ると、焚火の前にひとりの少女がいた。
赤みがかった髪を後ろで一つに結い、紅のローブを羽織っている。
顔立ちは整っており、年はカイルと同じか、少し年下かもしれない。
だが不思議な威厳をまとっていた。
そして、彼女の髪の毛の毛先には、淡くゆらめく炎が宿っていた。 それは生きているように揺れ、周囲の空気を温かく照らしている。 ──イグニス族。 見た目は人間とは変わりがないが赤の属性を持ち、火の加護を受けし者たち。彼らの髪の毛先には、代々、火の精霊による“焔の証”が宿るという。
「私、リセリア。あなたは?」
「……カイル、だよ。助けてくれたの?」
少女──リセリアはこくりと頷いた。
火に薪をくべながら、淡々と話す。
「この辺で薬草を探してたの。そしたら、君が倒れてて……危なかったよ。あんな夜に外を歩くなんて、自殺行為よ」
「いや、俺……そういうの、あんまり知らなくてさ。養母に頼まれて、荷物を届ける途中だったんだ。炎朱まで」
話すうちに、カイルの記憶が徐々に戻ってくる。
養母レイナの声、テルミナの山道、そしてあの“霧”の出現──
「火山が今、ちょっと不安定でね。灰が降る季節だから、灰獣たちも活性化してるの」
「なるほど……色彩バランスの崩壊か。そりゃ危ないな」
「……色彩バランス?」
リセリアが怪訝な顔を向ける。だがカイルは止まらない。
「俺さ、色にはちょっとうるさいっていうか……まあ、オタクなんだよ。灰獣ってのはさ、色素崩壊した生物が魔力の干渉で変異したものなんだけど、火山灰の鉱物成分が混ざると発色傾向が変わるんだよ。たとえば赤鉄鉱とか褐鉄鉱が混ざると、通常より濃い暗赤色を呈する個体になることがある。しかもそれが空気中のエレメントに反応すると……」
「……もういい、わかった。専門的すぎて逆にこわい」
リセリアは思わず吹き出し、火を見つめながらふっと笑った。
その笑顔には、どこか安心したような、けれど寂しげな色も混じっていた。
「ありがとう。話せて少し楽になった」
「ん?」
「こうして誰かと、普通に話すの……久しぶりだったから」
その言葉に、カイルは言葉を失う。
彼女は、孤独だったのだ。 こんな荒野の中で、一人で薬草を探すような状況。 そこには王族らしい誇りと、少女らしい儚さが入り混じっていた。
──焚火の音が、静寂の中に心地よく鳴っていた。
だが。
ガサリ。
外から草を踏む音が響いた。
空気が一変する。
リセリアは即座に立ち上がると、焚火を背にして剣を抜いた。
現れたのは、灰。
四つ足で這う異形の獣。
その体は崩れかけた岩のようでありながら、中心に灼熱を秘めていた。
「……灰獣」
「待て、そいつは普通じゃない」
カイルが息を呑んで立ち上がる。
「灰獣は色素崩壊した獣だけど、あれは違う。色が歪みすぎてる……まるで“色の死”。火山灰でさらに変質してる……戦わない方がいい!」
だが、リセリアは剣を構えたまま、振り返ることなく言った。
「逃げないわ。これは、私の役目だから」
「な、なんでだよ!? こっちは無属性で身体強化しか──」
その言葉に、リセリアはゆっくりと振り返る。
瞳に、強い光を宿して。
「私の名は──リセリア・フレイ、炎朱王家の血を引く者」
その瞬間だった。
彼女の剣に炎が灯る。
白銀に近い紅蓮の光。その芯にだけ、濃密な“深紅”が瞬いた。
「──第一覚醒」
その言葉とともに、彼女の姿が変わっていく。
髪は光を反射して白銀に染まり、毛先に鮮血の紅。
瞳は深紅の炎を宿し、背に燃える剣の炎が羽のように広がる。
「炎の原初たる《赫焔の式》──赫式」
それは、色の祝福を受けた者だけが到達するという、覚醒の姿だった──。