第66話:検事の苦悩と巫女の覚悟
「――三日の後、始祖の祭壇において、『共鳴の審判』を、執り行う!」
国王陛下のその宣言は、大謁見の間の全ての者を、絶対的な沈黙へと叩き落とした。
『共鳴の審判』。
それは、おとぎ話や、古代の叙事詩の中にしか存在しないはずの、伝説の儀式。人と、この世界を司る大いなる精霊とが、直接、その是非を問う、神聖にして、あまりにも危険な、最後の裁判。
ユリウスの宿舎に戻った私たちは、重い空気に包まれていた。
「正気ではない!」
カイン卿が、テーブルを拳で叩き、声を荒らげた。「『共鳴の審判』など、子供向けの絵本で読んだだけだ! 陛下は、あなたを、何の準備もなく、伝説の中の怪物と戦わせるようなものだ!」
彼の怒りは、私を案じる、純粋な恐怖から来ていた。
「いや、違う」
ユリウスが、冷静に、しかし、厳しい表情でそれを制した。「これは、国王陛下が、ルクレツィア嬢に、全てを賭けた、ということだ。ヴァレリウス公爵が影響力を持つ、人間の貴族たちの評決ではなく、この世界の理そのものに、裁定を委ねた。これ以上、公正な舞台はない。……だが、カイン卿の言う通り、あまりにも、危険すぎる」
姉のリリアーナが、青ざめた顔で、古文書の一節を思い出すように、呟いた。
「……審判に敗れた者の魂は、勝者の力の前に、完全に、屈服させられる、と……」
私は、ただ、黙って、自分の右手を見つめていた。手袋の下で、あの紋章が、まるで、これから訪れる運命を予感するかのように、鈍く、疼いている。
(……裁判、ですって?)
(ですが、私の武器は、法と、論理。証拠と、証言。それらは、精霊に、通用するというのですか……?)
(どうやって、私は、戦えばいい……?)
その夜、私は、再び、宮廷魔術師長ダリウス卿の元を訪れた。
事情を話すと、彼は、これまでで、一番、深い、深いため息をついた。
「……『共鳴の審判』か。長生きは、するものではないな。とんでもないものを見ることになったわい」
彼は、私に、古い羊皮紙の束を見せた。
「これは、審判に関する、数少ない記録だ。これは、魔力の大きさや、魔法の技術を競う、決闘ではない。それぞれの魂が持つ、『哲学』と『意志』の、闘争だ」
「ヴァレリウス公爵は、『精霊封じの笛』を使い、こう、主張するだろう。『秩序とは、支配である。力で、混沌を、完全に、管理するべきだ』と」
「対する、お主は……」
「私、は……」
「お主は、『鍵』の力をもって、全く逆の主張をせねばならん。『秩序とは、法の下の、対等な関係である』と。だが、今の、その力に怯えるお主に、それができるか?」
彼の言葉が、私の心を、抉った。
私は、執務室に戻り、一人、暗闇の中で、考え続けた。
私に、何ができる? 私にしか、できないこととは、一体、何だ?
その時、ふと、脳裏に、検事として、初めて法廷に立った、あの日の記憶が蘇った。
緊張と、恐怖。だが、それ以上に、この手で、必ず、真実を明らかにするのだという、揺るぎない、決意。
(……そうか)
(そうだったのね……)
夜明けの光が、窓から差し込み始める頃、私の心の中の、深い霧は、完全に、晴れていた。
私は、魔法の修行をするのではない。複雑な呪文を、覚えるのでもない。
私が、この三日間で、やるべきことは、ただ、一つ。
検事として、私が、ずっと、やってきたこと。
私は、真っ白な羊皮紙を広げると、ペンを握りしめた。
被告人は、ヴァレリウス公爵。いや、彼の掲げる、その歪んだ、支配の思想そのもの。
証拠は、干上がったセレーネ川と、苦しむ民衆の涙。
そして、裁判官は、この世界を創造した、大いなる精霊王。
私は、その、たった一人の裁判官を、完全に納得させるための、史上、最も、難解で、そして、最も、重要な、**「最終弁論」**の準備を、始めた。
私の武器は、やはり、これしかなかったのだ。
法と、論理と、そして、正義を信じる、ただ一つの、魂だけが。
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