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第9話:監視下の証人

元侍女長アンナは、黒幕の監視下に置かれている。

カイン卿からもたらされたその情報は、私の決意を鈍らせるどころか、むしろ逆の作用をもたらした。彼女が監視されているという事実こそ、彼女が真相を握る重要人物であることの何よりの証明なのだから。


「危険は承知の上です。それでも、行かねばなりません」

特務調査室の地図を前に、私はきっぱりと言った。

「ただし、正面から乗り込むのは愚策ですわ。黒幕に私たちの動きを知らせ、アンナの身を危険に晒すだけ。そこで、一つお芝居を打ちましょう」


私の提案に、カイン卿は面白そうに眉を上げた。

「お芝居、ですか」


「ええ。私は公爵令嬢として、王都の高級仕立屋へ『夜会用のドレスの仮縫いに行く』という、ごくありふれた名目で外出します。監視役は、当然そちらに気を取られるでしょう。その隙に、あなたは彼らを特定し、陽動をかけてください。私がアンナと接触する、ほんのわずかな時間を作っていただければ結構です」


それは、貴族令嬢の立場を最大限に利用した、陽動作戦だった。

カイン卿は、私の作戦の意図を瞬時に理解すると、にやりと笑った。

「なるほど。白昼堂々、敵の目を欺くわけですか。いいでしょう、そのお芝居、とことん付き合わせていただきますよ」


翌日の昼下がり。

私は、カイン卿の部下である若い騎士を護衛につけ、バルテルス公爵家の紋章が入った豪華な馬車で王城を出た。向かう先は、貴族御用達の一流仕立屋が軒を連ねる中央通りだ。

馬車の窓から見える王都は、活気に満ちていた。華やかな貴族街の街並みが、やがて庶民の暮らす喧騒と熱気に満ちた下町へと移り変わっていく。前世の記憶の片隅にある、コンクリートジャングルとは全く違う、石畳と煉瓦の街並みが妙に新鮮だった。


予定通り、馬車は目的の仕立屋の前で停まった。私が護衛と共に店の中へと入っていくのを、通りの向こうの建物の窓から、複数の視線が追っているのを肌で感じる。

(……かかったわね)


店の奥で、あらかじめ手配しておいた侍女の服に着替えると、私は裏口からそっと抜け出した。ここからは、時間との勝負だ。

人混みに紛れ、カイン卿から渡された地図を頼りに、下町の古びたアパートへと急ぐ。


目的の部屋の前にたどり着き、深呼吸を一つ。そして、古びた木のドアを三度、ノックした。

しばらくして、ドアがわずかに開く。隙間から現れたのは、かつての快活な面影を失い、白髪の増えた初老の女性だった。元侍女長、アンナ・メッサーその人だ。彼女は、私をただの訪問販売員か何かだと思ったのだろう、怪訝な顔をしていた。


「お久しぶりです、アンナ。リリアーナの妹、ルクレツィアです」

私がフードを取り、顔を見せて名乗った瞬間、アンナの顔から血の気が引いた。

「ル、ルクレツィア……様……? なぜ、ここに……」

彼女は驚愕に目を見開くと、すぐさま恐怖の表情に変わり、慌ててドアを閉めようとした。

「お、お帰りください! 私には、何もお話しできることはありません!」


「待って!」

私は、閉まりかけたドアの隙間に、咄嗟にブーツのつま先を差し込んだ。

「あなたの身が危険なことは分かっています。だからこそ、来たのです。姉の、そしてあなたの名誉を取り戻すために」


私の真摯な言葉に、アンナの抵抗が、わずかに弱まる。彼女の瞳が、絶望と、そしてほんの僅かな希望の間で揺れていた。姉を心から慕っていた、かつての彼女の優しさが、まだ残っているのだ。

彼女が、何かを決意して、口を開きかけた、その瞬間だった。


「――かはっ! ごほっ、ごほっ!」


アンナが、突然激しく咳き込み始めた。まるで、見えない何かに喉を締め上げられているかのように、彼女は首を押さえてその場にうずくまる。

その苦しむ彼女の首筋に、一瞬だけ、黒い痣のような禍々しい文様が浮かび上がるのを、私は見逃さなかった。


(……これが、口封じの呪い!)

物理的に、真実を語ることすら許さない、非道な魔法。


アンナは、床に膝をつき、涙を流しながら、見えない誰かに許しを乞うように呟いた。

「ひぃ……! お許しを……お許しください……!」


目の前の壁は、私が想像していたよりも、遥かに高く、そして邪悪だった。

私は、苦しむアンナを前に、唇を強く噛みしめることしかできなかった。

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